今週の一週一言 12月14日~12月23日 自分以外のものを頼るほどはかないものはない。 しかし、その自分ほどあてにならないものはない。 夏目漱石・・・慶応3年、江戸牛込馬場下横町(現・東京都新宿区)生ま。本名金之助。東大文学部英文科卒業。愛媛、熊本に英語教師として赴任後、イギリスへ留学。帰国後、一高・東大講師。 38 歳の時に『吾輩は猫である』を発表し作家として活動開始。『それから』『こころ』など著書多数。 【如是我聞】 漱石は何が言いたいのだろう…。 自分以外が頼りなくて、その自分もあてにならないのだったらどうしろというのだ。 つまり…これは「格言」ではないのだ。出典がわからなかったので前後の文脈がどういうものであったのかがわからないものの、このことばは漱石自身の迷いであり、とまどいなのだ。 私のイメージする漱石はいつも顔をしかめている。明治という時代に生まれた「近代国家」と「個人」というものを一身に背負って、しかも胃痛に苦しめられ、いつもイライラしている。彼はまるで日本と日本の近代を代表して悩んでいるかのようだ。 それに比べれば私の悩みなどは「はかない」ものだと言わざるをえない。漱石同様「自分ほどあてにならないものはない」と思ってはいる。もちろん、私の「自分ほど」は漱石と比べる価値もないほど「あてにならない」ものであることは言うまでもないが、それでも私にも悩みはある(と言うと、妻や息子は笑うのだ。あまりにもストレスの少ないストレスチェックの結果を見せたら大笑いされた…)。 大きなほうでは、世界平和がいつまでも実現しないことに悩んでいる。テロと報復の連鎖を断ち切れないことに絶望を感じている。国や民族同士の対立、異教徒同士の対立は、お互いの実体を見定めようともしないで相手をまるごと「悪」と決めつけ、自らの正義をふりかざす。対立の犠牲になるのはエライ人たちではなく、いつも女性や子ども、貧しい人たちである。 中くらいの悩みは、そんなに大きいとはいえないこの職場。何年も同じ部屋で仕事をしていながら意思の疎通は難しいなぁということ。人はなかなか変わらない。自分からアクションをおこせず、あきらめのため息をつく。変わらない
大谷中学高等学校 (※著作権の関係上、WEBについては毎週掲載とならないことをご了承ください。)