今週の一週一言
1月19日~1月25日
はだかにて 生まれてきたに 何不足
小林一茶(1763~1823) … 化政期の俳人。不遇な生いたち、長い放浪、晩年の家庭苦などを独自の俳風で詠み、「庶民派の俳人」として今なお評価が高い(長野県でその名に接する機会の多さといったら!)。故郷柏原村(現信濃町)は野沢温泉村と同じく北信州の山中にある。
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【如是我聞】
冬休みの間、我々が逗留している野沢温泉村の一角に「十王堂」はある。地獄の審判たちを祀った祠のことである。ほの暗い光の向こうから睨みつける閻魔王。笑いを浮かべる奪衣婆。他にも温泉を守る十二神将など、この村には容貌魁偉な御柱が多く在る。かくも恐ろしい神々に護ってもらわねばならぬほど、北信州の冬は過酷なのだ。
学生時代、宿のおかみさんに江戸期の古文書を見せてもらったことがある。こんなところにも人は住む。生まれ、成長し、仲良くし、いがみあい、子供を育て、死んでゆく。連綿と続く営みに思いを馳せると、目が眩むような心地がしたのを覚えている。
十王堂を出ると、数々のネオンと、食べ物屋、土産物屋が目に入る。ひところのスキーブームから思えばさびれているのだろうが、それでも多くの人々が談笑し、温かいおやつや土産物を買っている。近年は特に白人が多く、小雪とともに英語が舞う。
温泉では、世界各地から集まったおっさんたちの愚痴が響く。今冬の大雪について。続く地方の不景気について。欧州のスキー場のサービスの悪さについて。湯煙の向こうの声を聞きながら、ここ数日で聞いた部員たちの文句を思い出す。この雪で練習はありえない。板が滑らない。腰が痛い。手が凍る。しんどい。寒い。
そして思う。みんな、楽しんでるなあ、と。
一茶の句の中には、雪国の厳しさと生きる辛さを重ねて詠んだものが多くある。「人間は皆はだかで生まれてきたのだから、そのままで何も不足はないはずだ」というこの句は直接雪とは関係ないが、数々の生活苦を抱えてきた彼が、自分を励ますために詠んだものではあるだろう。
生きる辛さも、自然災害もなくなることはない。しかしそれでも我々は自分から望んで、わざわざ極寒の地に来て、この過酷なスポーツを楽しんでいる。まったく、なんて大変な贅沢だろう。むろん、我々ははだかではない。暖房設備。保温繊維。資金。不在への理解。スケジュールの調整。様々な世話。仕事の肩代わり。先人と、周囲の皆の温かい知恵と心遣いに包まれて、我々は今ここにいる。
数日ぶりに晴れ間の出た12月30日に、この文章を書いている。まもなく中ぐらいにめでたい正月がやってくるだろう。雪五尺を圧雪したコースでゲレンデで、皆は戦うだろう。温暖化のはずが今冬はおどけもいえぬ信濃空だが、その空を見ながらこの句で締めておきたい。
うつくしや
年暮れきりし 夜の空 (スキー部 奥島)
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