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何をするかよりも、もしかしたら大切なこと。“誰とするか”。

今週の一週一言

                                  130日~25

何をするかよりも、もしかしたら大切なこと。“誰とするか”。

Real Clothesより

Real Clothes

 槇村さとるによる漫画。百貨店の婦人服売り場で働く女性販売員に焦点を当てた「働く女性」を描いた作品。

【如是我聞】

 昨年の624日(金)のことである。本山で研修があり、7時過ぎに京都駅に着いた。集合は8時。時間があるのでコーヒーでも飲もうと、近くにあったカフェに入った。屋外のテラス席があったので、空いているテーブルについて、携帯に「大谷翔平」と打って動画を見ることにした。この2日間の彼の活躍はすさまじい。ホームランを2本打って8打点を挙げた翌日は、先発投手として8回無失点13奪三振。先発した試合では、3回続けてチームの連敗を止めていた。

 回が進むにつれて、彼の奪三振ショーに味方ベンチもスタジアムも異様な盛り上がりを見せる。「オオタニサン!」「スゴイッ!」「イッテラッシャイ!」。実況も解説者も興奮を隠せなくなり、日本語が飛び交う。

7回の表であったか、3アウト目を三振で奪うと、投げ終えた反動のままにくるりと後ろを向いて、右手に力を込めて吠えた。やばい。かっこよすぎる。

メジャーではピッチャーが三振を取ったときなどに、バッターに向かってガッツポーズを決めたり、大声を出したりするのは侮辱にあたるという。後ろを向いて、吠えたのには理由があったのだ。

「すごいなあ~。かっちょええなあ~」。携帯をしまいながら、心の中でつぶやいた。

その時、バックする際の「ピポン、ピポン」という音を立てながら、観光バスが隣の旅館の前に移動してきた。宿から制服を着た中学生が出てきて、次から次へとバスに乗り込んでいく。ここ数年、コロナによる自粛期間が繰り返され、京都で修学旅行生を見るのは本当に久しぶりだった。

(一月もしない内に第7波が来ることは、この時まだ誰も知らない)

バスのドアが閉まる。玄関先で一人の仲居さんがえんじ色の前掛けをして、笑顔で大きく手を振っている。バスの中から手を振り返す生徒たち。バスが出発し、その後ろ姿に向けて手を振り続けた彼女は、バスが2つ先の信号を右折して見えなくなると深々と頭を下げた。頭を挙げた彼女は、身を45度回転させて、宿の玄関の方を向き、両手でガッツポーズをとりながら叫んだ。

「よっしゃ! 次行くで~」。

そう言って彼女は宿に戻っていった。その姿は、いままで僕の小さな画面の中にいた大谷翔平を彷彿とさせた。「かっちょええ~」。(ちなみにこのお宿のオーナーはうちの卒業生であったような。)

驚いたのは、彼女のその声の後に、「はいっ!」という声が続いたことだ。柱の陰になって見えなかったのだが、もう一人仲居さんがいたのだ。後ろに続いて玄関から宿に入っていったその仲居さんは、かなり若かった。おそらくは、二十歳にもなっていないように見えた。おそらくは彼女にとって、初めての修学旅行生のおもてなし体験だったのではないか。おそらくはその日、また別の団体が入ってくるので、その準備に向かうために「次行くで」と先輩に言われたのだろう。二人とも、それは素敵な笑顔だった。そんな素敵な光景に出会えた、素敵な素敵な朝のひと時だった。

「はいっ」と応えた彼女の笑顔から察するに、仕事を楽しむことができているようだ。また、その先輩の仲居さんと仕事をするのも楽しめているようだ。「いいなあ~」。

隣に文句と愚痴ばかり言いながら仕事をする人がいたら、気分は滅入るだろうな~。逆に、全く文句も言わず、常に前向きにバリバリと仕事をする人がいたら、それはそれで疲れるかもな~などとも思ってしまう。問題は、隣人にとって、私はそのどちらの存在でありたいのか。どうせ仕事をするなら、しかも自分で選んだ仕事をするなら、楽しんで仕事をする人でありたいな~。

これを書いている今日は私の誕生日。還暦まであと1年。「いつも楽しそうに仕事をされてますね~」なんて、若い人から言われてみたい。愚痴封印などできない。でも、愚痴をこぼすときすら楽しくこぼせるような人でありたい。

(宗教・英語 乾文雄)





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