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人間は怒りと寂しさの処理で人生を間違える

今週の一週一言

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人間は怒りと寂しさの処理で人生を間違える

加藤諦三

加藤諦三(1938

 日本の社会学者。1972年からニッポン放送のラジオ番組『テレフォン人生相談』のパーソナリティを務めている。

【如是我聞】

大学時代に短期間であったが、学習支援員として小学校にボランティアで行っていた。そのときに、「先生はなんでいつも笑ってんの?」と担当していた小学3年生の女の子に言われたことがある。先日も「先生はいつも笑顔やなぁ。」と高校1年生に言われた。「そりゃあ、笑っているほうが楽しいからでしょ。」なんて、返したかどうかは覚えていないが、そう思っている。それでも、疲れてくるといけませんね。すぐにイライラしてしまいます。普段だったらそうでもないんだろうけど、自分に余裕がないと、ちょっとしたことにイラっっっっッとしてしまうのです。

そんなときは高校生のときからのクセで、その負の感情の原因をぐるぐると考えてしまうのです。

Q:「なんでこんなイライラしてるんやろ?」

A:「あいつがあれをせんかったからや。」

A:「またオレがせなあかんのか。」

A:「なんでオレがせなあかんねん。」

A:「もうオレがやればいいんでしょ。」

ぐるぐる考えたわりには単純で、そしていつもだいたい同じような結論に至り、さらにイライラが増してしまうことが大概だ。余計にしんどくなるなら、考えなきゃいいのにね。そこまでの達観はなかなかできない。この堂々巡りを少し紐解いてみると、このイライラのなかには「誰か助けてくれよ」という気持ちがある気がする。そして、その気持ちの中には、「自分のことを助けて然り」と考えている存在がいるのではないか。それじゃあ、このイライラの端を発しているのは「ぼく寂しいよ」という思いなのかもしれない。

もし、人が生まれてからずっと一人きりで生きていったとして(英文法で言うところの仮定法の世界なのでうまく想像できないが)、「怒り」という感情はあるだろうか? ありそうな気がする。例えば、足の小指を何かでぶつけたら、「コノヤロウ!!」と何でもないその痛みの原因に対して怒る気がする。「寂しさ」はどうだろう? 寂しいと感じるのは、自分の心を満たす何か、特に他人との関わりが不足していると感じたときではないだろうか。じゃあ、最初から孤独が当たり前であれば、「寂しさ」は感じないのかもしれない。

ペラペラ(実際はアプリの辞書を使っているので、音はならない)。寂しさはlonelinessか。語の由来が見当たらない。じゃあ、lonely【初17c; lonely = lone + ly】なるほど。-lyで終わるくせに形容詞だ(ここにも歴史がある)。次は、lone【初14c; aloneの頭音消失】へー。そしたら、alone【初13c; al-all)+one】ほー。端的な解釈をすると、「すべて + 一人=寂しい」となるかな(実はこの解釈には2つの無茶がある:現在のaloneには必ずしも寂しさが含意されていない+このallは強意のために使われているので、必ずしも「すべて」の意味はない)。英単語の語源を見ても、やはり「誰かそばにいてよ」という気持ちが「寂しさ」の中にあるように見える。

最近、「漫画で読む」とかいう甘えたシリーズの本でこんな言葉を見つけた。

「一人居て喜ばは二人と思うべし 二人居て喜ばは三人と思うべし その一人は親鸞なり」

いかがわしいクマのぬいぐるみが活躍(大暴れ)する映画では、そのクマが「一人か?」と聞かれたときにこう言っていた。

“Uh, no, no, I'm not. You know, you’re never alone when you’re with Christ. So, no, I’m not alone.”いつか、ぼくの存在が、誰かの寂しさを救うことができるような力強いものになれればいいなぁなんて思ったり、でも「そんな器ではないか。」と思ったり、「そんな存在、自分に欲しいわ!」と思ったり。まだまだ精進が足りないな。とりあえず、angerの語源を調べよっと。

(英語科 杉原一輝)





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