今週の一週一言
10月14日~10月20日
私たちはいわば二回この世に生まれる
一回目は存在するために 二回目は生きるために
J.J.ルソー(1712~1778):ジュネーブ共和国生まれ。哲学者、教育哲学者、作家、作曲家と、フランスにおいて幅広く活躍。『エミール』など、著書多数。
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【如是我聞】
ルソーの古典的な教育論、『エミール』の中の言葉だ。幼年期、少年期を終えて思春期の教育がどうあるべきかを記した第四編の最初におかれている。岩波文庫の今野氏の訳ではこの後、「はじめは人間に生まれ、つぎには男性か女性に生まれる」と続くが、ルソーの原文では、「l’une pour l’espece,
et l’autre pour le sexe.(一回目は人間という種として、もう一回は男性女性という性を持つ者として)」と書かれている。人は、思春期になってはじめて、それまではただ存在するだけでどう生きるかを考えもしなかったのに、情念に目覚め、第二次性徴の現れとともに体が大人になり、激しく異性を求める時期に入る。そして、この時期こそ「まさにわたしたちの教育をはじめなければならない時期だ」とルソーは主張するのだ。
ここでちょっと余談。残念ながら今から250年前を生きたルソーには、性を「ジェンダー」として捉えるという発想はなかっただろう。思春期に体が大きく変化する男性は、「嵐のような」この時期をくぐり抜けなければならないが、女性はいつまでも子供にとどまっていると考えていたようだ。なんで? まあ、そこは目をつぶって先に進もう。
では、ルソーはどんな教育をはじめなければならないというのか。「目がいきいきしてきて、他の存在をながめ、わたしたちのまわりにいる人々に興味をもちはじめ、人間はひとりで生きるようにはつくられていないことを感じはじめる。こうして人間的な愛情にたいして心がひらかれ、愛着をもつことができるようになる」という、この思春期の性本能の目覚め、伴侶を求める異性に対する欲求の発現を、「人間愛」の感情へと育てていくことだと説くのである。自分に対する愛しか知らなかった子供が異性である他者に目を向け始めたこの時期に、柔らかい感受性を利用して他者を思いやることのできる社会的な人間へと育てなければならないと。そのためには、子供が感じ悩んでいる、「人生のみじめさ、悲しみ、不幸、欠乏、あらゆる種類の苦しみ」が自分だけの悩みではなく、自分以外の誰もが抱えている人間共通の苦しみであることを感じる力、他者の苦しみ悲しみを自分のものとして感じる想像力に点火してやることだと説くのである。このルソーの考えは、私たちが身を置いている大谷の教育理念ともどこかで重なるように思えないだろうか。ルソーは書いている。「人間を社会的にするのはかれの弱さ(la faiblesse)だ。わたしたちの心に人間愛を感じさせるのはわたしたちに共通のみじめさ(nos miseres)なのだ」と。人間に共通の「弱さ、みじめさ」を感じることのできる力が人と人とを本当に結びつけるのだ、それが「生きるため」の「二回目」の誕生なのだとルソーは言っているのではないだろうか。 (国語科 角谷有一)
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