一週一言インデックス

2018年12月12日水曜日

善を積んで自分を見失うこともあれば悪に触れて目が覚めることもある善悪の二つ人のためならず

今週の一週一言                                12月3日~12月9日
「善を積んで自分を見失うこともあれば
     悪に触れて目が覚めることもある
 善悪の二つ人のためならず」
   仏光寺八行標語
仏光寺八行標語
仏光寺の壁面に八行にわたって書かれている標語。
【如是我聞】
 善いことはなるべくした方がいい、悪いことはなるべくしない方がいい。これならば、私は大変わかりやすく読めます。しかし、そうではないのです。
 善いことをしている自分、、、と考えてみると随分と偉そうな態度を取っている自分が目に浮かびます。例えば、私の授業を受けている生徒はよくわかると思いますが、宗教の授業の私は暗い男です。しかし、ごく稀に元気な時があります。この元気な時はどういう時かと言いますと、自分に自信がある時なのです。自分に自信があり、教壇に立って偉そうに良いことを言っていると思っている時なのです。こういう時ほど、人間は危険です。ある人が仰っていました。「自分が正しいことをしていると思っているときが一番危険だ」と。そして、「自分が悪いことをしているという意識が無いからね」と続くのでした。これを言われたとき、私は何も言えませんでした。(心の中ではうるせぇとは言っていましたが、、、)
 これ程までに自分に無自覚なのです。誰かに言われないと気付きませんし、一回や二回言われたぐらいで良くなるような私でもありません。頑張ることや自信を持つということ自体は当たり前に大切です。しかし、頑張れば頑張った分、自分を自慢したくなり、時には頑張った自分を元気に、そして偉そうに語ります。そして、時には頑張って疲れているアピールとして暗い顔もします。こんな私です。
しかし、こんな自分を「アホ、結局すべて自己満足じゃないか」と喝を入れてくれる人がいるのです。それが先生、先輩、友人です。自信満々な私、自信が無く暗い顔をした私、このどちらも「お前の自己満足だ」と打ち破られるその時に、「あぁそうだった」と不思議にも喜びが起こってくるのです。
無意識に心の内では、何に対しても善悪をつけている自分がいるのではないでしょうか。元気な私が善、暗い私が悪、というようなものです。逆も言えますが、自分の都合に合うものは善、合わないものは悪と無意識に分けて生きているのです。
結局、善悪はわからないのです。しかし、その分けて作った善悪が破れた時、善悪の知らない私そのままに喜びが湧きあがってくるのです。
こんなことをうじうじと考えながら、「顔元気ないよ?大丈夫?」という皆さんの言葉に励まされ、それを都合よく捉え、私の奥底で偉ぶりたい東山が成長をとげています。この偉ぶりたい東山を刈り取る努力もしなければいけないのに。

(宗教科 東山)




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