一週一言インデックス

2019年5月21日火曜日

知識があろうとも、教えを聞くことがなければ、 善悪のことがらを識別できない。

今週の一週一言
5月19日~5月24
知識があろうとも、教えを聞くことがなければ、
善悪のことがらを識別できない。
ウダーナ・ヴァルガ・・・ブッダが語った言葉を短い詩文で伝えるサンスクリット(梵語)の韻文経典。「ウダーナ」とは「こみ上げてくるもの」というほどの意味で、誰に問われるでもなく、ブッダがふと口にした言葉を集めたものであるとされる。伝統的には「自説経」などとも呼ばれ、中村元博士は「感興のことば」と訳した。


【如是我聞】
最近の話。データを整理していたら、不意に大学時代のものが出てきた。そのなかに、大学の先生方の講義の録音データがたくさんあった。当時の私はICレコーダーを用いて講義を録音することに無上の喜びを見出しており、先生方に許可を得ては、いそいそと録音し、データを保管していたのだった。
卒業以来、9年ぶりの再発見。久しぶりに先生方の「声」を聞きたくなった。そこで手作業をしながら録音を聞くことにした。なつかしい声がきこえる。ああ、○○先生、この頃はお元気だったな。△△先生の冗談、私たちのレベルに合わせてくれていたんだな。録音を聞きながら、次第に感傷的な気分に浸っていく私だったが、ある瞬間、驚きのあまり、手が止まってしまった。しばしの絶句ののち、何度も巻き戻して同じ箇所を聞いた。開いた口がふさがらない。
 何に驚いたかというと、最近、私が自分で考えていると思っていたこと、自分で気づいたと思っていた事柄が、当時の講義のなかで既に先生が言ってくれていたのである。すなわち9年前に受けた講義のなかで、先生が平然と語っておられるそのことを、私は、講義で聞いたことなどすっかり忘れて、「自分はここ2、3年で、こんなことを考えるようになった」と思い込んでいた。なんと愚かな。なんと恥ずかしい。まるでお釈迦さまの掌の上の孫悟空である。
 録音当時の学生時分の私は、その部分について、聞き流していたのか、さほど重要でないと思ったのか、あるいは寝ていたのか…。ともかく、覚えていない。ものすごく大事なことを教えてくれていたのに。なんともはや、自分で気づいたとばかり思い込んでいたテーマに、既に先生が出遇わせてくれていたのに。私は通りすぎてしまっていた。しかも、このたびの録音データという縁がなければ、通りすぎていたことにすら気づけなかっただろう。
私たちは、「この話はためになる」とか、「この話は重要ではなさそうだ」とか、自分のモノサシで○×をつけていく。話の内容どころか、人間相手にすら、そうである。そしてそれに疑いを持つことすら、滅多にないのではないか。その傲慢さ。出遇っていながら、出遇っていない。出遇ったことにすら、気づいていない。自分が無意識に×をつけたもののなかに、本当は宝物があったかもしれない。
なるほど、これでは「大疑団」や「両忘の境地」などは、遥か彼方である。
 無明というかなんというか。嗚呼、もはや文章でくどくど述べることすら、おこがましい。ただ黙って虚心合掌するのみである。                   (宗教・国語科 阿賀谷)






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