今週の一週一言
3月17日~3月23日
高原の陸地には蓮華を生ぜず
卑湿の淤泥にいまし蓮華を生ず
『維摩経』・・・初期大乗経典の代表作の一つ。主人公である在家の維摩詰が大乗思想の核心を説きつつ、出家の仏弟子や菩薩たちを次々と論破していくさまが、文学性豊かに描かれている。
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【如是我聞】
蓮の華は卑湿の淤泥、じめじめとした低湿地の泥中を住み処とします。泥を離れて蓮の華は咲くことができません。涼やかな高原の陸地では蓮の華は開かないのです。泥の中においてはじめて華が開く。これは泥、すなわち煩悩の意義を表しているのだと思います。煩悩あればこそ人は真理を求めるということです。いや、むしろ煩悩が真理を求めしめるのかもしれません。種々の煩悩によって私たちは苦しみ、悩みますが、その苦悩が人を求道者たらしめるのであって、泥を切り捨てたら、私たちの煩悩と求道の関係がなくなってしまいます。
『維摩経』は「卑湿の淤泥のなかにあって清らかに咲く蓮華のように、世間のなかでひとり聖人君子として生きよ」と言っているわけではなく、むしろ「蓮の華を咲かせてくれるのは、実は泥なのだ」という事を教えてくれます。泥の中に生えても、泥に染まらないぞというのではなく、泥を自らのいのちとして咲く華だということです。いうなれば泥の尊さを表すのでしょう。また、そのことに気づくのも自分の力ではなく、世俗を這いずり回り、文字どおりたくさんの泥をかぶっていくなかで、「気づかされる」のでしょう。
泥のなかから 蓮が咲く それをするのは蓮じゃない
卵のなかから 鶏が出る それをするのは鶏じゃない
それに私は 気がついた。 それも私のせいじゃない
「蓮と鶏」金子みすゞ
(文責:宗教・社会科 山田)
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