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人生から返ってくるのは、あなたの投げた球

今週の一週一言 11 月27日~12月3日 人生から返ってくるのは、あなたの投げた球 斉藤茂太 斉藤茂太( 1916 ~ 2006 )  日本の精神科医・随筆家。斎藤茂吉の長男として東京に生まれる。「モタ」の愛称で親しまれる。 【如是我聞】   11 月 5 日 阪神タイガースは 38 年ぶりの日本一を勝ち取った。多くの選手たちがチームの勝利に貢献したがその中で私は横田慎太郎選手のことが忘れられない。   7 月 18 日 元阪神タイガースの横田慎太郎選手が 28 歳という若さで亡くなった。  現役時代真面目にひたむきに練習する姿がファンに愛され将来活躍が期待されていたがプロ 4 年目で脳腫瘍と診断され,その後、後遺症の影響で現役引退を余儀なくされた。プロ最後の引退試合で 1096 日ぶりに試合に出場した。その当時ボールを見ることも難しい横田のもとにボールがきたが,そのボールを捕球して,「本塁へのノーバウンド送球で走者を捕殺する」というファインプレーで現役生活を終えた。私はこのファンプレーは横田の今までの努力など積み重ねてきたものがこのプレーを呼んだものだと感動した。 現役引退後,講演活動などを行っていたが,腫瘍が再発し,今年帰らぬ人となった。 9 月 15 日リーグ優勝が決まる直前には現役当時の登場曲「栄光の架橋」が流れ,ファンとチームが一つになるきっかけになった。そして優勝を分かち合うときには,横田のユニフォームが常に共にあった。そして彼のユニフォームは胴上げの際に共に宙を舞った。綺麗な話に見えるが,そのストーリーは横田選手が現役の時に人一倍努力して練習をしてことなど自分自身で積み重ねてきたものが返ってきた結果ではないか。そのストーリーを彼は直接見ることができないが心の中には届いているように私は感じた。  「人生から返ってくるのは、あなたの投げた球」そのことを常に心に刻みながら生活していくことが大切だと思う。実際に返ってくるかどうかはわからない。しかし,自分自身の行動は必ず周りに見られている。 私は,まだまだ人として力不足である。これからも一つ一つのことを丁寧に行動していくことを日々心掛け,人として成長していきたい。 (数学科 坂根) >>>

わがこころのよくて、ころさぬにはあらず

今週の一週一言 10 月23日~10月29日   わがこころのよくて、ころさぬにはあらず 『歎異抄』 『歎異抄』 親鸞の教えを弟子・唯円がまとめたとされる仏教書。鎌倉後期に成立。室町中期に蓮如によって見出され、明治期、清澤満之らによって宗派を超えた宗教哲学の書として再評価される。なお 作成にあたり、乾文雄先生、山田友能先生よりご教示いただきました。 【如是我聞】 あるとき、親鸞は弟子の唯円に、私を信じるかと尋ねた。彼が肯定すると、今度は言いつけに逆らわないかと訊く。常に従うと答えると師は告げた。千人殺してこい、そうすれば極楽浄土へ行ける、と。仰せではありますが一人も殺せません、そう訴える弟子に、親鸞は、これでわかっただろう、と言う。自らの思いのままにできるのなら、千人でも殺せるはずだ。しかしそういう “ 業縁 ” がないときには一人さえ殺せない。これは自分のこころが良くて殺さないのではない。逆にやりたくないと思 っていても、百人千人を殺してしまうことだってあるのだ ── 。「絶対他力」、すなわち “ 何事も自分 の思い通りにはできない ” という教えとして知られる一節である。 有名すぎるため見過ごされがちだが、よく考えるとこの話、かなり絶妙なバランスの上に成り立っている。というのは、もし唯円が師の指示に呆れて従う気をなくしたり、逆に刀を持って飛びだして いったりしたら、彼は「思い通り」に行動したことになってしまうからだ。弟子をあやまたず「他力」 という “ 気づき ” へと導くには 、「師の指示に従いたいが、そうできない」という状況にならねばなら ない。つまり親鸞はこのとき、唯円が自分に心服しながらも命令だけは断ってくれること ── 言い換 えれば “ 業縁 ” が整っていないこと ── に賭けた、ということになる。 当たり前だ、殺人などそうそうできるわけがない、そう思われるだろうか。しかし歴史をひもとけば、信仰ほど人に思考を放棄させ、殺したり、殺さなかったりを命じてくるものもない。多くの指導者が信徒に無条件で自分(あるいはその背後にいる神)に従うよう求める中、弟子に「できない」と いう台詞を期待する親鸞の方が、むしろ例外的なのだ 。「親鸞には真の意味での弟子はおらず、すべて の人はともに生き、考え、悩む仲間だった」とはしば

人生は学校である。 そこでは幸福より不幸のほうが 良い教師である。

今週の一週一言 10月16日~ 10月22日 人生は学校である。 そこでは幸福より不幸のほうが 良い教師である。 ウラディミル・フリーチェ ウラディミル・フリーチェ (1870 ~ 1929) ソ連の文芸学者。「文学とマルクス主義」誌の編集長などを務めた。ロシア革命前の著書『欧州文 学発達史』は邦訳もされ、 1930 年代までソ連の教科書であった。 【如是我聞】 連日ニュース番組で報道されているロシアとウクライナの戦争。最近はイスラエルとパレスチナの武力衝突についてもニュースになっている。日本で平和な生活を送っていると、今現在、この瞬間に別の場所で戦争が続いており、多くの人が亡くなっている実感がわかない。そんな中、 私はニュースの報道等で「戦争」という言葉を聞くと、 93 歳になる大叔母のことが時々頭をよぎ る。   広島に原爆が落ちた日、大伯母は山口県岩国の軍事工場で飛行機にネジを入れ、組み立てる作業をしていた。当時 15 歳。原爆投下時の轟音、地面の揺れ、その直後の激しい土煙。爆弾が落ちたという知らせを受け、混乱の中、何とか自分の家に戻ったらしい。大伯母は現在でも戦争時の体験を鮮明に記憶しており、原爆投下以外にも、空襲で怖い思いをしたこと、空襲の後に死体を飛び越えながら空腹に耐えつつ歩いたこと、竹槍を持って「ヤー!」と叫びながら訓練をしていたことなどを、これまで何度もよく話してくれた。 こういった話をしながら、大叔母は、「何やっとるんかねって思っとったんじゃけどねぇ。」「こ んとなネジ入れた飛行機や竹槍突いて、勝てるんかねって思ってたねぇ・・・まあ、絶対に口に 出して言えんのじゃけど。」「あんなに人が死ぬんじゃもん、もう戦争はいかんよねぇ。」と思いを 挟む。飄々とした口ぶりと笑いを交えながら語る口調だが、実際に体験した人からの実話であ   る。説得力があり、聞くたびにじわじわと過酷さが伝わり、辛くなる。幼い頃、大伯母が話す 「学校なんてなかったからねぇ。私ら勉強してないんよ。」にピンとこなかった私も、少しずつ 「学校がない」ことの意味がわかっていった。 コロナ禍の 3 年を経て、大叔母は京都まで来ることはほとんどできなくなってしまった。しか し 78 年前の辛い過去の体験は、直接見聞きしたことだか

ルールは破ってもマナーは守れよ

一週一言 10 月 9 日~ 10 月 15 日                                   ルールは破ってもマナーは守れよ               甲本 ヒロト    甲本 ヒロト (1963-)  岡山県出身の日本のミュージシャン。 1985 年、真島昌利らと THE BLUE HEARTS を結成。 1987 年に「リンダリンダ」でメジャーデビュー。 【如是我聞】 私のなかで甲本ヒロトといえば、 THE BLUE HEARTS というパンクロック・バンドのボーカルという印象が強いです)。 1980 年代後半から 1990 年代前半にかけて活動したため、 1992 年生まれの私はリアルタイムで活躍を見たわけではないが、彼らの曲からはパワーをもらい、「 TRAIN-TRAIN 」、「リンダリンダ」「情熱の薔薇」など聴くようになりました。   「ルールは破ってもマナーは守れよ」 というこの発言について甲本ヒロト自身もかつてラジオで、「ルールを破れって言っているんじゃないよ?(笑)。まあ、仕方なく破ることもあるけども。」と言っています。 正直これもよくわからないので、まず「ルール」と「マナー」の意味を調べることにしました。そしたら、以下の内容にたどり着きました。   「ルール」:守らなければならない 規則・決まりごと 「マナー」:「行儀、作法」(広辞苑第7版)とあり、個人の自発的意思に基づく心掛けや振舞いを指すものであり、法令で規制された行為規範とは異なるものと考えられる。   私の解釈としては、「ルール」は既に決まっている守るべきもので、「マナー」とは罰則はないが自分から意識して守るべきものだということです。さらに、時代や状況を鑑みてルールが変更されることはあるが、マナーが変わることはないのでは?と思いました。  私はバスケットボールが好きで、現在でも社会人チームでプレーしています。バスケットボールでも、私が高校生の時と比べると、何ヵ所もルールが変わっています。しかし、試合開始時に「お願いします」と会釈したり、試合終了時に相手ベンチに行き、「ありがとうございました」と挨拶するといったマナーは変わっていません。マナーを守ることで、自分たち

絶対の帰依こそ宗教である

一週一言 9 月 25 日~ 10 月 1 日                                   絶対の帰依こそ宗教である               柳 宗悦      柳 宗悦 (1889 ~ 1961)   「民 藝 運動の父」と呼ばれる。武者小路実篤や志賀直哉らとともに雑誌「白樺」の発刊に携わる。心霊現象やキリスト教神学などの研究や、西欧近代美術の紹介につとめる。 【如是我聞】   2000 年頃、雑貨屋で手に取った銀色のカトラリーは、主張が派手すぎず、食事をするのによさそうな形だった。当時の私には誰のデザインかもわからなかったが、その洗練されたフォルムに惹かれ、購入した。このカトラリーは今も我が家の食器棚に入っている。お気に入りの食器のひとつだ。 この食器を作ったのは柳宗理。家具やキッチンツール、食器など生活にかかわる工業デザイナーである。彼は戦後に出回った商業主義に偏ったものや流行に左右される製品に対し、素材や機能を踏まえたうえでの、質の高いデザインを旨とした。没後もその精神は「柳工業デザイン」として、新たな意匠を生み出しつづけている。私が思わず手に取ったカトラリーにも、その想いが詰まっていると言っていいだろう。  柳宗理に大きく影響を与えたのは、実父の柳光悦だ。李朝時代の無名の職人の手になる食器などの美をいち早く評価した人物であり、「民芸運動の父」とも呼ばれている。とりわけ「仏教美学」は光悦が生涯をかけて構築した、仏教思想に基づく新しい美学の集大成であり、柳自身の美的体験に深く根ざすものだったといわれている。  光悦は民衆の食器が持つ魅力は「信と美」の深い結びつきの結果だと考え、「凡夫も救いからもらさぬ仏の力」、すなわち阿弥陀仏の本願力の恩恵に他ならないと結論づけた。なるほど生活用品ほど庶民の暮らしとともにあり、使い勝手の良さという“知”をもって、人々をサポートするものはない。民芸品も、人々にそっと寄り添い助ける、阿弥陀の無限の知恵のひとつのあらわれなのだ。そこに崇高な美が宿るのは、柳の思想として当然の帰結だったろう。  あれから 20 年以上の月日がたち、私もいろいろなことを経験してきた。年をとるにつれて社会の変化は気にならなくなり、泰然自

非暴力とは戦術ではなく生き方だ

一週一言 9 月 18 日~ 9 月 24 日                                   非暴力とは戦術ではなく生き方だ               ロナルド・デルムス      ロナルド・デルムス( 1935-2018 )・・・アメリカの政治家。 デルムスは、カリフォルニア州下院議員やオークランド市長を歴任するなど、 1900 年代後半に活躍したアメリカの政治家である。彼は最初、黒人至上主義を掲げる過激派のブラックパンサー党に所属していたが、キング牧師の演説を耳にして以降「非暴力」を掲げ、あらゆる戦争や差別に反対した。 【如是我聞】  私はデルムスについて、この原稿を書くにあたって初めて知った。ネットなどで彼の思想や活動を調べていくと、ベトナム戦争などの全ての戦争に反対したようである。ただ私が驚いたのは、ベトナム戦争反対運動で若者と警察が衝突した際、デルムスは両者の間に入り「非暴力」を訴えたという点だ。若者の「戦争反対」という信念がいかに正しかったとしても、それを実現するための暴力に反対の意を示したデルムスの姿は、まさしく「生き方としての非暴力」を体現していた。私は思わず心のなかで「めっちゃかっこいい!」と叫んでしまった。おそらくパソコンをみている私の顔はニヤニヤしていただろう。画面が真っ暗でなくてよかった……。それはさておき、このデルムスの思考に触れるなかで、ある思想家の言葉を思い出した。それが『ペスト』でお馴染みのアルベール・カミュ (1913-1960) である。 わたしは、暴力が避けることのできないものだと考えています。 ( 中略 ) ただ、あらゆる暴力の正当化を拒否しなければならないというのです。その正当化が、絶対的な国家理由から由来するにせよ、全体主義的な哲学から由来するにせよ、拒否しなければなりません。暴力は、避けることのできないものであると同時に、正当化することのできないものなのです。 アルベール・カミュ「エマニュエル・ダスティエ・ド・ラ・ヴィジュリーへの二通の返事」『カミュ全集 5 』(新潮社、 1973 年)、 180 頁 カミュは、この文章で暴力がなくならないという「不条理 absurdité 」に触れつつ、いかなる暴力

真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。 新たな目で見ることなのだ。

今週の一週一言 7 月 3 日 〜 7 月 9 日 真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。 新たな目で見ることなのだ。 マルセル・プルースト マルセル・プルースト (1871-1922)  パリ郊外のオートゥイユ(現・パリ市)生まれ。代表作の『失われた時を求めて』は後世の作家に強い影響を与え、 20 世紀の西欧文学を代表する世界的な作家として位置づけられている。 【如是我聞】  歳のせいだろうか、最近通勤途中で困っている人を見かけるとどうしても見過ごせない。目の不自由な人、足の不自由な人、こないだは駅の乗り越し精算機の前の列が縮まらないのでよく見るとお婆さんがコインを入れようとしているところだった。そもそも精算機の使い方もままならないのだが、震える手では硬貨が入れられない。「私、やりましょか?」というと頼みますー、とのこと。重いカバンを持っているお年寄りがいたらつい「私、運びましょか?」だし、目の不自由な人に出会うと「白杖ガール」を思い出す。私の周りの日常はそんなに変わっていないはずなのに、次々と困っている人が出現するからさながらパラレルワールドのようだ。  こういうことって、マルセル・プルーストならどう答えるだろうか。 ChatGPT になり切って答えてもらった。紅茶にマドレーヌを浸したときの気持ちを聞いたら、それなりの答えが返ってきたので、このように尋ねてみた。「 最近出会ったおばあさんは震える手でコインがうまく掴めず、困っていました。今までなら気づかなかったのですが、私はどうしても立ち止まって彼女を助けたくなり、声をかけました。それはまさに新しい景色ですか。」   ChatGPT の答えはこうだった。    あなたがおばあさんに声をかけて助けるという行為は、単に新しい景色を探すことではありません。それは、新たな目で見ることなのです。これは、あなたが以前とは異なる視点や意識を持ち、社会的弱者の存在に気付いたことを意味します。おばあさんの困りごとに気付き、声をかけて助けることで、あなたは社会的弱者に対する新たな目で物事を見ることができました。これによって、彼女の立場や経験に共感し、彼女の困難を理解することができました。  このエピソードは、私たちが予測可能な枠

人間は怒りと寂しさの処理で人生を間違える

今週の一週一言 6 月 19 日 〜 6 月 25 日 人間は怒りと寂しさの処理で人生を間違える 加藤諦三 加藤諦三( 1938 〜 )  日本の社会学者。 1972 年からニッポン放送のラジオ番組『テレフォン人生相談』のパーソナリティを務めている。 【如是我聞】 大学時代に短期間であったが、学習支援員として小学校にボランティアで行っていた。そのときに、「先生はなんでいつも笑ってんの?」と担当していた小学 3 年生の女の子に言われたことがある。先日も「先生はいつも笑顔やなぁ。」と高校 1 年生に言われた。「そりゃあ、笑っているほうが楽しいからでしょ。」なんて、返したかどうかは覚えていないが、そう思っている。それでも、疲れてくるといけませんね。すぐにイライラしてしまいます。普段だったらそうでもないんだろうけど、自分に余裕がないと、ちょっとしたことにイラっっっっッとしてしまうのです。 そんなときは高校生のときからのクセで、その負の感情の原因をぐるぐると考えてしまうのです。 Q :「なんでこんなイライラしてるんやろ?」 A :「あいつがあれをせんかったからや。」 A :「またオレがせなあかんのか。」 A :「なんでオレがせなあかんねん。」 A :「もうオレがやればいいんでしょ。」 ぐるぐる考えたわりには単純で、そしていつもだいたい同じような結論に至り、さらにイライラが増してしまうことが大概だ。余計にしんどくなるなら、考えなきゃいいのにね。そこまでの達観はなかなかできない。この堂々巡りを少し紐解いてみると、このイライラのなかには「誰か助けてくれよ」という気持ちがある気がする。そして、その気持ちの中には、「自分のことを助けて然り」と考えている存在がいるのではないか。それじゃあ、このイライラの端を発しているのは「ぼく寂しいよ」という思いなのかもしれない。 もし、人が生まれてからずっと一人きりで生きていったとして(英文法で言うところの仮定法の世界なのでうまく想像できないが)、「怒り」という感情はあるだろうか? ありそうな気がする。例えば、足の小指を何かでぶつけたら、「コノヤロウ!!」と何でもないその痛みの原因に対して怒る気がする。「寂しさ」はどうだろう? 寂しいと感じるのは、自分の心

時間の自由には二つのものがあるのではなかろうか。 自在に時間を配分する自由、もう一つは失われることのない、 今という時間を自在につくりだす自由である。

今週の一週一言                                   6 月 12 日~6月 18 日 時間の自由には二つのものがあるのではなかろうか。 自在に時間を配分する自由、もう一つは失われることのない、 今という時間を自在につくりだす自由である。 内山 節『自由論―自然と人間のゆらぎの中で』  内山 節  哲学者。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科客員教授。特定非営利活動法人森づくりフォーラム代表理事。 【如是我聞】 2 023年本屋大賞・高校生直木賞を受賞した、『汝、星のごとく』 ( 凪良ゆう著 ) を読んだ。主人公は二人の男女の高校生。彼らの恋愛を軸に、その後二十年に渡って彼らの生き方を描く。舞台は愛媛県のとある小さな町。閉鎖的かつムラ意識の強い地域だ。彼らは嫌悪し高校卒業後、ともに上京を志向する。やがて彼の方は上京を果たし、一定の成功を収める。一方の彼女にはさまざまなアクシデントが生じ、田舎に残される。運命は無残にも彼らを結び付けず、二人は互いへの思いを持ちつつも、それぞれ新たな彼、彼女と出会い別々の人生を歩む形でストーリーが展開する。 それから二十年、紆余曲折を経てお互いが探し求めていた半身同士だったことに改めて気づくが、彼が病魔に倒れ夭逝することで結末を迎える。その刹那、帰省した二人は満天の星の下でおだやかな瀬戸内の海を見ながら、あれほど嫌っていた故郷を振り返る場面がある。こんなすばらしい所で生まれ育ち、二人が出会ったのだと。彼の死で、重く悲劇的な幕切れのように見えるが、むしろ軽やかな思いさえ持てたことが印象に残る。今でも彼らの弾んだ会話が聞こえてきそうでインパクトのある感動作だった。  さて、表題にある二つの時間の自由である。内山節氏のこの『自由論』の中には、後者についてこんな話が出てくる。ある老人が若者に語りかけるシーンだ。「私は八十年近く生きたから、もう十分に生きたし、それほど生に執着することもないだろうと思うでしょう。ところが、生きるということは年齢で変わるものではないことがわかってくるのですよ。私も、あなたも、生まれたばかりの子どもも同じように生きているのです」。老人は、「もう一つの時間」を「自分がこう生きたいと思った時間を、実現

遠いものは大きく、近いものは小さくみえるだけのこと

今週の一週一言 5 月21日~5月27日 遠いものは大きく、近いものは小さくみえるだけのこと 耳をすませば バロン    耳をすませば…スタジオジブリのアニメでも知られる、柊あおいのベストセラーコミック。 1989 年に少女まんが雑誌『りぼん』で連載。                                     【如是我聞】   「残念―。今日の12位はうお座のあなた。ラッキーカラーは赤、ラッキーアイテムはアロハ柄のものです!」赤のアロハ柄…。あったら良いが、なかったら最悪の一日。そんな時は必殺、別のチャンネルの占い!今度は10位くらいだったりして、ホッとする。    今日一日くらいならまだしも、月刊誌では今月のわたしが決まってしまうし、手相なんて一生!?もう油性ペンでシワを書き足したい。幸運のメイクに幸運のブレスレット…全部やったらキリがないが、一個より二個のほうが効果がありそう。   未来への不安は尽きない。しかし救われたい一心でわたしの主体性がなくなり、わたしの生き方が見失われることがある。そういう生き方を親鸞聖人は「悲しきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」とおっしゃった。   わたしたちは生まれながらに自分さえ良ければという煩悩を身にまとっている。それはまるで甲冑を着ているようであり、その姿を煩悩具足という。その甲冑の重さで身動きが取れなくなってしまっては意味がないのではないか。わたしがわたしらしく生きるために、わたしの弱さを知ることも大切なのかもしれない。                                  (宗教・英語科 髙橋愛) >>> トップページへ https://www.otani.ed.jp