今週の一週一言 8月28日~9月3日 人はそれぞれ事情をかかえ 平然と生きている 伊集院 静 伊集院 静(1950~) 作家・作詞家(名義は伊達歩)広告代理店を経て、1981年作家デビュー 『機関車先生』『海峡』『乳房』などが有名。作詞家としては『愚か者』で日本レコード大賞を受賞している。この言葉はエッセイ集『大人の流儀』の「妻と死別した日のこと」から。 |
【如是我聞】
近所のお寺の法語は月替わり。月が替わればすっと流れていく。この夏は、自分の体のどこかにぶら下がったままの言葉がある。
「何が私を苦しめているのか。自分が握りしめているその物差しです。」
うん、拘泥していることのたいがいは、自分なりの良し悪しの基準、怒りを覚える・覚えない一線、不安になる・ならない閾値といった、ある意味自分自身を象徴し代弁しているともいえる、脈々と築きあげてきた価値観、物差しが、自身の思考を縛り付けて一定の枠内に押し込んでいる結果だろう。
この物差しのもとで、じたばた、あくせくしているなぁ、とおもうのだけど、ただ、「そんなもんよね」と思う自分も一方でいる。慌てても、イライラしても、何かが変わるわけじゃない。うまくいかないのは、自分の物差しにかなわないからなのであって、その結果を受け入れることができていないから。相手がいるならば、相手には相手の思いや、願い、そう考える背景があり、自分もまた然り。違う物差しで同じものを見たら、感じることが違うのは当然。ただそれだけのこと。
標題となった言葉が載るエッセイで氏は次のように述懐する。『「いろいろ事情があるんだろうよ……」大人はそういう言い方をする。なぜか? 人間一人が、この世で生き抜いていこうとすると、他人には話せぬ(とても人には言えないという表現でもいいが)事情をかかえるものだ。他人のかかえる事情は、当人以外の人には想像がつかぬものがあると私は考えている。』
本当は、うまくいかないこと、おもいどおりになってほしいこと、いっぱいあって、苦しんでいるんだけど、自分の中では平然となんてしていないのだけど、日常は続く。その日常には「いつも通り慌てふためいている」という「平然」がある。みんな、きっと自分の物差しと向きあっては、苦しんでいる。そういう人間らしいところを分かち合って生きているんじゃないかな。
(社会科 梶)
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