一週一言インデックス

2021年2月17日水曜日

今日の最大の病気は、ハンセン病でも結核でもなく、自分はいてもいなくてもいい、だれもかまってくれない、みんなから見捨てられていると感ずることである。

今週の一週一言

月1日~2月7日

今日の最大の病気は、ハンセン病でも結核でもなく、

自分はいてもいなくてもいい、だれもかまってくれない、

みんなから見捨てられていると感ずることである。

マザ-・テレサ(1910-1997

マザー・テレサ

カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創設者。1979年にはノーベル平和賞受賞。

コルタカで始まった貧しい人々のための活動は後進の修道女たちによって全世界に広められている。

【如是我聞】

 小学校2年生のとき、マザー・テレサのドキュメンタリー映画を観るために母に頼んで大阪の映画館に連れて行ってもらった。当時、担任であったシスターが、マザー・テレサの話に興味を持った私にチケットをくださったからである。ところがその映画は字幕版で、読めない漢字が次々と出てくる。その度に母に読み方を聞いていたところ、段々と機嫌が悪くなっていった。それでも、わからないまま進んでいく状況に焦った私は、字幕をずっと読み続けて欲しいとお願いした。ついに母は我慢の限界、「もうそれ以上声を出すんじゃないよ!」という表情で怒りを表したので、私はそこで諦めざるを得なかった。母の機嫌はなかなか直らない、映画の内容は曖昧…しょんぼりしながら電車に揺られて帰った。

 そんな苦い思い出のあるマザー・テレサの言葉に久々に触れた。多くの貧しい人々、病にかかり死を待つだけの人々を見届けていたマザーが思う最大の病気は、医学的なものではない。自己肯定感を持つことができなかったり孤独感を抱くという、体は元気な人間にでも起こりうることだ。真っ先に頭によぎるのは、我が子がこの最大の病気にかかりはしないか、という不安だった。考えてみれば、自分は忙しさを理由に子どもたちの話をしっかり聞いていなかったり、あれもこれもできないといけないという勝手な価値観を押しつけてしまっていたり…生きていてくれるだけでいい存在であることは間違いないはずなのに、その想いを充分に伝えられていない現実がある。我が子が自分のことを大切な存在だと思えるようにする、それは親である私の大切な使命だ。

 先日、偶然にも小学校2年生の長女が「お母さん、マザー・テレサって知ってる?」と聞いてきた。学校の図書館の伝記マンガを読んで興味を持ち、すでに4回も読んだと話してくれた。ちょうどこの如是我聞を書くことになっていたのでその旨を説明すると、次の日、マザー・テレサに関する本を私のために借りてきてくれたのだ。この文章を書き終えたら、まず長女に読んでもらってお礼を言おう。それと、私の苦い思い出話もしようかな。そうしたささやかな日常のふれあいの積み重ねが、子どもたちの心の糧となっていくことを信じて。 

(数学科 小塩)





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2021年2月1日月曜日

良くて当然、あって当然、もらって当然、うまくいって当然と思っている人には、すべてが不服と不満の種になります。

今週の一週一言                        

月1日~2月7日

良くて当然、あって当然、もらって当然、

     うまくいって当然と思っている人には、

         すべてが不服と不満の種になります。     曾野 綾子

曾野 綾子(1931年~)

 作家。カトリック教徒。文化功労者。

【如是我聞】

「当然」「当たり前」というのは、人によって違いがあります。自分が「当然」と思っていても、他にとって「当然」でないこともあります。国とか地域でも違ったりします。「当然」こうしてくれるだろう、「当然」こうなるだろうと相手に期待をしすぎると、そうならなかったときに、「なぜ、どうして」と相手に苛立ったりすることがあります。

個々の「当然」を決めているのは、個々の中の「ものさし」だと思います。高校3年生のとき、クラスの中でちょっとした意見のぶつかり合いがありました。たしか、合唱コンクールか体育祭の話し合いの中だったと思います。「1年に一度の行事なんだからちゃんとやるべき」という気持ちと、「行事より優先したいことがある」という気持ちをどう配分するかでぶつかりました。片方の気持ちを優先すれば、もう片方を優先したい人が我慢することになります。15人という少人数のクラスでしたが、それぞれ15とおりの思いがあり、皆がただ、心の中でもやもやしていたと思います。クラスの空気が非常に重く、しばらく着地点が見出せずに過ぎていきました。「落としどころなんて見つからない、この嫌な空気のまま中途半端で当日を迎えるんだ」と私は内心思っていました。結局、半ば諦めも含んだかたちで準備が進んだように記憶していますが、そんな中で担任の先生から、「人によって当たり前は違う。自分の『ものさし』だけで物事を見て、気持ちを押しつけたり不満を言ったりするのはやめよう。」といった話が全員にされました。この「ものさし」という言葉が、今でも私の中に特に印象に残っています。

人と生活していく中で、私たちは、自身の「ものさし」と照らし合わせて、だいたい合っていればよしとする。しかし自分の「ものさし」に合わなかった時、自分の「当たり前」を押し通そうとすると、相手にとっても「当然」だろうと思いすぎると、うまくいかないことがあります。

 新型コロナウイルスによって、私たちの「当たり前」は大きく変わりました。自分の「なんであの人はこうしないの」「こういうときはこうしないと」と「当然」を押しつけてばかりでは、状況はよくならないと思いますし、何も前に進みません。コロナの影響で、周りの人との会話が減った人が増えたそうです。自分以外には自分以外の「当然」があることを心に留めて、意見を交わしたり、思いやったり、時にはちょっと我慢したりということを忘れずにおきたいと思っています。

(国語科 赤尾)





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内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目

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