一週一言インデックス

2017年11月29日水曜日

われはわろき と思うもの、 ひとりとしても、あるべからず

今週の一週一言
                                  11月20日~11月26日
われはわろき と 思うもの、
ひとりとしても、あるべからず
蓮如上人
蓮如上人(1415-1499
真宗の僧侶。本願寺第八世、中興の祖。衰退にあった本願寺を再興し、現代の本願寺教団(東・西本願寺)の礎を築いた。
【如是我聞】
最初にこの文言を見たとき、恥ずかしながら私は、全く別の意味に取り違えた。
「自己を卑下するものは、ひとりとしても、あってはならない」という意味だと思ったのだ。「誰であろうと、自分に自信をもて。卑屈になるな!」と言っているのだと。
国際社会では損をしがちな『日本人気質』に根付いた、何かあったら「私が悪いんです、すみませんでした」と先に謝罪してしまう、そしてそうすることにより、文化を異にする相手から「謝罪したってことは、アンタが悪いと認めたわけだな!」とさらなる責めを受けがちな。この態度はよろしくないぞと、そうおっしゃるわけなのですね、蓮如上人!いやぁ~全くその通り!!今の日本人にも、ガッツリ言ってやって下さいよ!・・なぁ~んて思ってしまったのだった。
 この誤解の原因は、文言のしめくくり『ある+べからず(=推量の助動詞【べし】の未然形+打消しの助動詞【ず】)』の解釈の仕方にあった。現在でも一般的に使われている「あってはならない(禁止)」という意味で私は捉えてしまったのだ。個々に大切な人なのだから「自分のことを『悪い奴』と卑下するのは、およしなさい」なのかと。しかし、とある同僚教員に「それは、真逆の意味!」と笑われてしまい、改めて辞書を引いてみた。すると別の解釈がズラリと並んでおり、蓮如上人は、その最後のほうにある「~なはずがない(当然の否定)」の意味を文言に用いておられたのであった。
 そんなわけで、この文言の正しい解釈は、「自分が悪いと思う人は、誰一人として、いるはずがない(=誰もがみんな、『悪い』のは自分ではなく、他者だと思っている)」。というものだ。…実のところ、私は一瞬「そうかぁ?」と思った。日本文化に育つとき、子どもが最初に社会的規範と共に学ぶ言葉は「ありがとう」と「ごめんなさい」。そして何かあったら「まずは自分から先に謝りましょう」と習う。それなのに、「自分が悪いと思う者などいない」だなんて。どういうこと?と、疑問が湧いた。そして、その一方で、教えとして伝えられる文言が誤っているはずがないとも考えた。
そういえば、狭い通路や、殺人的に混雑した駅の構内を行き交うとき。誰かとぶつかってしまったら「すみません!」と、何をおいても先に謝る癖がついているものの、『私が悪いのではなくても』、『礼儀として』謝罪している。どう考えても「これ以上よけることは不可能」な状態で、大きな荷物を横に広げるように持つ相手が歩いてきて、案の定ぶつかり、「痛えな!」と文句を言われた場合には、先に謝罪の言葉を口にした自分を苦々しく思い、心の中で「あなたね!自分だって悪いくせに、謝ることもできないの?!こんな狭い通路なんだから、荷物の持ち方をちょっとは考えたらどうなのよ!?」などと怒っている私が確かにいるのだ。なるほど、そうか。譲歩して先に誤ってはいても、相手に対して「あなただって悪いくせに」と思っていることは、実は多々あるわけだ。
しかし、「あなただって悪いのよ」という気持ちは、「私も悪いが、あなたも悪い」と、自分の非は認めているわけで、「自分には非がない」とか「私は悪くない」と考えているわけではない。実はこの点で、「『自分』が悪いと思う者などいない(他者が悪いと思う者ばかりである)」という文言を、素直に受け入れられない私がいる。「よい大人が!」と叱られてしまうだろうが、そう、私は未熟者。蓮如上人、ここはちょっとゴネさせて下さいな。正直に言うと、『私だけ』が悪いと思わないことは確かに多いです。でも、『自分の非を認めていない』わけではないのです。「私がこの駅を利用したせいで、私がこの電車を利用したせいであなたとぶつかった。だから悪いのは私です」と言うまでの極端な譲歩はできません。こんな状況に出くわした場合、せいぜい「すみませんでした」と口にするのが精一杯。そして、『自分も』悪いという気持ちはもちろんあるので、「『自分』が悪いと思う者など、いない」と諭されると、「えぇ~、それは違うんじゃない?」と思ってしてしまうのです…。
大谷中学高等学校に教職のご縁を頂いてから、目にし耳にする教えの中に、自分を磨いてくれるものはいつも沢山ある。そのひとつひとつと向き合い、理解を深めていく中で、未熟な私は往々にして何かに引っ掛かり、苦闘している。今回のお題となった文言も、自分の中にすんなり入ってきてくれる日がいつになるのやら。願わくば大谷在職中にその日が来てくれることを、と念じつつ過ごしているが、それもなかなか難しそうだ。私の目から鱗が落ちてくれる日が、とても待ち遠しい。


(英語科/ブラウン)






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2017年11月6日月曜日

人の間違いや欠点を厳しく見る眼で自分が見えたらいいですね

今週の一週一言
                            11月6日~11月12日  
人の間違いや欠点を厳しく見る眼で 自分が見えたらいいですね
野田風雪:ドウジ庵主。大谷派寺院の生まれ。詩画に添える。1921(大正10)年、愛知県生まれ。真宗専門学校卒。昭和41年から仏教談話会を主催。朝日カルチャーセンター講師、一日出家の集い講師など幅広く活動。著書『私を生きる』
【如是我聞】
この言葉、胸にグサッと突き刺さる。人が出来ていないこと、間違っていることは厳しく指摘できるのに、いざ自分のこととなると、できない自分、間違ったことをしてしまった自分を受け入れる勇気がなく、わざと目をそらし、ぼやかしていることがよくある。そして特に家族との時間の中では、その傾向が強くなる。ことさら子供に対してとなると、見る眼はさらに厳しさを増し、「自分はちゃんとできているのか?」「自分はそんなに優秀な子どもだったか?」と思いながらも、自分のことは棚に上げ、子どもたちの間違いや私が感じる欠点を毎日、何十回も指摘している。そうして、そんな毎日の中で、絶えず注意をしている自分に嫌気がさし、もっと違う対応ができたのではないかと後悔を繰り返している。情けない限りだ。
ある日の長男との会話である。
長男「かあちゃん、明日●●がいるんやけど、ある?」
私「え~!! なんで前日にいうの?そんなん急に言われても、あるわけないやん。なんでもっと早く言わへんの!! も~!!
長男「ごめん…」
その日の晩、彼が寝た後に、何とか必要なものを用意し、彼のプリント類を整理していると、数日前に渡された保護者宛てのプリントの中に、「○日までに●●を用意しておいてください」と書かれてあるのを発見。そういえば、渡されたときに後で見るわと言って放置していた。私のミスだった。またやってしまった。次の日の朝、長男に「ごめん、前もらったプリントに書いてあったんやな。ちゃんとみんと、めっちゃ怒ってごめんなぁ。」と、素直に謝罪すると、彼は一言「そんな自分責めんでいいでぇ。」あっ、彼のほうが器が大きい。こんなことを毎日のように繰り返している。今日こそは、厳しい眼を自分に向け、温かいまなざしを人に向けたい。

(英語科:芦田)




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2017年9月14日木曜日

心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食えどもその味を知らず

今週の一週一言
                                  月11日~9月17日
 心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食えどもその味を知らず 
『大学』
『大学』・・・孔子の弟子曾参の作と伝えられる。南宋の朱子(朱熹)が『中庸』
『論語』『孟子』とともに四書と称し、漢代以来の儒学の根本経典である五経よりも高く評価した。
【如是我聞】
蓮如上人が山科で法話をされたあと、大変有り難いお話であったので忘れてはならぬと思った六人が集まり、話し合いを始めました。皆が一生懸命に一言一句、聞き漏らさないように聞いていたにもかかわらず、六人それぞれが違ったように話を聞き、しかもそのうちの四人は上人の法話の趣旨とは違うように聞いていたといいます。六人いれば六通りに人の話を聞いているということです。このように私たちは常に自己中心的で、あらゆる物事を自分の都合の良いようにしか捉えることができません。
それは私たちが自分自身の立場を離れて物事を見ることができず、独断や偏見、思い込みに満ちあふれている存在だからでしょう。そんな私たちに上人は、「私たちはどんな時でも意巧(いぎょう)に聞いてしまう存在であるから、話を聞いた後はさらに寄り合い、よくよく話し合いをするように」と勧められます。意巧とは、意(こころ)巧(たくみ)に、自分の勝手な解釈で聞くということです。
もちろん、ここでいう話し合いとは、決して自己主張をしなさいということではありません。自分が理解したことを主張し、相手を論破することを勧めるものでもありません。自分の独断や偏見を主張し合うだけの話し合いは、人を傷つけるだけでなく、自分自身をも傷つけることにしかならないからです。最近のテレビ番組はこの傾向が強いですね。
上人は、ものを言うことによって、「人に直してもらう」ことを勧められているのです。自分自身が聞いたところを人に話すことによって、自分という枠の中でしか受け取れなかった過ちを直してもらい、不足を補ってもらいなさいとおっしゃるのです。
自分本位な聞き方が生み出す問題は、何も蓮如上人の頃に初めて起こったことではありません。『歎異抄』では自分本位な聞き方が、親鸞聖人の教えを曲げてしまうという、唯円の歎きの言葉が語られています。『歎異抄』は親鸞聖人の教えとは異なることが流布されていることを歎く唯円が、泣きながら筆を染めて記したものです。自分勝手な聞き方は、『歎異抄』が生み出される背景となった、根深い問題です。

(宗教・社会科 山田)




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2017年8月31日木曜日

普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。いたらお目にかかりたいものだ。

今週の一週一言
28日~9月3
普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。いたらお目にかかりたいものだ。
アインシュタイン(1879195520世紀最大の物理学者。相対性理論が有名だが、光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明によって、1921年のノーベル物理学賞を受賞した。
【如是我聞】
私は様々な人に出会い、人からいろんな考え方を学び、影響を受けながら過ごしてきた。人の話を聞いて「すごい!! こういうのもいいな」と感じるものの、「自分にはないな。やりすぎやな」と思うことがよくある。自分よりも年上の人はいろんな経験をされていて、フツーではありえない話を面白おかしく話されるのを聞くのはとても好きだが、他人事のようにしか思えないし、私には到底無理だなと決めつけてしまう。私の考えの及ぶ範囲外の出来事を経験している、私の中のフツーを越えている人は、全員「フツー」じゃないのだ。私の中の「フツー」は知らず知らずのうちに、自分の中に基準を設けているようだ。いろんな話をきいたりして、それなりに基準の枠は広くなったとは思っているんだが……。
改めて、「フツー」の人生とは何だろうと、自分の人生を振り返ってみる。今までの自分を査定してみると、大きな波にもまれ、しんどい時はあったけれど、今となっては経験値を積んだかなと思えるぐらいなので、私にとってはここまで40年の人生はまあまあ「フツー」かなと思う。しかしながら、私の弟たちからすれば、お姉はフツーじゃないことが多いし。よう言わんわ、もう無事生きていたらいいわと、捨て台詞を言われたこともある。おいおい、弟たち、自分らもフツーじゃない人生を歩んでいるよ。上の弟は、タヒチの海でおぼれ、生死をさまよい、ICUで付きっ切りの看病を受け、何とか一命を取り留めて日本に帰ってくることができた。しかも、本人はそのことが記憶に残っていないらしく、大変な目に遭っていたらしい……と聞かされているぐらいのことにしか感じていない。下の弟は、大学生(20歳)の時に「彼女に子供ができた」と言って、マスオさんになって、子育てをしながら大学を卒業した。二人とも、私からしたら「フツー」ではないんだよ。これを知った人も、どう考えても「フツー」じゃないと思う人のほうが多いはずだ。残念なことに、私たち三人姉弟を知っている親戚や友人からは、「三人ともフツーじゃない人生を送っているよ」と言われる。どうやら私も含まれる。同じ親に育ててもらったのに、三人三様フツーじゃない人生を送っているようだ。
私の親は、子供が将来困らないように、フツーの人生を送れるようにと願って、私たち姉弟にいろんなことをしてくれたように思う。私たちはその思いや願いをちゃんと受け止めて、人生をまっとうできるだろうか。今のままでは、ちゃんと顔を向けられないので、少しずつ人生の軌道を修正していこうか。できる自信はないけれど……。私の「フツー」基準はまだまだ広がりそうだし、両親が思っているフツーには程遠いかもしれない。残念。
 さてと、私の「フツー」ではない話は、ここでは書きつくせないので、機会があるとき、私がノリノリのときにでも話せたら、酒の肴にはなるのではないかと思っています。   

(数学科 中山香里)




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2017年7月8日土曜日

およそ惨めなものは、将来のことを不安に思って、不幸にならない前に不幸になっている心です。

今週の一週一言
月3日~7月9日
およそ惨めなものは、将来のことを不安に思って、不幸にならない前に不幸になっている心です。
セネカ B.C.1-A.D.65:ローマ帝国の政治家、哲学者、詩人
【如是我聞】
 何事も、まずは最悪の事態を考えてしまう。「きっとうまくいく」などという言葉は、慰めにもならない。そういう人はきっと少なくない。私もその一人である。ただそれ自体には良いも悪いもないと思う。考えられる最悪を想定し、そうならないように気を付けて、具体的な行動でもって解決に向かうならば。
 例えば、何か非日常的な問題が発生したとする。いつも通りに、事に当たるというわけにはいかない何かとしよう。気の合う仲間や経験豊富な先輩と一緒に悩み考えアドバイスをもらえるならば、甚大に思えることすら些細なことに転換する場合もある。しかし、それができないとなると、一人の頭の中で繰り返されるシュミレーションが導き出す回答は「なんだか嫌な予感しかしないぜ」<小3になる息子の最近のお気に入りの口癖である。アニメかなんかのセリフだろうか>でしかない。
 やがてその予感は私から離れなくなり、他のことをしていても私を苦しめるようになる。その時点で誰かにその苦痛を吐露できればいい。でも、それさえもできないとなると、、。
 表立った大きな問題には発展していない。誰も騒ぎ立ててもいない。なのに、きっと失敗し迷惑をかけ、その挙句、皆から疎んじがられる近未来の自分がありありとできあがっていく。どこにも実存しないのに。身も心も声にならない悲鳴を上げている。
だというのに、心のどこかで、悲劇のヒーロー・ヒロインとなっている自分に喜びに似た感覚を覚えたりする。いい加減なものだ。しかし、これは惨めだ。こんな心模様はわからない人には全くわからないだろう。でも、信じたい。”I’m not the only one.”

 とにかく具体的に動いてごらん。具体的に動けば具体的な答えが出るから
 (相田みつを)
 きっとそういうことなんだろう。答えの見つからない悩みや問題に出会ったとしても、ただ、未経験で動くに動けないってことなんだろう。動けばいい。乗り越えれば見たことのない自分がそこにいるはず。でも、やっぱり失敗するのは嫌だなあ。

「最後はきっとどうにかなる。」
50歳を過ぎて、やっとこう言えるようになってきた。だって今まで、全部どうにかなってきたんだもん。動けばね。仲間がいればね。

乾 文雄(宗教・英語科)




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2017年6月19日月曜日

すぐれたところがありながら疎んじられる人がおり、欠点だらけでも好かれる人がいる。

今週の一週一言                  
月19日~6月25日
すぐれたところがありながら疎んじられる人がおり、欠点だらけでも好かれる人がいる。

ラ・ロシュフーコー(1613-1680
ラ・ロシュフーコー公爵フランソワ6世。フランスの貴族。名門貴族の出身であり、多くの戦いに参加した後、「考察あるいは教訓的格言・箴言」、いわゆる「箴言集」なるものを執筆したモラリスト文学者。彼の言葉の中に見られる辛辣な人間観は、リシュリューやマザランといった政敵との争いに敗れ味わった苦難が反映されているものとみられる。
【如是我聞】
 趣味の模型に興じている時が、最も集中できて最も心安らかでいられる時間だと思う。一つ一つの部品を丁寧に切り取り、磨き、色別に分けていく。完成品を心に描きつつ、慎重に着色していく。想像力を働かせながら、ワンシーンを再現させていく。出来上がりにうっとりしながら、ふと一か所、ミスに気付く。さほど目立たないところなのでこのままでもいいかと妥協しようとするが、一度気になった欠点は心に影を落とす。
 完璧なものは美しい。一つの無駄もない数式、完璧に整えられた定型詩、完璧に設計された建築物、人は完璧に憧れる。正確な図形、流れるようなフォルム、透き通った発声。
しかし、一方で、不完全なものにいとおしさを感じる。それは、人間が不完全だからだ。その不完全さを個性という。不完全は、無限の可能性を秘めている。完成したものはそれ以上にはならない。不完全を残した人間は、人間のまま成長できる。進化といっていい。
 大人から見れば、子どもはより不完全だ。大人は自分のことはそっちのけで、不完全な子どもの、その不完全さに腹を立てる。それはまるで、子どものころには持っていたが、大人になるにつれて自分から捨てて行った可能性の塊である不完全さに、嫉妬でもするかのようだ。
 無論のこと、私の娘は完璧とは程遠いところに存在するが、私の厳しいしつけに対し、いじらしくも応えようと努力するところが、今のところ、ある。娘のために完璧な人生を用意してやりたいが、当然のことそんなものはない。ちょっとだけ独り立ちしたくて、一人で寝ると豪語しては、五分後にさみしいと言って泣きながら私を大声で呼ぶ。なんて不完全でいとおしい存在なのだ。
自己に対しても他者に対しても、完璧を求めるのは、人間の憧れだ。
 マンガやアニメの主人公も、ひと昔前まで、最初からすさまじい能力を持った「憧れ型」の主人公が多かった。最近になるにつれ、どこにでもいるような身近な存在に感じる主人公が多くなってきた。「共感型」という。読者は、共感型の主人公に自己を投影しつつ、やがて努力と友情で勝利をつかんでいく主人公のようになりたいという憧れを抱く。
 芸術作品や文学作品の中でも、わざと未完成のままにしておくこともあるらしい。不完全さが、無限の可能性を想起させる手法だろうか。
 手元にある自分の作品の欠陥を、自分らしいミスだと愛着を抱きながら、とはいえ、このままというのもなあと、ため息をつく。直すか直さないでおくか、しばらくそんなことを思案しながら、私の休日は過ぎていく。

(国語科 林原)




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2017年5月22日月曜日

教えることは二度学ぶことである。

今週の一週一言
                                  月22日~5月28日
  教えることは二度学ぶことである。
                    ジューベール
ジューベール・・・1754~1824、フランス生まれ。フランスの哲学者であり、随筆家。主な著作は『パンセ』。ジュ―ベールは、生前には一切出版活動を行わず、『パンセ』は死後に発表されたものである。(パンセとは考察を意味する)
【如是我聞】
私は、よく大学の講義で「なるほどなぁ」と感動することが多々ある。大学での学びの嬉しいことは、「こんな視点があるのか」という新しい発見とそれに対する感動を得られることである。この感動を一人で、にやにやしながら味わうことも一つの方法ではあるが、私には無理である。なぜなら、感動を共有したいタイプの人間だからである。学びのうえでの感動はもちろんのこと、私生活で感じる感動はなおさらである。
例えば、私の大学は地下鉄や市バスのターミナルなど交通の便が良いこともあり、多くの小・中・高などの学生が行き交っている。もちろん、年老いた方も多く歩かれている。そんな老若男女が混在する、大学の近くで、80代のおばあちゃんが買い物袋を持って信号を渡っていた。そのおばあちゃんが横断歩道の三分の一を渡ったくらいで、信号が点滅し始めた。私は何とも思わずに近くのベンチに座っていたのだが、走っていく小学生が見えた。その小学生は走って、おばあちゃんの所に向かい、ひと声かけて荷物を持ってあげたのであった。これには、驚きと共に感動が心の中から湧きあがってきた。そして、追いかけてくるように少しの罪悪感が迫ってきた。罪悪感はさておき、このような感動は、友人に伝えられずにはいられなかった。
 感動を共有するということが大好きな私だが、自分の感動をそのまま相手に同じように伝えるということは至難の業である。相手に何かを伝えるためには、まず話を整理して、伝えていく順序立てをしていくことが大切である。そして、自分が感動した内容に対して理解していなければならない。自分が理解していないものは、大体相手にも伝わらない。
 しかし、自分が理解していないということに気付くことはなかなか難しい。「なるほどなぁ」と私の中では、理解したうえで感動しているため、自分の理解に対しての疑いは到底もたない。
 「なるほどなぁ」・「わかった」ということは、どこまでいっても自分の中での判断に過ぎないのかもしれない。先週、乾先生が紹介されていた言葉ではあるが、この言葉は、天狗のように鼻を伸ばしていく私にいつも問いかけをくださる言葉であり、大切にしているので、再度紹介したい。「心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり。」(『蓮如上人御一代記聞書』)(自分で「わかっている」と思っている人は、実は自分の「わかった」という思いに閉じこもっている人のことである。「まだよくわからない」と思っている人は、謙虚に教えを聞いていこうとする人のことである。)
 私たちが「わかった」というときは大体、自分の理解できる範囲のことだけを拾った理解ではないだろうか。しかも、それを無意識に行っているのではないだろうか。無意識だからこそ、自分だけで気付くのは難しいのである。
 私自身、大学での発表のことを思い出される。発表の際は、当たり前ではあるが、前もって準備を完璧にして臨む。発表を終えてドヤ顔をしている私を待っていたのは、質問の嵐だった。完璧に準備をしていったはずだが、全くもって質問に答えることが出来なかったのである。要するに、わかっていなかったということである。

 人に伝えるということは、同時にわかっていない自分が知らされるのである。偉そうにこんなことを言っているが、「心得た」と常に思う私である。                    (宗教科 東山)




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心得たと思うは、心得ぬなり。 心得ぬと思うは、こころえたるなり。

今週の一週一言
                                  月15日~5月21日
  心得たと思うは、心得ぬなり。
心得ぬと思うは、こころえたるなり。
                    蓮如
蓮如・・・1415年京都生まれ、1499年没 真宗の僧侶。本願寺第8世、中興の祖。衰退の極みにあった本願寺を再興し、現代の本願寺教団(東・西本願寺)の礎を築いた。

【如是我聞】
 なぜ勉強するのか。この問いには多くの人が多様な答えを残している。私の尊敬する先生は「勉強すると、違う景色が見えてくるんです」と教えてくださった。同じものを目にしても、今まで見えなかった、または、気づかなかったところが目に入ってくるのだろう。大きく頷いたのを覚えている。
 今年の新入生本山参拝で、本山を代表して八島参務がお話された。自身の高校時代を振り返り、できると思っていた数学が全く分からなくなり苦労したとの話であった。
 途中、関数やら数研出版の問題集やらと、話がどこへ向かうのかと思っていたら、「わかるということは実はあまりたいしたことではないのです。今の自分のままでいいのですから。わからないということが全ての始まりとなるのです。どうぞわからないということを大事にしてください」というしめであった。わからないことをダメとし、わかることをヨシとしているわたしたち教員に向けた言葉のように思えた。
 私たちは「わからないことがわかる」ということに重きを置きすぎているのかもしれない。学びにおいて大事なことは、実はそうではなくて、「わからないということがわかる」ことや「わかっていないということに気づく」ことなのだろう。
 最近、してはいけないことをしてしまった息子と少し話をした。「彼は悪いことをしたことはわかっている、反省している」と答えた。しかし、そこに何かもの足りなさを感じた。いったい何なのか。それがわからずに、「わかっているならよし」としてしまった自分がいた。そして、先週気づいた。彼の言葉に足りないと感じたものに。

 それは、してはいけないことをした自分に対する「痛み・悲しみ・恥ずかしさ」という感覚である。反省するということはそういうことなのだろう。自分に対する「痛み・悲しみ・恥ずかしさ」のない反省には「わかっている」という言葉が出てしまうようだ。逆に「わかっていなかった」という言葉が自己に対する痛みと共に出てくれば、そこに新たな、そして本当の学びが始まるのかもしれない。(宗教・英語科 乾 )




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2017年4月26日水曜日

遇いがたくして 今遇うことを得たり

今週の一週一言
                                  4月24日~4月30日
 遇いがたくして 今遇うことを得たり
親鸞聖人・・・「遇いがたくして今遇うことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり」。主著である『教行信証』「総序」の中で述べられた言葉。                     
【如是我聞】
 「もし親鸞聖人に自叙伝というものがあるとするならば、“親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。”という『歎異抄』の一節であろう。」20年以上も前のことだろうか。私はある先生からこう教わった。先生もまた先生から教わった言葉だという。そしてこう続けられた。「よきひとを忘れる時、よきひとの仰せを忘れる時、知らないうちに私たちは師の位置に立っている。よきひととは、私たちの先を歩んでくださって、しかも私たちよりもはるかに姿勢の低いひとである。私たちが親鸞聖人を語る姿勢の、なんと傲慢なことか。」
この言葉を私は、当時愛用していた無印用品のノートにメモ書きしていた。「大事なことだ。絶対に忘れるなよ、俺。」というような意味を込めてか、すっかり色あせてしまっているが、蛍光ペンでアンダーラインを引いた跡が残っている。その先生はいつも少し恥じらいながら、ゆっくりと丁寧にそして背筋をしゃんと伸ばして語られる人だった。「私たちが親鸞聖人を語る姿勢の、なんと傲慢なことか。」とおっしゃるが、優しい眼差しで接してくださる先生のどこが傲慢なのか不思議でならなかった。
 真宗寺院に生まれたことの意味を見いだせず、ただ現実から逃げることにあくせくしていたあの頃、たまたま友人の父であったその先生に出遇った。鬱憤をまき散らす私に、「いい経験をしてますね。その悩みを大切にして下さい。」と言われた。どこがいい経験なのか、さっぱり分からなかったが、今ではよく分かる。悩みを漏らす生徒に、以前は偉そうにアドバイスのようなこともしていたが、最近は先の言葉を伝えるようにしている。「ええ経験してるなぁ。大事にせえよ。」と。大抵はきょとんとされるが、それしか言いようがないということを、先生を思い出すたびに痛感する。傲慢な姿勢はなかなか直らないが。

(宗教・社会科 山田)




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2017年3月27日月曜日

智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 意地を通せば窮屈だ 兎角に人の世は住みにくい

今週の一週一言
                                  3月27日~4月3日

 智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 意地を通せば窮屈だ 兎角に人の世は住みにくい
夏目漱石・・・19051916 明治時代を代表する小説家・評論家・英文学者。
                   
【如是我聞】
大切なお皿を自分で割った時、「あーあ、やっちゃった!もったいないけど、しかたないなあ。」と、割れたお皿を惜しみながらも諦める。ところが、自分以外の人がやってしまうと、瞬時にぶちキレて、「なんで割ったん。大事にしてたのに!!」と叫んでしまう。同じ行動のはずなのに、他人にはキレてしまった自分が後でいやになる。そんなことが何度か繰り返される内に、「形のあるものは壊れるんだ」と自分の中で消化できるようになり、他人の行動の失敗も許せるようになる。他人よりも、〈怒り〉を爆発させてしまうという自分がいちばん厄介な存在である。
 また最近、「おめでとうございます。あなた様は当方で実施した抽選において5000万円を当選されました。」という文面が、メールに届いた。ドキッとして、「えっ、もらえるの?5000万円あったら、家のローン払って、車も買って、海外旅行もできるなあ。」なんて、甘い夢を抱いてしまう自分がいる。しかし、現実はそんなに甘くもなく、そのメールには「あなたの銀行の通帳番号と誕生日を教えてください。」と書かれている。間違いなく詐欺だ。普段、暮らしていけるだけのお金があり、みんなが健康であったらいいやと、シンプルな生活が自分の中では居心地いいと思っていたのに、そんな欲深い自分が表れて恐ろしくなる。「お金」という人間が作りだしたものに振り回されている。
 人間というものは本当にややこしい。自分で正しいと思っていることも、他人の価値観と違えば、それは正義ではない。例えば、自分では相手のことを思い遣って行動しているつもりでも、相手が不快に思ってしまえば、迷惑な行動以外のなにものでもない。放っておけば、「誠意がない」と言われる。やりとりが上手くいかず、信用を失うと、がんじがらめになって、全く動けなくなる。
 夏目漱石は、上の文の続きに、「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、()ができる。人の世をつくったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向こう三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」とある。
 人でなしの国には行きたくないし、ただの人の世で、厄介なただの人である自分を見つめつつ暮らしていきたい。

(国語科 峯松)




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2017年3月22日水曜日

もうひとりのあなたがあなたをみているのよ  見放されないようにね 嫌われないようにね

今週の一週一言
                                  321日~326
 もうひとりのあなたがあなたをみているのよ
            見放されないようにね 嫌われないようにね
                    ミイ 
ミイ・・・ムーミンファミリーと一緒に屋敷に住む、勇敢で怖いもの知らず、好奇心旺盛な女の子。


【如是我聞】
 私の出身高校のトイレには貼り紙があった。「神様はいつも見ている。そっと見ている。じっと見ている。」これがすべてのトイレの個室中に貼ってあるのだ。この恐ろしい光景に慣れることは三年間なかった。意図は分かるものの、違和感しか持てないこの貼り紙を見る度に、当時高校生だった私は、神様は変な趣味があるのだなと、友人と面白半分に神をからかっていたものだ。あれから数年、あの神様は自分自身の良心だったのだと、ミイに改めて思い知らされた。
「もうひとり」の自分が自分をみている。ここでの「もうひとり」というのは、未来の自分かもしれないし、過去の自分かもしれない。もしかすると、今の自分を客観的に見ている自分なのかもしれない。私は、自分の中に二人の自分が同居していると思っている(多重人格という意味ではない)。一人は周囲の目を気にしながら他人に合わせて行動する自分。もう一人はわがままで自由奔放な自分。これは本音と建前の関係と似てはいるが、少し違う。周囲の目を気にする自分も「嫌なやつ、駄目なやつだと思われたくない」という本音から生まれたものだ。つまり、どちらも自分の本当の姿なのだ。
 この二人が心の中で喧嘩を始めると、自分のコントロールがきかなくなる。私の場合は、周囲を気にする自分が出しゃばりすぎて、自由奔放な自分を圧迫する。そして、窮屈になった後者の自分が泣き叫び、わめき散らす。それからふてくされて口をきいてくれなくなる。こうなったら他人の手を借りずして事態はなかなか収束しない。このような体験が今まで何度かあった…。
センター試験前、休日は家で勉強していた。日曜、自分の部屋に籠もって必死の形相で机に向かう私。母は私の部屋に幾度となく押しかけて来た。そのたびに集中力はとぎれ、私は怒っていた。なぜかというと、母はいかにもお気楽そうに「買い物に付き合って」「一緒にドライブしよう」「温泉に行こう」という、入試直前の受験生に不向きな提案ばかりしてくるからである。こっちは勉強で手一杯なのに、一体なんのまねなのか、本気でそう思っていた。どうやら母なりに私を気遣ってくれていたようで、無意識のうちに私の中の二人の暴走を阻止しようとしてくれていたのだ。普段の母は何を考えているのかよく分からない不思議な人間だが、私以上に私のことをよく分かっているのかもしれないと、今になって強く感じる。今日もコーヒー片手に一点を見つめながら微笑み、そして頷いていることだろう。

母もそうだが、私の周りには自分が「もうひとり」の自分に見捨てられそうになった時に助けてくれる心強い味方がたくさんいる。ミイの言うように、もうひとりの自分にみはなされないように、嫌われないよう努めてはいるつもりだが、万が一のことがあれば、この心強い味方たちを頼りにしたい。頼れる人がいるということは、本当にありがたいことだとつくづく感じる。     (国語科 倉島)




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2017年2月27日月曜日

祝 卒 業

今週の一週一言
                                  月27日~3月20日
祝 卒 業
               
【如是我聞】
小学校の卒業式は「呼びかけ」で始まった。自分の担当パート(呼びかけにしては長いセリフだったし、終わりの方だった)まで緊張していた記憶がある。小さな町なので今でも小中一貫校の先駆けというわけでもないが、そのまま場所の異なる中学へという形だったので、卒業という感慨はほとんどなかった。「男子丸刈り」が強制されていたことへの抵抗を除いては。
中学校の卒業式は公立高校の入試の発表の前日であった。入学試験はそこそこできたつもりではいたが、併願校を受験していなかったので、あかんかったらどうするんやろという不安を抱えたままの卒業式であった。9年間ともに過ごした同級生たちと別れるんやなあという寂しさとともにちょっとした解放感を感じていた。
高校の卒業式は本校と同じく3月1日であった。当時はまだ共通一次もセンターテストもなく国立大学の入試の始まりは3月3日からの3日間であった。一人暮らしに憧れ、遠方の大学に出願していた私はその日の午後には旅立たなければならなかった。そのため、この日も卒業したんだなあという感慨に浸ることもなく、式やクラスのセレモニーが終わるとすぐに旅支度にとりかかったのを覚えている。
大学の卒業式の記憶はほとんどない。本来なら開通しているはずの新幹線は未完成であったが、観光見物を兼ねてというより、ほぼそれが目的ではるばる母と兄が来てくれたことだけを覚えている。その時点では4月から本校で働くことになるとは夢にも思っていなかった。
それから2週間足らずのうちに大谷に勤めさせていただくことになった。今年でもう37回目の卒業式である。中学部に9年在籍し、担任を持たなくなって(教務部長やら副校長で)16年ということもあり、高校生を担任として送り出したのはわずか4回しかない。それでも、やはり卒業式という感慨は特別である。大谷で学んでくれた生徒諸君を送り出すのは、寂しくもあり、誇らしくもある。ほとんど振り返ることもなく、未来に向かって飛び出していく姿を見送りながら彼らの明るい未来を願うばかりである。
そして、60歳となった私はこの春で定年である。いわばひとつの卒業である。業を卒える。業というほどのことができたかどうか。贔屓目に見れば幾分かの貢献はさせてもらえたかもしれないが、どう考えてみても支えられ、助けられてきたことの方が多い。ただただ感謝あるのみである。歳を重ねるにつれ、様々なつながり()の中で支えられていることを実感することが多くなった。そうした「恩」を受けた相手に返すのは当然として、それよりもその「恩」を次の世代のために何か貢献できることで返す、というか渡していくべきなのだろうと、この歳になって思う日々である。
次の「卒」を探すと「卒寿」があった。寿命を卒える頃ということかと思ったら、そうではなく、卒の略字「卆」が九十であることからの長寿のお祝いだそうだ。そこまではとてもなあ。

(文責: 辻 仁)




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聞思して遅慮することなかれ

今週の一週一言
                                  月20日~2月27日
(もん)()して()(りょ)することなかれ
                           
親鸞[1173-1262・・・浄土真宗の宗祖。9歳から29歳まで比叡山で修行するも、下山の道を選んだ。その後、師法然と出逢い「()(しん)」したという。しかし、35歳のに師とともに弾圧をこうむり、罪人として越後に流された。流罪後は北陸・関東地方で伝道し、62、3歳の時に京都に帰った。90年の生涯をみると、生没の地、師との出逢いの地である京都よりも、他の地域で過ごした時期の方が長いことに気づかされる。
【如是我聞】
「仏教って変わった教えだなあ」。僕は大学の講義中にふと思った。それは、次のような話を聞いたからであった。ブッダが生きていた当時の仏教教団は、ブッダと同じ出家した者を中心に成り立っていた。ただし、生産活動を不要とみなした彼らは、生存に必要な最低限の食べ物などを、出家していない人々(いわゆる在家)の施しから得るしかなかった。もちろん等価交換ではないが(交換ですらないだろう)、出家者が、食べ物などを施してくれた人に直接できる行為は〝はなし〟であった。つまり、仏教は誕生したときから、出家しない・出家できない人々の支えになりつつも、それらの人々に支えられて存在する宗教だったのである。
こんな素敵な仏教にまつわる話を聞きながら、僕は思ってしまった。「じゃあもしも、世界中の人がブッダに憧れて出家したら・・・」。そうなれば、支えてくれる在家信者がいなくなるので、出家者たちは自給自足するのかな。でもみんな出家しているから子孫を残さない。となると、出家者全員の寿命がきたら人類は滅んでしまうんじゃないか??「ブッダを理想としているのに、みんながブッダのようになったら破滅しちゃうなんて、なんか変テコな教えだなあ」。講義後、このことを友人に話したら即座に一言。「そんなこと考えてどーすんの?まずブッダなれへんでジブン」。あっ!そっか!

悲しきかなや自分の妄想。勝手にもしもの話をふくらませて、肝心の自分と現実に考えが届いていなかった。そもそも、全ての人が同じ生活スタイルをすること自体おかしーべよ。ブッダも「人類みんな出家しろ!」なんて言ってないしね。変テコなのは僕でした。トホホ。
けれども、このとき僕は少しこだわって考えた。仏教はブッダ(釈尊)という「人」が「人」に説いた。そして、ブッダの死後も人々が繋げてきた「生」の歴史とともにあった。要するに仏教は、「人が生きること」のなかで意味を持つ教えなのだ。そこでハッと思った。では、仏教は人に、僕に、どのような〝生き方〟を指し示す教えなのだろう。
紀元前5世紀頃のインドという特定の状況のもとで成立した仏教。この教えは、時代や地域をこえて広く伝えられた。出家・在家を含めた教団のあり方も、ブッダの〝はなし〟を聞き伝えた人々の歴史を通じて多様に変化してきた。しかし、伝えられた〝はなし〟(経典など)に真摯に向き合った人々は、「仏教」と称された多くの教えのなかから、その本質を探したに違いない。僕が生まれた日本にも、伝わってから約1500年続く仏教の歴史があり、知っておくべき仏教者たちが何人もいる。ただ、僕は、僕の知りえたわずかな範囲で、やはり親鸞という人物の理解した仏教(真宗)に驚くのである。

「聞思して遅慮することなかれ」。これは、親鸞の主著『教行信証』のはじめの部分に出てくる言葉だ。「聞いて受け取った教えに対して、自らの計らい・疑いをあれこれ差し挟んではならない」というような内容だと思う。意訳しても、自分にとっての意味を考えるのは楽じゃない。でも、どうしても気になることがある――親鸞は何を「聞思」したのだろうか?――ひとつだけ言えるのは、親鸞がそれを「(せっ)(しゅ)()(しゃ)(しん)(ごん)(ちょう)()()()(しょう)(ぼう)」と表現していることである。ヒーッこれまた難しい。
とはいえ、おそらくこうなのであろう。親鸞は、「摂取不捨」すなわち「全ての人が平等に救われる」という〝はなし〟を、歴史世界を超えた真の教えとして「聞思」した。つまりは、その〝はなし〟を、自らの計らい・疑いを差し挟まずに受け取り、生き抜いたのだ。たとえ自分たちが、平等な救いとは無縁の弾圧にさらされても。だとすれば、僕は親鸞の〝生き方〟を、もっと知りたいと思わずにはいられない。

(文責:社会・宗教科 北畠 浄光)




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2017年2月13日月曜日

愛ゆえに人は悲しまねばならん 愛ゆえに人は苦しまねばならん

今週の一週一言
                                  2月13日~2月19日
愛ゆえに人は悲しまねばならん 愛ゆえに人は苦しまねばならん       サウザー
漫画『北斗の拳』のキャラクター。孤児であったサウザーは,南斗鳳凰拳の伝承者オウガイに拾われ,本当の父親のように愛情を受けて育つ。最後の試練において目隠し状態で、襲ってくる男を倒すように指示される。実はその敵とはオウガイ。自ら愛するオウガイを殺してしまったその悲しみから,彼は愛情を捨てることを決意するのだが,愛情を捨てきれない。自分を祭るピラミッドを子どもたちを使役して建設するが,子どもを殺すことはない(大人は平気で殺す)。またピラミッドの本来の目的はオウガイを祭るものだということが最後にわかるのである。サウザーは,作中で最も愛と情を求めた人物なのであった。サウザーの名言には,「退かぬ,媚びぬ,顧みぬ」というものもある。負け戦でも最後まで認めなかった時の言葉。                   
【如是我聞】
母方の祖父のことを好きではなかった。なんでも仕切りたがる人で自分中心でなければ嫌な人だった。小学生だった頃,夏休みには旅行に連れて行ってくれたが,修学旅行状態で,引率の先生=祖父,と言った感じだった。家族で楽しむ旅行ではなかった。正直そういったルールとかに付き合うのが面倒くさかった。また,自分の武勇伝や,自分の不幸話を,何度も孫に語る。そして長い。これも嫌だった。他にも別の孫に対する贔屓がひどいとか,そういう理由もあって,だんだん会うのが嫌になり,仕方なく行く新年の挨拶くらいしか会うことはなくなった。
そんな気持ちが変化したのは,大学に入ったくらいだったと思う。新年の食事会で,例によって祖父が大演説を始めると思ったら,突然泣き崩れたのである。自分の老いに対しての不安に押しつぶされた様子で,自分の死がそろそろ迫ってきていることに対して,耐えきれず,死にたくないと泣く。弱さ丸出しで,今までは包み隠そうと必死で生きてきたのだな,と気づいた。そして今まで聞かされた語りは,自分を隠す虚勢だったんだろう。非常に上からの感情だが,祖父の弱さを受け入れようと。そう思った。
祖父は小さいときに,貧しさもあって両親からの愛情をあまり受けなかったらしい。その経験が,常に不安を感じる性格になったようだ。特に死への不安は強烈だった。小さい時,親戚の死に直面して,自分の命を半分あげてもいいから救ってほしいと願ったそうだ。その半世紀程前の記憶を,私に何度も語った。そこにはかつて偉そうにしていた面影はなかった。
実際に祖父が亡くなるまでは,もう暫くの猶予があった。ループするように同じ話が多かったが,沢山聞いた。他の従兄弟たちは面倒くさがっていたが,私はこれが祖父にしてあげられる最後の孫としての仕事だと思っていた。祖父の自分の弱さを隠し自らを誇示するところを,最後は孫として受け止めてあげられたんじゃないかと思う。
ところで,今うちの娘たちは私の父と母のことが大好きで,「じじのとこいくー。」一人で泊まりに行ったりする。私の祖父との関係に比べれば,甘いにも程があるスィートな関係である。祖父の経験を反面教師的に踏まえているようで,孫に対して嫌われないためか,かなり甘い。「退くし,媚びるし,顧みる。」溺愛である。                           (社会科 今堀)




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2017年1月25日水曜日

雲の向こうはいつも青空

今週の一週一言
                                  1月23日~29日
雲の向こうはいつも青空  (There is always light behind clouds.)
ルイーザ・メイ・オルコット(Louisa May Alcott)(1832-1888
アメリカの小説家。 「若草物語」(Little Women)で知られる。                  
【如是我聞】
小学生の頃(もう半世紀ほど前のことになってしまうのか)、当時小学校の先生をしていた私の伯母(母の姉)が『少年少女世界名作文学全集』(そんな名前だったように記憶している)を読むように薦めてくれたのをきっかけに読書に目覚めた私は、片っ端からそれらの作品を読むようになった。三銃士、岩窟王、ああ無情、黒猫、黄金虫、宝島、シャーロックホームズ、ロビンフッド、トムソーヤ、ドンキホーテなどを読んでわくわくしていた。とにかく全部読むつもりでいたのだが、周囲の本好きの女子や伯母などは絶賛していたにもかかわらず、小学生の私には読んでも何かいま一つピンとこず、途中で投げ出したものが2作品あった。「赤毛のアン」と「若草物語」であった...
さてその若草物語の作者のことばである。これに類することばとしては「明けない夜はない」「夜空の向こうにはもう明日が待っている」(解散という明日だったんだなあ)とか「やまない雨はない」と様々な表現がある。今、自分の状況がたとえよくなくても、いつかはそれが好転していくものだということのたとえとしてよく用いられる。
しかしながら、この夜明けや雨に例えた表現とオルコットの表現には大きな違いがあるように思う。前者は時間がたてば何とかなるといっているだけなのに対して、オルコットは、原文の英語を読むとより明らかになるのだが、雲の向こうには青空(正しくは光)がいつもそこにあると言っている。これは『正信偈』(幼い頃に母に教えられた時は音だけで意味はさっぱり分からなかったが)の中の譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇 (たとえば日光が雲霧に覆われても,雲霧の下明らかにして闇無きがごとし)“It is like the sun-light veiled by clouds: Behind the clouds, the brightness reigns and there is no darkness. (英訳は鈴木大拙)と通ずるものがあるように思う。この雲霧は「私たちの心にある貪りや憎しみなどの煩悩」のたとえとして用いられている。その雲霧が立ち込めて天空を覆うことがあり、日光を直接目にすることはできなくても、その向こうで日光は輝き続けており、空を覆っている雲や霧を通して光は届いている。光そのもののない闇ではない。光を待つのではなく、光がいつもそこにあることを感じ、その光に常に護られていることに安心すれば、その光によって明らかになる煩悩とも対峙できるようになり、時を待つことなく雲霧も晴れるようにもなる。
これに先立つ句、摂取心光常照護(すべてを(おさ)め取って下さる仏の光がいつも私たちを照らし、護っていて下さる)を、これから道を切り開こうとしている生徒諸君に贈っている今日この頃である。

(文責:英語科 辻 仁)




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内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目

一週一言 9 月 4 日~ 9 月 10 日                                   内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目 鈴木章子    鈴木 章子 ( あやこ ) ( 1...