一週一言インデックス

2014年2月4日火曜日

人は、気のきいたことをいおうとすると、なんとなく、うそをつくことがあるものです

今週の一週一言
23日~29
 人は、気のきいたことをいおうとすると、
 なんとなく、うそをつくことがあるものです
         サン=テグジュペリ(『星の王子さま』より)
サン=テグジュペリ(19001944・・・フランスの作家、飛行士。空をとぶことに情熱を燃やし続け、『夜間飛行』などで賞賛を博す。第二次世界大戦でフランスの解放軍に加わるが、飛行中隊長として偵察任務でコルシカ島を飛び立ってのち、行方不明となった。

【如是我聞】
先日、ニュースで流れたNHK全国短歌大会の話題にふと目がとまった。「君はつね ゴシック体でものを言う 疲れるだろう 明日(あした)は雨だ」。大賞のひとつとなったこの作品は、文章も話し方もつい強調してしまう自分のことを、他人が話しているように表現した、その巧みさが評価されたのだそうだ。人と話しているとき、自分の表面に、いや、言葉の表面に、なにかの膜を張っている気がする。「うそをつく」とまではいわないが、なにかしらを「強調」しているような気がする。この短歌を聴いて、そんな不安を抱えていた時期を思い出した。
話す相手によって、属する集団によって、私は態度を変えている。“私”の形は変わっている。それぞれの相手が、親しい親しくないとはっきり分かれるならいい。しかし、クラブの友人、学科の友人、高校の友人皆、私の中では同じくらいに大好きな人たちで、大切な集団だ。どれかの中にいるのが本物の私なら、それ以外は自分を偽り、演じている?もしかして、仲がいいと思っているのはうわべだけで、心の奥底では相手を信じていない?…というかそもそも、いったいどの集まりで見せている“私”が本当の私なのだろう。自分で自分がよく分からない。
今思えば、私はよくよく暇だったのだろう、とさえ思える悩みである。ちなみにこの悩みを一蹴したのは友人の言葉であった。「歳をとるってことは、たくさんの仮面を持つようになるってこと」。だから、その場の集団によって、仮面をつけかえるのは当然。もちろん、完全に猫をかぶった偽りの自分もあるが、それは別として、ある意味、すべての仮面が素の自分なのだ、と。あれ以来、不思議と気が楽になった。私は“私”をいくつも持っている。短歌で詠われたように、「疲れる」ほどのものであれば、それは偽りの仮面かもしれない。しかし、相手をだましてやろうなんてものでないのなら、ある程度、相手に合わせて形を変えられる、柔軟な“私”もいいものだ。友人のおかげで、そんなふうに考えられるようになった。

 ところで、サン=テグジュペリはこんな「気のきいたこと」を言っている。“地球に住む20億の人は、心もち列をつめて立てば、20マイル×20マイルの広場に楽に入る”。続けて彼はさとす。これを聞いて、疑い深く、数字が好きな大人は計算を始めるだろう、だけど、君たちこどもはくだらない計算で暇つぶししてはいけませんよ、どっちみちなんにもならないことだから、と。実は、先ほど私も「なんとなく、うそを」ついた。仮面の言葉、あれは友人のオリジナルではない。さもそのように書いたのだが、実際は、彼女が大学の講義で聞いたものを教えてもらったのだ。なぜそんな、なんにもならないようなうそを、と問われるなら、……そっちの方が、なんとなく気がきいているような気がしただけである。             (文責:社会科 草地)


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