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時間の自由には二つのものがあるのではなかろうか。 自在に時間を配分する自由、もう一つは失われることのない、 今という時間を自在につくりだす自由である。

今週の一週一言

                                  612日~6月18

時間の自由には二つのものがあるのではなかろうか。

自在に時間を配分する自由、もう一つは失われることのない、

今という時間を自在につくりだす自由である。

内山 節『自由論―自然と人間のゆらぎの中で』 

内山 節

 哲学者。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科客員教授。特定非営利活動法人森づくりフォーラム代表理事。

【如是我聞】

2023年本屋大賞・高校生直木賞を受賞した、『汝、星のごとく』(凪良ゆう著)を読んだ。主人公は二人の男女の高校生。彼らの恋愛を軸に、その後二十年に渡って彼らの生き方を描く。舞台は愛媛県のとある小さな町。閉鎖的かつムラ意識の強い地域だ。彼らは嫌悪し高校卒業後、ともに上京を志向する。やがて彼の方は上京を果たし、一定の成功を収める。一方の彼女にはさまざまなアクシデントが生じ、田舎に残される。運命は無残にも彼らを結び付けず、二人は互いへの思いを持ちつつも、それぞれ新たな彼、彼女と出会い別々の人生を歩む形でストーリーが展開する。

それから二十年、紆余曲折を経てお互いが探し求めていた半身同士だったことに改めて気づくが、彼が病魔に倒れ夭逝することで結末を迎える。その刹那、帰省した二人は満天の星の下でおだやかな瀬戸内の海を見ながら、あれほど嫌っていた故郷を振り返る場面がある。こんなすばらしい所で生まれ育ち、二人が出会ったのだと。彼の死で、重く悲劇的な幕切れのように見えるが、むしろ軽やかな思いさえ持てたことが印象に残る。今でも彼らの弾んだ会話が聞こえてきそうでインパクトのある感動作だった。

 さて、表題にある二つの時間の自由である。内山節氏のこの『自由論』の中には、後者についてこんな話が出てくる。ある老人が若者に語りかけるシーンだ。「私は八十年近く生きたから、もう十分に生きたし、それほど生に執着することもないだろうと思うでしょう。ところが、生きるということは年齢で変わるものではないことがわかってくるのですよ。私も、あなたも、生まれたばかりの子どもも同じように生きているのです」。老人は、「もう一つの時間」を「自分がこう生きたいと思った時間を、実現しようとする時間」と定義し、それが人間にとって最も大切なものだと言いたいのだろうか。「永遠の今」と呼べるほど今の時間を充実させているという点で、若い人と同じということなのか。

 『汝、星のごとく』の二人は、同じ人生を歩めなかったという意味で、時間を自由に使うことができなかったかもしれない。彼らが切望した甘い二人の生活は送れなかったのだから。しかし、「もう一つの時間」を創造することで貴い人生が過ごせたのではないか。念願の再会を果たしながら、一人残された彼女に漂う安堵感がそう語っているようだ。

彼女は三十歳の後半。第二の人生を新しい伴侶と過ごすかもしれない。あるいは彼との思い出の中に生きる人生を送るかもしれない。後者なら、過去ばかりを懐かしんで暮らす寂しい生き方との見方もあるだろう。しかし、いずれにしても彼と生きた「永遠の今」は変わることがないように思われる。

                                           (宗教科・国語科  中川)





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