一週一言インデックス

2019年9月17日火曜日

行きさきばかり見て足許を見ねば踏みかぶるべきなり。 人の上ばかり見て我身の上の事を嗜まずは、一大事たるべき。

今週の一週一言                     9月9日~9月15日
行きさきばかり見て足許を見ねば踏みかぶるべきなり。
人の上ばかり見て我身の上の事を嗜まずは、一大事たるべき。
蓮如上人…1415年京都生まれ、1499年没。真宗の僧侶。本願寺第8世、中興の祖。衰退の極みにあった本願寺を再興し、現代の本願寺教団(東・西本願寺)の礎を築いた。
【如是我聞】 
今年の8月。私はお盆参りの手伝いをするため北海道の片田舎にある自坊に帰省した。私の故郷は人より牛の数の方が多いという信じがたい事実を抱えた町である。そんな田舎町でお盆参りを回る時は、雑に書かれた古びた地図を1枚だけ持って出かける。私はご門徒さんの家の場所にマークを入れ、張り切ってお参りに向かった。
しかし、車で向かっていたのだがなかなか到着しない。どうやら迷ってしまったのだと気付いた。とっさに私はスマホを取り出してマップを開いたものの、ここは北海道の山の中。当然、電波はなかった。紙の地図を広げてみたものの、周りには家一つなく背の高い木が生い茂っているばかりであるから、どこにいるのかもわからない。結局自分の現在位置を見失ってしまった私は、ぐるぐると山中を彷徨ったあげく、来た道を引き返すしかなかった。こんな歳にもなって山の中で完全に迷子になってしまうというなんとも恥ずかしい思いをしたのであった。
なぜこんな話をしたのかというと、解剖学者の養老孟司さんが「自分とは地図の中の現在位置の矢印」と自身の著作で表現されていたのを思い出したからである。もしも人生が一つの地図だとしたら、いま私はどこに立っているのだろうか。現在位置をしっかりと示すことができているのであろうか。お盆参りの時と同じように迷子になっていないだろうか。
その人生の地図には、世の中を形成している様々な常識や流行というものが記載されている。私はそれらばかりに目がいってしまう。小さなことで言うと、先日は「まだ飲んでなかった!」と謎の焦りを感じ、足早にタピオカジュースを買いに行った。みんながしていることにはとにかく敏感で、置いていかれないようにと無意識にも必死になっている私がいるのである。目まぐるしく移ろいゆくこの世の中で、周りをキョロキョロと見渡し、結局自分よりも他の人やことばかりを気にしてしまう。そんな状態だと、私はここに立っているんだという現在位置というのはなかなかわからないのではないだろうか。
どうしても目先のこと、周りの常識、流行などにばかりに目がいってしまう。その中で自分が今どこに立っているのか。それを明らかにすることはそう簡単なことじゃない。だけれども、そんな私の人生の地図に私の現在位置はどこのあるのか自問自答を続けていこうと感じさせてくれた、そんな今週の言葉であった。足元を見ずに踏み外すことなく、地に足つけて「どうぞこれが私です」と示せるようになりたいものです。

(宗教科 伊藤)




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