一週一言インデックス

2023年9月20日水曜日

非暴力とは戦術ではなく生き方だ

一週一言

918日~924

                                 

非暴力とは戦術ではなく生き方だ

             ロナルド・デルムス  

 

ロナルド・デルムス(1935-2018)・・・アメリカの政治家。

デルムスは、カリフォルニア州下院議員やオークランド市長を歴任するなど、1900年代後半に活躍したアメリカの政治家である。彼は最初、黒人至上主義を掲げる過激派のブラックパンサー党に所属していたが、キング牧師の演説を耳にして以降「非暴力」を掲げ、あらゆる戦争や差別に反対した。

【如是我聞】

 私はデルムスについて、この原稿を書くにあたって初めて知った。ネットなどで彼の思想や活動を調べていくと、ベトナム戦争などの全ての戦争に反対したようである。ただ私が驚いたのは、ベトナム戦争反対運動で若者と警察が衝突した際、デルムスは両者の間に入り「非暴力」を訴えたという点だ。若者の「戦争反対」という信念がいかに正しかったとしても、それを実現するための暴力に反対の意を示したデルムスの姿は、まさしく「生き方としての非暴力」を体現していた。私は思わず心のなかで「めっちゃかっこいい!」と叫んでしまった。おそらくパソコンをみている私の顔はニヤニヤしていただろう。画面が真っ暗でなくてよかった……。それはさておき、このデルムスの思考に触れるなかで、ある思想家の言葉を思い出した。それが『ペスト』でお馴染みのアルベール・カミュ(1913-1960)である。

わたしは、暴力が避けることのできないものだと考えています。(中略)ただ、あらゆる暴力の正当化を拒否しなければならないというのです。その正当化が、絶対的な国家理由から由来するにせよ、全体主義的な哲学から由来するにせよ、拒否しなければなりません。暴力は、避けることのできないものであると同時に、正当化することのできないものなのです。

アルベール・カミュ「エマニュエル・ダスティエ・ド・ラ・ヴィジュリーへの二通の返事」『カミュ全集5』(新潮社、1973年)、180

カミュは、この文章で暴力がなくならないという「不条理absurdité」に触れつつ、いかなる暴力をも正当化できないことを強調する。カミュの言うように、世界各地では現在でも数多の暴力が起こっている。ただそのなかでも暴力それ自体は、たとえ「祖国を守るため」であろうと「自分の信念を守るため」であろうと、許容できるものではない。暴力が無くならないなかでそれと格闘し、ためらい続けるカミュの姿勢はデルムスの非暴力に通ずるものがあるのではないか。 

そもそも非暴力という主張はどこから生まれるのだろうか。それは「人は他者なしには生きていけない」という考えに帰着すると思う。言葉なんてまさしくそうだ。言葉は、生まれたときから話せるわけではない。最初は親から、そして親族・友人など他者から教わるなかで身についていく。また精神科医のジークムント・フロイトは人間を「寄る辺なきhilflos」存在と規定し、一人では生きていけないからこそ何かに頼ることで自らの生を全うできると主張している。自分自身の弱さ(=ヴァルネラビリティvulnerability)や他者の大きさに気づくからこそ、非暴力という信念が生まれてくるのではないか。

私たちは、数多くの他者との「想定外の出会い」を通じて自己を形成している。その他者に暴力をふるう行為は、裏を返せば自分自身を傷つけることにもつながるだろう。私自身、31歳になった今、これからも他者との想定外の出会いを大切にしながら、自分自身と向きあっていきたい。

(社会科 穂波)





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2023年7月8日土曜日

真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。 新たな目で見ることなのだ。

今週の一週一言

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真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。

新たな目で見ることなのだ。

マルセル・プルースト

マルセル・プルースト(1871-1922)

 パリ郊外のオートゥイユ(現・パリ市)生まれ。代表作の『失われた時を求めて』は後世の作家に強い影響を与え、20世紀の西欧文学を代表する世界的な作家として位置づけられている。

【如是我聞】

 歳のせいだろうか、最近通勤途中で困っている人を見かけるとどうしても見過ごせない。目の不自由な人、足の不自由な人、こないだは駅の乗り越し精算機の前の列が縮まらないのでよく見るとお婆さんがコインを入れようとしているところだった。そもそも精算機の使い方もままならないのだが、震える手では硬貨が入れられない。「私、やりましょか?」というと頼みますー、とのこと。重いカバンを持っているお年寄りがいたらつい「私、運びましょか?」だし、目の不自由な人に出会うと「白杖ガール」を思い出す。私の周りの日常はそんなに変わっていないはずなのに、次々と困っている人が出現するからさながらパラレルワールドのようだ。

 こういうことって、マルセル・プルーストならどう答えるだろうか。ChatGPTになり切って答えてもらった。紅茶にマドレーヌを浸したときの気持ちを聞いたら、それなりの答えが返ってきたので、このように尋ねてみた。「最近出会ったおばあさんは震える手でコインがうまく掴めず、困っていました。今までなら気づかなかったのですが、私はどうしても立ち止まって彼女を助けたくなり、声をかけました。それはまさに新しい景色ですか。」

 

ChatGPTの答えはこうだった。

 

 あなたがおばあさんに声をかけて助けるという行為は、単に新しい景色を探すことではありません。それは、新たな目で見ることなのです。これは、あなたが以前とは異なる視点や意識を持ち、社会的弱者の存在に気付いたことを意味します。おばあさんの困りごとに気付き、声をかけて助けることで、あなたは社会的弱者に対する新たな目で物事を見ることができました。これによって、彼女の立場や経験に共感し、彼女の困難を理解することができました。

 このエピソードは、私たちが予測可能な枠組みを超え、他者の経験や感情に共感することの重要性を示しています。真の発見の旅は、新しい景色を探し求めるだけでなく、自分自身の目を新たにし、他者との共感と理解を育むことです。このエピソードはまた、私たちが社会的弱者に対して優しさと思いやりを示すことができるという希望を伝えています。真の発見の旅は、社会の不平等や差別に対して目を向け、自己の立場や特権に気付き、行動を起こすことを奨励します。

 「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新たな目で見ることなのだ。」という格言は、私たちが自己の視点を拡大し、他者とのつながりを深めるための重要な指針です。あなたの行動は、この格言の真の意味を体現し、社会的弱者との共感と配慮の新たな視点を示しています。

 

なんか、正された。

 

 世界は同じように回っているし、お年寄りや困っている人があふれている。そうした人々が、教習所のシミュレーターのごとく私の目の前に現れることがありがたい。

 ChatGPTをはじめ、生成系AILINEに常駐し、WeblioLudwigと言った英語学習アプリにも搭載され、今や私にとってはなくてはならない壁打ち相手になっている。Google翻訳が出てきた時にも「あんな役に立たないもの」と排除する動きがあったが、今やプロの翻訳家も活用しているという。超高齢社会も生成系AIのある教室も、現実だ。今年は私にとって半世紀の節目の年でもある。いつまでも日々新たな世界に出会うことを楽しみとしたい。

(英語科 江藤)





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2023年6月20日火曜日

人間は怒りと寂しさの処理で人生を間違える

今週の一週一言

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人間は怒りと寂しさの処理で人生を間違える

加藤諦三

加藤諦三(1938

 日本の社会学者。1972年からニッポン放送のラジオ番組『テレフォン人生相談』のパーソナリティを務めている。

【如是我聞】

大学時代に短期間であったが、学習支援員として小学校にボランティアで行っていた。そのときに、「先生はなんでいつも笑ってんの?」と担当していた小学3年生の女の子に言われたことがある。先日も「先生はいつも笑顔やなぁ。」と高校1年生に言われた。「そりゃあ、笑っているほうが楽しいからでしょ。」なんて、返したかどうかは覚えていないが、そう思っている。それでも、疲れてくるといけませんね。すぐにイライラしてしまいます。普段だったらそうでもないんだろうけど、自分に余裕がないと、ちょっとしたことにイラっっっっッとしてしまうのです。

そんなときは高校生のときからのクセで、その負の感情の原因をぐるぐると考えてしまうのです。

Q:「なんでこんなイライラしてるんやろ?」

A:「あいつがあれをせんかったからや。」

A:「またオレがせなあかんのか。」

A:「なんでオレがせなあかんねん。」

A:「もうオレがやればいいんでしょ。」

ぐるぐる考えたわりには単純で、そしていつもだいたい同じような結論に至り、さらにイライラが増してしまうことが大概だ。余計にしんどくなるなら、考えなきゃいいのにね。そこまでの達観はなかなかできない。この堂々巡りを少し紐解いてみると、このイライラのなかには「誰か助けてくれよ」という気持ちがある気がする。そして、その気持ちの中には、「自分のことを助けて然り」と考えている存在がいるのではないか。それじゃあ、このイライラの端を発しているのは「ぼく寂しいよ」という思いなのかもしれない。

もし、人が生まれてからずっと一人きりで生きていったとして(英文法で言うところの仮定法の世界なのでうまく想像できないが)、「怒り」という感情はあるだろうか? ありそうな気がする。例えば、足の小指を何かでぶつけたら、「コノヤロウ!!」と何でもないその痛みの原因に対して怒る気がする。「寂しさ」はどうだろう? 寂しいと感じるのは、自分の心を満たす何か、特に他人との関わりが不足していると感じたときではないだろうか。じゃあ、最初から孤独が当たり前であれば、「寂しさ」は感じないのかもしれない。

ペラペラ(実際はアプリの辞書を使っているので、音はならない)。寂しさはlonelinessか。語の由来が見当たらない。じゃあ、lonely【初17c; lonely = lone + ly】なるほど。-lyで終わるくせに形容詞だ(ここにも歴史がある)。次は、lone【初14c; aloneの頭音消失】へー。そしたら、alone【初13c; al-all)+one】ほー。端的な解釈をすると、「すべて + 一人=寂しい」となるかな(実はこの解釈には2つの無茶がある:現在のaloneには必ずしも寂しさが含意されていない+このallは強意のために使われているので、必ずしも「すべて」の意味はない)。英単語の語源を見ても、やはり「誰かそばにいてよ」という気持ちが「寂しさ」の中にあるように見える。

最近、「漫画で読む」とかいう甘えたシリーズの本でこんな言葉を見つけた。

「一人居て喜ばは二人と思うべし 二人居て喜ばは三人と思うべし その一人は親鸞なり」

いかがわしいクマのぬいぐるみが活躍(大暴れ)する映画では、そのクマが「一人か?」と聞かれたときにこう言っていた。

“Uh, no, no, I'm not. You know, you’re never alone when you’re with Christ. So, no, I’m not alone.”いつか、ぼくの存在が、誰かの寂しさを救うことができるような力強いものになれればいいなぁなんて思ったり、でも「そんな器ではないか。」と思ったり、「そんな存在、自分に欲しいわ!」と思ったり。まだまだ精進が足りないな。とりあえず、angerの語源を調べよっと。

(英語科 杉原一輝)





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2023年6月13日火曜日

時間の自由には二つのものがあるのではなかろうか。 自在に時間を配分する自由、もう一つは失われることのない、 今という時間を自在につくりだす自由である。

今週の一週一言

                                  612日~6月18

時間の自由には二つのものがあるのではなかろうか。

自在に時間を配分する自由、もう一つは失われることのない、

今という時間を自在につくりだす自由である。

内山 節『自由論―自然と人間のゆらぎの中で』 

内山 節

 哲学者。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科客員教授。特定非営利活動法人森づくりフォーラム代表理事。

【如是我聞】

2023年本屋大賞・高校生直木賞を受賞した、『汝、星のごとく』(凪良ゆう著)を読んだ。主人公は二人の男女の高校生。彼らの恋愛を軸に、その後二十年に渡って彼らの生き方を描く。舞台は愛媛県のとある小さな町。閉鎖的かつムラ意識の強い地域だ。彼らは嫌悪し高校卒業後、ともに上京を志向する。やがて彼の方は上京を果たし、一定の成功を収める。一方の彼女にはさまざまなアクシデントが生じ、田舎に残される。運命は無残にも彼らを結び付けず、二人は互いへの思いを持ちつつも、それぞれ新たな彼、彼女と出会い別々の人生を歩む形でストーリーが展開する。

それから二十年、紆余曲折を経てお互いが探し求めていた半身同士だったことに改めて気づくが、彼が病魔に倒れ夭逝することで結末を迎える。その刹那、帰省した二人は満天の星の下でおだやかな瀬戸内の海を見ながら、あれほど嫌っていた故郷を振り返る場面がある。こんなすばらしい所で生まれ育ち、二人が出会ったのだと。彼の死で、重く悲劇的な幕切れのように見えるが、むしろ軽やかな思いさえ持てたことが印象に残る。今でも彼らの弾んだ会話が聞こえてきそうでインパクトのある感動作だった。

 さて、表題にある二つの時間の自由である。内山節氏のこの『自由論』の中には、後者についてこんな話が出てくる。ある老人が若者に語りかけるシーンだ。「私は八十年近く生きたから、もう十分に生きたし、それほど生に執着することもないだろうと思うでしょう。ところが、生きるということは年齢で変わるものではないことがわかってくるのですよ。私も、あなたも、生まれたばかりの子どもも同じように生きているのです」。老人は、「もう一つの時間」を「自分がこう生きたいと思った時間を、実現しようとする時間」と定義し、それが人間にとって最も大切なものだと言いたいのだろうか。「永遠の今」と呼べるほど今の時間を充実させているという点で、若い人と同じということなのか。

 『汝、星のごとく』の二人は、同じ人生を歩めなかったという意味で、時間を自由に使うことができなかったかもしれない。彼らが切望した甘い二人の生活は送れなかったのだから。しかし、「もう一つの時間」を創造することで貴い人生が過ごせたのではないか。念願の再会を果たしながら、一人残された彼女に漂う安堵感がそう語っているようだ。

彼女は三十歳の後半。第二の人生を新しい伴侶と過ごすかもしれない。あるいは彼との思い出の中に生きる人生を送るかもしれない。後者なら、過去ばかりを懐かしんで暮らす寂しい生き方との見方もあるだろう。しかし、いずれにしても彼と生きた「永遠の今」は変わることがないように思われる。

                                           (宗教科・国語科  中川)





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2023年5月30日火曜日

遠いものは大きく、近いものは小さくみえるだけのこと

今週の一週一言

月21日~5月27日

遠いものは大きく、近いものは小さくみえるだけのこと

耳をすませば バロン 

 

耳をすませば…スタジオジブリのアニメでも知られる、柊あおいのベストセラーコミック。1989年に少女まんが雑誌『りぼん』で連載。

                                 

 

【如是我聞】

 

「残念―。今日の12位はうお座のあなた。ラッキーカラーは赤、ラッキーアイテムはアロハ柄のものです!」赤のアロハ柄…。あったら良いが、なかったら最悪の一日。そんな時は必殺、別のチャンネルの占い!今度は10位くらいだったりして、ホッとする。

 

 今日一日くらいならまだしも、月刊誌では今月のわたしが決まってしまうし、手相なんて一生!?もう油性ペンでシワを書き足したい。幸運のメイクに幸運のブレスレット…全部やったらキリがないが、一個より二個のほうが効果がありそう。

 

未来への不安は尽きない。しかし救われたい一心でわたしの主体性がなくなり、わたしの生き方が見失われることがある。そういう生き方を親鸞聖人は「悲しきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」とおっしゃった。

 

わたしたちは生まれながらに自分さえ良ければという煩悩を身にまとっている。それはまるで甲冑を着ているようであり、その姿を煩悩具足という。その甲冑の重さで身動きが取れなくなってしまっては意味がないのではないか。わたしがわたしらしく生きるために、わたしの弱さを知ることも大切なのかもしれない。

                                 (宗教・英語科 髙橋愛)





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2023年5月18日木曜日

ケシゴムの本当の役割は 間違いを消すことじゃなくて、間違えたっていいんだよって、 えんぴつを安心させることだ

今週の一週一言

                                  515日~522

ケシゴムの本当の役割は

 間違いを消すことじゃなくて、

   間違えたっていいんだよって、

えんぴつを安心させることだ

                      「ケシゴムライフ」より                                

「ケシゴムライフ」・・・2014年出版されたコミック。 日本初の漫画家育成ファンドの対象作品。 本当に人はずっと孤独なのか・・・。どこにでもあるような普通の高校を舞台に、青春の時を過ごす高校生たちのつながりを爽やかに描く、オムニバス形式の短編集。著者は羽賀翔一(1986~)。茨城県出身。学習院大学卒。2010年『インチキ君』で第27MANGA OPEN奨励賞受賞。 現在Twitterで「お題マンガ」として日々1ページ漫画をアップしている。

 

【如是我聞】

 

五月病の季節になった。予防には、腸内環境を整えるのがいい、と朝の情報番組で耳にした。それには発酵食品! 納豆や味噌汁、そしてヨーグルトらしい。どれほど前になるのか、カスピ海ヨーグルトなるものがはやった。たしか、我が家でも母が製造していたように記憶している。しかし、自家発酵させると毒化する可能性があり危険、という専門家の意見で一気に消え去った。発酵にもいろいろあるようで、それで体内環境を薄幸にさせるわけにもいかぬ(ダジャレです)。

人間が生きていれば、間違いも犯すし、傷も負う。問うまでもなくネガティブなことだが、実は意外と「傷」には「毒」ばかりではなく、効用も存在している。

消える間違いと消えない間違い。最近はICT化の暴走で、ずいぶんと消えなくなった。でも、もともと消えないものじゃなかったのかな。気分転換も忘却も処方箋としては大はずれ。あまたの細菌が繁殖しだす。じっくりと自分で塩を塗っていくのが、荒療治でも正解か? 間違ったり、傷付いたり、でもそこが足場になれば自分自身は変わっていけるかもしれない。

“あのこと”によって今の僕がある、と言えれば発酵完了ということになるのだろうか。

 

                         (文責:国語科・宗教科 曽我)





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2023年5月9日火曜日

しんのすけ とうちゃんが人生で一番幸せだと思ったのは お前とひまわりが生まれたときだ

今週の一週一言

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「しんのすけ とうちゃんが人生で一番幸せだと思ったのは

お前とひまわりが生まれたときだ」

野原 ひろし(「クレヨンしんちゃんより)

野原 ひろし

 漫画「クレヨンしんちゃん」の主人公、野原しんのすけの父親。一家の大黒柱として家族を支える。家族を傷つけるものや、悪に対しては立ち向かっていく正義感の強さの持ち主であり、情に厚く、涙もろい性格である。

【如是我聞】

 かくばかり 偽り多き世の中に 子の可愛さは誠なりけり

この4月、我が家に大きな変化が訪れた。私が定年を迎えたなどというのは小さなことで、一人娘が家を出たことが一大事であった。「家を出た」と言っても、むろん家出した訳ではなく、就職で一人暮らしを始めたわけである。

 娘はもう二十六歳なので、順調にいっていればもう3~4年前には社会に出ていたはずなのだが、それが(詳細は省くが)いろいろあって今年まできてしまっていた。本校でも何年も前から、娘と同年の先生が何人も勤めておられ、皆さん立派に働いておられるのを見るにつけ、それに引きかえ…といつも思っていたが、ついに遅ればせながら娘も社会人の仲間入りを果たしたのである。

 会社を選ぶ際、京都という選択肢もあったようで、迷っている様子だったが、娘は結局、勤務地が遠いほうの会社を選択した。実のところ私としては、家から通えるところを選んだ方がよいのではと思っていた。というのは、娘はいい年をして炊事洗濯や掃除といった家事全般のことはみんな親がかりで、自分はほとんど何もしていなかったので、大丈夫かなという不安があったのだが、本音を言えば家にいてほしいというのが第一であった。しかしながら、親のエゴを押しつけて、せっかく自立しようとしているのを妨げてはいけないと思い、やせ我慢をして口をつぐんでいた。

 3月末にバタバタと引っ越しを済ませ、その後いったん帰ってきて、この4月の初めにいよいよ本格的に家を離れるということになり、駅の改札で見送って姿が見えなくなった後、寂しさがこみ上げてきて不覚にも涙がこぼれた。妻と二人だけになってみると、娘のいた部屋はガランとして、そこだけポッカリと穴があいたようである。

 冒頭にあげたのは、「藪入り*」という落語のマクラで必ずと言っていいほど用いられる狂歌だが、子どもがいくつになっても、どんなに成長しても、親の思いはこのとおり不変であろう。

ウチの娘もこの連休に初めての藪入りを迎える。いまは夫婦ともそれを心待ちにする毎日である。

*藪入り…昔の奉公人が年に二回、盆と正月にだけ休みをもらって実家に帰ること。

(左溝)





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2023年2月14日火曜日

悪魔は誘惑しない。誘惑するのは自分自身である。

今週の一週一言

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悪魔は誘惑しない。誘惑するのは自分自身である。

 

ジョージ・エリオット(18191880

 イギリスの作家。本名はメアリー・アン・エヴァンズ。女性作家は陽気なロマンスしか書かないという固定化されたイメージから逃れるため男性名のペンネームを使用した。彼女の作品である『ミドルマーチ』は英語で書かれた最高の小説のひとつに数えられている。

【如是我聞】

 イギリスの作家であるジョージ・エリオットの言葉であれば、原文は英語であろうと思い、まずはインターネットで調べてみた。

No evil dooms us hopelessly except the evil we love, and desire to continue in, and make no effort to escape from.

急進主義者フィーリクス・ホルト(Felix Holt, the Radical)』1866

 見つかった英文を今流行りのDeepLにかけてみると、「私たちが愛し、続けたいと願い、そこから逃れようと努力しない悪を除いて、私たちを絶望的に破滅させる悪はありません。」機械翻訳の精度がここまで向上したことに感動しながら、今回のテーマとなった日本語とは少し異なるなぁなんて思った。

ここで使われている“evil”ってのは“devil”とスペルも意味も似ているなぁなんてことを思いついてしまった。そこで、最近ハマっている単語の歴史(語源)の深掘りをしてみることにした。まず、ジーニアス英和大辞典を見てみると、evilは「12世紀以前に初出し、古英語のyfel[限度を超えている]が原義」とあった(ちなみに昔のf/v/とも発音されていたので、今の綴りとも合致する)。devilもほぼ同じ綴りなので、同語源ではあるまいかと思い、同辞書を当たると、「12世紀以前に初出し、ギリシア語のdiabolos[悪口を言う人(悪いやつ→悪魔)]が由来」とあった。おお、元となる言語すら違っていた。

続けてOxford Advanced Learner’s Dictionaryの語源コーナーも見てみた。evilに関しては特に新しいことは見つからなかった。devilはまた面白いことが見つかった。「古英語dēofol由来である。(後期ラテン語経由、ギリシャ語のdiabolos[非難者、中傷者](ヘブライ語のśāānから翻訳)(dia[渡る]+ballein[投げる]からなる diaballein[中傷する]由来)」と書かれていた。ほお、diabolosSatanって同じだったのか。

やめておけばいいのにもう一つ辞書を見てみたくなった。今度は語源用の辞書であるOnline Etymology Dictionaryを使った。evilにも少し新発見。「語源となったyfelの元は原ゲルマン語のubilazbad, ill, wickedくらいの意味で使われていた」ようだ。そして、devilを見ていると、「ギリシャ語とラテン語の聖書ではdiabolusdemonが使い分けられていたが、英語などゲルマン系の言語では統合された」とあった。えっ、今度はdemonも調べないといけない。。。

いや〜、調べれば調べるほど言語の沼にハマっていってしまう。それにしても、多くの人にはあまり興味がなさそうなことをくだくだしく書き続けてしまった。うう、しかもこんな授業に直接関係ないことを子どもたちへもベラベラ話したくなってきた。これもすべて悪魔の誘惑のせいに違いない。

(英語科 杉原一輝)





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2023年2月1日水曜日

何をするかよりも、もしかしたら大切なこと。“誰とするか”。

今週の一週一言

                                  130日~25

何をするかよりも、もしかしたら大切なこと。“誰とするか”。

Real Clothesより

Real Clothes

 槇村さとるによる漫画。百貨店の婦人服売り場で働く女性販売員に焦点を当てた「働く女性」を描いた作品。

【如是我聞】

 昨年の624日(金)のことである。本山で研修があり、7時過ぎに京都駅に着いた。集合は8時。時間があるのでコーヒーでも飲もうと、近くにあったカフェに入った。屋外のテラス席があったので、空いているテーブルについて、携帯に「大谷翔平」と打って動画を見ることにした。この2日間の彼の活躍はすさまじい。ホームランを2本打って8打点を挙げた翌日は、先発投手として8回無失点13奪三振。先発した試合では、3回続けてチームの連敗を止めていた。

 回が進むにつれて、彼の奪三振ショーに味方ベンチもスタジアムも異様な盛り上がりを見せる。「オオタニサン!」「スゴイッ!」「イッテラッシャイ!」。実況も解説者も興奮を隠せなくなり、日本語が飛び交う。

7回の表であったか、3アウト目を三振で奪うと、投げ終えた反動のままにくるりと後ろを向いて、右手に力を込めて吠えた。やばい。かっこよすぎる。

メジャーではピッチャーが三振を取ったときなどに、バッターに向かってガッツポーズを決めたり、大声を出したりするのは侮辱にあたるという。後ろを向いて、吠えたのには理由があったのだ。

「すごいなあ~。かっちょええなあ~」。携帯をしまいながら、心の中でつぶやいた。

その時、バックする際の「ピポン、ピポン」という音を立てながら、観光バスが隣の旅館の前に移動してきた。宿から制服を着た中学生が出てきて、次から次へとバスに乗り込んでいく。ここ数年、コロナによる自粛期間が繰り返され、京都で修学旅行生を見るのは本当に久しぶりだった。

(一月もしない内に第7波が来ることは、この時まだ誰も知らない)

バスのドアが閉まる。玄関先で一人の仲居さんがえんじ色の前掛けをして、笑顔で大きく手を振っている。バスの中から手を振り返す生徒たち。バスが出発し、その後ろ姿に向けて手を振り続けた彼女は、バスが2つ先の信号を右折して見えなくなると深々と頭を下げた。頭を挙げた彼女は、身を45度回転させて、宿の玄関の方を向き、両手でガッツポーズをとりながら叫んだ。

「よっしゃ! 次行くで~」。

そう言って彼女は宿に戻っていった。その姿は、いままで僕の小さな画面の中にいた大谷翔平を彷彿とさせた。「かっちょええ~」。(ちなみにこのお宿のオーナーはうちの卒業生であったような。)

驚いたのは、彼女のその声の後に、「はいっ!」という声が続いたことだ。柱の陰になって見えなかったのだが、もう一人仲居さんがいたのだ。後ろに続いて玄関から宿に入っていったその仲居さんは、かなり若かった。おそらくは、二十歳にもなっていないように見えた。おそらくは彼女にとって、初めての修学旅行生のおもてなし体験だったのではないか。おそらくはその日、また別の団体が入ってくるので、その準備に向かうために「次行くで」と先輩に言われたのだろう。二人とも、それは素敵な笑顔だった。そんな素敵な光景に出会えた、素敵な素敵な朝のひと時だった。

「はいっ」と応えた彼女の笑顔から察するに、仕事を楽しむことができているようだ。また、その先輩の仲居さんと仕事をするのも楽しめているようだ。「いいなあ~」。

隣に文句と愚痴ばかり言いながら仕事をする人がいたら、気分は滅入るだろうな~。逆に、全く文句も言わず、常に前向きにバリバリと仕事をする人がいたら、それはそれで疲れるかもな~などとも思ってしまう。問題は、隣人にとって、私はそのどちらの存在でありたいのか。どうせ仕事をするなら、しかも自分で選んだ仕事をするなら、楽しんで仕事をする人でありたいな~。

これを書いている今日は私の誕生日。還暦まであと1年。「いつも楽しそうに仕事をされてますね~」なんて、若い人から言われてみたい。愚痴封印などできない。でも、愚痴をこぼすときすら楽しくこぼせるような人でありたい。

(宗教・英語 乾文雄)





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2023年1月17日火曜日

人間の値うちは、テストの点数だけで決まるものじゃないのよ

今週の一週一言

                                  110日~115

人間の値うちは、テストの点数だけで決まるものじゃないのよ

しずかちゃん『ドラえもん』)

源 静香(みなもと しずか)

藤子・F・不二雄の漫画作品『ドラえもん』に登場する架空の人物で、同作品のヒロインである。野比のび太が憧れるクラスメイト。主要人物内での紅一点的存在である。愛称は「しずかちゃん」

【如是我聞】

 幼いころから毎年、大晦日年越しそばを食べながら「今年はどんな一年やった?」と父に訊ねられた。幼いころはそこまで深く考えることもなく、「こんなことをやったよ、できたよ」と伝えることができたが、高校生になると、今年一年を振り返って「何かコレを頑張ったと誇れるものがない」と感じることも多くなり、私はなかなか答えられなかった。一年の節目で聞かれることなので、自分をカッコよく見せたい、この一年での「結果」を示したいことばかり考えていた。サボっていたわけではないけれど、特に秀でるものがない。何かスポーツで頑張って勝ったとか、何かで表彰されたこともない。勉強は、やることはやるがそこまで光るものもない。自分の力はこのくらいだしと思う一方で、頑張っていないこともないと意地を張る自分がいる。カッコつけたい私は「まぁまぁちゃう」と父に伝えた。案の定、父には「まぁまぁって、何や。文章で言え」と言われ、自分で自分を窮地に追い込んでしまった。父は「一年最後だから、できたことばかりを聞きたいのではなく、できなかったことを振り返り、次はできるようにするということを言ってほしかった」と言われた。そんな思いがあるのなら、最初から言ってくれていたら答えやすかったのにと思いつつ、それを口に出すとまた追い込まれるので、心の中にぐっと抑えた。それでも気がかかりなのは「次はできるようにする」ということで、今はできていないけれど、今後はできるようにならなければならない。大きいことも言えないし、ちょっと頑張ればできることにしておかないといけないなと思い、「朝、お母さんに起こされなくても自分で起きるようにする」と答えた。高校生の頃の私は決して無理すぎることは言わなかった。ましてや、勉強での目標なんて言わなかった。高校生のテスト点数や模試の偏差値の目標なんて公言したくない。できていないことがすぐばれることは言いたくなし、怒られるもとは作らない方がいいと思っていたからだ。そんなやり取りをして、12月31日の夜が終わった。

新しい年を迎え、家族そろっての新年の挨拶が終わった後、「今年の目標は何や?」と父に聞かれた。また新たな難題を突き付けられ、カッコをつけたい私は大いに悩んだ。家族にも聞かれるし、姉弟の中で一番年上だし、それなりのことを言わないといけないという思いにかられ「パス。先、言いや」と弟に振ると、父に「一晩寝たら忘れるんか。忘れるんなら、紙に書いて貼っとけ」と言われた。父は、目標のレベルはさておき、弟たちの前でさっと答えられるよう、さすがお姉ちゃんやなと言われるように前日から準備させてくれていたようだ。その上、「できなかったことの振り返り=目標」だということも教えたばかりなのにと、正月から父に小言を言われた。正月からやらかしてしまった…と思っている私に、笑いながら母は私に紙と筆ペンをさっと渡してくれた。

 

 それぞれのお正月、健やかにお過ごしになったかと思います。私は昔のことを振り返りながら、ふと笑っていました。もう父も母もいませんが、いろいろと教えてもらったこと、経験させてくれたおかげで、今の私がいています。まだまだ抜けていることも多く、失敗することも多くありますが、失敗からの回復力や粘り強さはなかなかある方ではないかと自負しております。今年の目標は「やりすぎない、やらなさすぎない、いい塩梅を選ぶ力を身につける」です。一つのことに集中すると、時間を忘れて没頭してしまい、聞き逃し、やり忘れることもあるので、今年はそのようなことのないようにと「いい塩梅」を心がけたいと思います。

(数学科 中山香里)





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