一週一言インデックス

2014年11月17日月曜日

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし  師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし

今週の一週一言
                                  
11月17日~11月24日
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 
師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし      『正像末和讃』
親鸞聖人   1173~1262。幼少の頃出家し、比叡山延暦寺に学ぶ。29歳の時、山を下り、法然の門弟となる。法然に連座して越後に流され、赦免後は常陸に住み、多くの人々を教化する。晩年は京都に戻り、『教行信証』などの著述に専念した。
【如是我聞】2014.11.21.Ⅵ年3組  担任からの手紙  高校生活最後の報恩講に際して
2008年11月21日(金) 報恩講 多田前校長の講話から
『宿 題』
今日の宿題は つらかった 今までで いちばんつらい宿題だった
一行書いては なみだがあふれた 一行書いては なみだが流れた
「宿題は お母さんの詩です。」
先生は そう言ってから、「良子さん。」と 私を呼ばれた
「つらい宿題だと思うけど がんばって書いてきてね。
お母さんの思い出と しっかり向き合ってみて。」
「お母さん」と 一行書いたら お母さんの笑った顔が浮かんだ
「お母さん」と もうひとつ書いたら ピンクのブラウスのお母さんが見えた
「おかあさん」と言ってみたら 「りょうこちゃん」と お母さんの声がした
「おかあさん」と もういちど言ってみたけど もう 何も 聞こえなかった

がんばって がんばって 書いたけれどお母さんの詩はできなかった
一行書いては なみだがあふれた 一行読んでは なみだが流れた 
今日の宿題は つらかった 今まででいちばんつらい宿題だった 
でも 「お母さん」と いっぱい書いて お母さんに会えた
「お母さん。」と いっぱい呼んで お母さんと話せた
宿題をしていた間 私にも お母さんがいた       

 つい先日、お母さんを病気で亡くした小学校6年生の中村良子さんの詩です。
 多田先生にお願いしたところ、早々にこの詩のFAXを送ってくださいました。
家の人にも読んでもらってください。    報恩講はこういう一日なんですね。

(数学科:常富)


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2014年11月5日水曜日

百聞不如一見

今週の一週一言
                                  
11月4日~11月9日
   百聞不如一見             『漢書・趙充国伝』より
『漢書』・・・後漢の歴史家班固が著した前漢の正史百巻。西暦八十二年頃成立。
【如是我聞】
皆さん、一度は聞いたことのある「百聞は一見に如かず」です。漢字から直訳すると、意味は「百回聞くよりは一回見た方が良い」となるわけですが、「他人から聞く」「自分で見る」という視点が入って、「他人から聞くよりは自分で見る方が勝る」という意味合いで使っている人も多いと思います。(百と一の割合は、そこまで・・・・と思うのは私だけ?)
 漢書の原文はこの「百聞不如一見」で終わりなんですが、実は続きがある、というより、おそらく日本に渡ってからひと工夫した人がいたのでしょう、こう続きます。「百聞不如一見」の後に、「百見不如一考」「百考不如一行」「百行不如一果」。つまり、簡単に不等号を使って表すと、「聞く」<「見る」<「行う」<「結果を出す」となります。私のこの4行の解釈は、「見る」で止まるな、行動に移せ、結果を出せ、という脅迫的な意味ではなく、「結果」には様々なプロセスとご縁がある、という逆からの見方で、4つセットを大切にしています。
 昨今、和食に代表されるように、先祖代々の先輩たちが築いてきて下さった「和」の文化の素晴らしさが取り沙汰されていますが、こういった一歩踏み込んで更に工夫する能力は、次世代に受け継いでゆかねばなりません。
では、私もこの4行に一歩踏み込んでみることにしましょう。最初の「百聞不如一見」の前に、「自分の殻に百回閉じこもって考えるよりも一回人の話を聞く」、つまり、「百閉不如一聞」。また、最後の「百行不如一果」の後に、「自分に対する百回の結果よりは、他人に対する一回の奉仕(行い)の方が・・・・」。ここまでいくと、漢字でどう表したらいいかわかりません。
ただ、こんなふうに考えていくと、最初の行き着く先も最後の行き着く先も、同じところのような気がしてなりません。私は仏教を深く勉強したわけではありませんので、使い方はおそらく間違っていると思いますが、「無」という漢字が一番近いような気がします。

更に更に、数学の一教師の端くれとして、これを数字の世界に当てはめてみると、+∞と-∞は同じ実体のように思えてくるから不思議です。        (数学科:梅垣)


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2014年11月1日土曜日

人の交わりにも季節あり

今週の一週一言              
1027日~112
人の交わりにも季節あり

南方熊楠(18671941・・・和歌山生まれの植物学、民俗学、博物学者。18言語を解し「歩く百科事典」と呼ばれ、菌類の研究では新しく70種を発見した。自然保護の観点から神社合祀令に反対運動を起こし、日本における“エコロジー”の先駆ともなった。

【如是我聞】
 私が小さかった頃、まだ、自分がそうであるなら他人もまたそうであるのだと思っていた頃、私は母に尋ねたことがある。「どうして同じクラスに誰がいたのか覚えてないの」と。小学生だった私は、当時のクラスはもちろん、何年生で誰と一緒だったか、全てはっきり覚えていた。なぜならクラス全員が“友だち”だったから。母は困った顔で笑っていた。
 最近、ふと心配になることがある。仕事を始めてから、友人に会うことがめっきり減ってしまった。忙しいから、日が合わないから、休日は少しでも休みたいから。なんだかんだと理由をつけて断ることも多く、連絡の返信も途絶えがちである。友人に会いたくないわけではない。が、すべての友人と遊ぶ気力もない。だから会う人、会わない人とだんだん線引きがなされていく。このままではいつか、せっかくの友人がいなくなるのではないかと、ぼんやり不安に思うのである。
その昔、南方熊楠は、留学先のロンドンで亡命中の孫文に出会った。意気投合とはこのことで、「三日にあけず」頻繁に会い、議論を交わした。孫文は熊楠のことを「知音」(親友)と記し、熊楠の帰国後は、和歌山で再会もしている。その後、孫文は中国で革命を成功させたが、その来日の際、熊楠はあえて面会しなかった。「小生孫氏に対し何一つ不都合・不義理なことありしにあらず、ただ人の交わりにも季節あり」、熊楠はこう記したという。
人の縁とは不思議なもので、どこに転がっているか、どれが続くか全く分からない。高校の頃、“友だち”は私の中で少なくとも3種類あった。休み時間を一緒に過ごすグループ、放課後だけ教室に集まるメンバー、それからクラスは違えど3年間の大親友。現在も頻繁に会うのは放課後メンバーで、「不思議だね、私たちが続くなんて。休み時間に一緒にいることなんて一度もなかったのに」と会うたび言っている。休み時間グループの友人とは、34年に一度会うくらい。それでも途絶えていない。それより何より不思議なのが親友で、卒業以来たったの一度しか会っていない。今でもしょっちゅう彼女を思い出し、懐かしむのにもかかわらず、だ。

今の私は小学校のクラスメイトをほとんど覚えていない。けれど、いつか再び交わることもあるのだろうか。「人の交わりにも季節あり」。熊楠と孫文に、3度目の春はどうやら訪れなかった。私と親友はどうだろう。長い、本当に長い冬が続いている。だがなぜか、彼女と再会する春がやがて来るのだろうと、私はずっと思っている。なんの確証もないけれど、季節はやはり、めぐるのだ。   (社会科 草地)




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内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目

一週一言 9 月 4 日~ 9 月 10 日                                   内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目 鈴木章子    鈴木 章子 ( あやこ ) ( 1...