一週一言インデックス

2016年1月28日木曜日

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし

今週の一週一言
                                  11月24日~11月29日
 如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
       師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし
宗祖親鸞(1173~1263)・・・浄土真宗の宗祖。法然を師と仰ぎ、その教えを継承し、顕揚していくことに力を注いだ。著作は『教行信証』、『三帖和讃』など多数。

【如是我聞】
 ♪にょ~ら~い だ~い~ひ~の~ お~んど~く~は~♪と、私の3人の子どもたちが彼らのおじいちゃんの法事のときにお坊さんが読み上げるのに合わせて、空で声に出しているのを聞いて驚きました。
 私はこの恩徳讃を子守歌にして子どもたちを寝かせてきました。一番上の子が生まれたときに、宗教科の先生が「恩徳讃は子守歌にええよ~」と教えてくださったので実践したところ効き目抜群で、それ以来、子どもたちを寝かすときは恩徳讃を子守歌にしました(ちなみに、長男と次女は恩徳讃、長女は四弘誓願が一番よく寝ました)。子どもたちも気に入っていたのか、夜、添い寝をしていると、「おとうしゃ~ん、♪にょ~らいだ~いひ♪歌って」とよくせがまれました。それがあってか私の子どもは意味もわからずに恩徳讃を歌うことができます。
 恩徳讃の意味?私もよくわかりません。私は大谷高校出身で礼拝でも歌い、宗教の授業でも意味もならったはずなのに。大谷には宗教の先生がいますので、私ごときが意味を説明するまでもないと思いますが、恩徳讃の、「恩徳」「報ず」「謝す」の言葉を聞くたびに頭をよぎる言葉があります。それは「ノブレスオブリージュ」です。
 「ノブレスオブリージュ」とは「高い地位や身分に伴う義務」です。かつてのヨーロッパの貴族階級は、庶民からの税などで生活をしていたので、その分、戦争や事件が起こった時は庶民よりも先に貴族が行動を起こす義務を伴うのだと、ひろさちや氏がおっしゃっていました。
 貴族でなくても我々も同じだと思います。何かを施してもらったら、そのことを何かで恩返しをする義務を伴うのではないか。私たちは命を授けてもらいました。ならばそれに伴う義務があるのではないか。目の前で起こっていることが不幸につながることが明白ならば、それを看過するのではなく手を差し伸べる義務をおうのではないか。特に命に関わることならなおさらそうではないか。それが命を授かったものの「ノブレスオブリージュ」なのではないか。
 先日、フランスでISによるテロ攻撃がありました。それに対してフランスも報復のようにISを空爆しました。遠くても、多くの人間の命が奪われています。私たちも看過せずに「ノブレスオブリージュ」を遂行しなくてはならないのではないでしょうか。直接的に何ができるかわかりませんが、子どもたちと平和について語り合うことはできます。私は子どもたちに言います。「私は世界平和を望む」と。そして共に考えます。どうすれば世界平和が実現できるか。

 我が家ではどうか。「宿題やったか?」「宿題するのいやや!」「アホか、学校行くことを選択したら、宿題をするのはノブレスオブリージュや!!嫌なら学校行くな!!」「何その、ノブレスなんちゃらって?」「やらなあかんことという意味や」「は~い、宿題やってきます、ノブレスオブリージュ」我が家ではこのようにノブレスオブリージュが遂行されています。         (英語科 田中星朗)




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自由とは「自分の持って生まれた才能や性質を十分に発揮する」 ということである 

今週の一週一言
                                 
自由とは「自分の持って生まれた才能や性質を十分に発揮する」
ということである 
                  
西田幾多郎(1870~1945) ・・・ 日本を代表する哲学者。京都大学教授、名誉教授。
主著『善の研究』。

【如是我聞】
 若い頃、特に中高校生の頃(1960年代後半から1970年代の初めの頃)に、「自由」という言葉に憧れていた。当時よく耳にしていた洋楽の世界にはFreeというバンドがあったし、当時の洋楽の歌詞の中で”free”とか”freedom” あるいは”liberty”という語をよく耳にした。私の中高生の頃はそういう時代であった。当時の中高生には、今よりもずっと多くの制約がかけられていたように思う。たとえば、そういう音楽を聞いていたり、electric guitar (場合によってはacoustic guitarでも)を弾いていたりするだけで不良と呼ばれたりしたものだ。田舎の中学生の頭髪は丸刈りと決められていたし、夜遅くに外出することも、特定の異性と仲良くすることも簡単には許されない雰囲気があり、大人たちによって束縛されている感じが常にあったように思う。そんな時代の若者にとって「自由」という言葉は、ありきたりな表現を用いて言えば、鳥が大空を羽ばたいているようなイメージを伴って本当に魅力的なことばとして存在していた。
 「自由」という言葉は相対的な言葉である。束縛や制約のない状態のことを指す言葉であるからだ。自由という言葉を意識するときはいつも何らかの束縛や制約を感じているということでもあった。若い頃の私は、自分の思い通りにならないのは、「制約が多く自由がないからだ」と周囲のせいにしていたように思う。しかし、自由とは文字通り「自分に由る」ということであり、すべての行動が自分自身に起因するということだ。自由になる、あるいは自由を感じるのは、結局のところは自分次第ということなのだ。そこにもっと早く気付くことができていれば、自己を見つめ、「自分の持って生まれた才能や性質を十分に発揮する」ことが可能になっていたのかもしれない。
free という語の日本語訳には「暇」という表現もある。すべての束縛、制約から解放されると「暇」になってしまうものなのかなあ。

              (文責:英語科 辻)




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自分と向き合うにはひとりになるんじゃないわ  自分を知らない人たちと関わりあうのよ  見えてくるわよ、本当の自分が

今週の一週一言
                                  11月2日~11月8日
自分と向き合うにはひとりになるんじゃないわ 
自分を知らない人たちと関わりあうのよ
               見えてくるわよ、本当の自分が
ちびのミイ・・・ちびのミイ、またはリトルミイはトーベ・ヤンソンによるムーミンシリーズのキャラクターの一人である。ミイは「ムーミンパパの思い出」という4作目で初めて登場した。


【如是我聞】

この言葉は、自己分析に役立つと思う。確かに自分を見つめ直すとか、自分自身について考える時、一人になってじっくり考える人は多いだろうし、実際私もその方が多い。しかし、ミイの言うように色んな人と関わり合うと、自分の知らなかった自分に出会えるかもしれない。
少し自分自身の話をしたいと思う。大学を卒業し、四年が経った。中学時代から、将来の夢が教員であった私は、遠回りをしながらも無事教壇に立つことができた。そして、毎日充実した日々を過ごしているが、最近考えることがある。毎日家と学校の往復。もちろん年々出会う生徒は変わるが、違う環境で生活している人との出会いは激減してしまった。学校現場は、世間一般と比べると閉鎖的な環境であり、人との関わり合いは、どうしても限りがあると思う。その中でどのように自分が動き、様々な人と出会い、自分の価値観や今持っている考え方の幅を広げることができるのか。
自分自身の小さな殻に閉じこもり、自分の歩んできた人生だけで、子供たちと関わるのは、とてもちっぽけだと感じる。だが、自分に数多くの引き出しがあれば、子供たちに様々な選択肢を与えることができるかもしれない。
そのためにも色んな人と出会い、色んな生き方を見て、自分はどうありたいのか問い直したい。もっと人との関わりを大切にしていきたい。人との出会いは何にも代えられない財産になるはずだから。実際は日々の仕事や、生活でいつの間にか毎日が過ぎ去っているのだが・・・。
それでも、自分の人生に大きな影響を与える人により多く出会いたいと願っている。

(英語科 中川智仁)




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計画のない目標は ただの願い事にすぎない

今週の一週一言
                                  10月26日~11月1日
 
計画のない目標は ただの願い事にすぎない

サン=テグジュペリ・・・・1900年~1944年。フランスの作家、操縦士。
               代表作『夜間飛行』、『星の王子様』など多数。
【如是我聞】
 一見すると、この言葉は、『星の王子様』を書いたサン=テグジュペリの言葉らしくない。どこか大人の賢しらな処世術と打算を感じさせる。目標に向けて綿密な計画を立て、それを一つずつ実行していく姿勢がなければ、どんな立派な目標も、「ただの願い事」にすぎず、決して実現することはないと。「お説ごもっとも。言い返す言葉もありません」と少しげんなりしてしまう。私自身も教師としてそんな言葉を生徒たちに言ってきたようにも思うが、あまり好きになれない言葉だ。
 しかし、レーダーもない時代、無蓋の飛行機に乗り、前をよく見るために風防ガラスから身を乗り出して郵便飛行機を操縦していたサン=テグジュペリにとっては、先輩パイロットの経験を聞き、目印を地図に書き込み、徹底した飛行計画を立てて目標飛行に臨むことは、無事に郵便物を輸送し、自らの命を守るために欠くことのできない重大事だったのだろう。その上、そんな用意周到な計画の上に実現した目標には、深い感動と驚嘆が伴っていたことは、自らのパイロット経験をもとに書いた『人間の大地』を読むとよく分かる。夜間飛行中に垣間見られる奇跡のような光景が彼の心に刻まれる。「闇の大海原に瞬く光の一つ一つが、今、そこに人間の意識という名の奇跡が存在していることを教えていた」と。そして、「絆を取り戻そうとしなければならない。平原のそこここに燃えている灯のいくつかと、心を通わせようとしなければならない」という彼の「願い」が語られる。サン=テグジュペリは、決して単純に「願い事」を否定しているのではない。計画がなければ大事な「願い事」も実現することなく終わってしまうと言いたいのだろう。
 しかし、私は、このごろ、それでもいいと思うようになった。60歳を過ぎたせいか、「願い事」は願い事のままでいいのではないかと。大切な願い事を持ち続け、心の中で温め続けていることが自分にとって、また自分を取り巻く人にとってささやかだが大切で意味のあることではないのかと。

 サン=テグジュペリの言葉の言葉をこんなふうに言い換えてみる。「計画を持たない目標は心の中だけにある大切な願い事だ」と。               (国語科  角谷有一 )V




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2015年10月23日金曜日

おだやかな人生なんてあるわけがないですよ

今週の一週一言
10月19日~10月25日

おだやかな人生なんてあるわけがないですよ
 「ムーミン」 より スナフキン


スナフキン・・・「ムーミン」に出てくるキャラクター。ムーミントロールの親友。服を着て靴を履いており、人に似た姿だが、手が四本指、しっぽが描かれている。自由と孤独、音楽を愛する旅人。クールで物事を所有することを嫌う。冬の来る前に南へ旅立ち、春の訪れとともにムーミン谷に戻ってくる。

【如是我聞】
 先日、卒業生の結婚パーティーに呼ばれ、行ってきました。私がその子たちを受け持っていたのは、彼女たちの中学三年間で、もう11年前のことになります。今は社会人として、様々な仕事に就いて頑張ってくれています。その姿を見ただけで安心し、ほろっとしてしまいました。
というのは、彼女たちの中学時代は、友人同士のいざこざなど、毎日のようにいろんな事件を起こし、よく指導していたからです。私にも彼女たちにとっても、穏やかという言葉からはほど遠い生活をしていました。卒業後も、彼女たち自身には試練と言われるようなことがあり、心配したことがありました。そういった経験を積んだ彼女たちと再会し、まだまだいろいろあるんだけれども、穏やかで優しい顔になったのを見て安心しました。彼女たちとの関わりに、ようやくひと段落がついたのだと思いました。

このテーマで文を書くことになり、「穏やかでない」時のことを考えてみました。悩んでいる時、困っている時など、どうしても悪い方に考えてしまう。一方で、嬉しすぎてドキドキしてしまう時も穏やかに過ごせていないことになる。そう、喜怒哀楽で心が揺さぶられている時は「穏やかでない」のです。様々な経験を積むことによって、しんどい思いをして心身ともに鍛えられていくと、ちょっとしたことでは感激しなくなったりする。そう、慣れていくことによって、穏やかなままでいることが多くなっていくのではないのでしょうか。
アラフォーと言われる世代に突入した私ですが、まだまだ心揺さぶられることが多くあります。結構いろんなことを体験してきたと思うのに…。まだまだ人生の試練が待っているんだろう、覚悟しないといけないんだろうな。ああ、辛い。いやいや、暗いことばかり考えていてはいけない。もっといいことに出会える人生が待っているに違いない! とびっきり良いことが起こって、びっくりすることがあるに違いない!!
そう考えると、穏やかな人生を求めるのは、もう少し後でもいいかな。人生を全うするときまで来なくでもいいかなと思いました。

(文責:数学科 中山 香里)




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2015年10月5日月曜日

常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションだ

今週の一週一言
                                  928日~104
 常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションだ
                    アインシュタイン

アルベルト・アインシュタイン(1879~1955) ・・・ ドイツ生まれのユダヤ系理論物理学者。相対性理論を発表。ナチスの迫害をさけて、1933年アメリカに亡命し、戦後は平和運動に努めた。

【如是我聞】
 母親にしかられるときの決まり文句がある。「あんたなぁ、常識的に考えてみられぇ!分かるじゃろ!」。これを言われたときに思うことはいつも同じ。「そんなん言われても知らんかったんじゃもん!一般常識だろうがなんだろうが、知らなかった私にとっては常識じゃない!」。もちろん怖いから、口に出したことはない。父親は父親で、「○○○は知ってるよね?」とよくたずねてくる。たいがい知らないことが多いので、「ううん」と答えると、沈黙が返ってくる。この沈黙が長いので、「それって有名?」と聞くと、「……。一般的な常識かもしれないね」と、遠慮がちに言われる。少し残念そうな顔で。…母親にしかられるより、なんとなく哀しい。
 そんなわけでというのもおかしいが、「常識」という言葉は昔から苦手だ。だからアインシュタインのこの言葉に出遭ったとき、大きな味方をつけたみたいで少し嬉しくなった。そういう意味じゃない!とアインシュタインに怒られるだろうが。だが実際、常識とは、何をもってそう呼ぶのだろう。常識のない人間と言われたくはないが、いかにそのことが当たり前で大勢の人に共有されていても、それにたまたま出遭わず、知らないままで大人になることも多い。結局のところ、人によって常識の範囲は異なるのではないか。
 まぁしかし、きっとそんなのは言い訳だ。ものごとを知らなすぎる自分を棚あげした、子どもの考える屁理屈にすぎない。ともあれ、そんなことをブツクサ思いながら大人になった私もまた、今まさに、教壇で偉そうな物言いをしているのだろう。ついつい口にしてしまう、「○○○ってよく聞くよね?」という言葉。キョトン、とされるとなんだか残念な気持ちになってしまう。共有できなかったのがなんだか寂しいのだ。苦手だった「常識」を、今度は何気なく誰かの前にちらつかせている。大勢が知っていそうなことを自分は知っていて、それを知らない誰かを相手にすると、「そんなことも知らないのか」と上に立ってしまう。なんのことはない、結局自分本位な私を見つけただけだった。

                            (文責:社会科 草地)




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2015年9月7日月曜日

世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

今週の一週一言                           
月7日~9月13日
世界全体が幸福にならないうちは
            個人の幸福はあり得ない
宮沢賢治...詩人、童話作家。1896年8月27日岩手県生まれ。1933年没。郷土岩手に基づいた創作を行い、作品中に登場する架空の理想郷に、岩手をモチーフとしてイーハトーブと名付けた。生前刊行されたのは『春と修羅』・『注文の多い料理店』だけであったため、無名に近い状態であったが、没後に草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていった。

【如是我聞】
宮沢賢治は、30歳のとき花巻農業高校の教員を辞め、農民とともに生きる決心をした。そして、昼は鋤を手に夜は農民相手に勉強会を開いた。その教科書の冒頭に「世界全体が幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない」と書かれていた。
まず、宮沢賢治の言う「個人の幸福」とは何かを自分なりに考えてみた。おなか一杯ご飯を食べたいとか、お金をたくさん稼ぎたいとかいう欲望だろうか。人が欲望を満たしたとき、個人の幸福を得ることができるのかと考えると何か違うように思う。次に、私自身にとって幸福なときとは何かを考えてみた。教員として毎日の生活を送っている私は、生徒が達成感を得てうれしそうにしているときに感動を覚える。生徒が目指していた大学に合格したとき部活動で大切な試合に勝利したとき、自分が少しばかりかかわったことで人が喜んでいる様子を見るときが幸福なのだと思う。個人の幸福とは、自分のこれまでの経験を考えても誰かが幸せになることによって得られるのではないかと考える。
世界全体という広い世界を考えるのは少し難しいが、この学校のことを世界ととらえたときこの学校全体が幸福にならなければ生徒・教職員の個人の幸福も得られないのだろう。賢治は、今まさに私たち学校に関わるものすべてに必要なことを伝えてくれているのだと考えたい。

先日、テレビで放映されていた映画「 STAND BY ME ドラえもん 」を見てあるシーンが心に残った。しずかちゃんのお父さんがのび太クンとの結婚式を翌日に控えた娘に対してこんな言葉を話していた。「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる。それが人間にとって一番大切なこと・・・それができるのび太クンを選んだ娘を誇りに思う」と。これといった取り柄がなくても、人の幸せを願うことができる人たちがたくさんいる世の中になればこれほど素敵なことはないと私も思う。                         (社会科  北畑賢一郎 )




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2015年8月31日月曜日

大切なのは 自分のしたいことを自分で知っていることだよ

今週の一週一言
月31日~9月6日
大切なのは 自分のしたいことを自分で知っていることだよ

スナフキン...フィンランドのトーベ・ヤンソンが書いた児童文学『ムーミン』シリーズに登場するムムリク族の少年。かたちのくずれた古いみどりいろの帽子とレインコート、パイプとハーモニカがトレードマーク。旅から旅へのテント暮らしで、季節が巡ればムーミン谷にやってくる。

【如是我聞】

旅先でスナフキンが釣り糸を垂れていると、そこに「ちびのミィ」が乗った裁縫かごがひっかかった。遠く離れたムーミン谷が大洪水に見舞われ、はぐれたミィは漂流していたのだ。助けてもらったというのに、あいかわらずミィは何の遠慮もない。スナフキンに食べ物を催促し、ポケットで寝てもいいかと訊ねる。そのとき彼が言うのが上のセリフ。「したいことをしたいようにする人間と、相手がしたいことをしたいようにさせる人間との対話である」と研究者の東宏治は評する。
  スナフキンは一般には“優しいお兄さん”ぐらいのイメージだが、原作シリーズを読むとミィ同様、したいことを自由にするエキセントリックな面を持つ。彼は自由を愛するがゆえに、意識的にも無意識的にも、ありとあらゆる“束縛”を徹底的に排除する。物にとらわれたくないらしく、持ち物はいつも必要最小限。そのうえ情にもとらわれたくないのか、ムーミンとの友情も旅に出た瞬間忘れてしまう(!)。もし、すべての人間が完全に自由であり、すべてのことを自由にやってよいとしたら、なるほど「したいことを自分で知っていること」こそが、最も大切なことだろう。
そうなると「じゃあそこまで自由なスナフキン、いや人間が“本当にしたいこと”とは一体何か」という文学的主題をたちあげてもよさそうなものだが、スナフキンもトーベ・ヤンソンもそんなシカツメらしい問いに答える必要性など、はなから感じていない(余談ですがこのテーマとがっぷり四つに組んだ児童文学としてはミヒャエル・エンデの『はてしない物語』があります。傑作です)。だからスナフキンはただ流れゆく日々を楽しむのだが、ただし上記のシーンのあと、彼はまさに自らが求める自由のために、警察に追われながら、24人の子どもを世話しなければならない羽目に陥るのは記しておいてよいだろう(え、どうしてそうなるのかって? え~、長くなるので原作をどうぞ()。『ムーミン谷の夏まつり』です)。「世の中そんなに甘くないわさ」というミィ、もといトーベ・ヤンソンの笑い声が聞こえてくるかのようだ。
  それにしても…、ファンには周知の事実だが、スナフキンと彼がこのとき拾った「ちびのミィ」は、実は“異父姉弟”だったりする(え、どうしてそんなことにって? あ~、スナフキンの父ヨクサルもまた自由人でして、結婚などという束縛に意味を見いだすはずもなかったわけでありまして…)。しかしその事実を知ってもなお、まったく二人の関係は変わらない。ああ、様々な束縛の中でも“最強”に近い「血縁」でさえ無力。我々は「自由に生きたい」などと気軽に言う前に、自由に生きるにはどこまでゆかねばならないか考えたほうがいいのかもしれない。

   (国語科  奥島  寛)




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夢の世に あだにはかなき 身をしれと 教えて還る 子は知識なり

今週の一週一言             
月24日~8月30日
夢の世に  あだにはかなき  身をしれと
教えて還る  子は知識なり
和泉式部…平安時代の歌人、10世紀後半から11世紀初めに橘道貞、為尊親王・敦道親王と夫婦・恋愛関係を結び、道貞との間には「おほえ山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」で知られる小式部がいる。一条天皇の中宮彰子に仕え、藤原道長の家司藤原保昌と再婚、夫の任地丹後へ下った。晩年は不詳。この歌は、小式部に先立たれた式部が、悲しみを越え、影響を受けていた仏の教えにたどり着いたものとされる。
【如是我聞】
和泉式部は、子に先立たれた思いを吐露する和歌も数多く知られている。なかでも「とどめおきて 誰をあはれと 思ふらむ 子はまさるなり 子はまさりけり」が有名であろう。先立つ娘を思う遺された母と、子より先立つ母としての娘の思いを読み込んだものである。淡く降ってくる春の雪を見ては、はかなく消えていく雪でも自分の前に姿を現すところから「などて君 むなしき空に 消えにけん 淡雪だにも ふればふる世に」と詠じた。そして「夢の世に あだにはかなき 身をしれと 教えて還る 子は知識なり」の一首がある。そのままでとどまることない無常さという道理を導いてくれたのが、我が娘の死であったという気づきの首といってよいであろう。
ここでいう知識は、本来は善知識と呼ぶものである。善知識は「よきとも」の意であり、原語的には「巧みな友」というべきもので、自分をよく知ってくれている者を指す。善知識は正しい道理を教える者のことであり、仏教の道理を教え導きさとりをえさせる人、仏道に入らせる縁を結ばせる人、ともに仏道に励む人のこともいう。親鸞上人の『浄土和讃』の69首目には「善知識ニアフコトモ オシフルコトモマタカタシ ヨクキクコトモカタケレバ 信ズルコトモナヲカタシ」とある。善き師にあうことも、善き師が法を教えることも難しい。その教えをよく聞くことも難しいし、その教えを信じることも、なおいっそう難しいという。
そういう中でも、今の自分で見えてくるものを考えてみると、すんなり思い出せることが一つあった。小学生のころ、学校のテストもあまり出来がよくなく、成績も悪く、種々に苦労した(いや、苦労したのは親だな……)。家でやっておくように言われたこともきちんとサボった。そういう時期が続き、見かねた親が、知り合いの小学校の先生に指導をお願いし、面倒を見てもらうことになった。不思議といやだと思うことが少なかった。いつしか物事を知ることが楽しくなって、何度か停滞することはあったものの、今、教えることを生業にする職業に就くことができるようにもなった。間違いなく、学習や勉強という意味での原点は、あの先生との出会いになる。
でも、待てよ。と思い直すべきこともある。たしかに、大きな転換点であり、忘れえぬ恩をもらった出会いがあの先生だけれども、今ある自分が本当にその導きだけで生まれたとは思えない。親の考え方とそっくり同じこともあれば、部活で出会った言葉はとても大事にしているし、大学時代の友人たちとは毎年会を持って集まるほど影響を受けた。果ては自分が、苦手だったものや、いやだと思っていたものから作り上げた自分の考え方や行動の仕方だってある。導くという意味では、出会った何もかもが自分を作り上げているように思えてくる。
和泉式部は若いころから仏教の影響を受けていたという。法華経を引いた「暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端の月」という首が、その証とよく言われる。善き導師を得ないまま煩悩の中に迷っている自らを、月に導師となって真理の世界へと導いてほしいという。式部にとって、闇を照らす光となる存在が何だったかは問わないが、実は、生きて出会うものがすべて自分を次の姿に導いてくれる、闇のなかを照らしてくれる光なのかもしれない。だからこそ、聞くのも、信ずるのも、自らが良くも悪くも導師になりうるのも、そもそもの知識に出会うのも難しいといえるようにも思える。出会うすべてを導師、自分を導く光だとすれば、自分のいく先はとんでもなく明るい。未来は明るいってそういうことなんじゃないかな、とさえ思えてくる。明るすぎて目がくらまないようには気を付けて、日々の出会いを大切にしよう、今の段階では、そう思うことした。

(社会科 梶 喬一 )




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2015年7月6日月曜日

逆境も 考えようによっては 素晴らしいもの

今週の一週一言             月6日~7月12日
 逆境も 考えようによっては 素晴らしいもの
シェイクスピア(15641616) … 英国の劇作家、詩人。英国ルネサンス演劇を代表する人物。
市会議員を務めた父と、上流階級出身の母を持ち、きわめて裕福な家庭環境に育つ。卓越した人間観察眼からなる心理描写によって、優れた英文学作品を残している。主な作品は『ロミオとジュリエット』、『マクベス』、『オセロ』、『リア王』、『ヴェニスの商人』、『真夏の夜の夢』など。
【如是我聞】 自分が『逆境』と呼ばれる状況の真っただ中にいるときに、こんなことを言える者はいない。他人からこう言われたら、言う側は慰めてくれているつもりかも知れないが、こちら側の心には何も響いてこない。ともすれば、「何言ってるの?! 私の苦悩の、何が分かってそんなノンキなことが言えるわけっ?!」とキレてしまうかもしれない。自作の劇脚本中でこんなことを言っているシェイクスピアだって、実際に自分が逆境の真っ只中にいたときに、こんなノンキなことを言ったわけではないだろう。素直に「逆境もイイじゃないか!素晴らしいよ!」などと本気で思えるとしたら、それは自分がすでに壊れてしまっている証拠だ。実は、この壊れてしまうということが、次のステップに進むミソなのだが。
 ところで人には、困ってどうしようもなくなったら、悲しすぎて何も考えられなくなったら、思わずゲラゲラと笑ってしまうということがある。ゲラゲラと大笑いしなくても、「ハハっ、これは困ったぞ。アハハハハ!」というような、そんな経験はないだろうか。――これは、心が一時的に壊れてしまっているサインで、それを修復するために体が反応しているらしいのだ。ちょうど、ひどく驚いたときに、思わず悲鳴を上げてしまうのに似ている。声を上げるために、一瞬で深く息を吸いこみ、声を上げることで深く息を吐いて、無意識にリラックスさせるために深呼吸を行わせ、緊張感から解放する。悲しみに暮れて、あるいは困り果てて泣くときも同じだ。声をあげて泣いても、しゃくりあげるように泣いても、常に深い呼吸を伴っている――心と体の共同作業システムによって、平常心を取り戻すようにできているのだ。
 さて。事態の深刻さや過酷さが自分の許容範囲を超え、にっちもさっちもいかない状態 ―― 逆境 ―― に陥ると、一度自分(自我)が崩壊し、頭の中が真っ白になる。そして今度は、「もう、なんでもエエわ!どうなってもエエわ!」という気持ち ―― 格好よく表現するなら、超越した自我 ―― が生まれ、頭の中がリセットされる。ある種の『悟り』が生じるのだ。リセットされると、「どうなってもエエ」とかいいつつも、実は「どうすればいいか」を冷静に考えるために、精神は働き始めている。そして、しばらくすると気持ちにちょっとした余裕のようなものが出てくる。「イイじゃん、どうぜ全部失ったんだから。もうこれ以上失うものはない」「もうこれ以上の悪状況はないんだから、どうなっても同じ」「それなら、やるだけやってみるか!」 ―― そんな感じの。すると、新しく気づいたり見えてきたりするものがある。おぉ、以前の私なら、こうは考えなかったな。なるほど。気づきの機会をくれたとは、逆境も、考え方によっては素晴らしいものだよなと。おそらくシェイクスピアは、その悟りのようなものを、この一言に込めたのだろう。
 シェイクスピアは、それこそ「あなた一体どんな環境で育ったの」と同情したくなるくらい、疑惑、恐れ、誤解、妬みなどから生まれるドロドロとしたヒューマンストーリーばかりを書いている。欺瞞と罠と裏切りのオンパレード。まったくもってハッピーエンドじゃない脚本ばかりだ。彼の生きた時代の、観劇客の嗜好もあっただろうが、彼自身がそういったドロドロの中で逆境に陥り、崩壊し、悟り、リセットするということを繰り返して、この台詞を生んだことは確かなようだ。なんたって彼は時の有名人でもあったのだから、すり寄ってくる人間の中には、彼に大きな火傷を負わせた者も多かったことだろう。彼はこの一言に関連して、「不幸を治す薬は、ただもう希望よりほかにない」という言葉も残しているのだが、これについてはまたの機会に記したい。
逆境は、人間関係だけに限らず全ての状況で起こる。私も毎日を逆境の嵐のような中で暮らしているが、逆境が去ったときには、毎回この台詞を言いたいものだ。この先、私は何回逆境を経験するのだろうか・・・それを考えるだけで、すでに自我が崩壊しそうである。
                (英語科 ブラウン 香)







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内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目

一週一言 9 月 4 日~ 9 月 10 日                                   内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目 鈴木章子    鈴木 章子 ( あやこ ) ( 1...