今週の一週一言
8月31日~9月6日
大切なのは 自分のしたいことを自分で知っていることだよ
スナフキン...フィンランドのトーベ・ヤンソンが書いた児童文学『ムーミン』シリーズに登場するムムリク族の少年。かたちのくずれた古いみどりいろの帽子とレインコート、パイプとハーモニカがトレードマーク。旅から旅へのテント暮らしで、季節が巡ればムーミン谷にやってくる。
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【如是我聞】
旅先でスナフキンが釣り糸を垂れていると、そこに「ちびのミィ」が乗った裁縫かごがひっかかった。遠く離れたムーミン谷が大洪水に見舞われ、はぐれたミィは漂流していたのだ。助けてもらったというのに、あいかわらずミィは何の遠慮もない。スナフキンに食べ物を催促し、ポケットで寝てもいいかと訊ねる。そのとき彼が言うのが上のセリフ。「したいことをしたいようにする人間と、相手がしたいことをしたいようにさせる人間との対話である」と研究者の東宏治は評する。
スナフキンは一般には“優しいお兄さん”ぐらいのイメージだが、原作シリーズを読むとミィ同様、したいことを自由にするエキセントリックな面を持つ。彼は自由を愛するがゆえに、意識的にも無意識的にも、ありとあらゆる“束縛”を徹底的に排除する。物にとらわれたくないらしく、持ち物はいつも必要最小限。そのうえ情にもとらわれたくないのか、ムーミンとの友情も旅に出た瞬間忘れてしまう(!)。もし、すべての人間が完全に自由であり、すべてのことを自由にやってよいとしたら、なるほど「したいことを自分で知っていること」こそが、最も大切なことだろう。
そうなると「じゃあそこまで自由なスナフキン、いや人間が“本当にしたいこと”とは一体何か」という文学的主題をたちあげてもよさそうなものだが、スナフキンもトーベ・ヤンソンもそんなシカツメらしい問いに答える必要性など、はなから感じていない(余談ですがこのテーマとがっぷり四つに組んだ児童文学としてはミヒャエル・エンデの『はてしない物語』があります。傑作です)。だからスナフキンはただ流れゆく日々を楽しむのだが、ただし上記のシーンのあと、彼はまさに自らが求める自由のために、警察に追われながら、24人の子どもを世話しなければならない羽目に陥るのは記しておいてよいだろう(え、どうしてそうなるのかって? え~、長くなるので原作をどうぞ(笑)。『ムーミン谷の夏まつり』です)。「世の中そんなに甘くないわさ」というミィ、もといトーベ・ヤンソンの笑い声が聞こえてくるかのようだ。
それにしても…、ファンには周知の事実だが、スナフキンと彼がこのとき拾った「ちびのミィ」は、実は“異父姉弟”だったりする(え、どうしてそんなことにって?
あ~、スナフキンの父ヨクサルもまた自由人でして、結婚などという束縛に意味を見いだすはずもなかったわけでありまして…)。しかしその事実を知ってもなお、まったく二人の関係は変わらない。ああ、様々な束縛の中でも“最強”に近い「血縁」でさえ無力。我々は「自由に生きたい」などと気軽に言う前に、自由に生きるにはどこまでゆかねばならないか考えたほうがいいのかもしれない。
(国語科 奥島 寛)
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