今週の一週一言
9月29日~10月5日
道は近きにあり 迷える人はこれを遠きに求む
清澤満之・・・1863~1903,名古屋市生まれ。本校初代校長。宗教家、思想家、哲学者。
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【如是我聞】中国北魏の僧曇鸞は深く仏教に学ばれていたが、体調を崩し、「このままでは仏教の学びを続けられない。まずは健康だ」と山に入られた。その山には陶弘景という名の仙人になる道を教える師がいた。目指すのは不老長寿である。仙人というと、霞を食べるとか、呪術や超能力といったものが浮かぶかもしれないが、実際には薬学や栄養学が盛ん(この頃に漢方薬や食物の効能の研究が進んだと言われる)で、正しい生活習慣と運動の知識も身に着けた。
数年後、曇鸞は体調が戻り、師に認められて不老長寿の秘訣が説かれた「仙経」を与えられ、それを手に山を下りた。家に向かう途中、馬に乗った三蔵法師(=経・論・律の三蔵に明るい僧)の流支に出会い、声をかけられる。
《流支》どうしてそんなにうれしそうに歩いておられるのじゃ 《曇鸞》よくぞ聞いてくださった。私もあなたと同じ仏教に学ぶものですが、体を崩し、陶弘景先生の元で修行を積み、不老長寿の道を授かったのです。この仙経を読めるかと思うとついつい笑顔がこぼれるのです。 《流支》この馬鹿者がっ!仏教に学ぶ者がただ長生きできると喜んでおるのか。人が30年生きたとして、その30年間苦しむところを、おまえはその倍生きて、人の倍の長さを苦しむことを喜んでおる。情けない。これを読みなさい。
手渡された経典には「阿弥陀」という仏の教えが説かれていた。阿弥陀は「無量寿」とも呼ばれ、「量とは関係のない寿」、「量ることのできないいのち」の教えである。自らの迷いに気付き、その教えに目覚めた曇鸞は、せっかく手に入れた仙経を庭で焼き捨てた。一度も見ることなく(見てからでもよかったのになどと思うのは、私だけだろうか)。
仏教に学ぶ曇鸞にとって、道は近くにあったのだ。いや、すでにその道を歩んでいたのだ。しかし、我執というか欲望というか、いわゆる煩悩にさえぎられて、目の前に広がる道が見えていなかったのだ。迷った末にそれを遠くに求めた。
「迷」という字は「之」に「米」と書く。「之」は道を意味する。「米」はその道が四方八方に伸びていることを表す。そしてその「米」の真ん中に佇み、どの道を進むべきか思案している様を「迷う」という。人は「私が私らしく生きられる道」を求めて止まない生き物である。そして、その道を求めて時に迷うのである。どの道を進めば私は最も活き活きとできるかと。
大谷に集う私たちにもその道は用意されている。いや、すでにその道の上を歩んでいるのである。どこで何をするかということではない。どのような者として生きていくかということこそが「道」である。
(宗教・英語科 乾)
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