一週一言インデックス

2024年1月29日月曜日

どうにもならないことなんて、 どうにでもなっていいこと


今週の一週一言

月29日~2月4日

どうにもならないことなんて

どうにでもなっていいこと

甲本 ヒロト

甲本 ヒロト(19631年~)

 シンガーソングライター。1985年、THE BLUE HEARTSを結成し、1987年に「リンダリンダ」でメジャーデビュー。1995年に解散した後、1995年にTHE HIGH-LOWS2006年にザ・クロマニヨンズを結成。数多くのヒット曲を世に送り出す。

【如是我聞】

春が嫌いだ。生暖かい空気、新しい年度、新しい環境、新しい出会い。すべてがおぞましく感じる。

 ふりかえれば、春に機嫌がよかったことなど一度もない。今までのどの入学式の写真も不機嫌な顔で写っている。

 あと2、3ヵ月で春が来てしまう。また少しずつ春に向けて構えはじめている自分がいる。なぜ構えてしまうのか、少し心当たりがある。

 自分の性格は前向きで楽観的であると思っている。大体はどうにかなるやろ~、なるようにしかならんって~と思っている。それが不思議なことに新年度を迎えてしまうと、完璧な人間になろうとする。さあ今年度はもう少しマシな人間になろう、心が穏やかで落ち着きがあって、おしゃべりも控えて周りから大人っぽいと思われるような人間になろう、と意気込むのである。誰しも新しい年を迎える時に抱負を抱くものだと思う。私の場合、もはや私のもともと持ち合わせている要素をすべてなくして、到底達成できそうもない理想の自分を作り上げてしまう。その理想像から少しでもはみ出てしまうと、どうにもならないことなのに心に決めた目標も達成できないダメな人間なんだと落ち込む。春だけは何でも完ぺきにこなさないといけないような気持ちになる。すこしでも最初で失敗してしまうとこの年のすべてが台無しになってしまうという強迫観念に駆られる。それだけにとどまらず、失敗して目標も達成できない自分は周りからいい評価を受けられないと思い込み始める。期待していた様な人材じゃなかったとがっかりさせるに違いないと負の感情のループに陥ってしまう。これが春の儀式である。

 今年の春はまた慣れない環境に身を置くことになる。心を軽くするためにもどうにもならないことを気にするのはやめてみてもいいのかもしれない。具体的にどうすればいいかは正直全く思いつかないが、幸い私には頼りになる家族、友人、同僚がたくさんいる。結局一人では何もできず、支えがないと生きいけない不完全な私がいる。そんな周囲の支えに感謝しつつ、助けを借りて、この春は心を軽くして過ごしたい。

(英語科 兼田慈)





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2024年1月22日月曜日

心から何かを望むのは、 そんなに簡単なことじゃない。


今週の一週一言

月22日~1月28日

心から何かを望むのは、

そんなに簡単なことじゃない。

村上 春樹

村上 春樹(1949年~) 京都府出身。1979年に『風の歌を聴け』でデビューし、数多の作品を世に輩出している。日本国外でも人気であり、芥川賞の受賞が期待されている作家である。また、デビュー以来、翻訳活動も精力的に行っており、翻訳家としての業績も高い。

【如是我聞】

友達が新年の挨拶に東京からやってきてくれた。近所の神社に初詣にいく。

 ていねいな字で書かれた絵馬がたくさん下がっている。

「戦争が終わりますように」

「しばらく前の世の中にすっかりもどりますように」

 うんうん、そうだよね、とうなずきながら読んでゆく。

「かにさされませんように」

 かわいい……。ひらがなだけなのがいいなあ。この時期でも刺されちゃうなんてねぇ。

「宿題がもっと出ますように」

 えっ。

「ねこになれますように」

 かわいい……のだろうか? それとも、人間ではいたくない理由が何かこの人にはあるのだろうか?

 最後に、一番の達筆で書かれた、

「弟がましな人間になれますように」

 という絵馬を読みつつ、それまで少しずつしていた後じさりを大きくまた一歩おこない、音をたてないよう、そそくさと去る。

家に帰ってからは、絵馬のことは考えないようにして過ごす。絵馬に願いを託すということ。願うこと。うーん。

意識しないようにしてもついつい心から自分が望むことについて考えてしまう。

それで、考えこんでいると、こんなに長い時間も、お金も、手間もいろんなものをかけて、子どもを育てて、たったひとつほんとうに学んだことは、「心から譲ることができる」ということだけだということに行き着く。

おいおい、本当なの?それ以外に何か成長してないの?と聞かれたら、とても情けないけれどそうだと言ってしまう自分がいる。

たとえば、ユニバーサルスタジオに行き、さぁ、いよいよ自分が乗る番だとする。そんなドキドキ最高潮なときに、5歳くらいの子が来て、「おばちゃん、先に乗らせて」と言われたとする。

もちろん若いときの私も譲ってあげただろう。でも、ちょっとだけ頭の中で考えると思うのだ。ほんの数秒。「やっぱり小さい子とはりあったらまずいだろうな」とか。

それが、全くためらいなく、体と心が同時に動いて、いいよって脇によけるようになった。ただそれだけのことに、こんなに時間がかかるなんてどうなの?エゴが強すぎ?と思うのだが、すごい変化だと言えなくもないので、すごい変化だね、と自分で思っている。

もうこんな年齢になってきたので、量、とにかくたくさんの物に囲まれるのではなく、いつのまにか好きな物を厳選して選ぶようになってきている。ピアス、シャーペン、洋服、バッグ、靴など。でもそれらも、娘が欲しいと願えばなんのためらいもなく譲れると思う。大好きなキルフェボンのイチゴタルトも、はい、どうぞ。

それでは大切にしたいものとは、なんだろうか。

難しいことかもしれない。でも季節はいつも味わっていたい。季節の味わい方は食材だけではない。

陽の光でも季節を体で感じられる。学校にいると、夏場の17時はまだ明るいのに、冬場はもう暗い、というように。忙しくて四季を感じられなかった経験がしょっちゅうあるが、四季を感じ、自分を大切にしたい。

そのためには軽やかでいて、自分ルールで縛ることばかりにならないようにしたい。自分が責任を取れる範囲で、自由でいたい。

(須藤か)





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2024年1月17日水曜日

点が将来結びつくと信じなくてはいけない。 信じるものを持たなくてはいけないんだ。



今週の一週一言

月15日~1月21日

点が将来結びつくと信じなくてはいけない。

信じるものを持たなくてはいけないんだ。

Steve Jobs

Steve Jobs19552011

 サンフランシスコ生まれ。Appleの創業者・元CEONeXTの創業者・元CEOPIXARの元CEO。スティーブウォズニアックとともにApple社を創業。Macintoshの開発を主導しGUIやマウスをもつパーソナルコンピュータという概念を普及。iPodiPhoneiPadを発表し音楽、通信業界など世界中に大きな変革をもたらす。PIXAR社では世界初の長編CGアニメーションであるToy Storyを制作。

【如是我聞】

随分前の授業でのこと。「今習っている数学は、将来何の役に立ちますか?」と質問をする生徒がいた。その生徒は、役に立たないのなら勉強する意味ありますか?という意味で聞いている様子である。たまに聞かれることがあるその問いに、私はいつも敢えてハッキリとこう答えることにしている。

「特に何の役にも立たないよ」と。

予想とは真逆の答えに、その生徒は呆気に取られ言葉を失う。

そもそも学校で、役に立つことだけを学ぶわけではないのだ。役に立つこと以外は取り組む意味がないのなら、一生懸命やっているクラブ活動もほとんどやる意味がないことになりはしないか。実際、シュートを上手に決められることやボールを上手く打ち返すことなど、それ自体が将来特に何かの役に立つわけではない。しかし生徒たちは、今の自分の成長にとってとても大事なことだということについては根拠のない強い確信をもって取り組んでいるはずだ。芸術などもしかり。つまり、体験したことや学んだことから何を掴み取り生かすのかはすべて学んだ本人にかかっているわけで、実は本人の問題なのだ。

だから、要約すると「知らんがな」というのも正解の返答になるのではないかと思う。

ただ、生徒たちに「知らんがな」と言うわけにもいかない(説明から逃げていると思われる)ので、少し話をし、そのことに気づいてもらうと生徒たちは納得をする。 知らんけど。

何かを本当に「学ぶ」とき、役に立つという価値観の優先順位は、大抵の場合において高くない。

今、自分のしていることが将来にどう繋がるのかは誰にもわからない。それは結果論だから。一生懸命練習しても試合に勝つことを確約されはしないのと同じだ。だから不安なのだ。本当はやっても無駄なんじゃないか、だが考えてもわかるはずがない。やってみないことには始まらない。そこで初めて「本当の学び」が起動するのだ、と内田樹さんがおっしゃっていた。どうなるか分からないことに踏み出そうとすることこそが「本当の学び」の始まりなのだ。

だから、これは大事そうだ、これは面白そうだ、と感じる瑞々しい「感性」が大切になる。「感性」を育むには学び続け、直感を信じて挑戦し失敗も恐れずに進む日々も過ごしてみることだ。だがそれも一つ一つが「点」でしかないから、しんどい思いをしてまでやらなくてもいいのではないか、とふと考えてやり過ごしたりもする。だからといって不安はなくならない、無視できない。だが不安と向き合うことは悪いことばかりでなく、生きていく上での大事なことをたくさん教えてもくれる。そうして「自分」が育まれていく。

私も、これまで無駄なようなことや失敗はたくさんしてきたと思う。だから、

「点が将来結びつくと信じなくてはいけない。信じるものを持たなければいけないんだ。」

Steve Jobsは私が愛してやまないAppleの創業者の一人だ。この言葉は、彼が米スタンフォード大学の卒業式に招かれたときのスピーチの一節である。彼には生みの親と育ての親がいた。大学は中退し、その後数ヶ月は大学の好きな授業だけを受けた。Appleを一度クビになった。それでも彼は様々な「点」が繋がることを信じ続けたのだ。彼の人生観とともに語られたこのスピーチには傾聴すべき言葉が多い。

最後に、私事だが、昨年結婚25年を迎えた。本当にそんなに経ったのかなと、その日2人で笑い合った。

点は結びつき未だ来ぬ先へ伸びていく…と信じ続けなくてはいけない。

それが人生なのだ。  知らんけど。                   

 (数学科 嶋村)


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2023年11月28日火曜日

人生から返ってくるのは、あなたの投げた球

今週の一週一言

11月27日~12月3日

人生から返ってくるのは、あなたの投げた球

斉藤茂太

斉藤茂太(19162006

 日本の精神科医・随筆家。斎藤茂吉の長男として東京に生まれる。「モタ」の愛称で親しまれる。

【如是我聞】

 115日 阪神タイガースは38年ぶりの日本一を勝ち取った。多くの選手たちがチームの勝利に貢献したがその中で私は横田慎太郎選手のことが忘れられない。

 718日 元阪神タイガースの横田慎太郎選手が28歳という若さで亡くなった。

 現役時代真面目にひたむきに練習する姿がファンに愛され将来活躍が期待されていたがプロ4年目で脳腫瘍と診断され,その後、後遺症の影響で現役引退を余儀なくされた。プロ最後の引退試合で1096日ぶりに試合に出場した。その当時ボールを見ることも難しい横田のもとにボールがきたが,そのボールを捕球して,「本塁へのノーバウンド送球で走者を捕殺する」というファインプレーで現役生活を終えた。私はこのファンプレーは横田の今までの努力など積み重ねてきたものがこのプレーを呼んだものだと感動した。

現役引退後,講演活動などを行っていたが,腫瘍が再発し,今年帰らぬ人となった。

915日リーグ優勝が決まる直前には現役当時の登場曲「栄光の架橋」が流れ,ファンとチームが一つになるきっかけになった。そして優勝を分かち合うときには,横田のユニフォームが常に共にあった。そして彼のユニフォームは胴上げの際に共に宙を舞った。綺麗な話に見えるが,そのストーリーは横田選手が現役の時に人一倍努力して練習をしてことなど自分自身で積み重ねてきたものが返ってきた結果ではないか。そのストーリーを彼は直接見ることができないが心の中には届いているように私は感じた。

 「人生から返ってくるのは、あなたの投げた球」そのことを常に心に刻みながら生活していくことが大切だと思う。実際に返ってくるかどうかはわからない。しかし,自分自身の行動は必ず周りに見られている。

私は,まだまだ人として力不足である。これからも一つ一つのことを丁寧に行動していくことを日々心掛け,人として成長していきたい。

(数学科 坂根)





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2023年10月23日月曜日

わがこころのよくて、ころさぬにはあらず

今週の一週一言

10月23日~10月29日

 

わがこころのよくて、ころさぬにはあらず

『歎異抄』

『歎異抄』

親鸞の教えを弟子・唯円がまとめたとされる仏教書。鎌倉後期に成立。室町中期に蓮如によって見出され、明治期、清澤満之らによって宗派を超えた宗教哲学の書として再評価される。なお作成にあたり、乾文雄先生、山田友能先生よりご教示いただきました。

【如是我聞】

あるとき、親鸞は弟子の唯円に、私を信じるかと尋ねた。彼が肯定すると、今度は言いつけに逆らわないかと訊く。常に従うと答えると師は告げた。千人殺してこい、そうすれば極楽浄土へ行ける、と。仰せではありますが一人も殺せません、そう訴える弟子に、親鸞は、これでわかっただろう、と言う。自らの思いのままにできるのなら、千人でも殺せるはずだ。しかしそういう業縁がないときには一人さえ殺せない。これは自分のこころが良くて殺さないのではない。逆にやりたくないと思っていても、百人千人を殺してしまうことだってあるのだ──。「絶対他力」、すなわち何事も自分の思い通りにはできないという教えとして知られる一節である。

有名すぎるため見過ごされがちだが、よく考えるとこの話、かなり絶妙なバランスの上に成り立っている。というのは、もし唯円が師の指示に呆れて従う気をなくしたり、逆に刀を持って飛びだしていったりしたら、彼は「思い通り」に行動したことになってしまうからだ。弟子をあやまたず「他力」という気づきへと導くには、「師の指示に従いたいが、そうできない」という状況にならねばならない。つまり親鸞はこのとき、唯円が自分に心服しながらも命令だけは断ってくれること ──言い換えれば業縁が整っていないこと── に賭けた、ということになる。

当たり前だ、殺人などそうそうできるわけがない、そう思われるだろうか。しかし歴史をひもとけば、信仰ほど人に思考を放棄させ、殺したり、殺さなかったりを命じてくるものもない。多くの指導者が信徒に無条件で自分(あるいはその背後にいる神)に従うよう求める中、弟子に「できない」という台詞を期待する親鸞の方が、むしろ例外的なのだ。「親鸞には真の意味での弟子はおらず、すべての人はともに生き、考え、悩む仲間だった」とはしばしば語られることだが、そのありようはここまで直接的に弟子を訓導するエピソードの中にあっても、その奥底に流れているということだろうか。この親鸞の弟子への接しかたは、むろん宗門校に勤める我々教員の生徒へのふるまいについて、強 い示唆を与えるものだ。言うことを聞かなくてもカッとせず、学びの機会ととらえること。知識を教えこむのではなく、

自分で判断させ気づかせること。しかしなにより僕が戦(おのの)くのは、その根源的(ラディカル)な探究の姿勢だ。なにしろこの物語では、殺人という禁忌すら相対化される。

「なるほど、自分で考えないといけないのはわかりました。でも人殺しは問答無用でダメですよね?」などという思考停止を、この逸話は決して許さないのである。

国語科 奥島 寛





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人生は学校である。 そこでは幸福より不幸のほうが 良い教師である。

今週の一週一言

10月16日~10月22日

人生は学校である。

そこでは幸福より不幸のほうが

良い教師である。

ウラディミル・フリーチェ

ウラディミル・フリーチェ(18701929)

ソ連の文芸学者。「文学とマルクス主義」誌の編集長などを務めた。ロシア革命前の著書『欧州文学発達史』は邦訳もされ、1930 年代までソ連の教科書であった。

【如是我聞】

連日ニュース番組で報道されているロシアとウクライナの戦争。最近はイスラエルとパレスチナの武力衝突についてもニュースになっている。日本で平和な生活を送っていると、今現在、この瞬間に別の場所で戦争が続いており、多くの人が亡くなっている実感がわかない。そんな中、私はニュースの報道等で「戦争」という言葉を聞くと、93 歳になる大叔母のことが時々頭をよぎる。

 

広島に原爆が落ちた日、大伯母は山口県岩国の軍事工場で飛行機にネジを入れ、組み立てる作業をしていた。当時 15 歳。原爆投下時の轟音、地面の揺れ、その直後の激しい土煙。爆弾が落ちたという知らせを受け、混乱の中、何とか自分の家に戻ったらしい。大伯母は現在でも戦争時の体験を鮮明に記憶しており、原爆投下以外にも、空襲で怖い思いをしたこと、空襲の後に死体を飛び越えながら空腹に耐えつつ歩いたこと、竹槍を持って「ヤー!」と叫びながら訓練をしていたことなどを、これまで何度もよく話してくれた。

こういった話をしながら、大叔母は、「何やっとるんかねって思っとったんじゃけどねぇ。」「こんとなネジ入れた飛行機や竹槍突いて、勝てるんかねって思ってたねぇ・・・まあ、絶対に口に出して言えんのじゃけど。」「あんなに人が死ぬんじゃもん、もう戦争はいかんよねぇ。」と思いを挟む。飄々とした口ぶりと笑いを交えながら語る口調だが、実際に体験した人からの実話であ  る。説得力があり、聞くたびにじわじわと過酷さが伝わり、辛くなる。幼い頃、大伯母が話す「学校なんてなかったからねぇ。私ら勉強してないんよ。」にピンとこなかった私も、少しずつ「学校がない」ことの意味がわかっていった。

コロナ禍の 3 年を経て、大叔母は京都まで来ることはほとんどできなくなってしまった。しか

78 年前の辛い過去の体験は、直接見聞きしたことだからこそ、いつも私たちにさまざまなことを教えてくれる。

 

再来月、久しぶりに会えるかもしれない大叔母に、また 78 年前の話を聞いてみたい。

(国語科 赤尾)





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2023年10月11日水曜日

ルールは破ってもマナーは守れよ

一週一言

109日~1015

                                 

ルールは破ってもマナーは守れよ

             甲本 ヒロト  

甲本 ヒロト(1963-)

 岡山県出身の日本のミュージシャン。1985年、真島昌利らとTHE BLUE HEARTSを結成。1987年に「リンダリンダ」でメジャーデビュー。









【如是我聞】

私のなかで甲本ヒロトといえば、THE BLUE HEARTSというパンクロック・バンドのボーカルという印象が強いです)。1980年代後半から1990年代前半にかけて活動したため、1992年生まれの私はリアルタイムで活躍を見たわけではないが、彼らの曲からはパワーをもらい、「TRAIN-TRAIN」、「リンダリンダ」「情熱の薔薇」など聴くようになりました。

 「ルールは破ってもマナーは守れよ」というこの発言について甲本ヒロト自身もかつてラジオで、「ルールを破れって言っているんじゃないよ?(笑)。まあ、仕方なく破ることもあるけども。」と言っています。

正直これもよくわからないので、まず「ルール」と「マナー」の意味を調べることにしました。そしたら、以下の内容にたどり着きました。

 

「ルール」:守らなければならない 規則・決まりごと

「マナー」:「行儀、作法」(広辞苑第7版)とあり、個人の自発的意思に基づく心掛けや振舞いを指すものであり、法令で規制された行為規範とは異なるものと考えられる。

 

私の解釈としては、「ルール」は既に決まっている守るべきもので、「マナー」とは罰則はないが自分から意識して守るべきものだということです。さらに、時代や状況を鑑みてルールが変更されることはあるが、マナーが変わることはないのでは?と思いました。

 私はバスケットボールが好きで、現在でも社会人チームでプレーしています。バスケットボールでも、私が高校生の時と比べると、何ヵ所もルールが変わっています。しかし、試合開始時に「お願いします」と会釈したり、試合終了時に相手ベンチに行き、「ありがとうございました」と挨拶するといったマナーは変わっていません。マナーを守ることで、自分たちも相手も気持ちよく過ごせることができている気がします。

 

無理やりまとめてみると、「ルール」は守るべきものではあるが破ることはでき、変更することもできる。その一方で、「マナー」は人間関係を築いていくうえで必要なものであり、最低限守るべきものということでしょうか。数字上の年齢としては31歳(中身は到底そこにはいない)となった今、「マナー」は守れているのだろうか。今一度、自分の普段の行いに目を向けていきたいと思います。

(社会科  増田)





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2023年10月3日火曜日

絶対の帰依こそ宗教である

一週一言

925日~101

                                 

絶対の帰依こそ宗教である

             柳 宗悦  

 

柳 宗悦(18891961)

  「民運動の父」と呼ばれる。武者小路実篤や志賀直哉らとともに雑誌「白樺」の発刊に携わる。心霊現象やキリスト教神学などの研究や、西欧近代美術の紹介につとめる。











【如是我聞】

 2000年頃、雑貨屋で手に取った銀色のカトラリーは、主張が派手すぎず、食事をするのによさそうな形だった。当時の私には誰のデザインかもわからなかったが、その洗練されたフォルムに惹かれ、購入した。このカトラリーは今も我が家の食器棚に入っている。お気に入りの食器のひとつだ。

この食器を作ったのは柳宗理。家具やキッチンツール、食器など生活にかかわる工業デザイナーである。彼は戦後に出回った商業主義に偏ったものや流行に左右される製品に対し、素材や機能を踏まえたうえでの、質の高いデザインを旨とした。没後もその精神は「柳工業デザイン」として、新たな意匠を生み出しつづけている。私が思わず手に取ったカトラリーにも、その想いが詰まっていると言っていいだろう。

 柳宗理に大きく影響を与えたのは、実父の柳光悦だ。李朝時代の無名の職人の手になる食器などの美をいち早く評価した人物であり、「民芸運動の父」とも呼ばれている。とりわけ「仏教美学」は光悦が生涯をかけて構築した、仏教思想に基づく新しい美学の集大成であり、柳自身の美的体験に深く根ざすものだったといわれている。

 光悦は民衆の食器が持つ魅力は「信と美」の深い結びつきの結果だと考え、「凡夫も救いからもらさぬ仏の力」、すなわち阿弥陀仏の本願力の恩恵に他ならないと結論づけた。なるほど生活用品ほど庶民の暮らしとともにあり、使い勝手の良さという“知”をもって、人々をサポートするものはない。民芸品も、人々にそっと寄り添い助ける、阿弥陀の無限の知恵のひとつのあらわれなのだ。そこに崇高な美が宿るのは、柳の思想として当然の帰結だったろう。

 あれから20年以上の月日がたち、私もいろいろなことを経験してきた。年をとるにつれて社会の変化は気にならなくなり、泰然自若として暮らせるかと思いきや、流転する世間にふりまわされるばかりの毎日が続いている。しかし、そんな日々の中においても、簡素なカトラリーの静かな美に変わりはない。だから私は時折それを目にすると、日々の生活の中にも、不変の、無窮の知恵がたしかに在ると実感するのだ。

(理科 谷口)





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2023年9月20日水曜日

非暴力とは戦術ではなく生き方だ

一週一言

918日~924

                                 

非暴力とは戦術ではなく生き方だ

             ロナルド・デルムス  

 

ロナルド・デルムス(1935-2018)・・・アメリカの政治家。

デルムスは、カリフォルニア州下院議員やオークランド市長を歴任するなど、1900年代後半に活躍したアメリカの政治家である。彼は最初、黒人至上主義を掲げる過激派のブラックパンサー党に所属していたが、キング牧師の演説を耳にして以降「非暴力」を掲げ、あらゆる戦争や差別に反対した。

【如是我聞】

 私はデルムスについて、この原稿を書くにあたって初めて知った。ネットなどで彼の思想や活動を調べていくと、ベトナム戦争などの全ての戦争に反対したようである。ただ私が驚いたのは、ベトナム戦争反対運動で若者と警察が衝突した際、デルムスは両者の間に入り「非暴力」を訴えたという点だ。若者の「戦争反対」という信念がいかに正しかったとしても、それを実現するための暴力に反対の意を示したデルムスの姿は、まさしく「生き方としての非暴力」を体現していた。私は思わず心のなかで「めっちゃかっこいい!」と叫んでしまった。おそらくパソコンをみている私の顔はニヤニヤしていただろう。画面が真っ暗でなくてよかった……。それはさておき、このデルムスの思考に触れるなかで、ある思想家の言葉を思い出した。それが『ペスト』でお馴染みのアルベール・カミュ(1913-1960)である。

わたしは、暴力が避けることのできないものだと考えています。(中略)ただ、あらゆる暴力の正当化を拒否しなければならないというのです。その正当化が、絶対的な国家理由から由来するにせよ、全体主義的な哲学から由来するにせよ、拒否しなければなりません。暴力は、避けることのできないものであると同時に、正当化することのできないものなのです。

アルベール・カミュ「エマニュエル・ダスティエ・ド・ラ・ヴィジュリーへの二通の返事」『カミュ全集5』(新潮社、1973年)、180

カミュは、この文章で暴力がなくならないという「不条理absurdité」に触れつつ、いかなる暴力をも正当化できないことを強調する。カミュの言うように、世界各地では現在でも数多の暴力が起こっている。ただそのなかでも暴力それ自体は、たとえ「祖国を守るため」であろうと「自分の信念を守るため」であろうと、許容できるものではない。暴力が無くならないなかでそれと格闘し、ためらい続けるカミュの姿勢はデルムスの非暴力に通ずるものがあるのではないか。 

そもそも非暴力という主張はどこから生まれるのだろうか。それは「人は他者なしには生きていけない」という考えに帰着すると思う。言葉なんてまさしくそうだ。言葉は、生まれたときから話せるわけではない。最初は親から、そして親族・友人など他者から教わるなかで身についていく。また精神科医のジークムント・フロイトは人間を「寄る辺なきhilflos」存在と規定し、一人では生きていけないからこそ何かに頼ることで自らの生を全うできると主張している。自分自身の弱さ(=ヴァルネラビリティvulnerability)や他者の大きさに気づくからこそ、非暴力という信念が生まれてくるのではないか。

私たちは、数多くの他者との「想定外の出会い」を通じて自己を形成している。その他者に暴力をふるう行為は、裏を返せば自分自身を傷つけることにもつながるだろう。私自身、31歳になった今、これからも他者との想定外の出会いを大切にしながら、自分自身と向きあっていきたい。

(社会科 穂波)





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2023年7月8日土曜日

真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。 新たな目で見ることなのだ。

今週の一週一言

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真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。

新たな目で見ることなのだ。

マルセル・プルースト

マルセル・プルースト(1871-1922)

 パリ郊外のオートゥイユ(現・パリ市)生まれ。代表作の『失われた時を求めて』は後世の作家に強い影響を与え、20世紀の西欧文学を代表する世界的な作家として位置づけられている。

【如是我聞】

 歳のせいだろうか、最近通勤途中で困っている人を見かけるとどうしても見過ごせない。目の不自由な人、足の不自由な人、こないだは駅の乗り越し精算機の前の列が縮まらないのでよく見るとお婆さんがコインを入れようとしているところだった。そもそも精算機の使い方もままならないのだが、震える手では硬貨が入れられない。「私、やりましょか?」というと頼みますー、とのこと。重いカバンを持っているお年寄りがいたらつい「私、運びましょか?」だし、目の不自由な人に出会うと「白杖ガール」を思い出す。私の周りの日常はそんなに変わっていないはずなのに、次々と困っている人が出現するからさながらパラレルワールドのようだ。

 こういうことって、マルセル・プルーストならどう答えるだろうか。ChatGPTになり切って答えてもらった。紅茶にマドレーヌを浸したときの気持ちを聞いたら、それなりの答えが返ってきたので、このように尋ねてみた。「最近出会ったおばあさんは震える手でコインがうまく掴めず、困っていました。今までなら気づかなかったのですが、私はどうしても立ち止まって彼女を助けたくなり、声をかけました。それはまさに新しい景色ですか。」

 

ChatGPTの答えはこうだった。

 

 あなたがおばあさんに声をかけて助けるという行為は、単に新しい景色を探すことではありません。それは、新たな目で見ることなのです。これは、あなたが以前とは異なる視点や意識を持ち、社会的弱者の存在に気付いたことを意味します。おばあさんの困りごとに気付き、声をかけて助けることで、あなたは社会的弱者に対する新たな目で物事を見ることができました。これによって、彼女の立場や経験に共感し、彼女の困難を理解することができました。

 このエピソードは、私たちが予測可能な枠組みを超え、他者の経験や感情に共感することの重要性を示しています。真の発見の旅は、新しい景色を探し求めるだけでなく、自分自身の目を新たにし、他者との共感と理解を育むことです。このエピソードはまた、私たちが社会的弱者に対して優しさと思いやりを示すことができるという希望を伝えています。真の発見の旅は、社会の不平等や差別に対して目を向け、自己の立場や特権に気付き、行動を起こすことを奨励します。

 「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新たな目で見ることなのだ。」という格言は、私たちが自己の視点を拡大し、他者とのつながりを深めるための重要な指針です。あなたの行動は、この格言の真の意味を体現し、社会的弱者との共感と配慮の新たな視点を示しています。

 

なんか、正された。

 

 世界は同じように回っているし、お年寄りや困っている人があふれている。そうした人々が、教習所のシミュレーターのごとく私の目の前に現れることがありがたい。

 ChatGPTをはじめ、生成系AILINEに常駐し、WeblioLudwigと言った英語学習アプリにも搭載され、今や私にとってはなくてはならない壁打ち相手になっている。Google翻訳が出てきた時にも「あんな役に立たないもの」と排除する動きがあったが、今やプロの翻訳家も活用しているという。超高齢社会も生成系AIのある教室も、現実だ。今年は私にとって半世紀の節目の年でもある。いつまでも日々新たな世界に出会うことを楽しみとしたい。

(英語科 江藤)





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その人を憶いてわれは生き、その人を忘れてわれは迷う

今週の一週一言 5 月 8 日 〜 5 月 14 日 その人を憶いてわれは生き、その人を忘れてわれは迷う 金子大榮 金子 大榮( 1881 ~ 1976 年)  新潟県高田出身の真宗大谷派の僧侶。真宗京都中学(現、本校)を卒業後、真宗...