今週の一週一言
6月15日~6月19日
自分であれ
そして忘れるな
自らを知る者に悲嘆はないことを
マシュー・アーノルド(1822~1888) … イギリスの詩人、批評家。イングランドのサリー州北部スペルソーン・リールハムに聖職者の長男として生まれる。イギリス耽美派詩人の代表であり、文明批評家としても活躍した。ヴィクトリア朝時代における信仰の危機をうたった絶唱「ドーヴァー・ビーチ」が有名である。
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【如是我聞】 一昔前に、「自己実現」と言う言葉が流行のように飛び交ったことがあった。 自己実現とは本来、生きる上での究極の目標を定め、それに向かって自分の中にある可能性を最大限に発揮して、目標の実現のために努力し続けることだ。安易に、自分の考えを表明するとか、自分に合った仕事を見つけるとか、そういうことではない。まして、「これって、なんか違うんですよね」と言って、与えられた仕事を放り投げることではない。自分らしく生きることは、決して自分勝手に生きることではない。 そう考えると、「自分であれ」とは、なんと厳しい言葉であることか。そもそも、自分というものを知っている人間がどれほどいるだろう。仮に知っているとして、どれほどの人間が自分を見つめることが出来るだろう。人は生きる上で、役割を担っている。本当の自分をひた隠しにして生きているといっていい。その本当の自分が、ちっぽけだったりつまらなかったりしたら、そこから目を背けて自分を否定して生きることを誰が責められるだろう。 だが、マシューは言う。「自分を知る者に悲嘆はない」のだ。先にも述べたように、自己実現とは、生きていく上で、努力し続けることだ。ちっぽけな自分から目を背けず、為すべきことを為し、互いに助け合い、そして精進し続けることだ。 ちっぽけでいいんだ。つまらなくていいんだ。それがスタートなんだ。失敗してもいいんだ。悩んでもいいんだ。またやり直せばいいんだ。自分の失敗を見つめられないものに、成長はない。人の歩みを止めるのは、絶望ではなく、諦観。「もういいや」とあきらめたとき、人は成長を止める。さらに言えば、自分を見つめることが出来る者に、本当の絶望はない。その人は、きっとまた歩き続けることが出来るからだ。
(国語科:林原)
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