今週の一週一言 自由とは 「自分の持って生まれた才能や性質を十分に発揮する」 ということである 西田幾多郎(187 0 ~19 4 5) ・・・ 日本を代表する哲学者。京都大学教授、名誉教授。 主著『善の研究』。 【如是我聞】 若い頃、特に中高校生の頃 (1960 年代後半から 1970 年代の初めの頃 ) に、「自由」という言葉に憧れていた。当時よく耳にしていた洋楽の世界には Free というバンドがあったし、当時の洋楽の歌詞の中で” free ”とか” freedom ” あるいは” liberty ”という語をよく耳にした。私の中高生の頃はそういう時代であった。当時の中高生には、今よりもずっと多くの制約がかけられていたように思う。たとえば、そういう音楽を聞いていたり、 electric guitar ( 場合によっては acoustic guitar でも ) を弾いていたりするだけで不良と呼ばれたりしたものだ。田舎の中学生の頭髪は丸刈りと決められていたし、夜遅くに外出することも、特定の異性と仲良くすることも簡単には許されない雰囲気があり、大人たちによって束縛されている感じが常にあったように思う。そんな時代の若者にとって「自由」という言葉は、ありきたりな表現を用いて言えば、鳥が大空を羽ばたいているようなイメージを伴って本当に魅力的なことばとして存在していた。 「自由」という言葉は相対的な言葉である。束縛や制約のない状態のことを指す言葉であるからだ。自由という言葉を意識するときはいつも何らかの束縛や制約を感じているということでもあった。若い頃の私は、自分の思い通りにならないのは、「制約が多く自由がないからだ」と周囲のせいにしていたように思う。しかし、自由とは文字通り「自分に由る」ということであり、すべての行動が自分自身に起因するということだ。自由になる、あるいは自由を感じるのは、結局のところは自分次第ということなのだ。そこにもっと早く気付くことができていれば、自己を見つめ、「自分の持って生まれた才能や性質を十分に発揮する」ことが可能になっていたのかもしれない。 free と
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