一週一言インデックス

2017年2月27日月曜日

聞思して遅慮することなかれ

今週の一週一言
                                  月20日~2月27日
(もん)()して()(りょ)することなかれ
                           
親鸞[1173-1262・・・浄土真宗の宗祖。9歳から29歳まで比叡山で修行するも、下山の道を選んだ。その後、師法然と出逢い「()(しん)」したという。しかし、35歳のに師とともに弾圧をこうむり、罪人として越後に流された。流罪後は北陸・関東地方で伝道し、62、3歳の時に京都に帰った。90年の生涯をみると、生没の地、師との出逢いの地である京都よりも、他の地域で過ごした時期の方が長いことに気づかされる。
【如是我聞】
「仏教って変わった教えだなあ」。僕は大学の講義中にふと思った。それは、次のような話を聞いたからであった。ブッダが生きていた当時の仏教教団は、ブッダと同じ出家した者を中心に成り立っていた。ただし、生産活動を不要とみなした彼らは、生存に必要な最低限の食べ物などを、出家していない人々(いわゆる在家)の施しから得るしかなかった。もちろん等価交換ではないが(交換ですらないだろう)、出家者が、食べ物などを施してくれた人に直接できる行為は〝はなし〟であった。つまり、仏教は誕生したときから、出家しない・出家できない人々の支えになりつつも、それらの人々に支えられて存在する宗教だったのである。
こんな素敵な仏教にまつわる話を聞きながら、僕は思ってしまった。「じゃあもしも、世界中の人がブッダに憧れて出家したら・・・」。そうなれば、支えてくれる在家信者がいなくなるので、出家者たちは自給自足するのかな。でもみんな出家しているから子孫を残さない。となると、出家者全員の寿命がきたら人類は滅んでしまうんじゃないか??「ブッダを理想としているのに、みんながブッダのようになったら破滅しちゃうなんて、なんか変テコな教えだなあ」。講義後、このことを友人に話したら即座に一言。「そんなこと考えてどーすんの?まずブッダなれへんでジブン」。あっ!そっか!

悲しきかなや自分の妄想。勝手にもしもの話をふくらませて、肝心の自分と現実に考えが届いていなかった。そもそも、全ての人が同じ生活スタイルをすること自体おかしーべよ。ブッダも「人類みんな出家しろ!」なんて言ってないしね。変テコなのは僕でした。トホホ。
けれども、このとき僕は少しこだわって考えた。仏教はブッダ(釈尊)という「人」が「人」に説いた。そして、ブッダの死後も人々が繋げてきた「生」の歴史とともにあった。要するに仏教は、「人が生きること」のなかで意味を持つ教えなのだ。そこでハッと思った。では、仏教は人に、僕に、どのような〝生き方〟を指し示す教えなのだろう。
紀元前5世紀頃のインドという特定の状況のもとで成立した仏教。この教えは、時代や地域をこえて広く伝えられた。出家・在家を含めた教団のあり方も、ブッダの〝はなし〟を聞き伝えた人々の歴史を通じて多様に変化してきた。しかし、伝えられた〝はなし〟(経典など)に真摯に向き合った人々は、「仏教」と称された多くの教えのなかから、その本質を探したに違いない。僕が生まれた日本にも、伝わってから約1500年続く仏教の歴史があり、知っておくべき仏教者たちが何人もいる。ただ、僕は、僕の知りえたわずかな範囲で、やはり親鸞という人物の理解した仏教(真宗)に驚くのである。

「聞思して遅慮することなかれ」。これは、親鸞の主著『教行信証』のはじめの部分に出てくる言葉だ。「聞いて受け取った教えに対して、自らの計らい・疑いをあれこれ差し挟んではならない」というような内容だと思う。意訳しても、自分にとっての意味を考えるのは楽じゃない。でも、どうしても気になることがある――親鸞は何を「聞思」したのだろうか?――ひとつだけ言えるのは、親鸞がそれを「(せっ)(しゅ)()(しゃ)(しん)(ごん)(ちょう)()()()(しょう)(ぼう)」と表現していることである。ヒーッこれまた難しい。
とはいえ、おそらくこうなのであろう。親鸞は、「摂取不捨」すなわち「全ての人が平等に救われる」という〝はなし〟を、歴史世界を超えた真の教えとして「聞思」した。つまりは、その〝はなし〟を、自らの計らい・疑いを差し挟まずに受け取り、生き抜いたのだ。たとえ自分たちが、平等な救いとは無縁の弾圧にさらされても。だとすれば、僕は親鸞の〝生き方〟を、もっと知りたいと思わずにはいられない。

(文責:社会・宗教科 北畠 浄光)




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2017年2月13日月曜日

愛ゆえに人は悲しまねばならん 愛ゆえに人は苦しまねばならん

今週の一週一言
                                  2月13日~2月19日
愛ゆえに人は悲しまねばならん 愛ゆえに人は苦しまねばならん       サウザー
漫画『北斗の拳』のキャラクター。孤児であったサウザーは,南斗鳳凰拳の伝承者オウガイに拾われ,本当の父親のように愛情を受けて育つ。最後の試練において目隠し状態で、襲ってくる男を倒すように指示される。実はその敵とはオウガイ。自ら愛するオウガイを殺してしまったその悲しみから,彼は愛情を捨てることを決意するのだが,愛情を捨てきれない。自分を祭るピラミッドを子どもたちを使役して建設するが,子どもを殺すことはない(大人は平気で殺す)。またピラミッドの本来の目的はオウガイを祭るものだということが最後にわかるのである。サウザーは,作中で最も愛と情を求めた人物なのであった。サウザーの名言には,「退かぬ,媚びぬ,顧みぬ」というものもある。負け戦でも最後まで認めなかった時の言葉。                   
【如是我聞】
母方の祖父のことを好きではなかった。なんでも仕切りたがる人で自分中心でなければ嫌な人だった。小学生だった頃,夏休みには旅行に連れて行ってくれたが,修学旅行状態で,引率の先生=祖父,と言った感じだった。家族で楽しむ旅行ではなかった。正直そういったルールとかに付き合うのが面倒くさかった。また,自分の武勇伝や,自分の不幸話を,何度も孫に語る。そして長い。これも嫌だった。他にも別の孫に対する贔屓がひどいとか,そういう理由もあって,だんだん会うのが嫌になり,仕方なく行く新年の挨拶くらいしか会うことはなくなった。
そんな気持ちが変化したのは,大学に入ったくらいだったと思う。新年の食事会で,例によって祖父が大演説を始めると思ったら,突然泣き崩れたのである。自分の老いに対しての不安に押しつぶされた様子で,自分の死がそろそろ迫ってきていることに対して,耐えきれず,死にたくないと泣く。弱さ丸出しで,今までは包み隠そうと必死で生きてきたのだな,と気づいた。そして今まで聞かされた語りは,自分を隠す虚勢だったんだろう。非常に上からの感情だが,祖父の弱さを受け入れようと。そう思った。
祖父は小さいときに,貧しさもあって両親からの愛情をあまり受けなかったらしい。その経験が,常に不安を感じる性格になったようだ。特に死への不安は強烈だった。小さい時,親戚の死に直面して,自分の命を半分あげてもいいから救ってほしいと願ったそうだ。その半世紀程前の記憶を,私に何度も語った。そこにはかつて偉そうにしていた面影はなかった。
実際に祖父が亡くなるまでは,もう暫くの猶予があった。ループするように同じ話が多かったが,沢山聞いた。他の従兄弟たちは面倒くさがっていたが,私はこれが祖父にしてあげられる最後の孫としての仕事だと思っていた。祖父の自分の弱さを隠し自らを誇示するところを,最後は孫として受け止めてあげられたんじゃないかと思う。
ところで,今うちの娘たちは私の父と母のことが大好きで,「じじのとこいくー。」一人で泊まりに行ったりする。私の祖父との関係に比べれば,甘いにも程があるスィートな関係である。祖父の経験を反面教師的に踏まえているようで,孫に対して嫌われないためか,かなり甘い。「退くし,媚びるし,顧みる。」溺愛である。                           (社会科 今堀)




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2017年1月25日水曜日

雲の向こうはいつも青空

今週の一週一言
                                  1月23日~29日
雲の向こうはいつも青空  (There is always light behind clouds.)
ルイーザ・メイ・オルコット(Louisa May Alcott)(1832-1888
アメリカの小説家。 「若草物語」(Little Women)で知られる。                  
【如是我聞】
小学生の頃(もう半世紀ほど前のことになってしまうのか)、当時小学校の先生をしていた私の伯母(母の姉)が『少年少女世界名作文学全集』(そんな名前だったように記憶している)を読むように薦めてくれたのをきっかけに読書に目覚めた私は、片っ端からそれらの作品を読むようになった。三銃士、岩窟王、ああ無情、黒猫、黄金虫、宝島、シャーロックホームズ、ロビンフッド、トムソーヤ、ドンキホーテなどを読んでわくわくしていた。とにかく全部読むつもりでいたのだが、周囲の本好きの女子や伯母などは絶賛していたにもかかわらず、小学生の私には読んでも何かいま一つピンとこず、途中で投げ出したものが2作品あった。「赤毛のアン」と「若草物語」であった...
さてその若草物語の作者のことばである。これに類することばとしては「明けない夜はない」「夜空の向こうにはもう明日が待っている」(解散という明日だったんだなあ)とか「やまない雨はない」と様々な表現がある。今、自分の状況がたとえよくなくても、いつかはそれが好転していくものだということのたとえとしてよく用いられる。
しかしながら、この夜明けや雨に例えた表現とオルコットの表現には大きな違いがあるように思う。前者は時間がたてば何とかなるといっているだけなのに対して、オルコットは、原文の英語を読むとより明らかになるのだが、雲の向こうには青空(正しくは光)がいつもそこにあると言っている。これは『正信偈』(幼い頃に母に教えられた時は音だけで意味はさっぱり分からなかったが)の中の譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇 (たとえば日光が雲霧に覆われても,雲霧の下明らかにして闇無きがごとし)“It is like the sun-light veiled by clouds: Behind the clouds, the brightness reigns and there is no darkness. (英訳は鈴木大拙)と通ずるものがあるように思う。この雲霧は「私たちの心にある貪りや憎しみなどの煩悩」のたとえとして用いられている。その雲霧が立ち込めて天空を覆うことがあり、日光を直接目にすることはできなくても、その向こうで日光は輝き続けており、空を覆っている雲や霧を通して光は届いている。光そのもののない闇ではない。光を待つのではなく、光がいつもそこにあることを感じ、その光に常に護られていることに安心すれば、その光によって明らかになる煩悩とも対峙できるようになり、時を待つことなく雲霧も晴れるようにもなる。
これに先立つ句、摂取心光常照護(すべてを(おさ)め取って下さる仏の光がいつも私たちを照らし、護っていて下さる)を、これから道を切り開こうとしている生徒諸君に贈っている今日この頃である。

(文責:英語科 辻 仁)




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2017年1月15日日曜日

人間はみんなちがった眼で星を見ている だけど星のほうはなんにも言わずだまっている

今週の一週一言
                                  1月16日~1月22日

人間はみんなちがった眼で星を見ている 
            だけど星のほうはなんにも言わずだまっている
サン=テグジュペリ・・・19001944 フランスの作家。飛行家生活を題材として人間性の高揚を描く。代表作に童話『星の王子様』がある。
                   
【如是我聞】

第一話「私と星との出会い」
 私と星との付き合いは、私が生まれてまもなく星朗と命名されたときからである。私が生まれた6月は梅雨で毎日雨が続き星を拝むことができない。しかし、私が生まれた瞬間に雨が止み、星空が見えたらしい。梅雨の長雨に洗われた空はとてもきれいで、瞬く星は本当に美しかったと名付け親の祖父は言っていた。そこで星朗と付けようと思ったらしい。私の両親はそんな変な()名前はあかんと反対したようだが、頑固な祖父が押し切り私の名前はめでたく星朗となった。そして、年度始めに星つながりでこれを書くことになった。

第二話「お星様になる」
 私は妻のお父さんに会ったことはない。彼女と結婚するときにはもうすでに他界していた。命日は815日終戦記念日である。その日を迎えるたびに、世界平和を心から願う私は、その思いを強くするのと同時に、会ったことのない義父のことを思う。もし彼が生きていたら、私のことをどう思うのだろう?娘の婿として認めてくれるのだろうかと。私の長男が幼いころよく妻に、自分たちが会ったことのないおじいちゃんのことをよくたずねた。まだ、「死」ということがどのようなことなのかわからないときだったので、よく妻が、「おじいちゃんはお星様になって、みんなのことを見守っているんやで」と彼に言っていた。その長男は幼稚園の時にサンタさんに天体望遠鏡をお願いしプレゼントしてもらうくらい星が大好きだった。まだ自分で設定できなかったので、私が設定し最も照準を合わせやすい月をしばらくは毎晩見ていた。その都度長男は私に、「おじいちゃんはどの星なんだろうね。元気にしているかなあ。」と言った。そんな優しい長男は大きくなり小学生となった。先日、兄弟げんかしている彼が妹に発した言葉はこうである。「お前みたいなヤツはお星様になったらええねん!!」もちろん、きちんと叱っておきました。
第三話「星の役割」
 星というものはその人によってどのような役割を担うのかが変わってくる。ある者にとっては方位を示す道標となり、ある者にとっては遠くにいる愛しい人と、離れていても同じものを見ていると思うことでその人を近くに感じさせてくれる存在となり、ある者にとっては研究の対象であり、ある者にとってはお仕置きをしにくる正義の味方だったりもする。しかし、その星自身はなんにもいわずだまっている。その星の存在を良いものにするのも、悪いものにするのもその人自身だったりもする。それは人間に対しても同じことが言えるような気がする。「星のほうはなんにも言わずにだまっている」には「きみにとっては、星がほかの人とは違ったものになるんだ」というフレーズが続く。相手を悪いやつにするのも、良いやつにするのも自分次第であったりもする。

最終話「一番身近な星」
 私たちに一番身近な星は地球である。その上で生きているとあまり星と思うことはない。遠くにあって全体像が見えるようになって、私たちの中で星は星となりうるのだろうか。そう思うと私たちは当たり前だが自分目線で物事を考える。「地球に優しく」などのフレーズで環境保護を訴える。あたかも地球が困っているかのようだが、人間目線である。当の地球は何をされても痛くもかゆくもなく、なんにも言わずにだまっている。「地球に優しく」は、何となく平和を乱す輩と発想が似ているような気がする。正義の名の下に、ある国や集団を敵と仮想し争いを起こす。自分の利益のため、自分を正当化するため、または自分の悪行を隠すため、などが見え隠れする。でもこのことだけは星のようになんにもいわずだまっていられない。戦争で苦しんでいる人がいる。子どもたちの未来の平和が脅かされる。私たちに何ができるのか?少なくとも戦争について、平和について考え、話合うことが大切だと思う。
 先日、学校で友だちとけんかをしてケガを負わせた長女に話をした。
星朗:お前、またけんかしたんか!?学校で一番大切なものは何や?
長女:勉強やろ。
星朗:違うわ!!安全に決まってるやろ!!学校の安全を脅かすお前は学校に行く資格はない!明日から
   学校に行くな!!
長女:えっ?ごめんなさい。けんかしないから、学校には行かせて。
 我が家ではこのように平和維持活動が行われております。


(文責:英語科 田中 星朗)




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2016年12月19日月曜日

今年は計画的になまけていたんだ。

今週の一週一言
                                  12月12日~
 今年は計画的になまけていたんだ。
  日本広しといえども、このような言葉が伝道掲示板で紹介されるのは大谷くらいでしょう。素敵です。(編集担当)
野比のび太・・・小学4~5年生の少年。『ドラえもん』の原作で唯一全話に登場する。                   
【如是我聞】
『ドラえもん』がこよなく愛される理由の一つに、登場人物が決して赤の他人に思えないというのがある。もちろんドラえもんは夢と非日常の象徴であるが、私の周りにはのび太もスネ夫もジャイアンもいる。源の靜香ちゃんものび太のママもパパも出木杉君も。そしてこの私はどうかというと、それぞれのキャラの際立っている部分を時に少しずつ、時に大いに兼ね備えているように思えて仕方がない。
 たまにうまくいくとすぐに自慢したくなる。我儘が過ぎて恥ずかしげもなく横着になる。みんなとうまくやっていきたいと思うあまり、日和見主義の八方美人になる。嫌なことは徹底的に先送りする。なんともはや、我が身はドラえもん登場人物の縮図である。
 ちょうど30年前、大学を出てすぐの頃、京大で開かれていた5夜連続の公開講座に出かけた。作家で「ベ平連」の小田実氏の話に熱くなったのを覚えている。翌日は名前すら知らなかったのだが、上智大学の神学教授、ルーベン・アビト氏であった。講演の中で「現代人の抱える病」という話が出てきた。それは「常にアリバイを用意していないと不安になる」というものであった。当時は「大人というのはそんなものなのか」ぐらいにしか思わなかったが、50歳を過ぎ、まさにその症状を自覚することが増えてきた。「こう聞かれたらこう答えよう」、「ここを責められたらこう返そう」、「こういう状況に陥ったらこういうことにしてその場をやり過ごそう」、、。つまりはそういうことである。
 のび太の発言には用意周到なアリバイの匂いは感じない。その場で思いついて口にしたのであろう。その点において、かなわないのだが、やはり言い訳が口に出るときは恥ずかしい自分が全開なのである。しかも悪いことに、「それなら仕方ないな」と言ってもらえると信じている。うそが通用すると。
 アリバイを用意する必要性を感じるということは、「こんなことでいいのか」と自分のしていることにどこか自信が持てていないのであろう。また、自分の事は棚に上げて、「世間には責める人が多くてやってられないわ、ふんとにもうっ!」という愚痴と共に生きているのだろう。
 和田(しげし)という真宗の仏教者に、次の言葉がある。禅の教えを深く学ばれ、その後、その先生に随行して真宗に深く学ばれた佐野明弘という先生が、真宗の僧侶のあまりにも怠惰な振る舞いについて尋ねられたとき、少しく沈黙されたのちにこう言われたという。
 言い訳もせず、ごまかしもせず、正当化もせず、開き直りもせず、あきらめもせず。
かくありたい。でもなあ~。のび太がいいな~。   

(文責:宗教・英語科 乾 文雄)




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2016年11月30日水曜日

我々の目的は成功ではなく、失敗にたゆまずして 進むことである

今週の一週一言
                                  11月28日~12月4日

我々の目的は成功ではなく、失敗にたゆまずして
進むことである

ジョージ・スティーブンソン(1781~1848 ) 
 
イギリスの技師・発明家。1814年に実用蒸気機関車を開発し、さらに25年、ロコモーション号で客・貨物の蒸気機関車輸送に成功した。鉄道の父と称される。

                   
【如是我聞】

「進む」ってどこに進むんだ?失敗しないように、他人様に迷惑かけないように慎重に、丁寧に取り組むことが求められる場所に長時間いる私は、知らぬ間にそれほど動かなくてもいい小さな世界に居場所を求めるようになった。その小さな世界で、抱えている荷物を落ち度なく特定の場所に運ぶために、小股で歩みを速めている。遠くの景色を見ることはなく足元を見つめるだけだ。悲しいかな、近視的に過ごしている。
 こんな私が、歩むべき大きな世界を取り戻すには、どうすればいいのだろう?井の中の蛙が大海を知るには、まずはその頭上で多様に変化する空を発見しないといけない。そこに大きな憧れを持つのだ。自分も変わることを強く望まないといけない。あとは物理的に動く。井戸の壁をよじ登り居場所となってしまった場所から出て行くのである。それは人に出会い続けることであると思う。知らぬ間に築き上げた狭いテリトリーから引きずり出してくれる自分とは異なる世界観を持つ人に出会うしかない。自分が通用しない世界に対峙することなのだろう。スティーブンソンが言う「進む」ってそう言うことなのかもと今は受け取っている。
            

(英語科 増田)




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2016年11月21日月曜日

遠く宿縁を慶べ

今週の一週一言
                                  1121日~11月27
遠く宿縁を慶べ

愚禿釈親鸞・・・1173~1262
9歳から20年間自身の煩悩と闘い続けた末、法然上人に出遇い、本願の念仏によらなけ
れば救われることのない身を自覚し、生涯自身の煩悩と向き合い続けたお方。
         
【如是我聞】
  もしも、親鸞聖人が出遇った教えを学んでいなければ、私はどれほどの人を傷つけ、どれほど私自身を傷つけていただろう。

 いつの間にか自分のことを棚にあげて他人を批評し、自分の価値観を疑いもせず、相手の気持ちや背景を知ろうともせず、時に私の勝手な気分で大切な人にばかり八つ当たりをし、都合のいい時だけいい顔をして、都合が悪くなると自分を守ることに必死になって、当然のごとくに責任転嫁をし、自分のことはひたすら正当化。とりあえず逃げて、ごまかして、甘ったれて。

 傲慢で無責任で卑怯で軟弱な私の根性が、仏教を学ぶことで改善されたとは未だ思わない。しかし、仏教を学ぶまでは、この自分を悲しむことすらなかった。
 うぬぼれているがゆえのイライラや、恩知らずであるがゆえの欲求不満など、あらゆる不快な感情のその原因が自分にあるなどとは到底思いいたることなく、都合のいい人たちとただただ愚癡をこぼし合っては、足の引っ張り合いをしていた。それによって誰かを傷つけているとも自分を傷つけているとも気づかないままに。

 大学に入り、親鸞聖人の学ばれ方を学びはじめて、ようやくそんな自分の生き方の悲惨さに気づいた。ことあるごとに自分の煩悩の闇の深さを知らされ、その悲しさと、「だから私は仏教を学ばなければいけないんだ」という深い感動を覚える。

 人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。
 仏教に出遇えた感動は常に「今」発る。その時、遠い過去からの縁をありがたく思わずにいられない。これが、「遠く宿縁を慶べ」ということなのだろうと、私は受けとめている。

(宗教科  稲岡智子)




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2016年11月15日火曜日

あなたを愛している人たちは あなたが少々かっこ悪くても全く気にしない

今週の一週一言
                                  1114日~1120
 あなたを愛している人たちは あなたが少々かっこ悪くても全く気にしない
                    ちびのミイ

ちびのミイ ・・・ トーベ・ヤンソンが描く 『ムーミン』 シリーズの登場人物。怒りっぽくいたずら好きで、皮肉屋。だが悪意はない。 『ムーミン』 シリーズには、小説のほか、絵本、弟のラルスとともにロンドンの夕刊紙に連載したコミックスなどがある。
【如是我聞】
 小さいころ、ムーミン一家が私の憧れだった。あれぞ家族の理想像、とさえ思っていた。厳密に言えば、ムーミンママの家族に対する包容力に憧れたのかもしれない。
ところでみなさん、『ムーミン』について、どのようなイメージをお持ちだろうか? 「花畑のなか、暖かい仲間に囲まれる日々、ふんわりとした優しい世界」、そんなところだろうか。 ...いえいえ、とんでもない。日本ではアニメ版の影響でそういうイメージを持たれがちだが、小説を読んでみると、真逆もいいところである。春の陽気よりも、郷愁ただよう秋の情景、不安をそそる海や天変地異なんかが背景になることの方が多い。相手の気持ちを読み、どこまでも正直な、言いかえればわりと辛らつな言葉だって飛び交う。コミックスにいたっては、あれはもうシニカル・コメディだろう。そういえば、幼い私に“皮肉”もしくは“皮肉屋”という言葉を初めて教えてくれたのは、ちびのミイだったような。
登場するキャラクターも、これまたあくが強い。孤独を愛する者、臆病で泣き虫、気まぐれ、社交好き。自分や周りの人、どこかしら、誰かしらが持っているはずの一面。普段はそっと隠されがちな人間の“一”側面が、キャラクターひとりひとりに、個性的な性格として与えられている。
一家のなかでも厄介なのが、ママの愛する夫、ムーミンパパだろう。彼が求めるのは自由と冒険。「さらば、たいくつな中年の日々!青春をとりもどすために旅立とう!」とかつての親友とともに旅立つこともあれば、だれにもなあんにも告げず、ニョロニョロに憧れひとり海に出てゆくことも。これが実際の家族にいたらわりと困る。子どもながらに思ったものだ。「パパ、家庭をかえりみて! 妻も息子もいるんでしょう!」、と。息子も息子で、夢見がち。ついつい周りに流されては新しいものに手を出していく。親友のスナフキンやミイに忠告されてもやめられない。パパもムーミンも、たいがい失敗するか納得して帰ってくるところで話はオチるのだが...何ともまぁ、読めば読むほどに情けないというか、かっこの悪い夫と息子である。一度や二度ではないものだから、読んでいて私もいらっとしてくる。ママ、心中お察しします、と思うのだ。ところが驚くことに、「そのうちかえってくるでしょうよ」とママは気にしない。やりたいと言うならやらせてみたらいい、納得したら家に帰ってくる。そしてそれは、まったく毎度その通りなのだ。帰ってきた夫や息子を笑いもせず、しかりもせず、ただ、気にしない。別に無関心なわけじゃなくて、ありのままを受けとめているだけ。これぞまさしく、ミイの言うところの「気にしない」、の精神なのか。うーん、かなわない。
 さて、甘えっぱなしもいかがなものかと私は思った。私の周り、私を受け入れてくれる人たちは、たぶん優しすぎる。だから私自身には、おんなじミイからこの一言をちょうだいしよう。
「見てるわよ、あなたがしていること。神様じゃないわよ、もうひとりのあなたがよ。
もうひとりのあなたがあなたをみているのよ。見放されないようにね。嫌われないようにね。」

甘やかされている私には、“皮肉屋”ミイの塩っからい一言がちょうどいい。  (社会科 草地)




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2016年10月24日月曜日

いかなる教育も 逆境に及ぶことなし

今週の一週一言
                                  1024日~10月30
いかなる教育も 逆境に及ぶことなし  
ベンジャミン・ディズレーリ・・・18041881 イギリスの政治家。2度首相を務める。
                 原語は「There is no education like adversity
【如是我聞】
 私が小学生だった頃、当時大人気だった某テレビアニメが楽しみだった。私の周りの友だちやクラスメイトたちの間では週一回のそのアニメが放映されると、男女を問わず必ず翌日の朝はそのアニメが話題になっていたほどだった。少年漫画雑誌に掲載されていたその漫画はテレビ放映に内容が追いつかれつつあり、途中からテレビアニメの方は明らかに引き延ばしの感があったのが子どもながらに残念ではあった。
 さて、この言葉を聞いたとき真っ先に私の頭に思い浮かんだのがこのアニメ(漫画)であった。このアニメの主人公は次々と強い敵と戦い、何度もピンチに見舞われ、瀕死の状態になりながらも友のため、地球のためと限界の力を超えてギリギリのところで勝利する。その経験を何度も積むうちにいつの間にか主人公はどんどん強くなっており、気がつけばアニメ開始当初では想像もつかないくらいのツワモノとなっていた。それでも私たちはその主人公を通して逆境をくぐり抜けるたびに成長していくということを知った。
 今から思えば当時、似たようなヒーロー、ヒロインアニメがいくつかあったように思う。詳しくは知らないが現在でもあるのかもしれない。そうしていつの間にか「つらいことがあっても乗り越えたらそこには一段階上の自分を獲得できる」という観念が刷り込まれたように思う。実際、私自身もそうだった。部活動でつらいとき、勉強がつらいとき、人間関係がつらいとき……社会人になってもそうだ。きっとこのつらさを乗り越えたら次はこれくらいのことは何ということなく乗り越えられるようになっているに違いない。そう思ってやってきた気がする。
 教育という仕事に携わるようになり、まさに「逆境」に負けずに努力した生徒が驚くほどの成長を遂げるという瞬間を目にしてきた。クラブ活動で悔し涙を流した生徒が数ヶ月間で予想以上に技術が上達したり、テストで「自分にはもう後はない」と覚悟を決めた生徒がそれまでとは別人のように勉強に向き合って成果を上げたりと、それはこの仕事に就いて嬉しいと感じる瞬間である。逆に悲しいことに私たち教員がいくら言葉を尽くして「がんばれ」「努力しろ」と言っても、受け取る側にその意志がなければ成長はない。
自分を成長させるのに大切なのは、逆境に不満や文句を言うよりも逆境に立ち向かっていく気概を持つことなのだ。

(国語科:須田)




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無限なものは二つあります 宇宙と人間の愚かさ  前者については断言できませんが

今週の一週一言
1017日~10月22
無限なものは二つあります 宇宙と人間の愚かさ 
前者については断言できませんが
アルベルト・アインシュタイン(18791955)…理論物理学者
相対性理論で世界に知られている。光電効果の研究で,ノーベル物理学賞を受賞した。
【如是我聞】
一週一言の原稿を書こうと思って1ヶ月…結局ぎりぎりまで書けない。そして,あわてて仕事をしていると,また失敗をしてしまう。愚かな私…。
落ちこんだ時には,夜空でも見て,宇宙に思いを馳せてみたくなります。夜がすぐにやってくる秋になりましたね。満天の星空の中で夜空に吸い込まれていけば,宇宙の果てはどこにあるのか,大きさは無限なのか…と考えたくもなります。みなさんは宇宙が膨張しているって知っていますか?
アインシュタインが発表した一般相対性理論によると,宇宙は膨張あるいは収縮するらしいのです。しかしその当時は,宇宙が大きくなったり縮んだりするなんて考えられず,アインシュタインは宇宙が一定の大きさを保つように「宇宙項」を方程式に導入しました。その後ハッブルが宇宙の膨張を発見したため,アインシュタインは宇宙項の導入を「人生最大の失敗」と言って取り下げたそうです。
 さて,2011年には「宇宙の加速膨張」がノーベル賞を受賞しました。私たちのいる宇宙は加速膨張するというのです。そして「宇宙項」は再び正しいのではないかと言われたりしています。結局,宇宙は無限に広がっていくのでしょうか。私から見ると天才としか思えないアインシュタインですが,それでも宇宙を完全には理解できなかったようだし,我々はまだまだ宇宙のほとんどは理解できていないと言えそうです。学者たちは宇宙のなぞを頑張って解こうとしているのですが,どんどんわけのわからないことが出てくるという状態なのです。
現在,宇宙には目に見える物質は少ししかなくて,ダークマターやダークエネルギーがたくさんあるのだと考えられるようになっています。そう,私たちがまだ正体を知らない未知のもので宇宙はうめつくされているのかもしれません。
 私たちにはまだまだ理解できていないことがたくさんあります。わからないことだらけの中で生きています。宇宙の中で見れば,人類は,そして私はなんて愚かなことをしているのだと思うことがあります。愚かな私たちだからこそ,宇宙に畏敬の念を持ち,謙虚に生きていきたいものです。                 (理科: 川西 大祐)





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内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目

一週一言 9 月 4 日~ 9 月 10 日                                   内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目 鈴木章子    鈴木 章子 ( あやこ ) ( 1...