一週一言インデックス

2022年6月30日木曜日

我が目にて 月を眺むと 思うなよ 月の光で 月を眺むる

今週の一週一言

                                  627日~73

 我が目にて 月を眺むと 思うなよ

月の光で 月を眺むる

                        源空                                

源空・・・1,133年~1,212年 平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。はじめ山門で天台宗の教学を学び、承安5年、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を称えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、のちに浄土宗の開祖と仰がれた。親鸞は終生師と仰ぎ、「真宗興隆の大祖」と呼ぶ。法然は房号で、諱は源空、幼名を勢至丸、通称は黒谷上人、吉水上人とも。

 

【如是我聞】

 

法然上人の月の和歌としては、「月かげの いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」が有名である。現在、浄土宗の「宗歌」ともなっている。以前、この一週一言にも登場したと記憶している。今回の「我が目にて」の和歌は、法然上人の作とは確定されていないようだ。私もそのように感じる。おそらくは「月かげ」の和歌に着想を得た、後世の念仏者が作ったものではないか。ただ、そうであるにせよ、上人の仏教観を見事に言い当てたものだと感服する。我々は己の力で何事かをなし遂げたいと願ってやまない。何ものかが成就したとき、自らの爪痕を探すのだ。そこに人間の焦りや傲りが生まれる。

そんなどうしようもない人間業は、あまりに重すぎる故に、ちょっと脇へ置こう。それよりも興味深いのは「月」ではないか。古来、月に心惹かれてやまないのも我々人間である。

月と太陽。陰と陽、全知全能にして生命の根源が太陽であるならば、月は死、までもいかぬにせよ、弱さやかげり、柔らかさ優しさを象徴しているように感じられまいか。昨今大騒動となった「スーパームーン」は、だからあまりに頓珍漢である。

朝ぼらけ 有り明けの月とみるまでに 吉野の里に ふれる白雪

「有り明けの月」はもの悲しげで趣深い。輝きを失っていく月は、地平線に沈むまで全力で熱と光を放射し続ける太陽に比して、なんと気高いものか。月は眺められようが、太陽は見た者の目を潰す。

 何事も完璧にやり通せぬ、妥協や言い訳に終始する人間は、やがて必ず衰えていく我が身を、月に投影するのだろうか。

そして、となりのかわいこチャンに微笑む。

 「月が綺麗ですね」

                              (文責:国語科・宗教科 曽我)





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2022年6月27日月曜日

人生はロールプレイング


今週の一週一言

                                  6月20日~6月26

人生はロールプレイング

堀井 雄二

堀井 雄二(1954~)

 「ドラゴンクエスト」シリーズの生みの親。

【如是我聞】

 「模試はゲームだ。経験値(勉強)を積むことで目標をクリアしやすくなるし、全国ランキングもやりがいがあって楽しい。」高校生の私にこう言い放った、ちょっと変な数学の先生がいた。そんな風に言われたって模試を楽しいなんて感じられるはずがない、と思ったが、案外これが私にはまった。装備を整えれば強くなれるように、英単語に取り組み語彙力を補強すれば点数は上がった。強敵に何度も挑めば攻撃パターンが読めてくるように、反復して練習することで数学の問題に対して解法の選択肢が浮かび上がるようになってきた。嘘みたいな本当の話だが、あの時に勉強するのを楽しいと感じさせてくれた先生のおかげで今の自分があるのだろうと思う。

そんな風に人生も、強敵に立ち向かう勇者のような気持ちで捉えれば楽しいものなのだろうか。これから待ち受ける多くの困難に、私は挑戦していけるのだろうか。…まぁ、堀井雄二氏が言うのであれば間違いはないような気がする。堀井氏はこれまでも「従来のゲームの当たり前」に果敢に挑み、道を切り開いてきた人物である。これまでのドラゴンクエストの歩みを語る堀井氏は、なんだかとても楽しそうだ。自身の人生を全力でプレイしているからこそ、楽しいのだろう。

なら私も、私の人生に果敢に挑んでみよう。しんどくなった時には一歩引いて、ゲームの中の勇者である私を見つめてみることにしよう。自分のエンディングを楽しみに、これからの様々なイベントと向き合っていきたい。

 

(追記)本題とは少し話はずれるが、昨年、尊敬する大好きな人が一人、この世を去られた。ドラゴンクエストの音楽を手掛けたすぎやまこういち氏である。元々ドラゴンクエストシリーズの作品をプレイしていた私が、本格的にその音楽に目を向けコンサートにも足を運ぶようになったのは大学生の時だった。すぎやま先生の表情豊かな作品とその穏やかな人柄に惹かれ、私のスマートフォンの待ち受け画面はずっと、すぎやまこういちと堀井雄二のツーショットだった。先生の作品の一つであるドラゴンクエスト2のエンディングテーマ「この旅わが道」を聞くと、生涯現役でゲーム音楽を探求し続けてきたすぎやま先生に思いを馳せ、涙せずにはいられないのである。

「人生はロールプレイングゲーム」。私はこうとも感じずにはいられない。私の人生にはいつも先生が作ったRPGがあった。いままでも、そしてこれからも。すぎやま先生の、最後まで挑戦し続けた素晴らしい生き様を忘れずに、私は私のRPGを生きていきたいと思う。

(理科 恵)




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2022年6月13日月曜日

何も後悔することがなければ、 人生はとても空虚なものになるだろう

今週の一週一言

                                  6月6日~6月12

何も後悔することがなければ、

人生はとても空虚なものになるだろう

フィンセント・ファン・ゴッホ

フィンセント・ファン・ゴッホ(18531890

オランダのポスト印象派の画家。その壮絶な人生と情熱から「炎の画家」と呼ばれる。

1888年から1890年には花瓶に挿された向日葵を7つ描き、そのうち6つが現存している。

【如是我聞】

 休日のうちの姉妹。5歳の長女のことが大好きな1歳の次女は、「ねぇねー♪」とほっぺを付けてギューッと愛情表現をする。ギューッを「じゅーっ」と言うところもまた可愛い。長女も妹思いでとても優しい。リカちゃんとアンパンマンをそれぞれ手に持ち、ごっこ遊びをするのが最近の2人のブームである。私はその間に昼食のお皿を洗い、さて紅茶でも…と椅子に座るのだが。ここでいつも不穏なやり取りが聞こえてくる。「貸してー」「いややー」、「ねぇ貸してよ!」「いや!いや、いやぁぁぁあああー!!」幸せな時間は長く続かない。リカちゃんのお買い物カートの取り合いだ。長女の肩を噛もうとする次女を抱き上げるが、今度は長女が床に突っ伏して泣く。カオス。泣き疲れた2人が寝たあと、私はティーパックを入れたままの渋く冷めた紅茶を飲む気にもなれず、薄暗い部屋で録り溜めたドラマを無音(字幕)で見る。

 いや、私の人生が空虚だとか、そういうことではない。確かにショッピングに行ったり、友人とお茶をしたりしたいときもあるが、これは自分の選んだ生き方である。それよりも、娘たちのやり取りを見ていると、私自身が色々と考えさせられることがあるように思う。

昼寝から起きると、長女は「さっきはごめんね」とお気に入りのおもちゃを貸す。次女は何があったか忘れているようだが、嬉しそうだ。「悪いことをしてしまったな」と反省している長女を見て、日々素直に反省できていない自分を思う。

幼い子どもでも学生でも立派な大人でも、気に入らないことがあると、無視したり意地悪をしたり、時には暴力をふるうことがある。上手くいかない、思い通りにいかないということに、私たちは悩み、時に間違ったことをしてしまう。誰かに注意されると、さらに思い通りにいかないので、言い訳をして逃げようともくろんだり、自分を注意する人をうっとうしいと思うこともある。知恵が付けば付くほど、私たちは厄介になっていくのかもしれない。

「私は正しい」というところに立っていれば、謝ることも反省することもなく生きていくことができる。しかしそれは同時に、人をねじ伏せたり、気の合う人と陰口を言いながら小さな世界で生きていくということになる。私たちは他人のミスには敏感であるが、自分の間違った思い込みには気付くことができない可哀そうな生き物だ。そして条件がそろえば、どんなに「いけない」と言われていることでもしてしまう危険な生き物でもある。自分自身のそうした危うさに気付き、反省し、後悔しながら生きることは辛いことかもしれない。しかし人生においては、最も大切なことの一つであるに違いない。

※失敗を恐れて何にも挑戦しない人生は空しい。後悔することになっても挑戦するべきだ。ゴッホはそう言いたかったようですが、如是我聞として書かせていただきました。(宗教科・英語科 高橋愛)





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会議は踊る されど会議は進まず

今週の一週一言

                                  5月30日~6月5日

会議は踊る されど会議は進まず

シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール

シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール(17541838

名門貴族・聖職者出身のフランスの政治家。外相としてウィーン会議の全権となった。各国の利害対立を利用して、正統主義の原則を提唱し、フランスの戦争責任をたくみに回避した。

【如是我聞】

 フランス革命後の国境と主権、国際秩序の回復のため、ヨーロッパ各国の首脳がホスト国オーストリアに集った。ウィーン会議である。皇帝や王、貴族が主体の会議だったため、連日華麗な舞踏会が開かれ、全体会議は1回も開催されなかったという。そこで「会議は踊る、されど会議は進まず」と揶揄された。

世界史の資料集には左の風刺画がよく登場する。真ん中の三人は滑稽に描かれているが、この三人(左からオーストリア皇帝フランツ1世、ロシア皇帝アレクサンドル1世、プロイセン王フリードリヒ=ヴィルヘルム3世)の共通点は会議で領土の拡大を認められた皇帝たち。それで躍り上がって喜びを表しているのだろう。一番左に描かれ、壁にもたれながらさめた目で彼らを眺めているのがフランス全権で貴族のタレーラン。彼の立場は微妙で、踊っている場合ではなかった。ヨーロッパを大混乱に陥れた当事国としての責任を追及され、領土の割譲や多額の賠償金を要求される可能性が大きかったからである。

他国に多大な損害を与えたフランスはその責任を取るべきだという主張に対し、タレーランがフランスを守るために持ち出した理論を「正統主義」という。フランス革命以前のヨーロッパの姿が「正統」であり、領土や主権のすべてを革命前の状態に戻そうというものであった。フランスの領土は減らさないし、賠償金も払わない。なぜなら「ブルボン朝も被害者で、悪いのは革命である」という理屈である。確かに革命によって国王夫妻は処刑され(ちなみに王妃はマリ=アントワネット)、フランス貴族は特権を失い、土地や財産を奪われた。

結果的に各国の代表はタレーランの「正統主義」を受け入れた。国家間の利害対立よりもヨーロッパ貴族全体の権益を守るため、ヨーロッパのどこかで再び市民革命が起こらないように、国境を越えて貴族同士が協力するほうが得策であると判断したのである。タレーランの巧みな外交術により、フランスは救われた。

そんなことよりも私が気になるのは、この風刺画の作者のことである。墺・露・普の皇帝、国王をここまでバカにして、無事でいられたのだろうか。

(宗教・社会科 山田)





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内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目

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