今週の一週一言 8月29日~ 9月4日 明日の目的のために今日を生きているのではない。 今日が全部だ。 安田理深 安田里深( 1900- 1982 ) 真宗大谷派の僧侶であり、仏教学者。鳥取県出身。金子大栄の著作を読んだことが契機となり、大谷大学へ入学。のち、大谷大学の教授となる。 【如是我聞 】 私が大学生だった頃、誰かに殺されたい妄想を持っていた。理由は、自分の未来を感じ取れず面 倒な未来を見たくない、というピーターパンシンドロームみたいな馬鹿馬鹿しい妄想だったと思う。 しかし、自分から命を絶つ勇気もないあたりが、しょうもなすぎて恥ずかしい。 たしか、大学に入るまでは、父の影響もあって教員志望を明確に持っていた。大学に入ってしまうと、その自由さ故に、ヌルい私は、そんな思いもすっかりと消え、社会人以降の未来なんて考え たくもないと、ろくに勉強もせずモラトリアムを存分に無駄に過ごした。夜更かしして、酒飲んで、 ゲームして、友だちと遊んで …… とまぁ、だらだらと。無駄な時間は私にとっては非常に快適で、こんな楽しい時間がずっと続いてほしいと本気で思っていたのだ。 とはいえ、いつまでもそういうわけにはいかず。周りが卒業や卒業後取り組んでいく中、私もこの時間の終わりを意識しはじめた。そうした外圧とさまざまな巡り合わせもあって、なんとか卒業できてしまい、そして、社会人になってしまったのである。 そんな感じで仕事を始めた私なので、とにかく周りと比較して自分のレベルが低かった。本当に何もできないダメダメな教員だったと思う。反対に皆周囲は優秀でかなり焦った。焦るのが遅すぎるけど。そりゃサボってきた私と比較すれば当然なのだが。しっかりと明日の目的のために歩んできた人との差だなと、そのときは思った。 そこからは、教員としてスキルアップしなければ、という思いで努力してきたつもりだ。なんとか、やれているのだろうか。どれだけ他の人に追いつけたかはわからないし、グータラしてた経験が何か教育現場で活かせているのか、どうなのか。 自分のダラダラと「今日だけを楽しく」と考えていた学生時代を反省して、「明日の目的のため に」頑張るかが大事、と思っていた。今考え直してみるとその意識の仕方はたぶん違っていて 、「今 という一日一日を大切に」することが大事なのではなかろうか。今
大谷中学高等学校 (※著作権の関係上、WEBについては毎週掲載とならないことをご了承ください。)