一週一言インデックス

2016年11月30日水曜日

我々の目的は成功ではなく、失敗にたゆまずして 進むことである

今週の一週一言
                                  11月28日~12月4日

我々の目的は成功ではなく、失敗にたゆまずして
進むことである

ジョージ・スティーブンソン(1781~1848 ) 
 
イギリスの技師・発明家。1814年に実用蒸気機関車を開発し、さらに25年、ロコモーション号で客・貨物の蒸気機関車輸送に成功した。鉄道の父と称される。

                   
【如是我聞】

「進む」ってどこに進むんだ?失敗しないように、他人様に迷惑かけないように慎重に、丁寧に取り組むことが求められる場所に長時間いる私は、知らぬ間にそれほど動かなくてもいい小さな世界に居場所を求めるようになった。その小さな世界で、抱えている荷物を落ち度なく特定の場所に運ぶために、小股で歩みを速めている。遠くの景色を見ることはなく足元を見つめるだけだ。悲しいかな、近視的に過ごしている。
 こんな私が、歩むべき大きな世界を取り戻すには、どうすればいいのだろう?井の中の蛙が大海を知るには、まずはその頭上で多様に変化する空を発見しないといけない。そこに大きな憧れを持つのだ。自分も変わることを強く望まないといけない。あとは物理的に動く。井戸の壁をよじ登り居場所となってしまった場所から出て行くのである。それは人に出会い続けることであると思う。知らぬ間に築き上げた狭いテリトリーから引きずり出してくれる自分とは異なる世界観を持つ人に出会うしかない。自分が通用しない世界に対峙することなのだろう。スティーブンソンが言う「進む」ってそう言うことなのかもと今は受け取っている。
            

(英語科 増田)




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2016年11月21日月曜日

遠く宿縁を慶べ

今週の一週一言
                                  1121日~11月27
遠く宿縁を慶べ

愚禿釈親鸞・・・1173~1262
9歳から20年間自身の煩悩と闘い続けた末、法然上人に出遇い、本願の念仏によらなけ
れば救われることのない身を自覚し、生涯自身の煩悩と向き合い続けたお方。
         
【如是我聞】
  もしも、親鸞聖人が出遇った教えを学んでいなければ、私はどれほどの人を傷つけ、どれほど私自身を傷つけていただろう。

 いつの間にか自分のことを棚にあげて他人を批評し、自分の価値観を疑いもせず、相手の気持ちや背景を知ろうともせず、時に私の勝手な気分で大切な人にばかり八つ当たりをし、都合のいい時だけいい顔をして、都合が悪くなると自分を守ることに必死になって、当然のごとくに責任転嫁をし、自分のことはひたすら正当化。とりあえず逃げて、ごまかして、甘ったれて。

 傲慢で無責任で卑怯で軟弱な私の根性が、仏教を学ぶことで改善されたとは未だ思わない。しかし、仏教を学ぶまでは、この自分を悲しむことすらなかった。
 うぬぼれているがゆえのイライラや、恩知らずであるがゆえの欲求不満など、あらゆる不快な感情のその原因が自分にあるなどとは到底思いいたることなく、都合のいい人たちとただただ愚癡をこぼし合っては、足の引っ張り合いをしていた。それによって誰かを傷つけているとも自分を傷つけているとも気づかないままに。

 大学に入り、親鸞聖人の学ばれ方を学びはじめて、ようやくそんな自分の生き方の悲惨さに気づいた。ことあるごとに自分の煩悩の闇の深さを知らされ、その悲しさと、「だから私は仏教を学ばなければいけないんだ」という深い感動を覚える。

 人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。
 仏教に出遇えた感動は常に「今」発る。その時、遠い過去からの縁をありがたく思わずにいられない。これが、「遠く宿縁を慶べ」ということなのだろうと、私は受けとめている。

(宗教科  稲岡智子)




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2016年11月15日火曜日

あなたを愛している人たちは あなたが少々かっこ悪くても全く気にしない

今週の一週一言
                                  1114日~1120
 あなたを愛している人たちは あなたが少々かっこ悪くても全く気にしない
                    ちびのミイ

ちびのミイ ・・・ トーベ・ヤンソンが描く 『ムーミン』 シリーズの登場人物。怒りっぽくいたずら好きで、皮肉屋。だが悪意はない。 『ムーミン』 シリーズには、小説のほか、絵本、弟のラルスとともにロンドンの夕刊紙に連載したコミックスなどがある。
【如是我聞】
 小さいころ、ムーミン一家が私の憧れだった。あれぞ家族の理想像、とさえ思っていた。厳密に言えば、ムーミンママの家族に対する包容力に憧れたのかもしれない。
ところでみなさん、『ムーミン』について、どのようなイメージをお持ちだろうか? 「花畑のなか、暖かい仲間に囲まれる日々、ふんわりとした優しい世界」、そんなところだろうか。 ...いえいえ、とんでもない。日本ではアニメ版の影響でそういうイメージを持たれがちだが、小説を読んでみると、真逆もいいところである。春の陽気よりも、郷愁ただよう秋の情景、不安をそそる海や天変地異なんかが背景になることの方が多い。相手の気持ちを読み、どこまでも正直な、言いかえればわりと辛らつな言葉だって飛び交う。コミックスにいたっては、あれはもうシニカル・コメディだろう。そういえば、幼い私に“皮肉”もしくは“皮肉屋”という言葉を初めて教えてくれたのは、ちびのミイだったような。
登場するキャラクターも、これまたあくが強い。孤独を愛する者、臆病で泣き虫、気まぐれ、社交好き。自分や周りの人、どこかしら、誰かしらが持っているはずの一面。普段はそっと隠されがちな人間の“一”側面が、キャラクターひとりひとりに、個性的な性格として与えられている。
一家のなかでも厄介なのが、ママの愛する夫、ムーミンパパだろう。彼が求めるのは自由と冒険。「さらば、たいくつな中年の日々!青春をとりもどすために旅立とう!」とかつての親友とともに旅立つこともあれば、だれにもなあんにも告げず、ニョロニョロに憧れひとり海に出てゆくことも。これが実際の家族にいたらわりと困る。子どもながらに思ったものだ。「パパ、家庭をかえりみて! 妻も息子もいるんでしょう!」、と。息子も息子で、夢見がち。ついつい周りに流されては新しいものに手を出していく。親友のスナフキンやミイに忠告されてもやめられない。パパもムーミンも、たいがい失敗するか納得して帰ってくるところで話はオチるのだが...何ともまぁ、読めば読むほどに情けないというか、かっこの悪い夫と息子である。一度や二度ではないものだから、読んでいて私もいらっとしてくる。ママ、心中お察しします、と思うのだ。ところが驚くことに、「そのうちかえってくるでしょうよ」とママは気にしない。やりたいと言うならやらせてみたらいい、納得したら家に帰ってくる。そしてそれは、まったく毎度その通りなのだ。帰ってきた夫や息子を笑いもせず、しかりもせず、ただ、気にしない。別に無関心なわけじゃなくて、ありのままを受けとめているだけ。これぞまさしく、ミイの言うところの「気にしない」、の精神なのか。うーん、かなわない。
 さて、甘えっぱなしもいかがなものかと私は思った。私の周り、私を受け入れてくれる人たちは、たぶん優しすぎる。だから私自身には、おんなじミイからこの一言をちょうだいしよう。
「見てるわよ、あなたがしていること。神様じゃないわよ、もうひとりのあなたがよ。
もうひとりのあなたがあなたをみているのよ。見放されないようにね。嫌われないようにね。」

甘やかされている私には、“皮肉屋”ミイの塩っからい一言がちょうどいい。  (社会科 草地)




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内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目

一週一言 9 月 4 日~ 9 月 10 日                                   内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目 鈴木章子    鈴木 章子 ( あやこ ) ( 1...