一週一言インデックス

2021年12月7日火曜日

たやすく 限界ということを口にする。 憎むべきはこの インテリ根性。

今週の一週一言

                              12月6日~12月12日

たやすく 限界ということを口にする。 憎むべきはこの インテリ根性。

 

矢代東村

18891952。略歴は本文参照。参考文献 小野弘子『父 矢代東村』、「法と

民主主義」20065-7月号、歌集『一隅より』『早春』『矢代東村遺歌集』、

DVD『楽聖ショパン』。なお穂波慶一先生のご協力をいただきました。

【如是我聞】

いつも少しは見知った人や言葉を選ぶが、今回は当初これが短歌ということさえわからなかった。詠者、矢代東村は自由律を愛した歌人で、前田夕暮に師事し、白秋、哀果らとも親交があった人物だ。

クリスマスの夜も近づきぬ丸善の二階には赤くたぎるストーヴ(大3)

明治22年、千葉の農村に生まれた彼は、上京して「都会詩人」と称した。若き日の歌のモチーフはモダンで洒落た西洋絵画、都市の情景や片思い。やがて教員生活の悲喜こもごもや、子どもたちと過ごす日々のきらめきが詠まれるようになる。後のことになるが、とりわけ長男を喪ったときの絶唱は胸をうつ。

  逮捕、急死、急死、急死、急死。ああ、それが何を意味するかはいふまでもない(昭8)

  しかし東村が最も知られるのは、大正11年に弁護士となった後の、治安維持法に抗した歌の数々だろう。生涯にわたって弱者への眼差しを失わなかった彼は、市民の思想を取り締まる権力の横暴が許せなかった。自らもいくつかの事件の弁護を請け負ったとされるが、その舌鋒が発揮されたのは主に文芸の世界だ。数々の社会運動の弾圧、無数の検束、拷問と虐殺への鋭い批判は、いつもその思いが三十一文字から溢れるかのように、流れる自由律で発表された。

  幼子は手に位牌持ち火の粉ふらす烈風の中父われを見ぬ(戦後発表)

  日中戦争のさなか、次第に厳しくなる言論統制。東村の歌も伏せ字や発禁を余儀なくされ、太平洋戦争突入後の昭和17年、とうとう彼自身、官憲の検束するところとなった。半年の拘留の間に何があったか。幸い弁護士資格は剥奪されずにすんだが、出所後は仲間の弁護に立つこともできず、思いを歌で表す場もなかった。無為の数年のうちに戦火は広がり、空襲で自宅は全焼する。

  つかつかと群衆の中わけゆきてその手握らむとすこの衝動を(昭22

  東村が再び本来の歌を発表できるようになったのは戦後のことだ。明るい日々と若き仲間との連帯を言祝ぐ自由律が甦り、それは昭和27年、彼が死去するまで続いた。「今週の一言」は亡くなる2年前に詠まれた連作のうちの一首で、当時封切られた映画『楽聖ショパン』の影響があるらしい。自らはパリへ逃げ、祖国ポーランドのために数々の「ポロネーズ」を作曲するも、圧政と戦う同胞を守れなかったショパン。この歌だけをみるなら若くして死んだこの音楽家に、かつての自分を重ねているようにもよめる。

 

  余談だが、評伝の末尾に幼少期から見慣れた歌誌の名があった。戦中に途絶え、東村が復刊に尽力した『勁草』── 母が半世紀の間かわりばえしない短歌を投稿しつづけ、一昨年ひっそりと終刊した小冊子だ。今回、自分とはまるで縁のない人物と思い調べていたが、最後にかすかな繋がりが見つかり面白かった。              (国語科  奥島  寛)





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