今週の一週一言 10月16日~ 10月22日 人生は学校である。 そこでは幸福より不幸のほうが 良い教師である。 ウラディミル・フリーチェ ウラディミル・フリーチェ (1870 ~ 1929) ソ連の文芸学者。「文学とマルクス主義」誌の編集長などを務めた。ロシア革命前の著書『欧州文 学発達史』は邦訳もされ、 1930 年代までソ連の教科書であった。 【如是我聞】 連日ニュース番組で報道されているロシアとウクライナの戦争。最近はイスラエルとパレスチナの武力衝突についてもニュースになっている。日本で平和な生活を送っていると、今現在、この瞬間に別の場所で戦争が続いており、多くの人が亡くなっている実感がわかない。そんな中、 私はニュースの報道等で「戦争」という言葉を聞くと、 93 歳になる大叔母のことが時々頭をよぎ る。 広島に原爆が落ちた日、大伯母は山口県岩国の軍事工場で飛行機にネジを入れ、組み立てる作業をしていた。当時 15 歳。原爆投下時の轟音、地面の揺れ、その直後の激しい土煙。爆弾が落ちたという知らせを受け、混乱の中、何とか自分の家に戻ったらしい。大伯母は現在でも戦争時の体験を鮮明に記憶しており、原爆投下以外にも、空襲で怖い思いをしたこと、空襲の後に死体を飛び越えながら空腹に耐えつつ歩いたこと、竹槍を持って「ヤー!」と叫びながら訓練をしていたことなどを、これまで何度もよく話してくれた。 こういった話をしながら、大叔母は、「何やっとるんかねって思っとったんじゃけどねぇ。」「こ んとなネジ入れた飛行機や竹槍突いて、勝てるんかねって思ってたねぇ・・・まあ、絶対に口に 出して言えんのじゃけど。」「あんなに人が死ぬんじゃもん、もう戦争はいかんよねぇ。」と思いを 挟む。飄々とした口ぶりと笑いを交えながら語る口調だが、実際に体験した人からの実話であ る。説得力があり、聞くたびにじわじわと過酷さが伝わり、辛くなる。幼い頃、大伯母が話す 「学校なんてなかったからねぇ。私ら勉強してないんよ。」にピンとこなかった私も、少しずつ 「学校がない」ことの意味がわかっていった。 コロナ禍の 3 年を経て、大叔母は京都まで来ることはほとんどできなくなってしまった。しか し 78 年前の辛い過去の体験は、直接見聞きしたことだか
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