一週一言インデックス

2018年5月28日月曜日

山川、域を異にすれども 風月、天を同じうす 諸の仏子に寄せて 共に来縁を結ばん

今週の一週一言
5月21日~27日
山川、域を異にすれども 風月、天を同じうす
諸の仏子に寄せて 共に来縁を結ばん ※波線部は「風月同天」の読み下し
伝・長屋王(『唐大和上東征伝』)
長屋王…676?~729.天武天皇の孫であり、高市皇子の子。飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。藤原不比等の没後、最高位の左大臣となる。しかし729年、謀反を疑われる。聖武天皇を呪ったとされ、屋敷を包囲され、妻子とともに自害した(長屋王の変)。漢文・詩文を好み、儒学を重んじた。『万葉集』に5首、『懐風藻』に詩3編を残している。


【如是我聞】
 思えば遠くへ来たもんだ、とひとりごちることがある。これは物理的な距離だけではなく、私がここに在るに至るまでの膨大な因果の鎖に思いを馳せるとき、その渾然一体となった諸々の前にただ立ち尽くすしかない、うめきのようなものである。
人の運命とは一体、何であろうか。最近、つくづく考える。10代の頃、私は故郷が好きではなかった。しかしその煩悶が縁となって諸仏諸天を知った。実家はお寺ではないが、仏教系の大学に進学するため徳島県を出たときは、心が躍ったものだった。ところが下宿先では不思議とトラブルに見舞われ幾度も引越し(一度は爆死するところだった)、縁あって大徳寺の寮に入り小僧生活を送った。大学院を出たあと、高野山の行場へ行き、本物の荒行に命の瀬戸際を観た。振り返ると、およそ青春とかキャンパスライフというようなものとは無縁で、血反吐を吐いていた記憶しかない。社会人としては郷里のJA(農協)に勤めた。古来、農業は仏教と縁深いので、運水搬柴(うんすいはんし)の言葉を胸に、大地と対話するべく就職したところ、拝命した業務は管理部とサーバールームと広報マンの兼任であった。しかしいつの間にか、あんなに嫌いだった故郷もそんなに悪くないなと思うようになった。そして今また、新たなご縁をいただいて大谷に奉職している。月並みな言葉だが、本当に人生なにが起きるかわからない。それなりに人生計画は立てていたが、何一つ計画通りにいかず、選択の余地がない状況下で地べたを這いずり回るしかなかった。だがそれがまた良かった。標掲の言葉は、あの鑑真和上が日本へ来ることを決心する契機となった漢詩だと伝えられている。山や河などの国土は違えども、吹く風や天に浮かぶ月は同じである。どんなに距離が離れていても、同じこの世界を生きているのだから―。私自身はここまで達観しきれず、実家の母のことや、残してきた手乗り文鳥のことを思わない日はない。しかし、まあ、もう、どこで何をして生きることになってもいいんじゃないの、という妙な開き直りというか図太さはできてきた。そんな折、ふと恩師の言葉が脳裏をよぎった。「人生においては、しばしば個人(自分)の思惑を超えたところで物事が動いてゆくことがある。昨今、世の中では主体的決断だとか自己責任だとかやかましく言われるが、そういうものを超えた、もっと大きなものが人生を動かすことがあるんだよ。」それを何と呼ぶのかはわからないまま、私は今日も神仏に合掌している。        (文責:宗教科・国語科 阿賀谷) 

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2018年5月8日火曜日

真に生きている時間というものは、出会いのある時間なのだ。

今週の一週一言
                                  423日~429日 
 真に生きている時間というものは、
 出会いのある時間なのだ。
                   マルティン・ブーバー 
Martin Buber (18781965)・・・ユダヤ人の宗教哲学者。もじゃもじゃの髭と、つぶらな瞳がトレードマーク。フランクフルト大学に奉職するも、ナチス政権の成立によって退職。1938年、イェルサレムに移住してヘブライ大学の教授となった。主著『我と汝』は宗教哲学のみならず、ひろく人間学に大きな影響を与えている。
【如是我聞】
こないだ、3人の旧友たちと久しぶりに再会した。このようにして集まるのはおそらく5~6年ぶりくらいだろうか。とにかく久しぶりだった。大学院生の頃、ぼくたちはとくに用事がなくても、しょっちゅう会って、ご飯を食べたり、お酒を飲んだりしていた。「いま時間ある?ちょっとコーヒーでも飲みに行こうよ」みたいな気軽さで。実のところ、ぼくは昔も今も、人と会話することはそんなに得意ではない。できれば一人でいたい。しかし、この人たちと一緒にいる時間はとても好きだった。なぜだろう。理由はよく分からないが、それはぼくにとって自明の事実だった。そして、そんな時間がずっと続けばいいのにと思っていた。
懐かしい顔ぶれ、懐かしい呼び名。時が流れて、お互いにその時間の分だけ外見やら生活やら色んなものが変化したはずだ。大学を出てからというものの、それぞれがそれぞれの道を歩んできた。しかし、そのような変化は全く感じさせなかった。あたかも「やあ、昨日ぶりだね」というぐらいの出会いであるかのようだった。これは錯覚なのか、それともなにか時間の魔法だったのだろうか。
明らかに変わったことといえば、子どもが増えたことだった。「フランス産なの、この子は」と旧友の1人が言った。しばらくフランスで暮らしていたときに、現地で出産したらしい。ぼくは彼女がフランスに行っていたことも、出産していたことも全く知らなかった。新しい生命は、身体をせいいっぱいに使って、喫茶店を動きまわっていた。もう1人の旧友も自分の子どもを連れてきていた。そちらは旦那が外に散歩に連れてでかけていった。
その日は残念ながらぼく自身の体調がかなり悪くて大幅に遅刻していかざるをえず、しかもそのあとすぐに仕事に行かねばならなかったので、結局のところ滞在時間はわずか30分程度という非常に慌ただしい再会となってしまった。せっかくの美味しいコーヒーも流し込むようにして飲んだ。しかし、すこし無理をしてでもここに来てよかった。旧友とは本当に有難いものだ。またいつの日か、今度こそゆっくりと再会できればと思う。そして願わくば、これからの人生でもこのような素敵な出会いに出会うことがありますように。

「汝との関係は直接的である。我と汝とのあいだには、概念的理解も、予知も、夢想も介在しない。そして記憶さえも、個別性の次元から全体性のうちへ突入することによって変化してしまう。我と汝とのあいだには、目的も、欲念も、先取も介在しない。そして憧憬さえも、夢から事実のうちへ突入することによって変化してしまう。あらゆる仲介物は障碍なのだ。あらゆる仲介物がくずれ落ちてしまったところにのみ、出会いは生ずるのである……」

(社会科 舟木祐人)




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内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目

一週一言 9 月 4 日~ 9 月 10 日                                   内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目 鈴木章子    鈴木 章子 ( あやこ ) ( 1...