一週一言インデックス

2013年2月21日木曜日

もし なんと空しい二文字だろう


今週の一週一言
                                  2月18日~2月24日
もし なんと空しい二文字だろう

シドニィ・シェルダン・・・19172007 アメリカの小説家。『ゲームの達人』『真夜中は別の顔』など、全作品の売り上げ総数は3億部をこえる。

【如是我聞】
 佐々木先生がパンフレット「涅槃会によせて」の中で、『絵本・地獄』についてふれられていました。よく売れているということなので、私もさっそく本屋でちらりと立ち読みをしました。うそをついたり、悪い言葉を言ったり、親に感謝したりしなければ、地獄で釜ゆでにされたり、火あぶりにされたりするぞと、絵本にしてはかなりインパクトのある内容です。元の「地獄・極楽図」から教育効果に期待ができる部分だけを取り出して使うという、大人のいやらしい一面が見え隠れしています。
 お寺では、古くから絵解きと呼ばれる教化方法がとられてきました。掛け軸や屏風絵を使って法話をするというものです。耳で聞くだけよりも、目で見たほうがわかりやすいということでしょう。その代表格が先の「地獄・極楽図」です。他にも、幽霊の掛け軸などもよく絵解きに使われます。
幽霊の特徴は三つあります。一つ目は後ろ髪が長いことです。後ろ髪を引くという言葉がありますが、これは何を表しているかというと、もう何年も前に過ぎ去ったことを、「もしあの時ああしておけば」「もしあの時あんなことをしなければ」と後悔することです。どれだけ「もし」と言っても無駄なことですが、終わったことをいつまでも気にしているという愚かな面が私たちにはあります。後悔したことのないという人はいないでしょう。
 二番目の特徴は、手を前に出しているということです。これも経験がないという人はいないでしょう。これは後悔の反対です。「もし失敗したらどうしよう」「もしケガをしたらどうしよう」と、来ない先のことをあたかも来たかのごとくに思って心配し、不安でいられないという面を私たちは持っています。これを後悔に対して「取り越し苦労」と言います。残念ながら私たちはどうにもならない事と分かっていながら、こういう不安から離れることができません。
そして三番目の特徴は足が無いことです。「今」を生きていながら、足下が見えないということは、その「今」に足が付いていないということです。一度も「今」というかけがえのない自分自身に出遇ったことがない。今を生きていながら今を忘れているということです。ではその幽霊とは何者でしょうか。
日本画の技術の一つに「三方正面の図」というのがあるそうです。たとえばその幽霊の掛け軸の前に何十人と人がいても、自分一人だけを見ているように描かれている。そして、横から見ても、下から見ても、上から見ても、まっすぐに自分を見据えている。つまり、幽霊とは何者でもない、「お前のことやぞ」と、掛け軸の幽霊から教えられるのです。
私はこの教えられるということが大事だと思います。「ああ、自分のことだった」と教えられることと、火あぶりにされるぞと脅かされることの間には、大きな違いがあると思います。
     (文責:や)

2013年2月8日金曜日

笑顔こそ最高のデザインだ


今週の一週一言
                                  2月4日~2月10日

笑顔こそ最高のデザインだ
               水谷 孝次

水谷孝次(1951-)・・・日本のアートディレクター。2005年愛知万博にて「MERRY EXPO」を展開。北京五輪開会式のオープニングセレモニーにも芸術顧問として参加。

【如是我聞】
 高校時代。「ヘラヘラするな!」と先生に怒られたことがあった。ニコニコしていたつもりがヘラヘラしていると思われていたのだ。笑わなくなってから「意識が変わった」とわたしの評価は上がった。が、得意だった勉強も好きだったスポーツも楽しいものではなくなっていった。挨拶もしなくなった。挨拶しないのが大人だから、まぁこれでいいのだろうと思った。放課後ALT控え室で笑談をしながら、「いつか必ず日本から出よう」と考えるようになっていた。
 大学進学後、わたしは「あなたはその明るさがいい、見ていて癒されますよ」と言ってくれる教授に出会った。癒されると言われることで、わたし自身が癒されていくのが分かったし、全てに対するやる気が湧いてきた。わたしの能力ではなく、わたしという人間そのものを見てくれている人がいる。日本を出なくとも、そこには安心できる世界があった。わたしはその教授といる時間が好きだった。
『大無量寿経』に「和顔愛語 先意承問」という言葉がある。和やかな顔で優しい言葉をかけると、自分も相手も幸せになる。つまり、お金や物を持っていなくても、笑顔はお布施となるのだ。社会人になり、仏頂面が増えてきたわたしが大切にしていくべき言葉である。わたしがもらった幸せを他の人に渡していけるよう、いつでも、どこでも、誰にでも、笑顔と思いやりの心を持って接していきたいものである。
(文責:さ)

2013年2月6日水曜日

読むことは考えることであり  知識は忘れたころに知恵となる


今週の一週一言
                                  1月28日~2月3日
読むことは考えることであり 
知識は忘れたころに知恵となる

松原治・・・1917年生。201294歳没。元紀伊国屋書店名誉会長。東大法学
       部卒業後、満州鉄道に入社。戦後、紀伊国屋創業者田辺茂一氏に出
       会い、同社に入る。同社のニューヨーク進出などに尽力。
【如是我聞】
 本を読むのが好きになったのは、大学を出てからだ。高校時代などは嫌いとまでは行かないが、読書に熱中することなどは決してなかった。
 それが今では、読むものを持たずに電車に乗ったりしたものなら、もう大変である。全く落ち着きを失い、座っていることもままならず、吊られている車内広告の文字を追いかけて移動してしまう。そんな活字中毒である。
 かなり以前、東京の大学や専門学校で英語を教えている友人たちと、何かのひょうしで「言葉はなんのためにあるのか」という話になったことがある。当時、私は英語教師ではなく、外国人に日本語を教えていた。即座に「コミュニケーションのためだろう」と答えた。友人の一人は「自分の考えや思いを表現するため」と言った。隣にいたのが「表現じゃないよ、整理するためだよ」と言った。最後に残っていたのがこう言った。「思考のためだよ」。そして続けた。「言葉が頭の中に何も浮かばないって想像してごらん。考えるってことそのものができないじゃん」。新鮮な気分になったのを覚えている。
 今週の言葉とは、直接関係がないことかもしれない。でも、今週の言葉に出会い、その友人の言葉をほぼ20年ぶりに思い出した。読んではあれこれ考えるのが好きになったのは、その頃からかもしれないことも。
 知っているかどうかということは、往々にして、それほどたいしたことではない。せいぜい「よく知ってるなあ~」と言われて、心の中でニヤッとできるくらいの恩恵しか手に入らない。要は、その知っていることをどう活かすかなのだろう。何かを知る前と知った後で、わたしに変化が起こるかどうかなのだろう。
 知識が知恵となる。そのことの尊いことはいうまでもない。しかし、仏法はわたしに語りかける。ついたその知恵が、いつしか、あなたを悩ませ、苦しめる因となると。これは「ほこ×たて」なのだろうか。
(文責:い)

内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目

一週一言 9 月 4 日~ 9 月 10 日                                   内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目 鈴木章子    鈴木 章子 ( あやこ ) ( 1...