今週の一週一言 10月5日~10月11日 初心忘るべからず 世阿弥「花鏡」
世阿弥…父である観阿弥とともに、能の大成者として知られる。 |
【如是我聞】
本校東側に「新熊野神社」がある。我々になじみ深いこの神社は創建のおり、後白河法皇が紀州にあった楠をご神木として境内に移植したと伝えられ、現在樹齢900年といわれる神木が祀られている。時は1374年、この新熊野神社で行われた猿楽能に室町幕府3代将軍足利義満が訪れ、その境内で舞う子の姿に目を奪われた。それが世阿弥である。当時12歳であった世阿弥はこれ以後、義満の援助を受け、猿楽能の芸術性を高めていく。
この話を聞いて、私は世阿弥に興味を持った。自分にゆかりがある人のように感じ、ファンになった。冒頭の「初心忘るべからず」は誰でも知っている言葉だと思う。この言葉が世阿弥の言葉だと知り、自分の座右の銘にしようと思った。「はじめの志を忘れてはならない」「初志を貫徹する」という意味で一般に使われているこの言葉は、調べてみるとそれだけではないことがわかった。彼の能芸論書『花鏡』の最後の段「奧段」には芸の奥義として以下のように記されている。
しかれば、当流に、万能一徳の一句あり。
初心忘るべからず。
この句、三箇条の口伝あり。
是非の初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。
世阿弥がいう「初心」とは、最初の志に限らず、人生の中にいくつもの「初心」があるという。「是非の初心忘るべからず」とは、若いときの失敗や、未経験による苦労によって身につけた芸(経験)は決して忘れてはならず、それが後々の成功の糧になるということ。「時々の初心忘るべからず」とは、歳と経験を重ねていく過程で会得した芸を「時々の初心」といい、青年期、壮年期、老齢期に至るまで、その時々に合った演じ方を常に初心の心で身につけ成長していくことが大切であるということ。「老後の初心忘るべからず」とは、老齢期には老齢期でなければわからない試練や葛藤があり、その芸風を新たに身につけることを「老後の初心」という。歳をとったから、経験があるから完成されたということではなく、老齢期を迎えてこそわかることや、初めて習うことがあり、乗り越えなければならない芸の境地であるということである。まとめれば、初めてのことに取り組むときの新鮮な気持ち、初々しい気持ち以上に、自分の未熟さを忘れるな、つたなかったときのことを忘れるなということであろうか。つまり「初心」は一生続くということである。
改めて世阿弥の教えに共感し、座右の銘として心に刻んで生きていこうと思った次第である。
(社会科 宮川)
>>> トップページへ http://www.otani.ed.jp