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逆境は、我能力の達し得る範囲外にあるものにして、 反って我力を増長するものなり。

今週の一週一言                     6 月17日~23日  逆境は、我能力の達し得る範囲外にあるものにして、  反って我力を増長するものなり。   清澤満之     1863 ~ 1903 ,名古屋市生まれ。本校初代校長 。宗教家、思想家、哲学者。 【如是我聞】   『ハイキュー !! 』(古館春一作・集英社)という漫画がある。高校バレーを題材にした「劇的青春」というコピーが付く作品だ。中高と、こっそりかつひっそりとバレー部にいた私としては、『アタック No.1 』(約 50 年前)の鮎原こずえに胸躍らせて以来、久しぶりにのめりこんだバレー漫画である。その中のあるシーンで、主将の澤村大地がこういう。 「壁にブチ当たったときは、それを超えるチャンスだ。」   20 年ほど前、小野伸二というサッカー選手が、オランダのチームへの移籍を発表した。浦和で 3 年ほど活躍して、まだ、 20 歳そこそこだったと思う。記者会見では厳しい質問が飛び交った。「ヨーロッパで自分のサッカーが通用すると思っているのか?」。こう聞かれた彼は、次のように応えたと記憶する。「それはわからない。でも、そういう、今の自分が通用するかどうかわからないような所に身を置きたい」。  当時の私は、それを聞いてこう思った。「Jリーグで、ようけお給料もろてはんのに、無理せんでええやん。もったいないな~」。  小野選手は当時の日本よりはサッカーレベルが数段高い慣れない地で自らを鍛えなおし、レギュラーをつかんだそのシーズンで優勝する。自分の中で感じていた壁を超えたようだ。  我らが初代校長清澤先生は、生きていると何をやってもうまくいくような恵まれた時、順境があるという。逆に何をやってもうまくいかない、または、思ってもみなかった事態に遭遇し行き詰るときもあると。それが逆境だろう。そして、順境はたしかに居心地もよく楽しいのだが、自分が育てられるのはむしろ逆境の時であるとおっしゃる。その時に持てる能力や知識や経験では乗り越えられない、そんな境遇に身を置かれて、逃げ出したいのをぐっとこらえて耐えるとき、もがくとき、悩むとき、新たな人間力が育まれるのだと。 わかる。でも、簡単にはそうは思えない。心折れ、胃が痛くなるような体験はできれば避けたい。もし

ちる花の 枝にもどらぬ なげきとは  思ひきれども 思ひきれども 小林一茶

今週の一週一言                                  6 月3日~6月9日   ちる花の 枝にもどらぬ なげきとは  思ひきれども 思ひきれども 小林一茶… 1763 ~ 1827  江戸後期の俳人。信濃柏原生まれ。俗語や方言を使いこなし、自身の経歴からにじみ出た主観的・個性的な句を多く残す。 【如是我聞】 一茶は52歳で結婚し、4人の子どもを授かるがすべて夭折してしまう。孫と言ってもいいくらいの子どもたちである。憔悴する一茶を前にして、私ならどのような接し方ができるだろうか。おそらく沈黙に耐えられず、間が持たない。その間を埋めるために、いらぬ言葉を並べ、余計な正論を言いたくなるだろう。正論を説く人の言葉や目つきは時として冷たいものだ。最悪の対応である。 かつて大学の受験日を間違え、泣きながら学校にやってきた女子生徒がいた。担任の先生は、その生徒に対したった一言「よ~あることや。しょうがない」と言いながら頭をポンポンとたたき、ニコニコと微笑んでおられた。横で見ていた私は受験日の間違いなどそんなによくあることではないだろうと思いながらも、徐々に生徒が落ち着きを取り戻していくさまを目の当たりにして、すごい対応力だなあと感心したものだった。 経典では「身自当之 無有代者」〈身、自らこれを当(う)くるに、有(たれ)も代わる者なし〉と説く。どのような苦悩に出遇ったとしても、誰も代わってはくれず、自らこの苦悩を引き受けていかねばならない、という。一茶の場合は代わってやりたくても代わってやることができない。そんななげきなのかもしれない。こちらの方が奥が深いと最近思う。  一茶は「露の世は 露の世ながら さりながら」という句も残している。世界最高水準の長寿を誇る現代の日本では、この世が「露の世」という感慨は一見、消失したように見える。しかしその状態に幸福を感じ、満足することが出来ないのは何故だろう。      (宗教・社会科 山田) トップページへ  http://www.otani.ed.jp

経教はこれを喩うるに鏡のごとし  善導『観経疏』

今週の一週一言                                   5 月 27 日~ 6 月 2 日 経教はこれを喩うるに鏡のごとし                   善導『観経疏』 善導大師( 613-681 )・・・中国、唐の時代の僧。長安で「称名の念仏」の教えを説き、広く民衆を教化する。後の法然上人、親鸞聖人にも大きな影響を与える。 【如是我聞】  仏教は昔のもの。お寺は観光客と人生に疲れた人のためのもの。わたしはお寺に行くよりもショッピングが好きで、そういうものとは死ぬまで無縁だと思っていた。  友人に誘われ仏教を学びだした頃。これが一体何になるのかと疑義を抱いたまま、とにかく単位を落とすのは恥ずかしいという思いだけで寺っ子達と講義を受けていた。この人達は将来お坊さんになるのに、ならないわたしはこんなところで何をしているのか…。しかしその2年後、あと数単位で取れる社会の教免を捨て、片道2時間半かけて他大学まで仏教学を受講しに行くわたしがいた。「仏教の授業は何かが違う!」今まで学んできた教科とは明らかに違うその感覚が忘れられず、仏教と名の付く講義を片っ端から履修していった。  今思えば、そこで学んだのは自分自身のことだった。当時のわたしは中身なんて外から見えないから、見た目が良かったらいいと思うところが強く、むしろそのくらい適当に生きたほうが上手くいくのではないか、と人生を楽観さえしていた。ベテランの先生方が穏やかに語る釈尊とその教えのなかに自分を重ねていくなかで、とんでもない自分の本性が浮き彫りになる。「…わたしってもっと素敵な人間やと思ってた。」絶句しながらもせっせと心の垢を払ってみる。帰り道は、まるで温泉街で誰の目も気にせずスッピンで歩いているときのような清々しさがあった。  仏教は正しさを教えてくれるものではなく、わたしのほんとうの相を教えてくれるものである。表面上の生き方に酔っていたわたしは、ただ動いているだけでまったく生きていなかった。そのことに気付かされて初めて、わたしはわたしとして具体的に生きていく力をいただいた気がする。そんなわけで宗教の授業では、生徒と共に自分を見つめ、ハッとするような瞬間を共有したいと思っている。 ところで最近、「おはよう、今日もかわ

知識があろうとも、教えを聞くことがなければ、 善悪のことがらを識別できない。

今週の一週一言 5月 19 日~5月 24 日 知識があろうとも、教えを聞くことがなければ、 善悪のことがらを識別できない。 ウダーナ・ヴァルガ・・・ブッダが語った言葉を短い詩文で伝えるサンスクリット(梵語)の韻文経典。「ウダーナ」とは「こみ上げてくるもの」というほどの意味で、誰に問われるでもなく、ブッダがふと口にした言葉を集めたものであるとされる。伝統的には「自説経」などとも呼ばれ、中村元博士は「感興のことば」と訳した。 【如是我聞】 最近の話。データを整理していたら、不意に大学時代のものが出てきた。そのなかに、大学の先生方の講義の録音データがたくさんあった。当時の私はICレコーダーを用いて講義を録音することに無上の喜びを見出しており、先生方に許可を得ては、いそいそと録音し、データを保管していたのだった。 卒業以来、9年ぶりの再発見。久しぶりに先生方の「声」を聞きたくなった。そこで手作業をしながら録音を聞くことにした。なつかしい声がきこえる。ああ、○○先生、この頃はお元気だったな。△△先生の冗談、私たちのレベルに合わせてくれていたんだな。録音を聞きながら、次第に感傷的な気分に浸っていく私だったが、ある瞬間、驚きのあまり、手が止まってしまった。しばしの絶句ののち、何度も巻き戻して同じ箇所を聞いた。開いた口がふさがらない。  何に驚いたかというと、最近、私が自分で考えていると思っていたこと、自分で気づいたと思っていた事柄が、当時の講義のなかで既に先生が言ってくれていたのである。すなわち9年前に受けた講義のなかで、先生が平然と語っておられるそのことを、私は、講義で聞いたことなどすっかり忘れて、「自分はここ2、3年で、こんなことを考えるようになった」と思い込んでいた。なんと愚かな。なんと恥ずかしい。まるでお釈迦さまの掌の上の孫悟空である。  録音当時の学生時分の私は、その部分について、聞き流していたのか、さほど重要でないと思ったのか、あるいは寝ていたのか…。ともかく、覚えていない。ものすごく大事なことを教えてくれていたのに。なんともはや、自分で気づいたとばかり思い込んでいたテーマに、既に先生が出遇わせてくれていたのに。私は通りすぎてしまっていた。しかも、このたびの録音データという縁がなければ、通りすぎてい

善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり

今週の一週一言                                   5 月 13 日~ 5 月 19 日 善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり 正像末和讃・・・『浄土和讃』『高僧和讃』と合わせて『三帖和讃』と呼ばれ、親鸞聖人 85,6 歳         頃の成立とされている。聖人最晩年の信仰の深まりが表出した和讃である。 【如是我聞】 よしあしの文字をもしらぬ人はみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり 「先生〇〇もできるん!すごいなぁ」 「これくらいは大人やったら誰でもできるで」 「色んなこと知ってるやん!さすが!」 「そんなことないって。知らんことの方が多いわ」 「若いのにイロイロ知っててすごいねぇ」 「いえいえ大したことないです。全部受け売りです」 そう受け答えしながら、内心ニヤニヤがとまらない私がいる。「そんなことも知ってはんの!やっぱり先生はすごいなぁ」なんて言われた日には、口角を戻すのに 1 日かかる。中Ⅰ担任を拝命し、 1 ヶ月ちょっとが経った今、そんな機会が多くなってきている。 知識を蓄えれば蓄えるほど、頭が良くなった気になり、周りよりも賢く、偉くなった気分になる。そうして、自分で発見したわけでもない受け売りの知識をさも自分の手柄のようにひけらかし、分かっていなさそうな生徒に「大丈夫か?分かるか?」と気を使っているふりをしながら、自己満足な授業を繰り返している私がいる。全く「まことのこころ」を見失っているのは誰のことなのか。 さらにタチの悪いのは、「私は何でも知っている。分かっている」という自分の価値基準を中心とした尺度を疑わない思い込みこそが、自分の都合を拠り所とする迷いの世界に生きている私であるという、身の自覚を妨げているのかもしれませんねなどと方々で話して回っているということだ。 学べば学ぶほどに、知識を蓄えれば蓄えるほどに「ひけらかしたい」という叫びを抑え込むのに必死で、それを抑えきれずにどんどん傲慢になっていく私がいる。その結果、これは善い、あれは悪いなどと自分の価値基準によって判断し、分かったようなつもりになっていることにも気付かず、自分の傲慢さには目も向けない毎日を送っている。時折こうして立ち止ま

善を積んで自分を見失うこともあれば悪に触れて目が覚めることもある善悪の二つ人のためならず

今週の一週一言                                   12 月3日~12月9日 「善を積んで自分を見失うこともあれば      悪に触れて目が覚めることもある  善悪の二つ人のためならず」    仏光寺八行標語 仏光寺八行標語 仏光寺の壁面に八行にわたって書かれている標語。 【如是我聞】  善いことはなるべくした方がいい、悪いことはなるべくしない方がいい。これならば、私は大変わかりやすく読めます。しかし、そうではないのです。  善いことをしている自分、、、と考えてみると随分と偉そうな態度を取っている自分が目に浮かびます。例えば、私の授業を受けている生徒はよくわかると思いますが、宗教の授業の私は暗い男です。しかし、ごく稀に元気な時があります。この元気な時はどういう時かと言いますと、自分に自信がある時なのです。自分に自信があり、教壇に立って偉そうに良いことを言っていると思っている時なのです。こういう時ほど、人間は危険です。ある人が仰っていました。「自分が正しいことをしていると思っているときが一番危険だ」と。そして、「自分が悪いことをしているという意識が無いからね」と続くのでした。これを言われたとき、私は何も言えませんでした。(心の中ではうるせぇとは言っていましたが、、、)  これ程までに自分に無自覚なのです。誰かに言われないと気付きませんし、一回や二回言われたぐらいで良くなるような私でもありません。頑張ることや自信を持つということ自体は当たり前に大切です。しかし、頑張れば頑張った分、自分を自慢したくなり、時には頑張った自分を元気に、そして偉そうに語ります。そして、時には頑張って疲れているアピールとして暗い顔もします。こんな私です。 しかし、こんな自分を「アホ、結局すべて自己満足じゃないか」と喝を入れてくれる人がいるのです。それが先生、先輩、友人です。自信満々な私、自信が無く暗い顔をした私、このどちらも「お前の自己満足だ」と打ち破られるその時に、「あぁそうだった」と不思議にも喜びが起こってくるのです。 無意識に心の内では、何に対しても善悪をつけている自分がいるのではないでしょうか。元気な私が善、暗い私が悪、というようなものです。逆も言えますが、自分の都合に合うものは善

誰かがぼくの敵であろうとも、べつにぼくが その男の敵にならなくてはならぬということはない。

今週の一週一言                                   誰かがぼくの敵であろうとも、べつにぼくが その男の敵にならなくてはならぬということはない。                            ローベルト・シューマン[ 1810-1856 ] ・・・ドイツの作曲家。指の故障により、ピアニストから作曲家に転身した。                         代表曲:「ピアノ協奏曲」・「子供の情景」・「謝肉祭」など 【如是我聞】  僕は東北の岩手県から関西にやってきた。気づけばもうすぐ17年。関西に住めて良かったなあと思う一人である。正直はじめは関西の独特の文化になじめず、苦手意識があった。吉本新喜劇も笑えなかった。とはいえ、友人が出来ないと寂しいので、どうすれば関西に溶け込めるかを考えた。そのなかで新しく覚えた言葉が次の三つである。 一つ目が「ノリ」。「今日どういうノリでいく?」とか「そのノリむずいわ~」とか、とりあえず「場の雰囲気あるいは勢い」というニュアンスで使われているようである。おそらく関西人にとって「ノリ」がいいのは当たり前で、いまどういう「ノリ」なのかを察知することが肝要なのだと思った。また、関西人は集団性を重んじる。しばしば「フリ」というのを仕掛けられ、皆それにうまく返そうと努力を惜しまない。恐怖の集団性である。「面白さ」は一人では味わえないという素直な感性が、関西人の「ノリ」の原点にあるような気がする。   二つ目が「ネタ」。あるとき僕は、流行りに乗って購入した電子辞書を雨から守るために、防水のリュックを買った。数日後、中に入れていたペットボトル(2ℓ)の水がほぼ全てこぼれるという事態になり、電子辞書がつぶれてしまった。普通のリュックであれば水が外に漏れて電子辞書は無事だったかもしれない。しかし、防水機能がいかんなく力を発揮して水を外に漏らさなかった。守りたかった電子辞書が水没してしまい、ただただリュックの防水性だけが証明されるかたちで幕を閉じた。岩手弁で言うと、電子辞書ほんにおもさげねえ、である。良かれと思ってやったことが悪い結果をもたらすやつだと思った。このドジった話を大阪の友人にしたところ、すごく笑ってくれたのだが、「それってネタやろ!(

人間は教えている間に学ぶ

今週の一週一言                                    9 月10日~9月16日 人間は教えている間に学ぶ       セネカ セネカ(紀元前1年頃‐65年)・・・ローマ帝国の政治家、哲学者、詩人。第5代ローマ皇帝ネロの幼少期の家庭教師としても知られ、治世初期にはブレーンとして支えた。ラテン文学を代表する人物でもある。 【如是我聞】 それにしても去年の春頃の「教えることは二度学ぶことである」に似たフレーズである。意味も多分同じところを示すのだろうけど,少し違いもあるかもしれない。 この言葉をもっとも実感する機会が多いのは,やはり教員であろう。というか私のような教員であろう。そして,そのことを最初に感じたのは,やはり教育実習であった。  教育実習生は毎年本校にもやってくる。年齢が近いこともあって生徒たちの心を掌握し,最新の知見を学びたてなところで,我々からみてもうらやましいくらいの授業展開を成し遂げていく実習生がいる一方で,あきらかに教育実習をなめている実習生もいる。私にも思い出がある。もちろんなめていたつもりはないのだが,なめているとしか思えない理解をしていたのだ。それは,「こんなことは高校生ならちょっと説明すればわかるはずだ」という考え方である。少なくとも高校時代の自分にはわかった,というのがその根拠である。そしてそんな実習生たちは,その授業に対してぽかんとしている生徒たちを教壇から目の当たりにして自分の考えの浅はかさを知るのである。  その場で何とか修復をはかる。さっきの説明が通じないなら,この説明でどうだろうか…と次のたとえ話を展開する。そんなたとえ話がすぐに思いつけたら,そしてそれが生徒たちの理解につながればいいのだが,つながらなければまさに泥沼である。恥の上塗りとはこのことだ。教育実習だから,ベテランの先生が後ろで見ている。焦りばかりが募っていく。研究授業じゃなくてよかった。ともかく教育実習では,生徒を教えに行っていたはずなのに,「わかるはずだではわからない」という大事なことを学んだのが当の私であった。教えていなければ学ぶこともなかったに違いない。  考えてみれば,「わかるはずだ」ではわからないから教師がいるのである。そしてわからないことをわからないと気づかせるこ

俺の敵は だいたい俺です(宇宙兄弟「作者:小山宙哉」の主人公のセリフより)

今週の一週一言                                   6 月25日~7月1日   俺の敵は だいたい俺です                      南波 六太  南波 六太 ・・・マンガ『宇宙兄弟』 ( 作者:小山宙哉 ) の主人公。兄弟そろって宇宙飛行士になるという夢を幼少期に誓ったものの、天才的な弟と自分を比べ、自分の能力を信じられずネガティブ思考に陥りがちな青年。この失業という挫折のさなか、幼い頃弟と誓い合った夢を取り戻し、奮闘している。 【如是我聞】 定期的に地球からも肉眼で確認が出来る ISS (国際宇宙ステーション)の光を見る。これは、宇宙兄弟の主人公である兄弟、六太(むった)と日々人(ひびと)が、幼い頃「兄弟そろって月に立つ」という夢を誓い合い、ルーティンにしていたことである。私自身も六太と日々人と同じように、宇宙を夢見て ISS の光を追いかけていた時代があった。そんな私に六太と日々人はたくさんのことを教えてくれる。 幼い頃に持った大きな夢。大きくなるにつれて、いつのまにか薄れてしまい、自分が「現実的だ」と思う夢にシフトチェンジしてしまう。最初は、「趣味でいいや」から始まる。気づけば、幼い頃に得意なことがあったこと自体忘れてしまっている。きっと、中学、高校、大学…年齢を重ねるごとに、自分よりもそれを得意とする人にたくさん出会う中で、私の中にいるネガティブな小人さんたちが体中を駆け巡り、無意識のうちに目を背けてしまったのだろう。 迷ったときはね 「どっちが正しいか」 なんて考えちゃだめよ 「どっちが楽しいか」 で決めなさい 天文学者のシャロンが六太に放ったこの言葉が、将来について考えていた学生の私にヒントをくれた。「何が正解か」を求めて必死に試行錯誤していた自分が恥ずかしくなった。 俺の敵は だいたい俺です 様々な試練を乗り越え、ついに宇宙飛行士候補生となった南波六太 ( なんば むった ) が発した言葉である。六太の訓練教官であるビンセンス・ボールドに「(宇宙を目指す上で)君にとっての敵は誰か」と聞かれ答えた。この言葉の後、六太はこう続ける。 自分の‘宇宙に行きたい’って夢を さんざん邪魔して 足を引っ張り続けたのは

噂とはいいかげんなものだ。たいていの噂の方がよくできている。

今週の一週一言                                   6 月15日~24日 噂とはいいかげんなものだ。たいていの噂の方がよくできている。                       映画『ワイアット・アープ』 『ワイアット・アープ』・・・ローレンス・カスダン監督、制作、脚本による1994年のアメリカ映画。西部開拓時代の保安官であるワイアット・アープをケビン・コスナーが演じている。 【如是我聞】 「噂とは口へんに尊ぶと書くが、あんまり尊ぶようなことは言わんもんや…」  上方落語『つる』の冒頭で、甚兵衛はん ( 「じんべはん」と発音。ご隠居さん的な人物 ) が訪ねてきた男に「 ( 若いものの間で ) アンタの噂が出てましたで」と言われたときに返す一言である。噂というものの本質を射抜いた言葉であろう。  自分の噂が気にならない人はいないと思うが、甚兵衛はんの言うとおり、たいていは「尊ぶ」ようなことは言われていないと考えておいて間違いはない。噂とは「その場にいない人についてあれこれ話すこと」だから、話す人のほうに遠慮はない。当人の前では話せないようなことでも、おかまいなしである。自分が誰かの噂ばなしをしているときを思い起こしても、「あの人は実に立派な人で…」なんてことはまず言っていない。(ちなみに、甚兵衛はんは「盗人かもしれん」と言われている始末である。)  ただ、噂というものはすべて真実が語られているかというと、そんなことはなさそうである。その場限りで無責任に語られることが多いだけに、根拠が薄弱な場合も少なくない。話を面白くするために、いわゆる「盛る」ことが行われることも珍しくなかろう。あまり噂を鵜呑みにするのは考えものである。(かの山本リンダ女史も昔、「噂を信じちゃいけないよ…」と歌っていたではないか!)  これもある落語に出てくるセリフに、「馬には乗ってみい、人には添うてみい」というのがある。人というものは、第一印象だけではわからないものだ。初めは取っつきにくいと思っても、付き合ってみると案外そうではなかったなんてことがよくある…というほどの意味かと思うが、やはりその人の値打ち、真価というのは ( 当然のことながら ) 深く知り合ってみないとわからないということだ