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夢の世に あだにはかなき 身をしれと 教えて還る 子は知識なり

今週の一週一言             
月24日~8月30日
夢の世に  あだにはかなき  身をしれと
教えて還る  子は知識なり
和泉式部…平安時代の歌人、10世紀後半から11世紀初めに橘道貞、為尊親王・敦道親王と夫婦・恋愛関係を結び、道貞との間には「おほえ山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」で知られる小式部がいる。一条天皇の中宮彰子に仕え、藤原道長の家司藤原保昌と再婚、夫の任地丹後へ下った。晩年は不詳。この歌は、小式部に先立たれた式部が、悲しみを越え、影響を受けていた仏の教えにたどり着いたものとされる。
【如是我聞】
和泉式部は、子に先立たれた思いを吐露する和歌も数多く知られている。なかでも「とどめおきて 誰をあはれと 思ふらむ 子はまさるなり 子はまさりけり」が有名であろう。先立つ娘を思う遺された母と、子より先立つ母としての娘の思いを読み込んだものである。淡く降ってくる春の雪を見ては、はかなく消えていく雪でも自分の前に姿を現すところから「などて君 むなしき空に 消えにけん 淡雪だにも ふればふる世に」と詠じた。そして「夢の世に あだにはかなき 身をしれと 教えて還る 子は知識なり」の一首がある。そのままでとどまることない無常さという道理を導いてくれたのが、我が娘の死であったという気づきの首といってよいであろう。
ここでいう知識は、本来は善知識と呼ぶものである。善知識は「よきとも」の意であり、原語的には「巧みな友」というべきもので、自分をよく知ってくれている者を指す。善知識は正しい道理を教える者のことであり、仏教の道理を教え導きさとりをえさせる人、仏道に入らせる縁を結ばせる人、ともに仏道に励む人のこともいう。親鸞上人の『浄土和讃』の69首目には「善知識ニアフコトモ オシフルコトモマタカタシ ヨクキクコトモカタケレバ 信ズルコトモナヲカタシ」とある。善き師にあうことも、善き師が法を教えることも難しい。その教えをよく聞くことも難しいし、その教えを信じることも、なおいっそう難しいという。
そういう中でも、今の自分で見えてくるものを考えてみると、すんなり思い出せることが一つあった。小学生のころ、学校のテストもあまり出来がよくなく、成績も悪く、種々に苦労した(いや、苦労したのは親だな……)。家でやっておくように言われたこともきちんとサボった。そういう時期が続き、見かねた親が、知り合いの小学校の先生に指導をお願いし、面倒を見てもらうことになった。不思議といやだと思うことが少なかった。いつしか物事を知ることが楽しくなって、何度か停滞することはあったものの、今、教えることを生業にする職業に就くことができるようにもなった。間違いなく、学習や勉強という意味での原点は、あの先生との出会いになる。
でも、待てよ。と思い直すべきこともある。たしかに、大きな転換点であり、忘れえぬ恩をもらった出会いがあの先生だけれども、今ある自分が本当にその導きだけで生まれたとは思えない。親の考え方とそっくり同じこともあれば、部活で出会った言葉はとても大事にしているし、大学時代の友人たちとは毎年会を持って集まるほど影響を受けた。果ては自分が、苦手だったものや、いやだと思っていたものから作り上げた自分の考え方や行動の仕方だってある。導くという意味では、出会った何もかもが自分を作り上げているように思えてくる。
和泉式部は若いころから仏教の影響を受けていたという。法華経を引いた「暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端の月」という首が、その証とよく言われる。善き導師を得ないまま煩悩の中に迷っている自らを、月に導師となって真理の世界へと導いてほしいという。式部にとって、闇を照らす光となる存在が何だったかは問わないが、実は、生きて出会うものがすべて自分を次の姿に導いてくれる、闇のなかを照らしてくれる光なのかもしれない。だからこそ、聞くのも、信ずるのも、自らが良くも悪くも導師になりうるのも、そもそもの知識に出会うのも難しいといえるようにも思える。出会うすべてを導師、自分を導く光だとすれば、自分のいく先はとんでもなく明るい。未来は明るいってそういうことなんじゃないかな、とさえ思えてくる。明るすぎて目がくらまないようには気を付けて、日々の出会いを大切にしよう、今の段階では、そう思うことした。

(社会科 梶 喬一 )




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