今週の一週一言 10月14日~10月20日 大切なのは普通の語で非凡なことを言うことである。 ショーペンハ ウエル ショーペンハウエル… [1788-1860] ドイツの哲学者。世界は自我の表象であり、その根底にはたらく盲目的な生存意志は絶えず満たされない欲望を追求するために人生は苦になると説き、この苦を免れるには意志否定によるほかはないと主張した。主著「意志と表象としての世界」。 【如是我聞】 普通のことを普通の語で言う(または理解する)のも難しいのに、普通の語で非凡なことなんて言えるのだろうかと、この言葉を見たときに感じてしまった。いや、普通の語でこそ非凡なことを表すべきなのかもしれない。例えば「世界平和」や「あなたが好き」という言葉は、一見「普通の語」だが、内容自体は「非凡なこと」に分類されるのではないか。 話がとっ散らかってしまう前に整理しよう。結論から言うと、普通の語で非凡なことを「実際に誰かに言うこと」は難しいのだ。好きな人に「あなたが好きです。」なんて簡単に言えないように。だから、難しい言葉(=非凡な語)でそれとなく好意(=非凡なこと)を伝えるのではないだろうか。英語なら助動詞を使ったり、時制を過去形にしたりして、「直接的でない表現」で「自分の気持ち」を伝えたりする。だから、 “I like you.” のかわりに、 “I would like to ~.” 「できれば~したい」 と言ったり、 “I wish I had a chance to ~.” 「~する機会があればいいのに」 なんて回りくどい言い方をするのだ ( と個人的には思う ) 。 そんなふうに、自分の気持ちは、聞こえよい言葉で相手になんとなく伝えられたらいいと思っていた。その方が相手を驚かさなくて済むし、むしろ自分自身が傷つかなくて済む。そうやって 進展も後退もないが、相手と互いに程よい距離感を保って生きていくのが少なくとも自分にはあっていると思っていた。 しかし、それでは味気ないなと最近気が付いた。学園祭でとある生徒に「俺らの発表見に来てな!」のあとに、「先生の勇気は俺の勇気や!」と言われた時のことだ
大谷中学高等学校 (※著作権の関係上、WEBについては毎週掲載とならないことをご了承ください。)