一週一言インデックス

2023年9月20日水曜日

非暴力とは戦術ではなく生き方だ

一週一言

918日~924

                                 

非暴力とは戦術ではなく生き方だ

             ロナルド・デルムス  

 

ロナルド・デルムス(1935-2018)・・・アメリカの政治家。

デルムスは、カリフォルニア州下院議員やオークランド市長を歴任するなど、1900年代後半に活躍したアメリカの政治家である。彼は最初、黒人至上主義を掲げる過激派のブラックパンサー党に所属していたが、キング牧師の演説を耳にして以降「非暴力」を掲げ、あらゆる戦争や差別に反対した。

【如是我聞】

 私はデルムスについて、この原稿を書くにあたって初めて知った。ネットなどで彼の思想や活動を調べていくと、ベトナム戦争などの全ての戦争に反対したようである。ただ私が驚いたのは、ベトナム戦争反対運動で若者と警察が衝突した際、デルムスは両者の間に入り「非暴力」を訴えたという点だ。若者の「戦争反対」という信念がいかに正しかったとしても、それを実現するための暴力に反対の意を示したデルムスの姿は、まさしく「生き方としての非暴力」を体現していた。私は思わず心のなかで「めっちゃかっこいい!」と叫んでしまった。おそらくパソコンをみている私の顔はニヤニヤしていただろう。画面が真っ暗でなくてよかった……。それはさておき、このデルムスの思考に触れるなかで、ある思想家の言葉を思い出した。それが『ペスト』でお馴染みのアルベール・カミュ(1913-1960)である。

わたしは、暴力が避けることのできないものだと考えています。(中略)ただ、あらゆる暴力の正当化を拒否しなければならないというのです。その正当化が、絶対的な国家理由から由来するにせよ、全体主義的な哲学から由来するにせよ、拒否しなければなりません。暴力は、避けることのできないものであると同時に、正当化することのできないものなのです。

アルベール・カミュ「エマニュエル・ダスティエ・ド・ラ・ヴィジュリーへの二通の返事」『カミュ全集5』(新潮社、1973年)、180

カミュは、この文章で暴力がなくならないという「不条理absurdité」に触れつつ、いかなる暴力をも正当化できないことを強調する。カミュの言うように、世界各地では現在でも数多の暴力が起こっている。ただそのなかでも暴力それ自体は、たとえ「祖国を守るため」であろうと「自分の信念を守るため」であろうと、許容できるものではない。暴力が無くならないなかでそれと格闘し、ためらい続けるカミュの姿勢はデルムスの非暴力に通ずるものがあるのではないか。 

そもそも非暴力という主張はどこから生まれるのだろうか。それは「人は他者なしには生きていけない」という考えに帰着すると思う。言葉なんてまさしくそうだ。言葉は、生まれたときから話せるわけではない。最初は親から、そして親族・友人など他者から教わるなかで身についていく。また精神科医のジークムント・フロイトは人間を「寄る辺なきhilflos」存在と規定し、一人では生きていけないからこそ何かに頼ることで自らの生を全うできると主張している。自分自身の弱さ(=ヴァルネラビリティvulnerability)や他者の大きさに気づくからこそ、非暴力という信念が生まれてくるのではないか。

私たちは、数多くの他者との「想定外の出会い」を通じて自己を形成している。その他者に暴力をふるう行為は、裏を返せば自分自身を傷つけることにもつながるだろう。私自身、31歳になった今、これからも他者との想定外の出会いを大切にしながら、自分自身と向きあっていきたい。

(社会科 穂波)





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