今週の一週一言 5月30日~6月5日 会議は踊る されど会議は進まず シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール(1754~1838) 名門貴族・聖職者出身のフランスの政治家。外相としてウィーン会議の全権となった。各国の利害対立を利用して、正統主義の原則を提唱し、フランスの戦争責任をたくみに回避した。 |
【如是我聞】
世界史の資料集には左の風刺画がよく登場する。真ん中の三人は滑稽に描かれているが、この三人(左からオーストリア皇帝フランツ1世、ロシア皇帝アレクサンドル1世、プロイセン王フリードリヒ=ヴィルヘルム3世)の共通点は会議で領土の拡大を認められた皇帝たち。それで躍り上がって喜びを表しているのだろう。一番左に描かれ、壁にもたれながらさめた目で彼らを眺めているのがフランス全権で貴族のタレーラン。彼の立場は微妙で、踊っている場合ではなかった。ヨーロッパを大混乱に陥れた当事国としての責任を追及され、領土の割譲や多額の賠償金を要求される可能性が大きかったからである。
他国に多大な損害を与えたフランスはその責任を取るべきだという主張に対し、タレーランがフランスを守るために持ち出した理論を「正統主義」という。フランス革命以前のヨーロッパの姿が「正統」であり、領土や主権のすべてを革命前の状態に戻そうというものであった。フランスの領土は減らさないし、賠償金も払わない。なぜなら「ブルボン朝も被害者で、悪いのは革命である」という理屈である。確かに革命によって国王夫妻は処刑され(ちなみに王妃はマリ=アントワネット)、フランス貴族は特権を失い、土地や財産を奪われた。
結果的に各国の代表はタレーランの「正統主義」を受け入れた。国家間の利害対立よりもヨーロッパ貴族全体の権益を守るため、ヨーロッパのどこかで再び市民革命が起こらないように、国境を越えて貴族同士が協力するほうが得策であると判断したのである。タレーランの巧みな外交術により、フランスは救われた。
そんなことよりも私が気になるのは、この風刺画の作者のことである。墺・露・普の皇帝、国王をここまでバカにして、無事でいられたのだろうか。
(宗教・社会科 山田)
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