一週一言インデックス

2020年11月30日月曜日

どうすれば面白くなるのか 自分が変わることです

今週の一週一言

                                  11月30日~12月6日

 

どうすれば面白くなるのか

自分が変わることです

養老 猛司

養老 猛司(1937)

 解剖学者。東京大学名誉教授。『バカの壁』はベストセラーとなり、他にも『唯脳論』、『身体の文学史』など著書多数。

【如是我聞】

 医者は医者でもガネ医者です。

 お笑いの好きな神・ガネーシャが、再び降臨した。累計400万部のベストセラー『夢をかなえるゾウ』の4作品目が発売されたのである。自己中心的な、あるいは自己中心的に見えるその発言や行動の裏に、生きていく指針が見えたり見えなかったり。単純な自己啓発本とは違い「おもしろエッセイ」の味わいで読みすすめられる作品だ。

 なるほどガネーシャは神様である。ゾウのような外見にもかかわらず、空中に浮かぶこともできれば、様々な姿に変身することができる。しかし、ガネーシャの教えはどこかに書いてあるようなものばかりであり、本人もそれは何度も相手に伝えている。そういう意味では、神様といっても「願いごとをかなえてくれる」存在とはいえない。

 ではなぜ、ガネーシャが「夢をかなえるゾウ」といえるのか。それは、ガネーシャが指南をしている相手が、その教えを実行していくからに他ならない。たとえばガネーシャは「靴を磨け」という。たしかに靴は自分の行動を支えてくれるものだし、それに感謝をこめて磨くことも大切である。そういうところから、自分が一日、どのように行動したかをふり返るきっかけにもなるだろう。靴を磨くことで自分自身を労わることにもつながるかもしれない。靴磨きは、丁寧にやっていけば時間を取られるものだが、汚れを落としてふいておくぐらいなら、ものの数分でできる。やらない手はない。このようなことをくり返し、主人公は成長を遂げていくのである。

 と、ここまで考えておいてやらない自分がいる。ただただ面倒だから。だが、そこを思い切って「えいやっ!」と動けば、意外に面白がる自分とも出会える。手間だと思うことが楽だと思えることもある。まずは自分ができそうなことから始めようか、と考える。そして私は「寝る前の10分でも読書をしよう」などと再びガネーシャの話の続きに目をやる。

 「そんなことを『如是我聞』に書いて、見栄っ張りだな」といっている自分もそこにはいるのだけれど。

                           (文責:国語科 小塩)





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2020年11月24日火曜日

出遇うということの喜びを『報恩』という

今週の一週一言

1116日~1122

出遇うということの喜びを『報恩』という

安藤傳融

安藤傳融…真宗大谷派の僧侶。

【如是我聞】

うぐいすが高らかに鳴いている。

 毎年うぐいすのさえずりは聞こえてくるが、今年のうぐいすは、ひときわ声がいい。

 例年のうぐいすが、「ホーホケキョ」と鳴くとしたら、今年のは「ルルルルルルルルルルル、ホーーーーーーッホケキョッ、ホーーーーーーッホケキョッ」と、長々とつづく艶のある鳴き声である。おまけに、三月の初鳴きから、五月初旬の今までずっと鳴いている。家の中のどんな音―洗濯機のお知らせやお風呂が沸きましたの音や家人の声やテレビの音―よりも、高らかである。

 やはり、今年は生物界のもろもろが、活動的になっているのか。

 生物界のもろもろに追随せんと、わたしも朝早くから活動を開始。

 人の少ない五時ごろに散歩に出、帰ったら掃除をし、常備菜をつくり、仕事をし、早い昼を食べたらまた仕事をし、お腹がすくころに夕飯を食べ…、という生活をしているうちに、どんどん早寝早起きになってゆく。この頃は、午後八時に就寝、午前二時に起床、というペースになっていた。

 午前五時くらいに起床、ということならば、少しいばった気持ちで人さまに言えるのだけれど、午前二時、というのは、よくわからないけれど、なんだか人聞きが悪いような気がして、誰にも打ち明けられずにいる。

 …と思っていたのだが、新聞を読んでいたら、「平安の貴族は、夏ならば午前三時くらいに起床し、夜明けと共に宮中に上がっていた」と書いてあった。

 なるほど、わたしは今、平安貴族と同じ生活をしているのか!

 早速家族に、自慢する。「はぁ、そぉ」という反応しか得られないが、貴族なので、反応の良し悪しなどにはこだわらないのである。

新型コロナが日本にもしだいに広がりつつあり、外出の自粛が要請される毎日であった。

 スマートフォンの歩数計を眺めると、一日に歩いた歩数が、五歩、二十二歩、百八歩、十六歩、というような日々が続いているので、家族全員で朝、犬の散歩に出ることを提案した。

 そんないつも通りの朝、犬「ラオウ」と娘が目の前で事故に遭った。瞳は凍り付き、目の前が一瞬ぐんと遠ざかった。胸の肉をえぐり取られたような気分になった。

それではもうラオウはいないのだ。今はもうどこにもいないのだ。そう思うとついこの間までのことすべてが、なぜかものすごい勢いでダッシュして私の前を通り過ぎてしまった。

 耐えられそうにない喪失感の中にいるとき、さっと優しい手を差し伸べてくださった先生とそのご家族に見守られながらラオウとさよならをした。帰った家の中は、秒を刻む時間を感じさせないほどにしんとして、静止した雰囲気を醸し出していた。

うぐいすはここ数日はもう鳴かなくなった。遠くから、ラオウの鳴き声が聞こえてくる。なのかもしれないと思って耳をすませると、声は消える。また耳を澄ませると、ふたたびラオウの声が、ずっとずっと遠くから、聞こえてくる。ラオウが大好きだった庭の雑草に触れてみる。

娘を守ってくれてありがとう、ありがとう。それからごめんね。あなたと出会えて幸せだった。

うとうとするような、春の昼であった。

国語科 須藤かおる





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2020年11月18日水曜日

危機に直面するとものごとがよく見える

今週の一週一言

1116日~1122

危機に直面するとものごとがよく見える

スティーブ・ジョブズ

スティーブ・ジョブズ(1955-2011

 アップル社の共同設立者一人。一度アップル社を追放されるも、業績不振に陥っていたアップル社にCEOとして返り咲き、見事に業績を回復させる。

【如是我聞】

 おみそ汁をすすりながら、ふり返ってみる。今年ほど、年度終わりと年度はじめの予定が大幅に変わったことはなかった。まさに危機的状況である。それも世界規模で。国内でも様々な動きがあった。多くの企業で在宅ワークが求められた。同時に保育園や学童でも「在宅ワークをしている場合は預からない」という方針が出されたため、様々なひずみが生じた。「泣いたり騒いだりする子どもがいるなか、仕事(営業、動画撮影、企画書作成などなど)なんかできるかー」と、青年の主張よろしく叫んでいた中高年も、きっといたに違いない。だから、ジョブズ氏のことばを見聞しても「いやいや、危機に直面すると余計に周囲のことは見えなくなるよ」と反論したくなる。だが、おそらく氏は実業家や経営者といった視点での話をされているのだろう。そうすると、どうか。

 うちのクラスでいえば、zoomによる面談をGW中に実施した。そこでは、ほぼクラス全員と、予定通りの時間に面談することができた。その後zoomでのS.H.Rも順調で、設定がうまくいかずに入れなかったり、昼夜逆転して寝坊してしまったり、という生徒は10人中1人いたら多いぐらいだった。Google classroomでも、日々の授業・課題と向きあってくれていた人が大半で、むしろ「オンラインによる提出のほうがいい」という声も上がった。そういう意味では、今までの当たり前を見なおす機会だったともいえるだろう。そしてこれがジョブズ氏のいおうとしていることではないか。つまり「危機になったときには、今までとは違う考えや行動ができる」ということである。ジョブズ氏も、自身がアップル社を追放されるときに「それなら違うことをやってやろう」と動き、またアップル社自身が危機的状況となり、ジョブズ氏に救いを求めてきたときにも思いきったかじ取りを行った。それらの行動は、平時でないからこそできたのかもしれない。

 とはいえ、煩悩のよろいを身にまとった私からすれば、危機なんて直面したくない。平常運転できるにこしたことはないと、おみそ汁の残りをいただきながら考えた次第である。

                           (文責:国語科 小塩)





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内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目

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