一週一言インデックス

2019年11月19日火曜日

善人の家に争いごと絶えず、悪人の家に争いごとなし

今週の一週一言
                                  11月18日~11月24日
 善人の家に争いごと絶えず、悪人の家に争いごとなし
                 道元禅師  
道元…1200-1253。鎌倉時代初期の禅僧で曹洞宗の開祖。24歳から宋(中国)で5年間坐禅修行に励み、帰国後『普勧坐禅儀』・『正法眼蔵』の最初の巻を著した。京都の深草に興聖寺を開き、本格的な坐禅堂を建立した。
【如是我聞】
 京都はまわりを山で囲まれており、様々な坂がありますが、上り坂と下り坂ではどちらが多いでしょう。答えは「同じ」ですね。坂の数だけ上りも下りもあります。では次の問いはどうでしょう。
 私は、私があなたにしてもらったことを挙げます。あなたは、あなたが私にしてくれたことを挙げてください。どちらが多くなるでしょう。
 こちらも答えは「同じ」になる、はずです。しかし、現実はそうはいきません。門外漢ですが心理学の話を受け売りでいえば、人間はたいていの場合「して『もらった』こと」よりも「して『あげた』こと」のほうをよく憶えているのです。したがって、さきほどの問いは後者の方が多くなります。そしてまた、自分のしたことを相手が忘れてしまったとき、それを「損した」と感じる人は、過度のストレスをためやすいともいわれます。根底にあるのは「損得」や「善悪」といった「白か黒か」の発想でしょうか。
 「私は『普通のこと』を言っているだけなのに、なぜ分からないのか」「ただ『当たり前のこと』をしたらいいだけでしょ」「なんでそれを私がしないといけないのですか。私は自分のことはやっているでしょ」などなど。善行を積む人は、その正しさゆえにその正当性を強く主張してきます。もしこれが、机上の世界であれば「解き方が違っていても、それぞれが正しければ同じ答えに行きつく」ということになるでしょうが、現実の世界はうまくいきません。それぞれの正論を言いあって、平行線をたどることはよくあります。一歩、いや半歩譲って「相手の言うことも正しい」と感じても、こちらの主張を譲ることはしません。争いはなかなかなくなりません。
 するとまたある人がいいます。争いごとをなくす方法だって。そんなのは簡単。人に迷惑をかけず、人を傷つけることをしなければいいだけだよ。
 この人も善人です。「迷惑をかけてしまう自分」「人を傷つけてしまう自分」がいるという悪人なら、そうはいいません。「そういうこともあるよね」と寄りそってくれます。そう考えるとたしかに、悪人の家には争いごとは起こりませんね。
 そこに悪人がいれば大丈夫。
そういうわたしはいつもゼンニン。 みつを ではなく、こしお。

    (国語科 小塩)




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2019年11月12日火曜日

学ぶに暇あらずと謂う者ものは、 暇ありと雖も亦学ぶ能わざるなり。

今週の一週一言
1111日~11月17
(まな)ぶに(いとま)あらずと()(もの)は、
(いとま)ありと(いえど)(また)学ぶ(あたわ)わざるなり。

「淮南子」巻十六説山訓・第九の一節。「淮南子」は淮南王・劉安(BC179BC122)と彼によって集められた学者たち(蘇非、李尚、伍被ら)によって編纂された。

【如是我聞】
淮南子(えなんじ)は道家思想を中心に儒家・法家・陰陽家の思想を交えて、治乱興亡や古代中国人の宇宙観、逸事が体系的に記述され、一般的には雑家の書になっている。荘子の道家思想をベースとしながら、それまで別と考えられていた老子思想との共通性を見出して老荘思想としてまとめ上げ、儒家や法家、陰陽家の考えも取り込んで書かれている。「人間万事、塞翁が馬」「蟷螂の斧」「一致団結」などの故事成語の出典元あり、『日本書紀』の冒頭「古に天地未だ剖れず、陰陽別れざりしとき……」の典拠になっている。紀元前2世紀の書であり、『日本書紀』は8世紀に成立したことから、古代中国の雑家の宇宙哲学がその1000年後に日本の神話を形作ることになったのである。中国の先進性おそるべしである。
劉安(BC179BC122)は、前漢時代の皇族(淮南王)、学者である。漢の高祖(劉邦)の七男・淮南厲王・劉長の長子である。よって、劉邦の孫にあたる。父親が劉安5歳の時に、謀反に加わったとして流罪から絶食死したが、伯父・文帝によって列侯に封ぜられ、15歳で淮南王に転じた。その後、紆余曲折をたどり、反乱を企図して密告により露顕し、劉安は自害し、一族はことごとく処刑された。
さて、頭記の言葉の意味は、ほぼそのままで、「『勉強する時間がない』という奴は、勉強する時間ができても勉強しない。」という辛辣な言葉である。本当に勉強をする者は、忙しい中でもなんとか時間を捻出してでも、勉強をするものだ、と。「部活動で勉強できない」という生徒に対して、もっとも教育的な精神論であろうか。しかし、時間の使い方の何と難しい事か。私など大人になっても、時間を有効に使っているとはとても思えないのである。若いときは、電車の中でも読書などよくしたものだが、40歳後半も過ぎた頃から、眠ってしまうこともよくある。そんなとき、この文言を思い出し、自分に鞭打ち頑張らなければなければならないのだろう。         (数学: 小河 洋一)






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2019年11月6日水曜日

子曰く、「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」 易経

今週の一週一言
23日~9月29
子曰く、「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」
易経…古代中国の書物。儒教の基本書籍の筆頭に挙げられる経典である。
【如是我聞】
悔いの多い生涯を送ってきました。なんてことを言えば周りから「おおげさな」「まだ若いのに」といった声が聞こえてきそうだ。しかし今振り返ってみても自分の生涯にはなかなかの数の後悔があるように思う。
私は物事をじっくり考えて慎重に事を進めるタイプの人間だと思っている。それは日常生活の中でもいえることで、ふらっと寄ったニトリでの買い物でもこれが当てはまるのである。日々の生活を少し快適にする魅力ある商品がずらっと並んでいる、一階の日用雑貨が陳列されているコーナー。そこにいくとなかなかそこから抜け出せなくなって困ってしまった。歯ブラシたて、これは本当に必要なのか。なくても生活できている。一人用土鍋、どのサイズが自分にぴったりなのか。大きすぎないか小さすぎないか。取っ手のとれるフライパン、何が便利なのかずっと考える。わからない。いろんな棚を眺めて結局歯ブラシたてに戻ってきては同じようなことを考える。正直しんどい。これではすぐに時間がたりなくなるしいつになったら前に進むのかもわからない。貴重なお盆休みに立ち寄ったニトリでその日が終わってしまう。
こんなエピソードは山ほどあるがしかしこれらのことが後悔につながることはほぼない。むしろ買おうが買わまいが自分で考えてだした答えに悔いはない。ただ自分の時間を無駄に消費しているだけで誰の迷惑にもなっていない。だが人との会話においてこの性格がゆえに後悔することがよくあるのである。会話の中では一瞬の間や言葉を発するタイミングや空気が重要で、そこに面白さや楽しさがあるコミュニケーションには誰かを待っている時間はない。何人かの相手がいて会話が行われている中、刻一刻と進むその空間の中で発する打算のない生の言葉こそが面白くもあり、悲しくもあり、うれしくもあるゆえに言葉というものが生きていると自分では思う。心で感じる細かな感情を表現しようと言葉を慎重に選んで考えている時間はないのである。あとになって、こんなことを言っておけばもっと気持ちが伝わったのに、もっとおもしろかったのに、と考えてももう遅い。気持ちを相手に伝えようと今の自分の気持ちをあれこれ考えているうちにワンテンポ・ツーテンポ遅れをとる私の生涯は後悔ばかりである。

「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」とは儒教の経典である「易経」の中の言葉で、「言葉で言い表したいことを書物にすべて書き尽くすことはできない。また、言葉は心で動き感じることをすべて言い尽くすことができない。」といった意味であり、自分には痛いほど身に染みる言葉である。でもこの言葉の真意は、足りないものはどちらかで補い合えばいいのではないか、ということではないかと解釈することもできるし自分はそう考えてこれから先も後悔を取り戻したい。まずは普段クラスの生徒たちに伝えきれていない日々の後悔の分だけでも文字にして、まだ書きなれていない学級通信を書いてみようと思う。                   (英語科:石黒)




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いいえ昨日はありません 今日を打つのは今日の時計 昨日の時計はありません 今日を打つのは今日の時計  三好達治 

今週の一週一言
                                    1021日~1027
いいえ昨日はありません 今日を打つのは今日の時計
昨日の時計はありません 今日を打つのは今日の時計
                 三好達治  
三好達治(1900-1964)…大阪市出身の詩人、翻訳家、文芸評論家。詩集『花筐』をはじめ多くの作品を手がけ、昭和を代表する詩人と称された。

【如是我聞】
 最近発売されたiPhone11が欲しくてたまらない。私がiPhoneを初めて手にしたのは、高校入学時だった。iPhone歴は9年目に突入したが、iPhoneという存在を知り、初めて手にした日を私は今でも忘れない。昨日まで自分の世界に無かった新しいモノとの出会いは、自分の人生の選択肢を広げてくれた。箱から取り出したiPhoneを操作した指は緊張していたが、心は躍っていた。自分の生活に存在しないモノが、今日の生活では当たり前になり、9年経った今では必要不可欠になった。スティーブ・ジョブズの魔法にかかった私は、もう以前の自分には戻れなかった。当然のように情報分野に心を奪われた私は、受験する大学もこだわりが強く、担任の先生と予備校の先生を困らせた。志望校は「情報を専門とする学部で、企業出身の教授が多い大学に行きたい!それ以外は受験しない」と、とても頑固であった。当時は理工学部に情報科がある大学は多くあったが、学部となると数も限られ、受験指導を行う先生に大変苦労をかけたと思う。そこまでこだわりを強くさせたのもまた、ジョブズの魔法だった。「一番大切なのは、心の声や直感に従う勇気を持つこと」という名言に心を奪われてしまった。ここまでくるとすぐに影響されるところが、自分の弱点だと考えられる。しかし、影響されたことで一つのことを成し遂げる大切さと大変さを学び、第1志望の大学で念願の情報技術を学ぶことができた。私にとってiPhoneとの出会いが昨日と違う今日を魅せてくれた。
私にとってきっかけはなんでも良くて、自分の心が動いた時、自分で今日の時計を進め、今日という日が未来を創るのではないかと思う。
 最近でいうと影響されやすい私は、旦那さんが買って来た卵に入っているおまけシールに心が奪われた。ぐでたまのシールで、「ふり返る過去はない しりしかない」と可愛いイラスト入りだった。結婚式にむけての準備の多さから逃げ、準備が何一つ進まない不安と、若干のマリッジブルーに悩んでいたのだが、なんとも言えない癒し系のイラストと言葉に、笑ってしまった。張りつめた心に余裕を与えてくれた。きっと今日や明日への時計が進むための活力は、意外と身近なところにヒントがあるのかもしれない。今日はどんなモノに出会えるかと思うと、毎日が楽しみでしかたない。

                           (情報・数学科 松井有)




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大切なのは普通の語で非凡なことを言うことである。

今週の一週一言
                                    10月14日~10月20日
大切なのは普通の語で非凡なことを言うことである。
              ショーペンハウエル  
ショーペンハウエル…[1788-1860]ドイツの哲学者。世界は自我の表象であり、その根底にはたらく盲目的な生存意志は絶えず満たされない欲望を追求するために人生は苦になると説き、この苦を免れるには意志否定によるほかはないと主張した。主著「意志と表象としての世界」。
【如是我聞】
 普通のことを普通の語で言う(または理解する)のも難しいのに、普通の語で非凡なことなんて言えるのだろうかと、この言葉を見たときに感じてしまった。いや、普通の語でこそ非凡なことを表すべきなのかもしれない。例えば「世界平和」や「あなたが好き」という言葉は、一見「普通の語」だが、内容自体は「非凡なこと」に分類されるのではないか。
 話がとっ散らかってしまう前に整理しよう。結論から言うと、普通の語で非凡なことを「実際に誰かに言うこと」は難しいのだ。好きな人に「あなたが好きです。」なんて簡単に言えないように。だから、難しい言葉(=非凡な語)でそれとなく好意(=非凡なこと)を伝えるのではないだろうか。英語なら助動詞を使ったり、時制を過去形にしたりして、「直接的でない表現」で「自分の気持ち」を伝えたりする。だから、“I like you.”のかわりに、“I would like to ~.”「できれば~したい」と言ったり、“I wish I had a chance to ~.”「~する機会があればいいのに」なんて回りくどい言い方をするのだ(と個人的には思う)
 そんなふうに、自分の気持ちは、聞こえよい言葉で相手になんとなく伝えられたらいいと思っていた。その方が相手を驚かさなくて済むし、むしろ自分自身が傷つかなくて済む。そうやって進展も後退もないが、相手と互いに程よい距離感を保って生きていくのが少なくとも自分にはあっていると思っていた。
 しかし、それでは味気ないなと最近気が付いた。学園祭でとある生徒に「俺らの発表見に来てな!」のあとに、「先生の勇気は俺の勇気や!」と言われた時のことだ。言われた瞬間は何のことかよくわからなかったのだが、その言葉を発してくれた時の彼の笑顔と、言葉の持つ明るさが、私の心を文字通り「勇気づけて」くれたのだ。「あなたが勇気をもって行動することで、救われる人がいるんだよ。」と彼は私に教えてくれた。いきなり愛の告白は難しいかもしれないが、次のような一言は思い切って誰かに言ってみてはどうだろうか。
「あなたの笑顔が私を笑顔にする。」
もちろん、言う相手は、友達でも家族でもだれでもいい。
普通の語で表される「非凡なこと」はそのシンプルさゆえに、世界をひっくり返すほどの力がある。間違っても相手を傷つけるようなことはあってはならないし、言うタイミングを計るのも難しいが、皆さん(私も含む)が勇気を出して言える日が来ることを楽しみにしている。
(英語科 藤井)



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内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目

一週一言 9 月 4 日~ 9 月 10 日                                   内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目 鈴木章子    鈴木 章子 ( あやこ ) ( 1...