2022年6月30日木曜日

我が目にて 月を眺むと 思うなよ 月の光で 月を眺むる

今週の一週一言

                                  627日~73

 我が目にて 月を眺むと 思うなよ

月の光で 月を眺むる

                        源空                                

源空・・・1,133年~1,212年 平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。はじめ山門で天台宗の教学を学び、承安5年、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を称えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、のちに浄土宗の開祖と仰がれた。親鸞は終生師と仰ぎ、「真宗興隆の大祖」と呼ぶ。法然は房号で、諱は源空、幼名を勢至丸、通称は黒谷上人、吉水上人とも。

 

【如是我聞】

 

法然上人の月の和歌としては、「月かげの いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」が有名である。現在、浄土宗の「宗歌」ともなっている。以前、この一週一言にも登場したと記憶している。今回の「我が目にて」の和歌は、法然上人の作とは確定されていないようだ。私もそのように感じる。おそらくは「月かげ」の和歌に着想を得た、後世の念仏者が作ったものではないか。ただ、そうであるにせよ、上人の仏教観を見事に言い当てたものだと感服する。我々は己の力で何事かをなし遂げたいと願ってやまない。何ものかが成就したとき、自らの爪痕を探すのだ。そこに人間の焦りや傲りが生まれる。

そんなどうしようもない人間業は、あまりに重すぎる故に、ちょっと脇へ置こう。それよりも興味深いのは「月」ではないか。古来、月に心惹かれてやまないのも我々人間である。

月と太陽。陰と陽、全知全能にして生命の根源が太陽であるならば、月は死、までもいかぬにせよ、弱さやかげり、柔らかさ優しさを象徴しているように感じられまいか。昨今大騒動となった「スーパームーン」は、だからあまりに頓珍漢である。

朝ぼらけ 有り明けの月とみるまでに 吉野の里に ふれる白雪

「有り明けの月」はもの悲しげで趣深い。輝きを失っていく月は、地平線に沈むまで全力で熱と光を放射し続ける太陽に比して、なんと気高いものか。月は眺められようが、太陽は見た者の目を潰す。

 何事も完璧にやり通せぬ、妥協や言い訳に終始する人間は、やがて必ず衰えていく我が身を、月に投影するのだろうか。

そして、となりのかわいこチャンに微笑む。

 「月が綺麗ですね」

                              (文責:国語科・宗教科 曽我)





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2022年6月27日月曜日

人生はロールプレイング


今週の一週一言

                                  6月20日~6月26

人生はロールプレイング

堀井 雄二

堀井 雄二(1954~)

 「ドラゴンクエスト」シリーズの生みの親。

【如是我聞】

 「模試はゲームだ。経験値(勉強)を積むことで目標をクリアしやすくなるし、全国ランキングもやりがいがあって楽しい。」高校生の私にこう言い放った、ちょっと変な数学の先生がいた。そんな風に言われたって模試を楽しいなんて感じられるはずがない、と思ったが、案外これが私にはまった。装備を整えれば強くなれるように、英単語に取り組み語彙力を補強すれば点数は上がった。強敵に何度も挑めば攻撃パターンが読めてくるように、反復して練習することで数学の問題に対して解法の選択肢が浮かび上がるようになってきた。嘘みたいな本当の話だが、あの時に勉強するのを楽しいと感じさせてくれた先生のおかげで今の自分があるのだろうと思う。

そんな風に人生も、強敵に立ち向かう勇者のような気持ちで捉えれば楽しいものなのだろうか。これから待ち受ける多くの困難に、私は挑戦していけるのだろうか。…まぁ、堀井雄二氏が言うのであれば間違いはないような気がする。堀井氏はこれまでも「従来のゲームの当たり前」に果敢に挑み、道を切り開いてきた人物である。これまでのドラゴンクエストの歩みを語る堀井氏は、なんだかとても楽しそうだ。自身の人生を全力でプレイしているからこそ、楽しいのだろう。

なら私も、私の人生に果敢に挑んでみよう。しんどくなった時には一歩引いて、ゲームの中の勇者である私を見つめてみることにしよう。自分のエンディングを楽しみに、これからの様々なイベントと向き合っていきたい。

 

(追記)本題とは少し話はずれるが、昨年、尊敬する大好きな人が一人、この世を去られた。ドラゴンクエストの音楽を手掛けたすぎやまこういち氏である。元々ドラゴンクエストシリーズの作品をプレイしていた私が、本格的にその音楽に目を向けコンサートにも足を運ぶようになったのは大学生の時だった。すぎやま先生の表情豊かな作品とその穏やかな人柄に惹かれ、私のスマートフォンの待ち受け画面はずっと、すぎやまこういちと堀井雄二のツーショットだった。先生の作品の一つであるドラゴンクエスト2のエンディングテーマ「この旅わが道」を聞くと、生涯現役でゲーム音楽を探求し続けてきたすぎやま先生に思いを馳せ、涙せずにはいられないのである。

「人生はロールプレイングゲーム」。私はこうとも感じずにはいられない。私の人生にはいつも先生が作ったRPGがあった。いままでも、そしてこれからも。すぎやま先生の、最後まで挑戦し続けた素晴らしい生き様を忘れずに、私は私のRPGを生きていきたいと思う。

(理科 恵)




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2022年6月13日月曜日

何も後悔することがなければ、 人生はとても空虚なものになるだろう

今週の一週一言

                                  6月6日~6月12

何も後悔することがなければ、

人生はとても空虚なものになるだろう

フィンセント・ファン・ゴッホ

フィンセント・ファン・ゴッホ(18531890

オランダのポスト印象派の画家。その壮絶な人生と情熱から「炎の画家」と呼ばれる。

1888年から1890年には花瓶に挿された向日葵を7つ描き、そのうち6つが現存している。

【如是我聞】

 休日のうちの姉妹。5歳の長女のことが大好きな1歳の次女は、「ねぇねー♪」とほっぺを付けてギューッと愛情表現をする。ギューッを「じゅーっ」と言うところもまた可愛い。長女も妹思いでとても優しい。リカちゃんとアンパンマンをそれぞれ手に持ち、ごっこ遊びをするのが最近の2人のブームである。私はその間に昼食のお皿を洗い、さて紅茶でも…と椅子に座るのだが。ここでいつも不穏なやり取りが聞こえてくる。「貸してー」「いややー」、「ねぇ貸してよ!」「いや!いや、いやぁぁぁあああー!!」幸せな時間は長く続かない。リカちゃんのお買い物カートの取り合いだ。長女の肩を噛もうとする次女を抱き上げるが、今度は長女が床に突っ伏して泣く。カオス。泣き疲れた2人が寝たあと、私はティーパックを入れたままの渋く冷めた紅茶を飲む気にもなれず、薄暗い部屋で録り溜めたドラマを無音(字幕)で見る。

 いや、私の人生が空虚だとか、そういうことではない。確かにショッピングに行ったり、友人とお茶をしたりしたいときもあるが、これは自分の選んだ生き方である。それよりも、娘たちのやり取りを見ていると、私自身が色々と考えさせられることがあるように思う。

昼寝から起きると、長女は「さっきはごめんね」とお気に入りのおもちゃを貸す。次女は何があったか忘れているようだが、嬉しそうだ。「悪いことをしてしまったな」と反省している長女を見て、日々素直に反省できていない自分を思う。

幼い子どもでも学生でも立派な大人でも、気に入らないことがあると、無視したり意地悪をしたり、時には暴力をふるうことがある。上手くいかない、思い通りにいかないということに、私たちは悩み、時に間違ったことをしてしまう。誰かに注意されると、さらに思い通りにいかないので、言い訳をして逃げようともくろんだり、自分を注意する人をうっとうしいと思うこともある。知恵が付けば付くほど、私たちは厄介になっていくのかもしれない。

「私は正しい」というところに立っていれば、謝ることも反省することもなく生きていくことができる。しかしそれは同時に、人をねじ伏せたり、気の合う人と陰口を言いながら小さな世界で生きていくということになる。私たちは他人のミスには敏感であるが、自分の間違った思い込みには気付くことができない可哀そうな生き物だ。そして条件がそろえば、どんなに「いけない」と言われていることでもしてしまう危険な生き物でもある。自分自身のそうした危うさに気付き、反省し、後悔しながら生きることは辛いことかもしれない。しかし人生においては、最も大切なことの一つであるに違いない。

※失敗を恐れて何にも挑戦しない人生は空しい。後悔することになっても挑戦するべきだ。ゴッホはそう言いたかったようですが、如是我聞として書かせていただきました。(宗教科・英語科 高橋愛)





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会議は踊る されど会議は進まず

今週の一週一言

                                  5月30日~6月5日

会議は踊る されど会議は進まず

シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール

シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール(17541838

名門貴族・聖職者出身のフランスの政治家。外相としてウィーン会議の全権となった。各国の利害対立を利用して、正統主義の原則を提唱し、フランスの戦争責任をたくみに回避した。

【如是我聞】

 フランス革命後の国境と主権、国際秩序の回復のため、ヨーロッパ各国の首脳がホスト国オーストリアに集った。ウィーン会議である。皇帝や王、貴族が主体の会議だったため、連日華麗な舞踏会が開かれ、全体会議は1回も開催されなかったという。そこで「会議は踊る、されど会議は進まず」と揶揄された。

世界史の資料集には左の風刺画がよく登場する。真ん中の三人は滑稽に描かれているが、この三人(左からオーストリア皇帝フランツ1世、ロシア皇帝アレクサンドル1世、プロイセン王フリードリヒ=ヴィルヘルム3世)の共通点は会議で領土の拡大を認められた皇帝たち。それで躍り上がって喜びを表しているのだろう。一番左に描かれ、壁にもたれながらさめた目で彼らを眺めているのがフランス全権で貴族のタレーラン。彼の立場は微妙で、踊っている場合ではなかった。ヨーロッパを大混乱に陥れた当事国としての責任を追及され、領土の割譲や多額の賠償金を要求される可能性が大きかったからである。

他国に多大な損害を与えたフランスはその責任を取るべきだという主張に対し、タレーランがフランスを守るために持ち出した理論を「正統主義」という。フランス革命以前のヨーロッパの姿が「正統」であり、領土や主権のすべてを革命前の状態に戻そうというものであった。フランスの領土は減らさないし、賠償金も払わない。なぜなら「ブルボン朝も被害者で、悪いのは革命である」という理屈である。確かに革命によって国王夫妻は処刑され(ちなみに王妃はマリ=アントワネット)、フランス貴族は特権を失い、土地や財産を奪われた。

結果的に各国の代表はタレーランの「正統主義」を受け入れた。国家間の利害対立よりもヨーロッパ貴族全体の権益を守るため、ヨーロッパのどこかで再び市民革命が起こらないように、国境を越えて貴族同士が協力するほうが得策であると判断したのである。タレーランの巧みな外交術により、フランスは救われた。

そんなことよりも私が気になるのは、この風刺画の作者のことである。墺・露・普の皇帝、国王をここまでバカにして、無事でいられたのだろうか。

(宗教・社会科 山田)





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2022年5月16日月曜日

この世のあらゆる事象の中で言葉で言い尽くせるものが一体どれほどあろうか

今週の一週一言

                                  516日~522

この世のあらゆる事象の中で

言葉で言い尽くせるものが一体どれほどあろうか

バガボンド 胤栄

バガボンド…井上雄彦による漫画作品。現在休載中。

【如是我聞】

五月。桜の花芽が膨らみ、綻んで、満開を迎え、いつ散るだろうと気もそぞろな時期も終わって、新緑が輝く季節となりました。毎朝通るバス停の前にツバメの巣があるのですが、その雛たちも着実に成長し、ひとり立ちの日が近づいているのが分かります。四季の絵巻がゆったりと、次の章へと進められていくのを、今年も眺めています。

 高校生だった頃、自然の美しさに対して無関心であったのを記憶しています。何かもっと別のことに気をとられていたうえ、巡り巡って必ず訪れる四季の光景は、当たり前のものとして、目を驚かせませんでした。しかし、当たり前のことが当たり前ではないという事実や、すべての物事の移ろいに気づき始めると同時に、小径でふと出遭う沈丁花の香りや、鶯の初音、闇に舞う蛍、流れに揺蕩う鴨のつがい、晩秋の静かな虫の声、雪を頂いてしなだれる南天の実―いろいろなものが、鮮やかさを得て目に映るようになりました。美しさに感動し、去って行く時間をかなしみ、次の季節への憧れを抱いたりしているわけですが、そうした感情の底に潜む一つの感覚があります。自然は雄大なサイクルを形作っているけれども、自分はその循環から切り離されていること――目の前の美しい自然が、遠いものであることを感じています。

 植物を育てたことがある方は、きっと思い起こしてくださると思うのですが、水をやり忘れてうなだれてしまった鉢植えの草花に、慌てて水をやってしばらくすると、倒れていた草が力を取り戻し、天に向かって勢いよく伸びきります。その復活を目撃した時の驚きは、ちょっと特別なものです。ものも言わず、我々のように動き回りもしない植物の中に、確かに宿っている生命。シンプル且つ深遠な何かを見せられたような気がしてはっとしますが、その驚きも入り口的なものであって、命の何たるかについて、私は片鱗も捉えられていないのかもしれない。

人間は複雑な言葉を操ることのできる特異な存在だと言われます。しかし、陸で生きることを選んだ生物たちが海で生きる能力を喪失したり、空を飛ぶ力を獲得した生物が地上で生きるのに有利な能力を捨てて進化を遂げたりするのと同様に、言葉を選んだ人間は、その代償として何か大きなものを失っているはずです。本当は健気なほど拙い道具に過ぎないかもしれない言葉の力を信じきって過ごしている私の、想像を遙かに超えているのであろうこの世界は、一体どのような深遠さを湛えているのだろうかと、四季の絵巻の中を歩きながら思いを巡らせます。                         

(国語科 小川 愛)



2022年5月9日月曜日

一位と最下位との差なんて大したことねーんだよ。 ゴールすることとしないことの差に比べりゃ。

今週の一週一言

                                  59日~515

一位と最下位との差なんて大したことねーんだよ。

ゴールすることとしないことの差に比べりゃ。

小山 宙哉『宇宙兄弟』

小山 宙哉…日本の漫画家。宇宙兄弟は雑誌「モーニング」にて現在も連載中。

【如是我聞】

 僕が大学生の頃の話である。僕は個別塾で塾講師をしていた。個別塾というのは塾講師と受け持つ生徒との関係性が重要である。生徒と良い関係が築ければ、生徒の学習意欲が上がり成績向上につなげられるのだが、その逆も起こり得る。塾長と生徒の保護者はその部分をよく見ており、塾講師の中でランク付けをしてくる(塾講師にそれが直接伝わるわけではないが)というように、僕が勤めていた塾はわりと厳しい競争社会であった。僕は「どうせやるなら一番の講師になってやる!」という気持ちで受け持つ生徒と関わり、日々指導に励んでいた。

 そんなある日、塾長から「高3の受験生、見てくれへん?」と依頼を受けた。高3受験生を担当するなんて話は、やはり上の方から信頼されていなければ基本回ってこない。僕は初めての受験指導でかなり不安ではあったものの、「やっと頼りにされるようになってきたな!」と感じ、二つ返事で承諾した。その生徒とは幸運にも意気投合して、指導する傍ら休憩時間に雑談をして、僕は充実した時間を送っていた。生徒は僕が言ったことに真摯に取り組んでいたこともあり、次第に成績も上昇していった。僕は「この生徒は第一志望の大学に合格するだろう」、そう確信していた。僕はその生徒に合格してほしいという気持ちと塾講師として一番の結果を出したいという気持ちで、受験当日まで全力で指導にあたった。

 受験が終わって、生徒が結果を報告してくれた。結果は「不合格」であった。話を聞くとどうやら問題が昨年までと比べて難化したことと体調が受験時良くなかったということらしい。僕は指導していた立場として、その生徒に対して申し訳ないという気持ちには当然なったのだが、それ以上に僕自身が塾講師として結果を出せなかったことの悔しさが自分の中に生じたのを覚えている。そんな僕に生徒は、「先生、ありがとうございました。先生のおかげで最後まで頑張ることができました。結果は残念だけど、後悔はありません。」と伝えてくれた。

 僕はこの言葉を聞いてはっとした。自分は結果を出すことだけを考えていたことに気づいた。自分はともかく、生徒は最後まであきらめずに頑張っていたではないか、と。僕は途端に自分が恥ずかしくなった。この経験から僕が学んだことは、「結果はどうあれ、何事においても最後までやり遂げれば、その頑張った事実は必ずどこかの場面で活きてくる」ということだ。「その人の人生なんやから何をしてもいいやん、何かを諦めるもよし、最後までやるもよし、全部自由やろ。」という声もあるだろう。僕もそれには同意する。それに一つ僕が付け加えるとするならば、何をするにしても一位であれ最下位であれ、諦めずにゴールにたどりつけば何か見えてくるし、途中でリタイアしたら「あの時頑張っておけば…!」という後悔が残る可能性がある、ということになるだろう。その生徒とはそれ以来会っていないが、後に風のうわさで、最終的に第二志望の大学に進学し、素晴らしいキャンパスライフを送って自分がしたかった仕事に就くことができたと聞いた。きっとこの大学受験での経験が生徒のその先の人生に良い影響を与えたに違いない。僕自身もあの時頑張って指導にあたった経験があったからこそ、今こうして大谷で働けているんだと思える。「すべての出会い、縁に感謝しながら、何事もあきらめずに、スモールステップでいいから最後までトライしよう!」そう思いながら不器用なりに生きている、今日この頃の僕である。

(英語科 木本)





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2022年5月6日金曜日

寂しさというのは、 自分の話を誰かに聞いてもらいたいと 切望する気持ちなのかもしれない

今週の一週一言

                                  425日~58

寂しさというのは、

自分の話を誰かに聞いてもらいたいと

切望する気持ちなのかもしれない

      吉田 修一『悪人』

吉田 修一

 長崎市出身の小説家。映画化もされた『悪人』を始めとし、『怒り』や『パレード』、『横道世之介』等、著作多数。

【如是我聞】

 私が中学3年で、高校入試があと4日に迫った日だった。塾の自習室に籠って勉強をしていたら、父から一通のメールが届いた。それは曾祖母の死を告げるものだった。その日、私は初めて「死」というものを経験したが、正直、よく分からなかった。

 曾祖母は和歌山県に住んでいて、毎年夏になると2週間近く滞在した。無条件に柔らかく包んでくれる曾祖母が大好きで、居心地がよかった。大阪から一人で電車を乗り継いで、和歌山の家に遊びに行ったこともあった。近くの本屋で本を買ってもらい、夏場は井戸で水を汲み、冷たい水の入った樽に足をつけ、何時間も本を読んだ。本を読み終わったというと、「もう、読んでもうたんか。」と呆れながらも、「私に似て本が好きやな。」と嬉しそうにまた、本屋に連れて行ってくれた。

 曾祖母は、体調がすぐれなくなり、実家近くの大阪に移ってきた。学校から帰ってきたら、学校でのできごとをたくさん聞いてもらった。あんぱんが好きな曾祖母は、いつも私の分まで準備してくれた。それから数年後、長期入院することになった。中学3年生の頃は、学校からの帰り道に病院に行き、曾祖母の様子を確認し、親に報告するのが日課になった。

 そして、高校入試の4日前、曾祖母はこの世を去った。初めての身内の死で、何も分からずただ親戚が慌ただしく動いているのを傍観していた。なぜか自分事として受け止められず、他人事のように見ていたような気がする。高校入試が終わり、落ち着いた頃、私は曾祖母が恋しくてたまらなくなった。会いたくて仕方がなくなった。気づけば曾祖母のことを考える時間が長くなった。

 ある晩、曾祖母が夢に出てきた。二人で、実家の机で向かい合って座って、いつものように談笑していた。どんな会話をしたかは覚えていないが、私がたくさん話をして、曾祖母は優しくうなずいてくれていた。とても長い時間を二人で過ごしたような気がする。たった一晩の出来事だが、自分の中で区切りをつけることができ、前に進めるようになった。

(外国語科 崎中)


2022年2月2日水曜日

否定と出会うことが出発点である。

今週の一週一言

                                  131日~26

否定と出会うことが出発点である。

        ジークムント・フロイト 

ジークムント・フロイト(1856 - 1939)

 オースオリアの心理学者、精神科医。精神分析学の創始者として知られる。フロイトが提唱した理論は、後世の精神医学や臨床心理学の基礎となっているだけでなく、現代文学・芸術・哲学にも大きな影響を与えたことでも知られる。

【如是我聞】

しかし、いつからだろうか。否定することが「=悪いこと」となってしまったのは。

いつからだろうか。否定的な意見に対して、これほど弱い私になってしまったのは。

 はじめに言っておきたいことがある。この言葉は、誰かを否定した人が、それを肯定するための根拠として用いるものではない。特にただ立場的に上にいるだけの存在が、自分とは考え方が違うなどといった理由で立場的に下の人の存在までも全否定しておいて、拗ねたり落ち込んだりする相手を見かねては「昔の偉い人も言うてるけど、否定されることでそれが出発となることもあるんや。言うてもらえただけでもありがたいと思いなさい」などと、その否定を正当化するような使い方はじぇったいしてはならない。この言葉は否定された人が「これが私の新たな歩みの始まりになる」、そう受け止めることができるかどうかという問題でしかない。

 30年以上前になるが、東京の語学学校で働いていた時、休み時間に一人の生徒さんが泣きながら事務所に入ってきた。対応に当たった人に後で話を聞くと、授業で講師から言われたことに納得できず腹が立って泣けてきたのだという。それはかなりのハイレベルなクラスで、毎回英語のみで50分間ディスカッションをする授業だった。彼女はその日のテーマについて一生懸命予習をしてきて、一生懸命自分の考えを言ったのだが、それに対する講師のコメントが「I don’t think so. I can’t agree with you.(私はそうは思わない。同意できない)」だったというのだ。職員に言いたいことを聞いてもらえたからか、30分ほどで彼女は帰っていった。

別の授業を終えて戻ってきて、学監(校長)からその事を伝えられた講師は、「何それ?“I can’t agree with you.”って認めてるから言えるんだよ。きちんと自分の意見を言えたから、伝わったからこそ言えたのに。何も言わずにニコニコしてるだけだったら、何の評価もできないじゃん。僕は彼女の意見は否定したけど、それは誉め言葉のつもりだったんだけどなあ」。50年程の人生のそのほとんどを海外で過ごした日本人講師であった。

近くで仕事をしているふりをしながら、耳をダンボにして聞いていた私は衝撃を受けた。意見を否定することがそもそもその人を認めていないとできない誉め言葉であるということ。そして、そんなことは考えたこともなかった自分がいたこと。そんな自分がはっきりとはしないながらも新しい視点を得たことに。

もちろん、人を否定することを無条件に推奨する者ではない。その人の存在というか全人格を否定するようなことはあってはならないと強く思う。誰にもそんな権利はない。でも私は間違うことも誤解していることも知らないこともいっぱいある。否定されるということは、そんな私の「今の在り方」にダメ出しをしてくれる人がいたということなのだ。言い換えると「おまえなんか消えてしまえ」という否定ではなく「それおかしくない?」という問いかけのような否定は、得難い経験ではないのか。仮に認められるということを私の考えや欲望を何も言わずに全て受け止めてもらえることだと思っていれば、それはもはや「モンスターの養成」でしかない。

言いたいのは、否定されたら落ち込むし、時には腹の立つこともある。でも、その否定がその人の全人格までをも否定するものではなく、しかも的を射たものでありながら、それを素直に認めることができず、それが自己を見つめ直すきっかけとならないとしたら、それは本当にもったいないなあということ。でも、否定する側も受け止める側もこれほど難しいことはないとも思う。だから否定されては落ち込んだのちに「再出発するぞ!」と意気込んではみたものの、まだスタート地点を行ったり来たりしてはウロウロしている自分がいたりする。

最後にもう一言、一番言いたいことを。もしも私を否定するときは、優しく否定してほしい。

(宗教・英語 乾)





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2021年12月7日火曜日

たやすく 限界ということを口にする。 憎むべきはこの インテリ根性。

今週の一週一言

                              12月6日~12月12日

たやすく 限界ということを口にする。 憎むべきはこの インテリ根性。

 

矢代東村

18891952。略歴は本文参照。参考文献 小野弘子『父 矢代東村』、「法と

民主主義」20065-7月号、歌集『一隅より』『早春』『矢代東村遺歌集』、

DVD『楽聖ショパン』。なお穂波慶一先生のご協力をいただきました。

【如是我聞】

いつも少しは見知った人や言葉を選ぶが、今回は当初これが短歌ということさえわからなかった。詠者、矢代東村は自由律を愛した歌人で、前田夕暮に師事し、白秋、哀果らとも親交があった人物だ。

クリスマスの夜も近づきぬ丸善の二階には赤くたぎるストーヴ(大3)

明治22年、千葉の農村に生まれた彼は、上京して「都会詩人」と称した。若き日の歌のモチーフはモダンで洒落た西洋絵画、都市の情景や片思い。やがて教員生活の悲喜こもごもや、子どもたちと過ごす日々のきらめきが詠まれるようになる。後のことになるが、とりわけ長男を喪ったときの絶唱は胸をうつ。

  逮捕、急死、急死、急死、急死。ああ、それが何を意味するかはいふまでもない(昭8)

  しかし東村が最も知られるのは、大正11年に弁護士となった後の、治安維持法に抗した歌の数々だろう。生涯にわたって弱者への眼差しを失わなかった彼は、市民の思想を取り締まる権力の横暴が許せなかった。自らもいくつかの事件の弁護を請け負ったとされるが、その舌鋒が発揮されたのは主に文芸の世界だ。数々の社会運動の弾圧、無数の検束、拷問と虐殺への鋭い批判は、いつもその思いが三十一文字から溢れるかのように、流れる自由律で発表された。

  幼子は手に位牌持ち火の粉ふらす烈風の中父われを見ぬ(戦後発表)

  日中戦争のさなか、次第に厳しくなる言論統制。東村の歌も伏せ字や発禁を余儀なくされ、太平洋戦争突入後の昭和17年、とうとう彼自身、官憲の検束するところとなった。半年の拘留の間に何があったか。幸い弁護士資格は剥奪されずにすんだが、出所後は仲間の弁護に立つこともできず、思いを歌で表す場もなかった。無為の数年のうちに戦火は広がり、空襲で自宅は全焼する。

  つかつかと群衆の中わけゆきてその手握らむとすこの衝動を(昭22

  東村が再び本来の歌を発表できるようになったのは戦後のことだ。明るい日々と若き仲間との連帯を言祝ぐ自由律が甦り、それは昭和27年、彼が死去するまで続いた。「今週の一言」は亡くなる2年前に詠まれた連作のうちの一首で、当時封切られた映画『楽聖ショパン』の影響があるらしい。自らはパリへ逃げ、祖国ポーランドのために数々の「ポロネーズ」を作曲するも、圧政と戦う同胞を守れなかったショパン。この歌だけをみるなら若くして死んだこの音楽家に、かつての自分を重ねているようにもよめる。

 

  余談だが、評伝の末尾に幼少期から見慣れた歌誌の名があった。戦中に途絶え、東村が復刊に尽力した『勁草』── 母が半世紀の間かわりばえしない短歌を投稿しつづけ、一昨年ひっそりと終刊した小冊子だ。今回、自分とはまるで縁のない人物と思い調べていたが、最後にかすかな繋がりが見つかり面白かった。              (国語科  奥島  寛)





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2021年11月25日木曜日

人間は、 自分が幸福であることを知らないから不幸なのである。

今週の一週一言

                                  1122日~1129

人間は、

自分が幸福であることを知らないから不幸なのである。

              ドストエフスキー

フョードル・ドストエフスキー(1821-1881

 ロシアの小説家・思想家。代表作に『罪と罰』や『白痴』・『カラマーゾフの兄弟』などがある。アインシュタインやフロイトなど、文学者以外からの評価も非常に高い。

【如是我聞】

 自分がしあわせ(幸福)かどうかというのは、結局のところ自分の気持ち次第だなあと思う。そういう意味でドストエフスキーのことばはおっしゃるとおりである。ただ、言いまわしについては引っかかるものがある。あくまで日本語訳としてではあるが、おおむね、ドストエフスキーが今週の一週一言のような言い方をしていたのだとすると「人間は不幸なのだ」という結論づけをしているように感じる。はたして人間は不幸なのだろうか。むしろ「人間は自分が幸福であることを知ったとき、幸福になる」といったほうが良いのではないだろうかと私は考える。

 ほとんど同一の内容を言っているようであっても、あるいはまったく同一の内容を言っていても、その受けとめ方や伝わり方、個々が感じる印象が異なってくる場合は多い。ともすれば、同じことを言っているようでいて違う内容を説明しているということも起こりうる。

 たとえば「Xは『5』を除くすべての実数である」というのと「Xは5ではない」というのは同じことだろうか。「虚数」を含むかどうかによっても変わってくるにせよ、後者の言い方は説明として不十分ではないだろうか。

 また『鬼滅の刃』に出てくる「吾妻善逸」は、しばしば「肝心なとき以外には役に立たない」と言われるが、彼を「肝心なときには役に立つ」と評しても良いのではないだろうか。前者の言い方では「普段、役立たず」というディスリスペクトになるが、後者では「頼りがいのある人」というリスペクトになるだろう。

 そんなことを考えていると「なあんだ、ドストエフスキーも同じ人間。見方によっては、彼は自分のなかの中学2年生を引きずっているだけなのかもしれないね」といった、ある種、温かい気持ちで彼のことばを捉えることができるかもしれない。などと、ロシアを代表する文豪に対してなんと失礼なことをいうのか。そんな私は、今日もしあわせに暮らしている。

 

                           (文責:国語科 小塩)





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我が目にて 月を眺むと 思うなよ 月の光で 月を眺むる

今週の一週一言                                   6 月 27 日~ 7 月 3 日   我が目にて 月を眺むと 思うなよ 月の光で 月を眺むる                          源空   ...