今週の一週一言 4 月 23 日~ 4 月 29 日 真に生きている時間というものは、 出会いのある時間なのだ。 マルティン・ブーバー Martin Buber (1878 ~ 1965) ・・・ユダヤ人の宗教哲学者。もじゃもじゃの髭と、つぶらな瞳がトレードマーク。フランクフルト大学に奉職するも、ナチス政権の成立によって退職。 1938 年、イェルサレムに移住してヘブライ大学の教授となった。主著『我と汝』は宗教哲学のみならず、ひろく人間学に大きな影響を与えている。 【如是我聞】 こないだ、3人の旧友たちと久しぶりに再会した。このようにして集まるのはおそらく5~6年ぶりくらいだろうか。とにかく久しぶりだった。大学院生の頃、ぼくたちはとくに用事がなくても、しょっちゅう会って、ご飯を食べたり、お酒を飲んだりしていた。「いま時間ある?ちょっとコーヒーでも飲みに行こうよ」みたいな気軽さで。実のところ、ぼくは昔も今も、人と会話することはそんなに得意ではない。できれば一人でいたい。しかし、この人たちと一緒にいる時間はとても好きだった。なぜだろう。理由はよく分からないが、それはぼくにとって自明の事実だった。そして、そんな時間がずっと続けばいいのにと思っていた。 懐かしい顔ぶれ、懐かしい呼び名。時が流れて、お互いにその時間の分だけ外見やら生活やら色んなものが変化したはずだ。大学を出てからというものの、それぞれがそれぞれの道を歩んできた。しかし、そのような変化は全く感じさせなかった。あたかも「やあ、昨日ぶりだね」というぐらいの出会いであるかのようだった。これは錯覚なのか、それともなにか時間の魔法だったのだろうか。 明らかに変わったことといえば、子どもが増えたことだった。「フランス産なの、この子は」と旧友の1人が言った。しばらくフランスで暮らしていたときに、現地で出産したらしい。ぼくは彼女がフランスに行っていたことも、出産していたことも全く知らなかった。新しい生命は、身体をせいいっぱいに使って、喫茶店を動きまわっていた。もう1人の旧友も自分の子どもを連れてきていた。そちらは旦那が外に散歩に連れてでかけていった
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