今週の一週一言 11 月18日~11月24日 如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし 『正像末和讃』 親鸞聖人 ・・・ 1173~1262。 幼少の頃出家し、比叡山延暦寺に学ぶ。29歳の時、山を下り、法然の門弟となる。法然に連座して越後に流され、赦免後は常陸に住み、多くの人々を教化する。晩年は京都に戻り、『教行信証』などの著述に専念した。 【如是我聞】 この和讃を讃歌にしたものを「恩徳讃」といいます。本校でも講堂礼拝や報恩講のときに皆で歌います。この和讃の中で親鸞聖人は、「如来大悲」と「師主知識」という二つの恩徳に対する、自らの姿勢をうたわれています。 「身を粉にしても報ずべし」と「骨を砕きても謝すべし」。どちらも出来ないことです。しかし、出来ないことをあえて「べし」とおっしゃっているということは、その恩徳ということが、いかに深いものであるか、そしてこの身に余るものであるかということを表しておられるのだと思います。 親鸞聖人が「べし」という言葉を使われる時は本当に大事なことをおっしゃられる時です。「べし」とは正式には7~8通りの意味を持つ言葉ですが、聖人が「べし」と使われる時は、「当為」の助動詞で、命令的な意味を持ちます。何々をしなさいと。しかし、聖人は人に命令されているのではなく、本当に大切なことを、もう一度ご自身の上に確認されるために「べし」を使われているのだと思います。親鸞聖人が数ある『和讃』のなかで、「べし」を2回も使われているのはこの一首だけです。それがこの「恩徳讃」です。 報ずべき 身を粉にもせず 親鸞忌 親鸞聖人が「べし」と二度も重ねておっしゃっている「恩徳」に背いてばかりいるこの私というものが、 「恩徳讃」を歌うたびに見えてくるのでしょう。そういう形で親鸞聖人に申し訳ないなと、逆に聖人に出遇っておられる方の句です。 (文責:宗教・社会科 山田)
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