今週の一週一言 11月11日~11月17日 大悲無倦常照我身 源信・・・942~1017。平安中期の天台僧。若くして比叡山横川に隠棲し、 『往生要集』を著す。親鸞聖人は真宗相承の祖師として、七高僧の一人に 数えた。 【如是我聞】 中国、中唐の詩人 劉禹 ( りゅうう ) 錫 ( しゃく ) に「 聚 ( しゅう ) 蚊 ( ぶん ) 謡 ( よう ) 」という漢詩がある。聚は集まる、謡は歌の形式。つ まり「蚊がたくさん集まってブンブンいっているような歌」が「 聚 ( しゅう ) 蚊 ( ぶん ) 謡 ( よう ) 」だ。一匹いても気になって気になって仕方ないあの蚊がたくさんいるのだからたまったものではない。今なら防虫剤、殺虫剤が威力を発揮するところだろうがその頃はどうしたのだろう。 劉禹 ( りゅうう ) 錫 ( しゃく ) は蚊のことを言ったわけではなくて自分をあれこれ悪く言う人がたくさんいる。自分は悪くないのに、ということを訴えている詩ではあるが。 さて、人から嫌われる虫は時に「害虫」と呼ばれる。人に不快な思いをさせたり、農家さんを困らせたりするから「害虫」と呼ばれるのだが、虫自身は自分が害虫とはだ思っていないだろう。だから蚊は来なくてもいいのに何度でも人から血を吸おうとする。一方ミツバチなどは人に利益をもたらすため「益虫」扱いされることもあるが、これも子どもたちを育てるためせっせと蜜を集めているはずのミツバチからするとたまったものではないかもしれない。つまり「害虫」も「益虫」も人間中心の見方からの呼び名で、どちらも人間にいのちを奪われている。 「一切の生きとし生けるものは幸いであれ」と説く仏教の教えに照らすと人間の虫に対する行いはいかにも罪深い。そんな人間は、いや私は救われるのだろうか。阿弥陀仏の大いなる慈悲の心、大悲は罪深い行為をし、なおかつ救われることに疑問を持ってしまう我が身すら救おうとするという。私はそれをありがたいと感じるよりも慈悲を受けるにふさわしい自分か振り返る方に意識が向いてしまう。 (文責:宗教・国語科 佐々木)
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