一週一言インデックス

2015年6月26日金曜日

今から一年もたてば、私の現在の悩みなど およそくだらないものに見えるだろう

今週の一週一言
                                  月22日~6月28日

今から一年もたてば、私の現在の悩みなど
およそくだらないものに見えるだろう         

サミュエル・ジョンソン・・・17091784 イギリスの詩人・批評家・文献学者。シェイクスピアの研究で知られる。          


【如是我聞】

1年前に悩んでいたことって何だろう?自身を振り返って考えてみたが、何があったか、何に悩んでいたのか思い出せない。今回の言葉を読んでなるほどと感心した。本当にくだらないものだったのであろう。
悩みとはそのときの状況によって変わり、他人からすればどうでも良いような悩みもあれば、深刻で大きな悩みもある。前者は1年も経たずともくだらないものになるだろうが、問題なのは後者である。一人ではどうすることもできず相談できないとか、悩み過ぎて食事も摂れない、夜に眠れないといったようなことは誰もが一度は経験してきたはずだ。
何かに悩むということはそのことに対して真剣に考えているからであり、安易に考えているものではない。だからこそ、その問題を解決したときに人としての成長がある。そうして、人間としての自身の器を大きくしていった結果、1年経てば大したことなかったなと振り返ることもできるはず。安易に考えたり悩みから逃げてしまってはろくに解決もできず、自身の成長もない。
今回のサミュエル・ジョンソンの言葉は未来に向けて発せられているもので、これからの人生の中で出てくる悩みに対して勇気付けてくれる言葉だ。悩みの大小はあるが、真剣に考え、立ち向かってみてはどうだろう?そうすれば、1年後にはくだらないものに見えるのだから。


                                      (数学科:荒生)





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2015年6月16日火曜日

自分であれ そして忘れるな 自らを知る者に悲嘆はないことを

今週の一週一言              
月15日~6月19日
自分であれ
そして忘れるな
自らを知る者に悲嘆はないことを
マシュー・アーノルド(18221888) … イギリスの詩人、批評家。イングランドのサリー州北部スペルソーン・リールハムに聖職者の長男として生まれる。イギリス耽美派詩人の代表であり、文明批評家としても活躍した。ヴィクトリア朝時代における信仰の危機をうたった絶唱「ドーヴァー・ビーチ」が有名である。

 【如是我聞】 一昔前に、「自己実現」と言う言葉が流行のように飛び交ったことがあった。 自己実現とは本来、生きる上での究極の目標を定め、それに向かって自分の中にある可能性を最大限に発揮して、目標の実現のために努力し続けることだ。安易に、自分の考えを表明するとか、自分に合った仕事を見つけるとか、そういうことではない。まして、「これって、なんか違うんですよね」と言って、与えられた仕事を放り投げることではない。自分らしく生きることは、決して自分勝手に生きることではない。 そう考えると、「自分であれ」とは、なんと厳しい言葉であることか。そもそも、自分というものを知っている人間がどれほどいるだろう。仮に知っているとして、どれほどの人間が自分を見つめることが出来るだろう。人は生きる上で、役割を担っている。本当の自分をひた隠しにして生きているといっていい。その本当の自分が、ちっぽけだったりつまらなかったりしたら、そこから目を背けて自分を否定して生きることを誰が責められるだろう。 だが、マシューは言う。「自分を知る者に悲嘆はない」のだ。先にも述べたように、自己実現とは、生きていく上で、努力し続けることだ。ちっぽけな自分から目を背けず、為すべきことを為し、互いに助け合い、そして精進し続けることだ。 ちっぽけでいいんだ。つまらなくていいんだ。それがスタートなんだ。失敗してもいいんだ。悩んでもいいんだ。またやり直せばいいんだ。自分の失敗を見つめられないものに、成長はない。人の歩みを止めるのは、絶望ではなく、諦観。「もういいや」とあきらめたとき、人は成長を止める。さらに言えば、自分を見つめることが出来る者に、本当の絶望はない。その人は、きっとまた歩き続けることが出来るからだ。

 (国語科:林原)

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2015年3月28日土曜日

心得たと思うは 心得ぬなり 心得ぬと思うは 心得たるなり     蓮如上人

今週の一週一言                        3月23日~3月29日

心得たと思うは 心得ぬなり
心得ぬと思うは 心得たるなり
                          蓮如上人
蓮如・・・1415年京都生まれ、1499年没 真宗の僧侶。本願寺第8世、中興の祖。衰退の極みにあった本願寺を再興し、現代の本願寺教団(東・西本願寺)の礎を築いた。


【如是我聞】
 大学卒業後、20代のほとんどを東京で過ごした。その間、外国語を母語とする人たちに日本語を教える仕事に就いていた。
 3年目だったか、新任の講師の授業見学に入ろうと、あるベテランの先生に言われた。私はその授業を、「初めてにしては上手に教えておられるなあ」と思って見ていた。しかし、授業後に行われた反省会という名の指導で、そのベテランの先生が言った言葉はいまだに忘れられない。
  先生さ、「わかりましたか?」って、しょっちゅう生徒に聞いていたけど、何であんなことを聞くの?意味ないじゃん!
 そう言われて絶句した新任の先生は、少しして「じゃ、どうやってわかっているか確認するんですか?」と問い返した。その問いに、彼はこう答えた。
それを考えるのが、あなたの仕事でしょ。あとね、あなたしゃべり過ぎ。
あなたが日本語できるのはわかっているんだから、もっと生徒に話させないと。日本語を話せるようになりたいのは向こうなんだから、教師が授業中に半分以上しゃべっちゃだめだよ。
 反省会の部屋を出て、遠ざかる先生の背中を見ながら、彼は私にこう言った。
  「わかりましたか?」って聞かれてもさ、「もういいや」とか、「説明聞きたくない」とか、「次のことしたい」とか、もっと言ったら、「わかってないのを認めたくない」って思ったらさ、みんな「わかりました」って言うんだよな。
 「もうわかったから言わんといて!」。あれから20年がたち、もうすぐ中学生になる息子が、そういっては、母親の小言に反抗し始めた。そんな事をいうやつは、きっとわかっていない。

 私はここぞとばかりに、わかっている親を演じては仲を取り持とうと息子に近づく。すると息子が言う。「なんもわかってへんのにわかったようなふりせんといて」。ばれていたのはこちらの方であった。     (宗教・英語 乾)





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2015年2月9日月曜日

人生は不安定な航海だ

今週の一週一言              
月9日~2月22日
人生は不安定な航海だ

ウィリアム・シェイクスピア(15641616) … イングランドの劇作家、詩人。イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物。卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、最も優れた英文学の作家とも言われている。4大悲劇『ハムレット』・『マクベス』・『オセロ』・『リア王』をはじめ『ジュリアス・シーザー』・『夏の夜の夢』など多くの傑作を残した。

【如是我聞】
 シェークピアといえば、『リア王』・『ハムレット』・『ヴェニスの商人』など、その作品は数多あり、その才能には限りがないように思える。
 その有り余る才能の中で、「人生は不安定な航海だ」という言葉を残している。この言葉で、わたしが思ったのは、彼もさまざまなペルソナをもって生き抜いたんだな、ということ。
 彼の時代は、「ゴールデン・エイジ」とよばれるエリザベスⅠ世の時代で、政治・社会・経済とあらゆる活動がめまぐるしく変化した時代である。その中で、演劇という世界で自分を活かすためにあらゆる方面にさまざまな顔を見せなければならなかった。決して自分の純粋な心を開くだけでは、生き残れない時代であった思う。
 このシェークスピアの言葉を、現在の動きにあわせて解釈すれば、資本主義経済活動のなかで、毎日、自己の欲望を隠しながら、わずかな人々のために、日々搾取の対象と知りながら自己の肉体・知識を酷使し労働に励む者にとって、明日という日は見えていて見えない、それが連続して人生を形成する、ということになろうか。
 ひとは、他人を気にしながら自分の欲を満足させようとする。そのために、その欲を見られないように仮面をかぶり生きていく。仮面をかぶりながらも他人との接触を求める。さまざまな情報端末を駆使して、グローバルなつながりを求める。しかし、そのつながりは互いに仮面に隠されたつながりであり、決して心がつながっているわけではない。
 こうした世の中を生き抜くために、ひとはどこかでオアシスを求める。
 そのオアシスとは何だろうか。
あるひとは、純粋な愛と慈愛ではないか、という。
 そんなオアシスに出会ってみたい。


(社会科:熊木 哲)



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2015年1月26日月曜日

寒さにふるえた者ほど太陽をあたたかく感じる 人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る

今週の一週一言
月26日~2月1日

寒さにふるえた者ほど太陽をあたたかく感じる
人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る

ホイットマン (Walter Whitman

1819531日~1892326日 アメリカ合衆国の詩人、随筆家、ジャーナリスト。アメリカ文学において最も影響力の大きい作家の一人であり、しばしば「自由詩の父」と呼ばれる。

【如是我聞】

なぜこの言葉を選んだのか。後悔している。あまりに重くのしかかる言葉だ。辛くなる。
 冬の寒い朝に自転車で学校に向かう途中、柔らかな陽が射す通りを走ると「やっぱり太陽って暖かいんだ」って思う。それまで肩にガチガチ入っていた力がすぅって抜ける。でも、それは一瞬喜んだだけだ。もっと暖かいものを私は知っているから。ヒートテックのシャツ、ダウンジャケット、ふわふわマフラーを身にまとった私を、さらに快適な暖房がかかった職員室がこれから出迎えてくれるのだ。太陽のありがたみなんて「そういえば暖かいよね〜」ぐらいの小さなものになり下がってしまっている。どうしようもない寒さに心底震えることってないんだ。寒ければコンビニ行って温かいコーヒーや味噌汁飲めばいい。ホットカイロを買えばいい。
 だから、「人生の悩みをくぐった者ほど」ってあるけれど、「悩み」を「悩み」として受け取らず、適当にスルーして、自分をコンビニ的な喜びでごまかすことに慣れてしまっている「私」が人生とは?とか生命の尊さを語ることなんて難しくってできない(僧侶だけど)。想像の力を借りるしかないんだろうが、目の前のことをうまくやり過ごすことに精一杯のこの現状ではとほほである。はじめはなんとか語れると思ったんだけれどなぁ。親友が震災や戦争で亡くなっても、そのことが自分の問題となり切らない「私」である。日々の暮らしの中でごまかされ薄まっていく。このままでは、気がつかないうちに本当に大事なことを壊していきそうである。慎重にならないと。
(英語科:増田 亮)




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2015年1月14日水曜日

はだかにて 生まれてきたに 何不足 小林一茶

今週の一週一言              
月19日~1月25日
はだかにて 生まれてきたに 何不足

小林一茶(17631823) … 化政期の俳人。不遇な生いたち、長い放浪、晩年の家庭苦などを独自の俳風で詠み、「庶民派の俳人」として今なお評価が高い(長野県でその名に接する機会の多さといったら!)。故郷柏原村(現信濃町)は野沢温泉村と同じく北信州の山中にある。
【如是我聞】
  冬休みの間、我々が逗留している野沢温泉村の一角に「十王堂」はある。地獄の審判たちを祀った祠のことである。ほの暗い光の向こうから睨みつける閻魔王。笑いを浮かべる奪衣婆。他にも温泉を守る十二神将など、この村には容貌魁偉な御柱が多く在る。かくも恐ろしい神々に護ってもらわねばならぬほど、北信州の冬は過酷なのだ。
学生時代、宿のおかみさんに江戸期の古文書を見せてもらったことがある。こんなところにも人は住む。生まれ、成長し、仲良くし、いがみあい、子供を育て、死んでゆく。連綿と続く営みに思いを馳せると、目が眩むような心地がしたのを覚えている。
十王堂を出ると、数々のネオンと、食べ物屋、土産物屋が目に入る。ひところのスキーブームから思えばさびれているのだろうが、それでも多くの人々が談笑し、温かいおやつや土産物を買っている。近年は特に白人が多く、小雪とともに英語が舞う。
  温泉では、世界各地から集まったおっさんたちの愚痴が響く。今冬の大雪について。続く地方の不景気について。欧州のスキー場のサービスの悪さについて。湯煙の向こうの声を聞きながら、ここ数日で聞いた部員たちの文句を思い出す。この雪で練習はありえない。板が滑らない。腰が痛い。手が凍る。しんどい。寒い。
そして思う。みんな、楽しんでるなあ、と。
  一茶の句の中には、雪国の厳しさと生きる辛さを重ねて詠んだものが多くある。「人間は皆はだかで生まれてきたのだから、そのままで何も不足はないはずだ」というこの句は直接雪とは関係ないが、数々の生活苦を抱えてきた彼が、自分を励ますために詠んだものではあるだろう。
生きる辛さも、自然災害もなくなることはない。しかしそれでも我々は自分から望んで、わざわざ極寒の地に来て、この過酷なスポーツを楽しんでいる。まったく、なんて大変な贅沢だろう。むろん、我々ははだかではない。暖房設備。保温繊維。資金。不在への理解。スケジュールの調整。様々な世話。仕事の肩代わり。先人と、周囲の皆の温かい知恵と心遣いに包まれて、我々は今ここにいる。
  数日ぶりに晴れ間の出た1230日に、この文章を書いている。まもなく中ぐらいにめでたい正月がやってくるだろう。雪五尺を圧雪したコースでゲレンデで、皆は戦うだろう。温暖化のはずが今冬はおどけもいえぬ信濃空だが、その空を見ながらこの句で締めておきたい。

うつくしや 年暮れきりし 夜の空                            (スキー部 奥島)




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2014年12月2日火曜日

過って改めざる これを過という

今週の一週一言
                                  12月1日~12月7日
 過って改めざる これを過という
『論語』衛霊公29
           
『論語』・・・孔子とその高弟の言行を、孔子の死後、弟子たちが記録した書物。『孟子』・『大学』・『中庸』とあわせて、「四書」の一つに数えられる。


【如是我聞】
人は誰しも生きていれば過ち(失敗)を犯す。失敗の内容にも小さいものから大きなものまでいろいろあるだろうが、とにかく失敗をしない人間なんていないだろう。よかれと思ってやったことが裏目に出てしまうなんてこともいくらでもある。
「失敗は誰だってするのだ。肝心なのはその後だよ。その失敗を反省し、どう改めて次に生かすかを考えなさい。失敗をそのままにして同じ失敗を繰り返すことを真の失敗というのだよ。」孔子という人物が実際どんな人だったのかは知らないが、きっとそんなふうに弟子に語ったのではないだろうか。
孔子が後継者として考えていたと言われる愛弟子に顔回という人物がいる。この人物を私が知ったのは高校時代に読んだ酒見賢一氏の『陋巷(ろうこう)在り』という小説である。とても魅力的な人物として描かれており、以来、教科書や参考書で目にした『論語』の中に顔回の名を見つけては「ああ、あなたはここにいたのね」と勝手に親しみを持っていた。記録によると顔回は質素な生活をし、謙虚で苦労を厭わず、怒りを表すこともなかったというよくできた人物であったようだ。孔子は彼を「過ちを(ふたた)びせず(同じ失敗を二度と繰り返さない)」と評価している。なんと優秀な人物であろうか。大学生にもなってクラブの先輩から「先生に一度注意されたことは二度と同じことを言わせちゃダメなのっ!!」と語気も荒く叱られた経験のある私とは雲泥の差である。
今でも私は要領の悪さゆえにギリギリに仕事を片付ける羽目に陥るという失敗を嫌というほど繰り返している。生徒には日頃「同じ失敗を何度も繰り返すな」と言う一方で、私自身は真の意味で反省をしていないのだとげんなりする。そんなことで「過って改めざるこれを過ちという」は私にとって耳の痛い言葉である。
もう一つ、『論語』の「過ち」に関する有名な言葉「過ちては(すなわ)ち改むるに(はばか)ることなかれ」というのも思い出される。せめて面目などにこだわることなく、「過ち」に気づいたならば素直に直せる人間でありたいものである。

(国語科:須田




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2014年11月17日月曜日

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし  師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし

今週の一週一言
                                  
11月17日~11月24日
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 
師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし      『正像末和讃』
親鸞聖人   1173~1262。幼少の頃出家し、比叡山延暦寺に学ぶ。29歳の時、山を下り、法然の門弟となる。法然に連座して越後に流され、赦免後は常陸に住み、多くの人々を教化する。晩年は京都に戻り、『教行信証』などの著述に専念した。
【如是我聞】2014.11.21.Ⅵ年3組  担任からの手紙  高校生活最後の報恩講に際して
2008年11月21日(金) 報恩講 多田前校長の講話から
『宿 題』
今日の宿題は つらかった 今までで いちばんつらい宿題だった
一行書いては なみだがあふれた 一行書いては なみだが流れた
「宿題は お母さんの詩です。」
先生は そう言ってから、「良子さん。」と 私を呼ばれた
「つらい宿題だと思うけど がんばって書いてきてね。
お母さんの思い出と しっかり向き合ってみて。」
「お母さん」と 一行書いたら お母さんの笑った顔が浮かんだ
「お母さん」と もうひとつ書いたら ピンクのブラウスのお母さんが見えた
「おかあさん」と言ってみたら 「りょうこちゃん」と お母さんの声がした
「おかあさん」と もういちど言ってみたけど もう 何も 聞こえなかった

がんばって がんばって 書いたけれどお母さんの詩はできなかった
一行書いては なみだがあふれた 一行読んでは なみだが流れた 
今日の宿題は つらかった 今まででいちばんつらい宿題だった 
でも 「お母さん」と いっぱい書いて お母さんに会えた
「お母さん。」と いっぱい呼んで お母さんと話せた
宿題をしていた間 私にも お母さんがいた       

 つい先日、お母さんを病気で亡くした小学校6年生の中村良子さんの詩です。
 多田先生にお願いしたところ、早々にこの詩のFAXを送ってくださいました。
家の人にも読んでもらってください。    報恩講はこういう一日なんですね。

(数学科:常富)


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2014年11月5日水曜日

百聞不如一見

今週の一週一言
                                  
11月4日~11月9日
   百聞不如一見             『漢書・趙充国伝』より
『漢書』・・・後漢の歴史家班固が著した前漢の正史百巻。西暦八十二年頃成立。
【如是我聞】
皆さん、一度は聞いたことのある「百聞は一見に如かず」です。漢字から直訳すると、意味は「百回聞くよりは一回見た方が良い」となるわけですが、「他人から聞く」「自分で見る」という視点が入って、「他人から聞くよりは自分で見る方が勝る」という意味合いで使っている人も多いと思います。(百と一の割合は、そこまで・・・・と思うのは私だけ?)
 漢書の原文はこの「百聞不如一見」で終わりなんですが、実は続きがある、というより、おそらく日本に渡ってからひと工夫した人がいたのでしょう、こう続きます。「百聞不如一見」の後に、「百見不如一考」「百考不如一行」「百行不如一果」。つまり、簡単に不等号を使って表すと、「聞く」<「見る」<「行う」<「結果を出す」となります。私のこの4行の解釈は、「見る」で止まるな、行動に移せ、結果を出せ、という脅迫的な意味ではなく、「結果」には様々なプロセスとご縁がある、という逆からの見方で、4つセットを大切にしています。
 昨今、和食に代表されるように、先祖代々の先輩たちが築いてきて下さった「和」の文化の素晴らしさが取り沙汰されていますが、こういった一歩踏み込んで更に工夫する能力は、次世代に受け継いでゆかねばなりません。
では、私もこの4行に一歩踏み込んでみることにしましょう。最初の「百聞不如一見」の前に、「自分の殻に百回閉じこもって考えるよりも一回人の話を聞く」、つまり、「百閉不如一聞」。また、最後の「百行不如一果」の後に、「自分に対する百回の結果よりは、他人に対する一回の奉仕(行い)の方が・・・・」。ここまでいくと、漢字でどう表したらいいかわかりません。
ただ、こんなふうに考えていくと、最初の行き着く先も最後の行き着く先も、同じところのような気がしてなりません。私は仏教を深く勉強したわけではありませんので、使い方はおそらく間違っていると思いますが、「無」という漢字が一番近いような気がします。

更に更に、数学の一教師の端くれとして、これを数字の世界に当てはめてみると、+∞と-∞は同じ実体のように思えてくるから不思議です。        (数学科:梅垣)


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2014年11月1日土曜日

人の交わりにも季節あり

今週の一週一言              
1027日~112
人の交わりにも季節あり

南方熊楠(18671941・・・和歌山生まれの植物学、民俗学、博物学者。18言語を解し「歩く百科事典」と呼ばれ、菌類の研究では新しく70種を発見した。自然保護の観点から神社合祀令に反対運動を起こし、日本における“エコロジー”の先駆ともなった。

【如是我聞】
 私が小さかった頃、まだ、自分がそうであるなら他人もまたそうであるのだと思っていた頃、私は母に尋ねたことがある。「どうして同じクラスに誰がいたのか覚えてないの」と。小学生だった私は、当時のクラスはもちろん、何年生で誰と一緒だったか、全てはっきり覚えていた。なぜならクラス全員が“友だち”だったから。母は困った顔で笑っていた。
 最近、ふと心配になることがある。仕事を始めてから、友人に会うことがめっきり減ってしまった。忙しいから、日が合わないから、休日は少しでも休みたいから。なんだかんだと理由をつけて断ることも多く、連絡の返信も途絶えがちである。友人に会いたくないわけではない。が、すべての友人と遊ぶ気力もない。だから会う人、会わない人とだんだん線引きがなされていく。このままではいつか、せっかくの友人がいなくなるのではないかと、ぼんやり不安に思うのである。
その昔、南方熊楠は、留学先のロンドンで亡命中の孫文に出会った。意気投合とはこのことで、「三日にあけず」頻繁に会い、議論を交わした。孫文は熊楠のことを「知音」(親友)と記し、熊楠の帰国後は、和歌山で再会もしている。その後、孫文は中国で革命を成功させたが、その来日の際、熊楠はあえて面会しなかった。「小生孫氏に対し何一つ不都合・不義理なことありしにあらず、ただ人の交わりにも季節あり」、熊楠はこう記したという。
人の縁とは不思議なもので、どこに転がっているか、どれが続くか全く分からない。高校の頃、“友だち”は私の中で少なくとも3種類あった。休み時間を一緒に過ごすグループ、放課後だけ教室に集まるメンバー、それからクラスは違えど3年間の大親友。現在も頻繁に会うのは放課後メンバーで、「不思議だね、私たちが続くなんて。休み時間に一緒にいることなんて一度もなかったのに」と会うたび言っている。休み時間グループの友人とは、34年に一度会うくらい。それでも途絶えていない。それより何より不思議なのが親友で、卒業以来たったの一度しか会っていない。今でもしょっちゅう彼女を思い出し、懐かしむのにもかかわらず、だ。

今の私は小学校のクラスメイトをほとんど覚えていない。けれど、いつか再び交わることもあるのだろうか。「人の交わりにも季節あり」。熊楠と孫文に、3度目の春はどうやら訪れなかった。私と親友はどうだろう。長い、本当に長い冬が続いている。だがなぜか、彼女と再会する春がやがて来るのだろうと、私はずっと思っている。なんの確証もないけれど、季節はやはり、めぐるのだ。   (社会科 草地)




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内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目

一週一言 9 月 4 日~ 9 月 10 日                                   内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目 鈴木章子    鈴木 章子 ( あやこ ) ( 1...