一週一言インデックス

2015年10月23日金曜日

おだやかな人生なんてあるわけがないですよ

今週の一週一言
10月19日~10月25日

おだやかな人生なんてあるわけがないですよ
 「ムーミン」 より スナフキン


スナフキン・・・「ムーミン」に出てくるキャラクター。ムーミントロールの親友。服を着て靴を履いており、人に似た姿だが、手が四本指、しっぽが描かれている。自由と孤独、音楽を愛する旅人。クールで物事を所有することを嫌う。冬の来る前に南へ旅立ち、春の訪れとともにムーミン谷に戻ってくる。

【如是我聞】
 先日、卒業生の結婚パーティーに呼ばれ、行ってきました。私がその子たちを受け持っていたのは、彼女たちの中学三年間で、もう11年前のことになります。今は社会人として、様々な仕事に就いて頑張ってくれています。その姿を見ただけで安心し、ほろっとしてしまいました。
というのは、彼女たちの中学時代は、友人同士のいざこざなど、毎日のようにいろんな事件を起こし、よく指導していたからです。私にも彼女たちにとっても、穏やかという言葉からはほど遠い生活をしていました。卒業後も、彼女たち自身には試練と言われるようなことがあり、心配したことがありました。そういった経験を積んだ彼女たちと再会し、まだまだいろいろあるんだけれども、穏やかで優しい顔になったのを見て安心しました。彼女たちとの関わりに、ようやくひと段落がついたのだと思いました。

このテーマで文を書くことになり、「穏やかでない」時のことを考えてみました。悩んでいる時、困っている時など、どうしても悪い方に考えてしまう。一方で、嬉しすぎてドキドキしてしまう時も穏やかに過ごせていないことになる。そう、喜怒哀楽で心が揺さぶられている時は「穏やかでない」のです。様々な経験を積むことによって、しんどい思いをして心身ともに鍛えられていくと、ちょっとしたことでは感激しなくなったりする。そう、慣れていくことによって、穏やかなままでいることが多くなっていくのではないのでしょうか。
アラフォーと言われる世代に突入した私ですが、まだまだ心揺さぶられることが多くあります。結構いろんなことを体験してきたと思うのに…。まだまだ人生の試練が待っているんだろう、覚悟しないといけないんだろうな。ああ、辛い。いやいや、暗いことばかり考えていてはいけない。もっといいことに出会える人生が待っているに違いない! とびっきり良いことが起こって、びっくりすることがあるに違いない!!
そう考えると、穏やかな人生を求めるのは、もう少し後でもいいかな。人生を全うするときまで来なくでもいいかなと思いました。

(文責:数学科 中山 香里)




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2015年10月5日月曜日

常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションだ

今週の一週一言
                                  928日~104
 常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションだ
                    アインシュタイン

アルベルト・アインシュタイン(1879~1955) ・・・ ドイツ生まれのユダヤ系理論物理学者。相対性理論を発表。ナチスの迫害をさけて、1933年アメリカに亡命し、戦後は平和運動に努めた。

【如是我聞】
 母親にしかられるときの決まり文句がある。「あんたなぁ、常識的に考えてみられぇ!分かるじゃろ!」。これを言われたときに思うことはいつも同じ。「そんなん言われても知らんかったんじゃもん!一般常識だろうがなんだろうが、知らなかった私にとっては常識じゃない!」。もちろん怖いから、口に出したことはない。父親は父親で、「○○○は知ってるよね?」とよくたずねてくる。たいがい知らないことが多いので、「ううん」と答えると、沈黙が返ってくる。この沈黙が長いので、「それって有名?」と聞くと、「……。一般的な常識かもしれないね」と、遠慮がちに言われる。少し残念そうな顔で。…母親にしかられるより、なんとなく哀しい。
 そんなわけでというのもおかしいが、「常識」という言葉は昔から苦手だ。だからアインシュタインのこの言葉に出遭ったとき、大きな味方をつけたみたいで少し嬉しくなった。そういう意味じゃない!とアインシュタインに怒られるだろうが。だが実際、常識とは、何をもってそう呼ぶのだろう。常識のない人間と言われたくはないが、いかにそのことが当たり前で大勢の人に共有されていても、それにたまたま出遭わず、知らないままで大人になることも多い。結局のところ、人によって常識の範囲は異なるのではないか。
 まぁしかし、きっとそんなのは言い訳だ。ものごとを知らなすぎる自分を棚あげした、子どもの考える屁理屈にすぎない。ともあれ、そんなことをブツクサ思いながら大人になった私もまた、今まさに、教壇で偉そうな物言いをしているのだろう。ついつい口にしてしまう、「○○○ってよく聞くよね?」という言葉。キョトン、とされるとなんだか残念な気持ちになってしまう。共有できなかったのがなんだか寂しいのだ。苦手だった「常識」を、今度は何気なく誰かの前にちらつかせている。大勢が知っていそうなことを自分は知っていて、それを知らない誰かを相手にすると、「そんなことも知らないのか」と上に立ってしまう。なんのことはない、結局自分本位な私を見つけただけだった。

                            (文責:社会科 草地)




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2015年9月7日月曜日

世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

今週の一週一言                           
月7日~9月13日
世界全体が幸福にならないうちは
            個人の幸福はあり得ない
宮沢賢治...詩人、童話作家。1896年8月27日岩手県生まれ。1933年没。郷土岩手に基づいた創作を行い、作品中に登場する架空の理想郷に、岩手をモチーフとしてイーハトーブと名付けた。生前刊行されたのは『春と修羅』・『注文の多い料理店』だけであったため、無名に近い状態であったが、没後に草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていった。

【如是我聞】
宮沢賢治は、30歳のとき花巻農業高校の教員を辞め、農民とともに生きる決心をした。そして、昼は鋤を手に夜は農民相手に勉強会を開いた。その教科書の冒頭に「世界全体が幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない」と書かれていた。
まず、宮沢賢治の言う「個人の幸福」とは何かを自分なりに考えてみた。おなか一杯ご飯を食べたいとか、お金をたくさん稼ぎたいとかいう欲望だろうか。人が欲望を満たしたとき、個人の幸福を得ることができるのかと考えると何か違うように思う。次に、私自身にとって幸福なときとは何かを考えてみた。教員として毎日の生活を送っている私は、生徒が達成感を得てうれしそうにしているときに感動を覚える。生徒が目指していた大学に合格したとき部活動で大切な試合に勝利したとき、自分が少しばかりかかわったことで人が喜んでいる様子を見るときが幸福なのだと思う。個人の幸福とは、自分のこれまでの経験を考えても誰かが幸せになることによって得られるのではないかと考える。
世界全体という広い世界を考えるのは少し難しいが、この学校のことを世界ととらえたときこの学校全体が幸福にならなければ生徒・教職員の個人の幸福も得られないのだろう。賢治は、今まさに私たち学校に関わるものすべてに必要なことを伝えてくれているのだと考えたい。

先日、テレビで放映されていた映画「 STAND BY ME ドラえもん 」を見てあるシーンが心に残った。しずかちゃんのお父さんがのび太クンとの結婚式を翌日に控えた娘に対してこんな言葉を話していた。「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる。それが人間にとって一番大切なこと・・・それができるのび太クンを選んだ娘を誇りに思う」と。これといった取り柄がなくても、人の幸せを願うことができる人たちがたくさんいる世の中になればこれほど素敵なことはないと私も思う。                         (社会科  北畑賢一郎 )




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2015年8月31日月曜日

大切なのは 自分のしたいことを自分で知っていることだよ

今週の一週一言
月31日~9月6日
大切なのは 自分のしたいことを自分で知っていることだよ

スナフキン...フィンランドのトーベ・ヤンソンが書いた児童文学『ムーミン』シリーズに登場するムムリク族の少年。かたちのくずれた古いみどりいろの帽子とレインコート、パイプとハーモニカがトレードマーク。旅から旅へのテント暮らしで、季節が巡ればムーミン谷にやってくる。

【如是我聞】

旅先でスナフキンが釣り糸を垂れていると、そこに「ちびのミィ」が乗った裁縫かごがひっかかった。遠く離れたムーミン谷が大洪水に見舞われ、はぐれたミィは漂流していたのだ。助けてもらったというのに、あいかわらずミィは何の遠慮もない。スナフキンに食べ物を催促し、ポケットで寝てもいいかと訊ねる。そのとき彼が言うのが上のセリフ。「したいことをしたいようにする人間と、相手がしたいことをしたいようにさせる人間との対話である」と研究者の東宏治は評する。
  スナフキンは一般には“優しいお兄さん”ぐらいのイメージだが、原作シリーズを読むとミィ同様、したいことを自由にするエキセントリックな面を持つ。彼は自由を愛するがゆえに、意識的にも無意識的にも、ありとあらゆる“束縛”を徹底的に排除する。物にとらわれたくないらしく、持ち物はいつも必要最小限。そのうえ情にもとらわれたくないのか、ムーミンとの友情も旅に出た瞬間忘れてしまう(!)。もし、すべての人間が完全に自由であり、すべてのことを自由にやってよいとしたら、なるほど「したいことを自分で知っていること」こそが、最も大切なことだろう。
そうなると「じゃあそこまで自由なスナフキン、いや人間が“本当にしたいこと”とは一体何か」という文学的主題をたちあげてもよさそうなものだが、スナフキンもトーベ・ヤンソンもそんなシカツメらしい問いに答える必要性など、はなから感じていない(余談ですがこのテーマとがっぷり四つに組んだ児童文学としてはミヒャエル・エンデの『はてしない物語』があります。傑作です)。だからスナフキンはただ流れゆく日々を楽しむのだが、ただし上記のシーンのあと、彼はまさに自らが求める自由のために、警察に追われながら、24人の子どもを世話しなければならない羽目に陥るのは記しておいてよいだろう(え、どうしてそうなるのかって? え~、長くなるので原作をどうぞ()。『ムーミン谷の夏まつり』です)。「世の中そんなに甘くないわさ」というミィ、もといトーベ・ヤンソンの笑い声が聞こえてくるかのようだ。
  それにしても…、ファンには周知の事実だが、スナフキンと彼がこのとき拾った「ちびのミィ」は、実は“異父姉弟”だったりする(え、どうしてそんなことにって? あ~、スナフキンの父ヨクサルもまた自由人でして、結婚などという束縛に意味を見いだすはずもなかったわけでありまして…)。しかしその事実を知ってもなお、まったく二人の関係は変わらない。ああ、様々な束縛の中でも“最強”に近い「血縁」でさえ無力。我々は「自由に生きたい」などと気軽に言う前に、自由に生きるにはどこまでゆかねばならないか考えたほうがいいのかもしれない。

   (国語科  奥島  寛)




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夢の世に あだにはかなき 身をしれと 教えて還る 子は知識なり

今週の一週一言             
月24日~8月30日
夢の世に  あだにはかなき  身をしれと
教えて還る  子は知識なり
和泉式部…平安時代の歌人、10世紀後半から11世紀初めに橘道貞、為尊親王・敦道親王と夫婦・恋愛関係を結び、道貞との間には「おほえ山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」で知られる小式部がいる。一条天皇の中宮彰子に仕え、藤原道長の家司藤原保昌と再婚、夫の任地丹後へ下った。晩年は不詳。この歌は、小式部に先立たれた式部が、悲しみを越え、影響を受けていた仏の教えにたどり着いたものとされる。
【如是我聞】
和泉式部は、子に先立たれた思いを吐露する和歌も数多く知られている。なかでも「とどめおきて 誰をあはれと 思ふらむ 子はまさるなり 子はまさりけり」が有名であろう。先立つ娘を思う遺された母と、子より先立つ母としての娘の思いを読み込んだものである。淡く降ってくる春の雪を見ては、はかなく消えていく雪でも自分の前に姿を現すところから「などて君 むなしき空に 消えにけん 淡雪だにも ふればふる世に」と詠じた。そして「夢の世に あだにはかなき 身をしれと 教えて還る 子は知識なり」の一首がある。そのままでとどまることない無常さという道理を導いてくれたのが、我が娘の死であったという気づきの首といってよいであろう。
ここでいう知識は、本来は善知識と呼ぶものである。善知識は「よきとも」の意であり、原語的には「巧みな友」というべきもので、自分をよく知ってくれている者を指す。善知識は正しい道理を教える者のことであり、仏教の道理を教え導きさとりをえさせる人、仏道に入らせる縁を結ばせる人、ともに仏道に励む人のこともいう。親鸞上人の『浄土和讃』の69首目には「善知識ニアフコトモ オシフルコトモマタカタシ ヨクキクコトモカタケレバ 信ズルコトモナヲカタシ」とある。善き師にあうことも、善き師が法を教えることも難しい。その教えをよく聞くことも難しいし、その教えを信じることも、なおいっそう難しいという。
そういう中でも、今の自分で見えてくるものを考えてみると、すんなり思い出せることが一つあった。小学生のころ、学校のテストもあまり出来がよくなく、成績も悪く、種々に苦労した(いや、苦労したのは親だな……)。家でやっておくように言われたこともきちんとサボった。そういう時期が続き、見かねた親が、知り合いの小学校の先生に指導をお願いし、面倒を見てもらうことになった。不思議といやだと思うことが少なかった。いつしか物事を知ることが楽しくなって、何度か停滞することはあったものの、今、教えることを生業にする職業に就くことができるようにもなった。間違いなく、学習や勉強という意味での原点は、あの先生との出会いになる。
でも、待てよ。と思い直すべきこともある。たしかに、大きな転換点であり、忘れえぬ恩をもらった出会いがあの先生だけれども、今ある自分が本当にその導きだけで生まれたとは思えない。親の考え方とそっくり同じこともあれば、部活で出会った言葉はとても大事にしているし、大学時代の友人たちとは毎年会を持って集まるほど影響を受けた。果ては自分が、苦手だったものや、いやだと思っていたものから作り上げた自分の考え方や行動の仕方だってある。導くという意味では、出会った何もかもが自分を作り上げているように思えてくる。
和泉式部は若いころから仏教の影響を受けていたという。法華経を引いた「暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端の月」という首が、その証とよく言われる。善き導師を得ないまま煩悩の中に迷っている自らを、月に導師となって真理の世界へと導いてほしいという。式部にとって、闇を照らす光となる存在が何だったかは問わないが、実は、生きて出会うものがすべて自分を次の姿に導いてくれる、闇のなかを照らしてくれる光なのかもしれない。だからこそ、聞くのも、信ずるのも、自らが良くも悪くも導師になりうるのも、そもそもの知識に出会うのも難しいといえるようにも思える。出会うすべてを導師、自分を導く光だとすれば、自分のいく先はとんでもなく明るい。未来は明るいってそういうことなんじゃないかな、とさえ思えてくる。明るすぎて目がくらまないようには気を付けて、日々の出会いを大切にしよう、今の段階では、そう思うことした。

(社会科 梶 喬一 )




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2015年7月6日月曜日

逆境も 考えようによっては 素晴らしいもの

今週の一週一言             月6日~7月12日
 逆境も 考えようによっては 素晴らしいもの
シェイクスピア(15641616) … 英国の劇作家、詩人。英国ルネサンス演劇を代表する人物。
市会議員を務めた父と、上流階級出身の母を持ち、きわめて裕福な家庭環境に育つ。卓越した人間観察眼からなる心理描写によって、優れた英文学作品を残している。主な作品は『ロミオとジュリエット』、『マクベス』、『オセロ』、『リア王』、『ヴェニスの商人』、『真夏の夜の夢』など。
【如是我聞】 自分が『逆境』と呼ばれる状況の真っただ中にいるときに、こんなことを言える者はいない。他人からこう言われたら、言う側は慰めてくれているつもりかも知れないが、こちら側の心には何も響いてこない。ともすれば、「何言ってるの?! 私の苦悩の、何が分かってそんなノンキなことが言えるわけっ?!」とキレてしまうかもしれない。自作の劇脚本中でこんなことを言っているシェイクスピアだって、実際に自分が逆境の真っ只中にいたときに、こんなノンキなことを言ったわけではないだろう。素直に「逆境もイイじゃないか!素晴らしいよ!」などと本気で思えるとしたら、それは自分がすでに壊れてしまっている証拠だ。実は、この壊れてしまうということが、次のステップに進むミソなのだが。
 ところで人には、困ってどうしようもなくなったら、悲しすぎて何も考えられなくなったら、思わずゲラゲラと笑ってしまうということがある。ゲラゲラと大笑いしなくても、「ハハっ、これは困ったぞ。アハハハハ!」というような、そんな経験はないだろうか。――これは、心が一時的に壊れてしまっているサインで、それを修復するために体が反応しているらしいのだ。ちょうど、ひどく驚いたときに、思わず悲鳴を上げてしまうのに似ている。声を上げるために、一瞬で深く息を吸いこみ、声を上げることで深く息を吐いて、無意識にリラックスさせるために深呼吸を行わせ、緊張感から解放する。悲しみに暮れて、あるいは困り果てて泣くときも同じだ。声をあげて泣いても、しゃくりあげるように泣いても、常に深い呼吸を伴っている――心と体の共同作業システムによって、平常心を取り戻すようにできているのだ。
 さて。事態の深刻さや過酷さが自分の許容範囲を超え、にっちもさっちもいかない状態 ―― 逆境 ―― に陥ると、一度自分(自我)が崩壊し、頭の中が真っ白になる。そして今度は、「もう、なんでもエエわ!どうなってもエエわ!」という気持ち ―― 格好よく表現するなら、超越した自我 ―― が生まれ、頭の中がリセットされる。ある種の『悟り』が生じるのだ。リセットされると、「どうなってもエエ」とかいいつつも、実は「どうすればいいか」を冷静に考えるために、精神は働き始めている。そして、しばらくすると気持ちにちょっとした余裕のようなものが出てくる。「イイじゃん、どうぜ全部失ったんだから。もうこれ以上失うものはない」「もうこれ以上の悪状況はないんだから、どうなっても同じ」「それなら、やるだけやってみるか!」 ―― そんな感じの。すると、新しく気づいたり見えてきたりするものがある。おぉ、以前の私なら、こうは考えなかったな。なるほど。気づきの機会をくれたとは、逆境も、考え方によっては素晴らしいものだよなと。おそらくシェイクスピアは、その悟りのようなものを、この一言に込めたのだろう。
 シェイクスピアは、それこそ「あなた一体どんな環境で育ったの」と同情したくなるくらい、疑惑、恐れ、誤解、妬みなどから生まれるドロドロとしたヒューマンストーリーばかりを書いている。欺瞞と罠と裏切りのオンパレード。まったくもってハッピーエンドじゃない脚本ばかりだ。彼の生きた時代の、観劇客の嗜好もあっただろうが、彼自身がそういったドロドロの中で逆境に陥り、崩壊し、悟り、リセットするということを繰り返して、この台詞を生んだことは確かなようだ。なんたって彼は時の有名人でもあったのだから、すり寄ってくる人間の中には、彼に大きな火傷を負わせた者も多かったことだろう。彼はこの一言に関連して、「不幸を治す薬は、ただもう希望よりほかにない」という言葉も残しているのだが、これについてはまたの機会に記したい。
逆境は、人間関係だけに限らず全ての状況で起こる。私も毎日を逆境の嵐のような中で暮らしているが、逆境が去ったときには、毎回この台詞を言いたいものだ。この先、私は何回逆境を経験するのだろうか・・・それを考えるだけで、すでに自我が崩壊しそうである。
                (英語科 ブラウン 香)







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2015年6月26日金曜日

今から一年もたてば、私の現在の悩みなど およそくだらないものに見えるだろう

今週の一週一言
                                  月22日~6月28日

今から一年もたてば、私の現在の悩みなど
およそくだらないものに見えるだろう         

サミュエル・ジョンソン・・・17091784 イギリスの詩人・批評家・文献学者。シェイクスピアの研究で知られる。          


【如是我聞】

1年前に悩んでいたことって何だろう?自身を振り返って考えてみたが、何があったか、何に悩んでいたのか思い出せない。今回の言葉を読んでなるほどと感心した。本当にくだらないものだったのであろう。
悩みとはそのときの状況によって変わり、他人からすればどうでも良いような悩みもあれば、深刻で大きな悩みもある。前者は1年も経たずともくだらないものになるだろうが、問題なのは後者である。一人ではどうすることもできず相談できないとか、悩み過ぎて食事も摂れない、夜に眠れないといったようなことは誰もが一度は経験してきたはずだ。
何かに悩むということはそのことに対して真剣に考えているからであり、安易に考えているものではない。だからこそ、その問題を解決したときに人としての成長がある。そうして、人間としての自身の器を大きくしていった結果、1年経てば大したことなかったなと振り返ることもできるはず。安易に考えたり悩みから逃げてしまってはろくに解決もできず、自身の成長もない。
今回のサミュエル・ジョンソンの言葉は未来に向けて発せられているもので、これからの人生の中で出てくる悩みに対して勇気付けてくれる言葉だ。悩みの大小はあるが、真剣に考え、立ち向かってみてはどうだろう?そうすれば、1年後にはくだらないものに見えるのだから。


                                      (数学科:荒生)





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2015年6月16日火曜日

自分であれ そして忘れるな 自らを知る者に悲嘆はないことを

今週の一週一言              
月15日~6月19日
自分であれ
そして忘れるな
自らを知る者に悲嘆はないことを
マシュー・アーノルド(18221888) … イギリスの詩人、批評家。イングランドのサリー州北部スペルソーン・リールハムに聖職者の長男として生まれる。イギリス耽美派詩人の代表であり、文明批評家としても活躍した。ヴィクトリア朝時代における信仰の危機をうたった絶唱「ドーヴァー・ビーチ」が有名である。

 【如是我聞】 一昔前に、「自己実現」と言う言葉が流行のように飛び交ったことがあった。 自己実現とは本来、生きる上での究極の目標を定め、それに向かって自分の中にある可能性を最大限に発揮して、目標の実現のために努力し続けることだ。安易に、自分の考えを表明するとか、自分に合った仕事を見つけるとか、そういうことではない。まして、「これって、なんか違うんですよね」と言って、与えられた仕事を放り投げることではない。自分らしく生きることは、決して自分勝手に生きることではない。 そう考えると、「自分であれ」とは、なんと厳しい言葉であることか。そもそも、自分というものを知っている人間がどれほどいるだろう。仮に知っているとして、どれほどの人間が自分を見つめることが出来るだろう。人は生きる上で、役割を担っている。本当の自分をひた隠しにして生きているといっていい。その本当の自分が、ちっぽけだったりつまらなかったりしたら、そこから目を背けて自分を否定して生きることを誰が責められるだろう。 だが、マシューは言う。「自分を知る者に悲嘆はない」のだ。先にも述べたように、自己実現とは、生きていく上で、努力し続けることだ。ちっぽけな自分から目を背けず、為すべきことを為し、互いに助け合い、そして精進し続けることだ。 ちっぽけでいいんだ。つまらなくていいんだ。それがスタートなんだ。失敗してもいいんだ。悩んでもいいんだ。またやり直せばいいんだ。自分の失敗を見つめられないものに、成長はない。人の歩みを止めるのは、絶望ではなく、諦観。「もういいや」とあきらめたとき、人は成長を止める。さらに言えば、自分を見つめることが出来る者に、本当の絶望はない。その人は、きっとまた歩き続けることが出来るからだ。

 (国語科:林原)

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2015年3月28日土曜日

心得たと思うは 心得ぬなり 心得ぬと思うは 心得たるなり     蓮如上人

今週の一週一言                        3月23日~3月29日

心得たと思うは 心得ぬなり
心得ぬと思うは 心得たるなり
                          蓮如上人
蓮如・・・1415年京都生まれ、1499年没 真宗の僧侶。本願寺第8世、中興の祖。衰退の極みにあった本願寺を再興し、現代の本願寺教団(東・西本願寺)の礎を築いた。


【如是我聞】
 大学卒業後、20代のほとんどを東京で過ごした。その間、外国語を母語とする人たちに日本語を教える仕事に就いていた。
 3年目だったか、新任の講師の授業見学に入ろうと、あるベテランの先生に言われた。私はその授業を、「初めてにしては上手に教えておられるなあ」と思って見ていた。しかし、授業後に行われた反省会という名の指導で、そのベテランの先生が言った言葉はいまだに忘れられない。
  先生さ、「わかりましたか?」って、しょっちゅう生徒に聞いていたけど、何であんなことを聞くの?意味ないじゃん!
 そう言われて絶句した新任の先生は、少しして「じゃ、どうやってわかっているか確認するんですか?」と問い返した。その問いに、彼はこう答えた。
それを考えるのが、あなたの仕事でしょ。あとね、あなたしゃべり過ぎ。
あなたが日本語できるのはわかっているんだから、もっと生徒に話させないと。日本語を話せるようになりたいのは向こうなんだから、教師が授業中に半分以上しゃべっちゃだめだよ。
 反省会の部屋を出て、遠ざかる先生の背中を見ながら、彼は私にこう言った。
  「わかりましたか?」って聞かれてもさ、「もういいや」とか、「説明聞きたくない」とか、「次のことしたい」とか、もっと言ったら、「わかってないのを認めたくない」って思ったらさ、みんな「わかりました」って言うんだよな。
 「もうわかったから言わんといて!」。あれから20年がたち、もうすぐ中学生になる息子が、そういっては、母親の小言に反抗し始めた。そんな事をいうやつは、きっとわかっていない。

 私はここぞとばかりに、わかっている親を演じては仲を取り持とうと息子に近づく。すると息子が言う。「なんもわかってへんのにわかったようなふりせんといて」。ばれていたのはこちらの方であった。     (宗教・英語 乾)





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2015年2月9日月曜日

人生は不安定な航海だ

今週の一週一言              
月9日~2月22日
人生は不安定な航海だ

ウィリアム・シェイクスピア(15641616) … イングランドの劇作家、詩人。イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物。卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、最も優れた英文学の作家とも言われている。4大悲劇『ハムレット』・『マクベス』・『オセロ』・『リア王』をはじめ『ジュリアス・シーザー』・『夏の夜の夢』など多くの傑作を残した。

【如是我聞】
 シェークピアといえば、『リア王』・『ハムレット』・『ヴェニスの商人』など、その作品は数多あり、その才能には限りがないように思える。
 その有り余る才能の中で、「人生は不安定な航海だ」という言葉を残している。この言葉で、わたしが思ったのは、彼もさまざまなペルソナをもって生き抜いたんだな、ということ。
 彼の時代は、「ゴールデン・エイジ」とよばれるエリザベスⅠ世の時代で、政治・社会・経済とあらゆる活動がめまぐるしく変化した時代である。その中で、演劇という世界で自分を活かすためにあらゆる方面にさまざまな顔を見せなければならなかった。決して自分の純粋な心を開くだけでは、生き残れない時代であった思う。
 このシェークスピアの言葉を、現在の動きにあわせて解釈すれば、資本主義経済活動のなかで、毎日、自己の欲望を隠しながら、わずかな人々のために、日々搾取の対象と知りながら自己の肉体・知識を酷使し労働に励む者にとって、明日という日は見えていて見えない、それが連続して人生を形成する、ということになろうか。
 ひとは、他人を気にしながら自分の欲を満足させようとする。そのために、その欲を見られないように仮面をかぶり生きていく。仮面をかぶりながらも他人との接触を求める。さまざまな情報端末を駆使して、グローバルなつながりを求める。しかし、そのつながりは互いに仮面に隠されたつながりであり、決して心がつながっているわけではない。
 こうした世の中を生き抜くために、ひとはどこかでオアシスを求める。
 そのオアシスとは何だろうか。
あるひとは、純粋な愛と慈愛ではないか、という。
 そんなオアシスに出会ってみたい。


(社会科:熊木 哲)



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2015年1月26日月曜日

寒さにふるえた者ほど太陽をあたたかく感じる 人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る

今週の一週一言
月26日~2月1日

寒さにふるえた者ほど太陽をあたたかく感じる
人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る

ホイットマン (Walter Whitman

1819531日~1892326日 アメリカ合衆国の詩人、随筆家、ジャーナリスト。アメリカ文学において最も影響力の大きい作家の一人であり、しばしば「自由詩の父」と呼ばれる。

【如是我聞】

なぜこの言葉を選んだのか。後悔している。あまりに重くのしかかる言葉だ。辛くなる。
 冬の寒い朝に自転車で学校に向かう途中、柔らかな陽が射す通りを走ると「やっぱり太陽って暖かいんだ」って思う。それまで肩にガチガチ入っていた力がすぅって抜ける。でも、それは一瞬喜んだだけだ。もっと暖かいものを私は知っているから。ヒートテックのシャツ、ダウンジャケット、ふわふわマフラーを身にまとった私を、さらに快適な暖房がかかった職員室がこれから出迎えてくれるのだ。太陽のありがたみなんて「そういえば暖かいよね〜」ぐらいの小さなものになり下がってしまっている。どうしようもない寒さに心底震えることってないんだ。寒ければコンビニ行って温かいコーヒーや味噌汁飲めばいい。ホットカイロを買えばいい。
 だから、「人生の悩みをくぐった者ほど」ってあるけれど、「悩み」を「悩み」として受け取らず、適当にスルーして、自分をコンビニ的な喜びでごまかすことに慣れてしまっている「私」が人生とは?とか生命の尊さを語ることなんて難しくってできない(僧侶だけど)。想像の力を借りるしかないんだろうが、目の前のことをうまくやり過ごすことに精一杯のこの現状ではとほほである。はじめはなんとか語れると思ったんだけれどなぁ。親友が震災や戦争で亡くなっても、そのことが自分の問題となり切らない「私」である。日々の暮らしの中でごまかされ薄まっていく。このままでは、気がつかないうちに本当に大事なことを壊していきそうである。慎重にならないと。
(英語科:増田 亮)




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2015年1月14日水曜日

はだかにて 生まれてきたに 何不足 小林一茶

今週の一週一言              
月19日~1月25日
はだかにて 生まれてきたに 何不足

小林一茶(17631823) … 化政期の俳人。不遇な生いたち、長い放浪、晩年の家庭苦などを独自の俳風で詠み、「庶民派の俳人」として今なお評価が高い(長野県でその名に接する機会の多さといったら!)。故郷柏原村(現信濃町)は野沢温泉村と同じく北信州の山中にある。
【如是我聞】
  冬休みの間、我々が逗留している野沢温泉村の一角に「十王堂」はある。地獄の審判たちを祀った祠のことである。ほの暗い光の向こうから睨みつける閻魔王。笑いを浮かべる奪衣婆。他にも温泉を守る十二神将など、この村には容貌魁偉な御柱が多く在る。かくも恐ろしい神々に護ってもらわねばならぬほど、北信州の冬は過酷なのだ。
学生時代、宿のおかみさんに江戸期の古文書を見せてもらったことがある。こんなところにも人は住む。生まれ、成長し、仲良くし、いがみあい、子供を育て、死んでゆく。連綿と続く営みに思いを馳せると、目が眩むような心地がしたのを覚えている。
十王堂を出ると、数々のネオンと、食べ物屋、土産物屋が目に入る。ひところのスキーブームから思えばさびれているのだろうが、それでも多くの人々が談笑し、温かいおやつや土産物を買っている。近年は特に白人が多く、小雪とともに英語が舞う。
  温泉では、世界各地から集まったおっさんたちの愚痴が響く。今冬の大雪について。続く地方の不景気について。欧州のスキー場のサービスの悪さについて。湯煙の向こうの声を聞きながら、ここ数日で聞いた部員たちの文句を思い出す。この雪で練習はありえない。板が滑らない。腰が痛い。手が凍る。しんどい。寒い。
そして思う。みんな、楽しんでるなあ、と。
  一茶の句の中には、雪国の厳しさと生きる辛さを重ねて詠んだものが多くある。「人間は皆はだかで生まれてきたのだから、そのままで何も不足はないはずだ」というこの句は直接雪とは関係ないが、数々の生活苦を抱えてきた彼が、自分を励ますために詠んだものではあるだろう。
生きる辛さも、自然災害もなくなることはない。しかしそれでも我々は自分から望んで、わざわざ極寒の地に来て、この過酷なスポーツを楽しんでいる。まったく、なんて大変な贅沢だろう。むろん、我々ははだかではない。暖房設備。保温繊維。資金。不在への理解。スケジュールの調整。様々な世話。仕事の肩代わり。先人と、周囲の皆の温かい知恵と心遣いに包まれて、我々は今ここにいる。
  数日ぶりに晴れ間の出た1230日に、この文章を書いている。まもなく中ぐらいにめでたい正月がやってくるだろう。雪五尺を圧雪したコースでゲレンデで、皆は戦うだろう。温暖化のはずが今冬はおどけもいえぬ信濃空だが、その空を見ながらこの句で締めておきたい。

うつくしや 年暮れきりし 夜の空                            (スキー部 奥島)




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