一週一言インデックス

2018年11月20日火曜日

誰かがぼくの敵であろうとも、べつにぼくが その男の敵にならなくてはならぬということはない。

今週の一週一言
                                 
誰かがぼくの敵であろうとも、べつにぼくが
その男の敵にならなくてはならぬということはない。
                          
ローベルト・シューマン[1810-1856・・・ドイツの作曲家。指の故障により、ピアニストから作曲家に転身した。
                        代表曲:「ピアノ協奏曲」・「子供の情景」・「謝肉祭」など
【如是我聞】
 僕は東北の岩手県から関西にやってきた。気づけばもうすぐ17年。関西に住めて良かったなあと思う一人である。正直はじめは関西の独特の文化になじめず、苦手意識があった。吉本新喜劇も笑えなかった。とはいえ、友人が出来ないと寂しいので、どうすれば関西に溶け込めるかを考えた。そのなかで新しく覚えた言葉が次の三つである。
一つ目が「ノリ」。「今日どういうノリでいく?」とか「そのノリむずいわ~」とか、とりあえず「場の雰囲気あるいは勢い」というニュアンスで使われているようである。おそらく関西人にとって「ノリ」がいいのは当たり前で、いまどういう「ノリ」なのかを察知することが肝要なのだと思った。また、関西人は集団性を重んじる。しばしば「フリ」というのを仕掛けられ、皆それにうまく返そうと努力を惜しまない。恐怖の集団性である。「面白さ」は一人では味わえないという素直な感性が、関西人の「ノリ」の原点にあるような気がする。  
二つ目が「ネタ」。あるとき僕は、流行りに乗って購入した電子辞書を雨から守るために、防水のリュックを買った。数日後、中に入れていたペットボトル(2ℓ)の水がほぼ全てこぼれるという事態になり、電子辞書がつぶれてしまった。普通のリュックであれば水が外に漏れて電子辞書は無事だったかもしれない。しかし、防水機能がいかんなく力を発揮して水を外に漏らさなかった。守りたかった電子辞書が水没してしまい、ただただリュックの防水性だけが証明されるかたちで幕を閉じた。岩手弁で言うと、電子辞書ほんにおもさげねえ、である。良かれと思ってやったことが悪い結果をもたらすやつだと思った。このドジった話を大阪の友人にしたところ、すごく笑ってくれたのだが、「それってネタやろ!(笑)」と、初耳ワードを浴びせてきた。ネタなんて使うのは寿司ネタくらいだと思っていた。岩手だし。しかし「ネタ」ってなんだ?侮辱か?今でもあまり理解できていないけれど、「出来すぎている話」ということなのかなあと思っている。ただ、笑ってもらって悪い気はしなかった。誰か、「ネタ」の本当の意味を教えて下さるとありがたいです。
三つ目が「オチ」。関西人はとにかくこれに一番厳しい。岩手にこの言葉はなかった。関西では人間としてのレヴェルがこの部分で決まるのだと知った。「で?オチは?」という定番の返しを何度もされた。こいつらどんだけ会話に人生かけてんだよと思いながら、僕は気づいた。そうか、僕がしていたのは会話ではなく、ほとんどただの報告だった、と。関西人はツッコミまでがワンセンテンスだと信じているため、話に必要なのは事実の正確さではなく「面白さ」だと学んだ。「ちょっと聞いてやー」は、「今からおもろいこと言います」と同義であり、覚悟して使わなければならない。これは自分が使ってはならないワードだと確信した。かくして、僕は自然にオチをつけて会話ができる関西人を尊敬するようになった。
 以上、僕が関西で学んだ三つの言葉を紹介した。今週の一言の内容とはだいぶズレてしまったが、うまくなじめないコミュニティで新たな発見をしたという話を述べさせてもらった。僕は異質な他者との関係から何かを学び、もう一度その関係性を考えていくことが大切だと思っている。
  若いうちに、感受の弾力性があるうちに、異質的なものと対決せよ(丸山眞男)
僕はこの言葉が好きだ。もちろん関西人も大好きだ。関西人にはなれないと思うが、今では吉本新喜劇でバカ笑いできるようになった。来年で岩手歴と関西歴が同じになる。どっちも大切にしたいなあ。

(文責:宗教科 北畠 浄光)



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