今週の一週一言 4月25日~5月8日 寂しさというのは、 自分の話を誰かに聞いてもらいたいと 切望する気持ちなのかもしれない 吉田 修一『悪人』 吉田 修一 長崎市出身の小説家。映画化もされた『悪人』を始めとし、『怒り』や『パレード』、『横道世之介』等、著作多数。 |
【如是我聞】
私が中学3年で、高校入試があと4日に迫った日だった。塾の自習室に籠って勉強をしていたら、父から一通のメールが届いた。それは曾祖母の死を告げるものだった。その日、私は初めて「死」というものを経験したが、正直、よく分からなかった。
曾祖母は和歌山県に住んでいて、毎年夏になると2週間近く滞在した。無条件に柔らかく包んでくれる曾祖母が大好きで、居心地がよかった。大阪から一人で電車を乗り継いで、和歌山の家に遊びに行ったこともあった。近くの本屋で本を買ってもらい、夏場は井戸で水を汲み、冷たい水の入った樽に足をつけ、何時間も本を読んだ。本を読み終わったというと、「もう、読んでもうたんか。」と呆れながらも、「私に似て本が好きやな。」と嬉しそうにまた、本屋に連れて行ってくれた。
曾祖母は、体調がすぐれなくなり、実家近くの大阪に移ってきた。学校から帰ってきたら、学校でのできごとをたくさん聞いてもらった。あんぱんが好きな曾祖母は、いつも私の分まで準備してくれた。それから数年後、長期入院することになった。中学3年生の頃は、学校からの帰り道に病院に行き、曾祖母の様子を確認し、親に報告するのが日課になった。
そして、高校入試の4日前、曾祖母はこの世を去った。初めての身内の死で、何も分からずただ親戚が慌ただしく動いているのを傍観していた。なぜか自分事として受け止められず、他人事のように見ていたような気がする。高校入試が終わり、落ち着いた頃、私は曾祖母が恋しくてたまらなくなった。会いたくて仕方がなくなった。気づけば曾祖母のことを考える時間が長くなった。
ある晩、曾祖母が夢に出てきた。二人で、実家の机で向かい合って座って、いつものように談笑していた。どんな会話をしたかは覚えていないが、私がたくさん話をして、曾祖母は優しくうなずいてくれていた。とても長い時間を二人で過ごしたような気がする。たった一晩の出来事だが、自分の中で区切りをつけることができ、前に進めるようになった。
(外国語科 崎中)