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人間が自分のことしか考えられなくなったら それが人間としての呆けなのです

今週の一週一言                                   3 月 8 日~ 4 月 4 日 人間が自分のことしか考えられなくなったら それが人間としての呆けなのです 早川 一光                                    早川 一光( 1924-2018 )   愛知県出身。堀川病院の前身となる診療所を創設。往診や訪問看護など在宅医療に力を入れた。 【如是我聞】 あ~あ、今日はついてない日だ~!  昨日、自転車に空気を入れたところなのに、なんと帰ろうとしたら、パンクしている。このまま置いて帰ることもできないし、小雨の中、学校の近所のモータースへ持って行った。そこの主人が手際よく直してくれたので、少し遅くはなったが、なんとか自転車に乗って帰ることができた。いつもなら買い物をして帰るが、小雨も降っているし、家にあるもので夕飯済ましたらいいやと思って、家の前まで来て、なんとポケットを触った瞬間、入れたはずの財布がない~。ぎょえ~。 確か、さっきモータースで修理代を払ったし、絶対に財布を持っていたはず。いつもなら鞄に財布を戻すのだが、まあポケットでもいいかとベンチコートのポケットに確かに入れた。記憶違いかと、鞄の中をいくら探っても財布は出てこない。どうしよう。もしかしたら、帰って来た道にまだ落ちているかも。 そう思うと、また自転車にまたがって、帰って来た道をゆっくり下ばかり見ながら戻っていった。もう真っ暗で、ほとんど何も見えない。自転車のライトだけを頼りに探したが見つからない。とうとう修理をしてもらったモータースまでたどりついたが、店はもうしまっていて聞くことができない。念のために店の看板を見ながら電話をしてみたが、留守番電話だ。とりあえず近くの人に「交番ありますか?」と尋ねると「この辺りにはないよ。」と言われ、あきらめて戻ることに。ところがなんと電動自転車のパワーが0になっている。最近、充電器の減りが早いなあとは思っていたが、まさかの0パワーとは。急な坂道なのに。こいでもこいでも進まない。電動自転車は充電されていなかったら、鉄の塊だ。真っ暗な道を鉛のように重い自転車をこぎながら、悲しいやら焦りやら、「最悪や~」しか出てこない。 なんとか交番までたどり着き、詳

今日の最大の病気は、ハンセン病でも結核でもなく、自分はいてもいなくてもいい、だれもかまってくれない、みんなから見捨てられていると感ずることである。

今週の一週一言 2 月1日~2月7日 今日の最大の病気は、ハンセン病でも結核でもなく、 自分はいてもいなくてもいい、だれもかまってくれない、 みんなから見捨てられていると感ずることである。 マザ-・テレサ( 1910-1997 ) マザー・テレサ カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創設者。 1979 年にはノーベル平和賞受賞。 コルタカで始まった貧しい人々のための活動は後進の修道女たちによって全世界に広められている。 【如是我聞】  小学校 2 年生のとき、マザー・テレサのドキュメンタリー映画を観るために母に頼んで大阪の映画館に連れて行ってもらった。当時、担任であったシスターが、マザー・テレサの話に興味を持った私にチケットをくださったからである。ところがその映画は字幕版で、読めない漢字が次々と出てくる。その度に母に読み方を聞いていたところ、段々と機嫌が悪くなっていった。それでも、わからないまま進んでいく状況に焦った私は、字幕をずっと読み続けて欲しいとお願いした。ついに母は我慢の限界、「もうそれ以上声を出すんじゃないよ!」という表情で怒りを表したので、私はそこで諦めざるを得なかった。母の機嫌はなかなか直らない、映画の内容は曖昧…しょんぼりしながら電車に揺られて帰った。  そんな苦い思い出のあるマザー・テレサの言葉に久々に触れた。多くの貧しい人々、病にかかり死を待つだけの人々を見届けていたマザーが思う最大の病気は、医学的なものではない。自己肯定感を持つことができなかったり孤独感を抱くという、体は元気な人間にでも起こりうることだ。真っ先に頭によぎるのは、我が子がこの最大の病気にかかりはしないか、という不安だった。考えてみれば、自分は忙しさを理由に子どもたちの話をしっかり聞いていなかったり、あれもこれもできないといけないという勝手な価値観を押しつけてしまっていたり…生きていてくれるだけでいい存在であることは間違いないはずなのに、その想いを充分に伝えられていない現実がある。我が子が自分のことを大切な存在だと思えるようにする、それは親である私の大切な使命だ。  先日、偶然にも小学校 2 年生の長女が「お母さん、マザー・テレサって知ってる?」と聞いてきた。学校の図書館

良くて当然、あって当然、もらって当然、うまくいって当然と思っている人には、すべてが不服と不満の種になります。

今週の一週一言                           2 月1日~2月7日 良くて当然、あって当然、もらって当然、      うまくいって当然と思っている人には、          すべてが不服と不満の種になります。       曾野 綾子 曾野 綾子( 1931 年~)  作家。カトリック教徒。文化功労者。 【如是我聞】 「当然」「当たり前」というのは、人によって違いがあります。自分が「当然」と思っていても、他にとって「当然」でないこともあります。国とか地域でも違ったりします。「当然」こうしてくれるだろう、「当然」こうなるだろう … と相手に期待をしすぎると、そうならなかったときに、「なぜ、どうして」と相手に苛立ったりすることがあります。 個々の「当然」を決めているのは、個々の中の「ものさし」だと思います。高校 3 年生のとき、クラスの中でちょっとした意見のぶつかり合いがありました。たしか、合唱コンクールか体育祭の話し合いの中だったと思います。「 1 年に一度の行事なんだからちゃんとやるべき」という気持ちと、「行事より優先したいことがある」という気持ちをどう配分するかでぶつかりました。片方の気持ちを優先すれば、もう片方を優先したい人が我慢することになります。 15 人という少人数のクラスでしたが、それぞれ 15 とおりの思いがあり、皆がただ、心の中でもやもやしていたと思います。クラスの空気が非常に重く、しばらく着地点が見出せずに過ぎていきました。「落としどころなんて見つからない、この嫌な空気のまま中途半端で当日を迎えるんだ」と私は内心思っていました。結局、半ば諦めも含んだかたちで準備が進んだように記憶していますが、そんな中で担任の先生から、「人によって当たり前は違う。自分の『ものさし』だけで物事を見て、気持ちを押しつけたり不満を言ったりするのはやめよう。」といった話が全員にされました。この「ものさし」という言葉が、今でも私の中に特に印象に残っています。 人と生活していく中で、私たちは、自身の「ものさし」と照らし合わせて、だいたい合っていればよしとする。しかし自分の「ものさし」に合わなかった時、自分の「当たり前」を押し通そうとすると、相手にとっても「当然」だろうと思い

汝自らを知れ そして汝自分であれ

今週の一週一言 12 月7日~1月3日 汝自らを知れ そして汝自分であれ 西光万吉 西光万吉( 1895-1970 ) 戦前の部落解放・社会運動家。全国水平社設立の中心的人物で、水平社旗の意匠考案および水平社宣言の起草者として知られる。 【如是我聞】 一年とちょっと前に「身の丈発言」により、長らく教育界を混乱に陥れた大学入試改革は、急速に収束に向かった。まだまだ混乱の渦中だが、それとは別の禍も加わって、すっかり色あせた感がある。多くの非難を呼んだ発言であったが、日本で一番田舎と言われる土地の出身者であった私からすれば、「入試なんてそんなもんだろ」という感想に過ぎなかった。  この世界に差別はある。様々な差別が取りざたされた一年だったが、もっと根源的な差別だ。スタート地点が明らかに違う。貧乏よりは金持ちの方がいいに決まっている。ブサメンよりはイケメンの方がいいに決まっている。ゴールに向かって、「ヨーイ・ドン」でスタートするが、スタート時期も違えば、スタート地点まで違うのがこの世の中だろう。理不尽この上ないが、しょうがない。 何度か身の程を知った一年だった。それは、自分があまりに無力で無能だと思い知ったことがあったからだ。なんだか一気に年を取った。  あなたはまだこれからの人なのだからと、優しく微笑みながらおっしゃって下さる方がいる。困惑した笑みで何か返そうとするが、返す言葉が見つからない。心の中では、いやいや僕はもうこれまでの人ですよと、再び身の程を思い知る。  身の程を知ってしまうと、これが自分の力だと分かってしまう。力の入れ所と抜きどころも分かってしまう。上手に流れに身を任せることを覚えてしまう。そして、身の程を知らない若者たちを、上から目線で笑ってしまう。身の程知らずにも夢や希望を語る若者が、滑稽に見えて仕方がない。   いやいや、違うって!身の程を知らないのは若いってことだろ。身の程を知れば知るほど、人間は年を取っていく。自分はこれだけの人間で、これだけのことしかできないから、それ以上のことはやらないって決めた時から、人間は年を取っていく。まだまだこれからですよと、私に語りかけてくれたのは、身の程を知るには、まだ早いでしょうってことだろ。  なんとなく分かっちゃいるん

どうすれば面白くなるのか 自分が変わることです

今週の一週一言                                   11 月30日~12月6日   どうすれば面白くなるのか 自分が変わることです 養老 猛司 養老 猛司 (1937 ~ )  解剖学者。東京大学名誉教授。『バカの壁』はベストセラーとなり、他にも『唯脳論』、『身体の文学史』など著書多数。 【如是我聞】  医者は医者でもガネ医者です。  お笑いの好きな神・ガネーシャが、再び降臨した。累計400万部のベストセラー『夢をかなえるゾウ』の4作品目が発売されたのである。自己中心的な、あるいは自己中心的に見えるその発言や行動の裏に、生きていく指針が見えたり見えなかったり。単純な自己啓発本とは違い「おもしろエッセイ」の味わいで読みすすめられる作品だ。  なるほどガネーシャは神様である。ゾウのような外見にもかかわらず、空中に浮かぶこともできれば、様々な姿に変身することができる。しかし、ガネーシャの教えはどこかに書いてあるようなものばかりであり、本人もそれは何度も相手に伝えている。そういう意味では、神様といっても「願いごとをかなえてくれる」存在とはいえない。  ではなぜ、ガネーシャが「夢をかなえるゾウ」といえるのか。それは、ガネーシャが指南をしている相手が、その教えを実行していくからに他ならない。たとえばガネーシャは「靴を磨け」という。たしかに靴は自分の行動を支えてくれるものだし、それに感謝をこめて磨くことも大切である。そういうところから、自分が一日、どのように行動したかをふり返るきっかけにもなるだろう。靴を磨くことで自分自身を労わることにもつながるかもしれない。靴磨きは、丁寧にやっていけば時間を取られるものだが、汚れを落としてふいておくぐらいなら、ものの数分でできる。やらない手はない。このようなことをくり返し、主人公は成長を遂げていくのである。  と、ここまで考えておいてやらない自分がいる。ただただ面倒だから。だが、そこを思い切って「えいやっ!」と動けば、意外に面白がる自分とも出会える。手間だと思うことが楽だと思えることもある。まずは自分ができそうなことから始めようか、と考える。そして私は「寝る前の10分でも読書をしよう」などと再びガネーシャの話の続きに目を

出遇うということの喜びを『報恩』という

今週の一週一言 11 月 16 日~ 11 月 22 日 出遇うということの喜びを『報恩』という 安藤傳融 安藤傳融…真宗大谷派の僧侶。 【如是我聞】 うぐいすが高らかに鳴いている。  毎年うぐいすのさえずりは聞こえてくるが、今年のうぐいすは、ひときわ声がいい。  例年のうぐいすが、「ホーホケキョ」と鳴くとしたら、今年のは「ルルルルルルルルルルル、ホーーーーーーッホケキョッ、ホーーーーーーッホケキョッ」と、長々とつづく艶のある鳴き声である。おまけに、三月の初鳴きから、五月初旬の今までずっと鳴いている。家の中のどんな音―洗濯機のお知らせやお風呂が沸きましたの音や家人の声やテレビの音―よりも、高らかである。  やはり、今年は生物界のもろもろが、活動的になっているのか。  生物界のもろもろに追随せんと、わたしも朝早くから活動を開始。  人の少ない五時ごろに散歩に出、帰ったら掃除をし、常備菜をつくり、仕事をし、早い昼を食べたらまた仕事をし、お腹がすくころに夕飯を食べ…、という生活をしているうちに、どんどん早寝早起きになってゆく。この頃は、午後八時に就寝、午前二時に起床、というペースになっていた。  午前五時くらいに起床、ということならば、少しいばった気持ちで人さまに言えるのだけれど、午前二時、というのは、よくわからないけれど、なんだか人聞きが悪いような気がして、誰にも打ち明けられずにいる。  …と思っていたのだが、新聞を読んでいたら、「平安の貴族は、夏ならば午前三時くらいに起床し、夜明けと共に宮中に上がっていた」と書いてあった。  なるほど、わたしは今、平安貴族と同じ生活をしているのか!  早速家族に、自慢する。「はぁ、そぉ」という反応しか得られないが、貴族なので、反応の良し悪しなどにはこだわらないのである。 新型コロナが日本にもしだいに広がりつつあり、外出の自粛が要請される毎日であった。  スマートフォンの歩数計を眺めると、一日に歩いた歩数が、五歩、二十二歩、百八歩、十六歩、というような日々が続いているので、家族全員で朝、犬の散歩に出ることを提案した。  そんないつも通りの朝、犬「ラオウ」と娘が目の前で事故に遭った。瞳は凍り付き、目の前が一瞬ぐんと遠ざかった。胸の肉

危機に直面するとものごとがよく見える

今週の一週一言 11 月 16 日~ 11 月 22 日 危機に直面するとものごとがよく見える スティーブ・ジョブズ スティーブ・ジョブズ( 1955-2011 )  アップル社の共同設立者一人。一度アップル社を追放されるも、業績不振に陥っていたアップル社にCEOとして返り咲き、見事に業績を回復させる。 【如是我聞】  おみそ汁をすすりながら、ふり返ってみる。今年ほど、年度終わりと年度はじめの予定が大幅に変わったことはなかった。まさに危機的状況である。それも世界規模で。国内でも様々な動きがあった。多くの企業で在宅ワークが求められた。同時に保育園や学童でも「在宅ワークをしている場合は預からない」という方針が出されたため、様々なひずみが生じた。「泣いたり騒いだりする子どもがいるなか、仕事(営業、動画撮影、企画書作成などなど)なんかできるかー」と、青年の主張よろしく叫んでいた中高年も、きっといたに違いない。だから、ジョブズ氏のことばを見聞しても「いやいや、危機に直面すると余計に周囲のことは見えなくなるよ」と反論したくなる。だが、おそらく氏は実業家や経営者といった視点での話をされているのだろう。そうすると、どうか。  うちのクラスでいえば、 zoom による面談をGW中に実施した。そこでは、ほぼクラス全員と、予定通りの時間に面談することができた。その後 zoom での S.H.R も順調で、設定がうまくいかずに入れなかったり、昼夜逆転して寝坊してしまったり、という生徒は10人中1人いたら多いぐらいだった。 Google classroom でも、日々の授業・課題と向きあってくれていた人が大半で、むしろ「オンラインによる提出のほうがいい」という声も上がった。そういう意味では、今までの当たり前を見なおす機会だったともいえるだろう。そしてこれがジョブズ氏のいおうとしていることではないか。つまり「危機になったときには、今までとは違う考えや行動ができる」ということである。ジョブズ氏も、自身がアップル社を追放されるときに「それなら違うことをやってやろう」と動き、またアップル社自身が危機的状況となり、ジョブズ氏に救いを求めてきたときにも思いきったかじ取りを行った。それらの行動は、平時でないからこそできたのかもしれない。

人間は相手が自分にとって何者か分からないから 友情も恋も愛も面白いんだよ

今週の一週一言                               10 月19日~25日 人間は相手が自分にとって何者か分からないから 友情も恋も愛も面白いんだよ                    『君の膵臓を食べたい』(住野よる) 住野 よる(すみの よる)  小説家。高校時代より執筆活動を開始。2014年、小説投稿サイトに『君の膵臓を食べたい』を投稿し、大きな話題となった。ペンネームの由来については、「教室のすみっこにいるような子の夜に創造性があるはずだという意味」と語っている。 【如是我聞】 ちょうど 1 年ほど前だろうか、食堂でお昼を食べていたところ、ふと「一週一言」が話題になった。「今回の○○先生のコメント、面白かったですよ」「そうそう、私も読みました」などと盛り上がっていたとき、ある先生から新たな「一週一言」の楽しみ方を教えて頂いた。 それは、内容を読みながら誰が書いたかを予測していくというスタイル。書いた人の名前が文章の最後に記されているので、読み終わったときに正解が明かされる。「案外当たりますよ」とその先生は楽しそうにおっしゃっていた。 それをお聞きし、私は「目から鱗」の思いだった。それまでの私は、真逆の読み方、つまり、書いた先生をまず確認してから、本文を読んでいたのだった。 「一週一言」の愛読者の一人として痛恨の極み。内容を楽しむだけでなく、作者を当てるというワクワク感まで味わえるなんて、2倍「おいしい」ではないか!というわけで、それ以来、必ずこの「作者当てスタイル」を実行している。(よろしければ、皆さんもぜひお試し下さい。) ちなみに最近の正答状況を記すと、1段落だけ読んで、答えを見事的中させたのが、チェーホフの言葉に触れた国語科のO先生の文章である。ご自分の体験をユーモラスに語りながら、しかも奥深い。O先生のお人柄そのままの内容だったので、すぐにピンときたのだ。 逆に、最後まで全く分からなかったのが、社会科のM先生だった。世阿弥の言葉について書かれていたが、「初心を忘れたくない」という誠実で真っ直ぐな姿勢が印象的だった。 O先生は、同じ教科、同じ校務分掌というアドバンテージがあることもあり、正解は当然といえば当然かもしれない。ただ、

同じ川に二度はいることはできない

今週の一週一言 10月12日~18日 同じ川に二度はいることはできない ヘラクレイトス ヘラクレイトス( B.C.540-480 )・・・古代ギリシアの哲学者。エフェソス出身。孤高の生涯を送り、「泣く哲学者」「暗い人」と称される。倫理の教科書的には「万物の根源(アルケー)は火である」「万物は流転する(パンタレイ)」という主張で有名。 【 如是我聞 】  むかしから川をみるのが好きでした。  ぼくの地元の石川県では、 霊峰 ( れいほう )   白山 ( はくさん ) から 手取 ( てどり ) 川 ( がわ ) や 梯 ( かけはし ) 川が流れ出ています。冬のあいだに降り積もった雪が、春になると 清冽 ( せいれつ ) な流れとなるのです。ぼくは中学生のころ、ときどき自転車を日本海までひとり走らせて、これらの川が日本海に流れ出る様子をながめに出かけたものです。日本海はこれらの川の流れを黒々と 呑 ( の ) み込んでいきました。  大学生のときは、京都の 賀茂 ( かも ) 川 ( がわ ) のほとりに下宿していたのですが、よく家から仲間とテーブルやら料理やらを持ち出して、ピクニックをしていました。気の置けない仲間との楽しいおしゃべり。それに飽きたらバドミントンやジャグリングをしたり。そしてまた日が暮れるまでお話を続ける・・・。よくもまあそんなに話すことがあったものだと今さらながら思うのですが、これもまた大学時代の良き思い出の一つです。  ほかには東南アジアを1カ月ほど旅したときに、ラオスという国でメコン川をスローボートで 遡上 ( そじょう ) するという経験をしました。古都ルアンパバーンを早朝に出発して、小さなボートで延々と大河を 遡 ( さかのぼ ) っていきます。ボートには乗客と、ついでに食料品やビールなどの商品が積み込まれています。川のほとりには地元の子どもたちが水遊びをしていたり、あるいは母親たちが洗濯している様子です。こちらが手を振ると、向こうも手を振ってくれました。そして・・・延々と小舟に乗ることおよそ10時間くらい経ったでしょうか、ちょうど夕陽が沈むころにメコン川上流の小さな村に辿りつきました。発電機で電気を起こしているような、そんな小さな村です。とりあえずメコン川のほとりに

初心忘るべからず

今週の一週一言                                    10 月5日~10月11日 初心忘るべからず 世阿弥「花鏡」   世阿弥…父である観阿弥とともに、能の大成者として知られる。 【如是我聞】 本校東側に「新熊野神社」がある。我々になじみ深いこの神社は創建のおり、後白河法皇が紀州にあった楠をご神木として境内に移植したと伝えられ、現在樹齢 900 年といわれる神木が祀られている。時は 1374 年、この新熊野神社で行われた猿楽能に室町幕府 3 代将軍足利義満が訪れ、その境内で舞う子の姿に目を奪われた。それが世阿弥である。当時 12 歳であった世阿弥はこれ以後、義満の援助を受け、猿楽能の芸術性を高めていく。 この話を聞いて、私は世阿弥に興味を持った。自分にゆかりがある人のように感じ、ファンになった。冒頭の「初心忘るべからず」は誰でも知っている言葉だと思う。この言葉が世阿弥の言葉だと知り、自分の座右の銘にしようと思った。「はじめの志を忘れてはならない」「初志を貫徹する」という意味で一般に使われているこの言葉は、調べてみるとそれだけではないことがわかった。彼の能芸論書『花鏡』の最後の段「奧段」には芸の奥義として以下のように記されている。   しかれば、当流に、万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。 この句、三箇条の口伝あり。 是非の初心忘るべからず。 時々の初心忘るべからず。 老後の初心忘るべからず。   世阿弥がいう「初心」とは、最初の志に限らず、人生の中にいくつもの「初心」があるという。「是非の初心忘るべからず」とは、若いときの失敗や、未経験による苦労によって身につけた芸(経験)は決して忘れてはならず、それが後々の成功の糧になるということ。「時々の初心忘るべからず」とは、歳と経験を重ねていく過程で会得した芸を「時々の初心」といい、青年期、壮年期、老齢期に至るまで、その時々に合った演じ方を常に初心の心で身につけ成長していくことが大切であるということ。「老後の初心忘るべからず」とは、老齢期には老齢期でなければわからない試練や葛藤があり、その芸風を新たに身につけることを「老後の初心」という。歳をとったから、経験があるから完成されたというこ