一週一言インデックス

2015年1月26日月曜日

寒さにふるえた者ほど太陽をあたたかく感じる 人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る

今週の一週一言
月26日~2月1日

寒さにふるえた者ほど太陽をあたたかく感じる
人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る

ホイットマン (Walter Whitman

1819531日~1892326日 アメリカ合衆国の詩人、随筆家、ジャーナリスト。アメリカ文学において最も影響力の大きい作家の一人であり、しばしば「自由詩の父」と呼ばれる。

【如是我聞】

なぜこの言葉を選んだのか。後悔している。あまりに重くのしかかる言葉だ。辛くなる。
 冬の寒い朝に自転車で学校に向かう途中、柔らかな陽が射す通りを走ると「やっぱり太陽って暖かいんだ」って思う。それまで肩にガチガチ入っていた力がすぅって抜ける。でも、それは一瞬喜んだだけだ。もっと暖かいものを私は知っているから。ヒートテックのシャツ、ダウンジャケット、ふわふわマフラーを身にまとった私を、さらに快適な暖房がかかった職員室がこれから出迎えてくれるのだ。太陽のありがたみなんて「そういえば暖かいよね〜」ぐらいの小さなものになり下がってしまっている。どうしようもない寒さに心底震えることってないんだ。寒ければコンビニ行って温かいコーヒーや味噌汁飲めばいい。ホットカイロを買えばいい。
 だから、「人生の悩みをくぐった者ほど」ってあるけれど、「悩み」を「悩み」として受け取らず、適当にスルーして、自分をコンビニ的な喜びでごまかすことに慣れてしまっている「私」が人生とは?とか生命の尊さを語ることなんて難しくってできない(僧侶だけど)。想像の力を借りるしかないんだろうが、目の前のことをうまくやり過ごすことに精一杯のこの現状ではとほほである。はじめはなんとか語れると思ったんだけれどなぁ。親友が震災や戦争で亡くなっても、そのことが自分の問題となり切らない「私」である。日々の暮らしの中でごまかされ薄まっていく。このままでは、気がつかないうちに本当に大事なことを壊していきそうである。慎重にならないと。
(英語科:増田 亮)




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2015年1月14日水曜日

はだかにて 生まれてきたに 何不足 小林一茶

今週の一週一言              
月19日~1月25日
はだかにて 生まれてきたに 何不足

小林一茶(17631823) … 化政期の俳人。不遇な生いたち、長い放浪、晩年の家庭苦などを独自の俳風で詠み、「庶民派の俳人」として今なお評価が高い(長野県でその名に接する機会の多さといったら!)。故郷柏原村(現信濃町)は野沢温泉村と同じく北信州の山中にある。
【如是我聞】
  冬休みの間、我々が逗留している野沢温泉村の一角に「十王堂」はある。地獄の審判たちを祀った祠のことである。ほの暗い光の向こうから睨みつける閻魔王。笑いを浮かべる奪衣婆。他にも温泉を守る十二神将など、この村には容貌魁偉な御柱が多く在る。かくも恐ろしい神々に護ってもらわねばならぬほど、北信州の冬は過酷なのだ。
学生時代、宿のおかみさんに江戸期の古文書を見せてもらったことがある。こんなところにも人は住む。生まれ、成長し、仲良くし、いがみあい、子供を育て、死んでゆく。連綿と続く営みに思いを馳せると、目が眩むような心地がしたのを覚えている。
十王堂を出ると、数々のネオンと、食べ物屋、土産物屋が目に入る。ひところのスキーブームから思えばさびれているのだろうが、それでも多くの人々が談笑し、温かいおやつや土産物を買っている。近年は特に白人が多く、小雪とともに英語が舞う。
  温泉では、世界各地から集まったおっさんたちの愚痴が響く。今冬の大雪について。続く地方の不景気について。欧州のスキー場のサービスの悪さについて。湯煙の向こうの声を聞きながら、ここ数日で聞いた部員たちの文句を思い出す。この雪で練習はありえない。板が滑らない。腰が痛い。手が凍る。しんどい。寒い。
そして思う。みんな、楽しんでるなあ、と。
  一茶の句の中には、雪国の厳しさと生きる辛さを重ねて詠んだものが多くある。「人間は皆はだかで生まれてきたのだから、そのままで何も不足はないはずだ」というこの句は直接雪とは関係ないが、数々の生活苦を抱えてきた彼が、自分を励ますために詠んだものではあるだろう。
生きる辛さも、自然災害もなくなることはない。しかしそれでも我々は自分から望んで、わざわざ極寒の地に来て、この過酷なスポーツを楽しんでいる。まったく、なんて大変な贅沢だろう。むろん、我々ははだかではない。暖房設備。保温繊維。資金。不在への理解。スケジュールの調整。様々な世話。仕事の肩代わり。先人と、周囲の皆の温かい知恵と心遣いに包まれて、我々は今ここにいる。
  数日ぶりに晴れ間の出た1230日に、この文章を書いている。まもなく中ぐらいにめでたい正月がやってくるだろう。雪五尺を圧雪したコースでゲレンデで、皆は戦うだろう。温暖化のはずが今冬はおどけもいえぬ信濃空だが、その空を見ながらこの句で締めておきたい。

うつくしや 年暮れきりし 夜の空                            (スキー部 奥島)




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2014年12月2日火曜日

過って改めざる これを過という

今週の一週一言
                                  12月1日~12月7日
 過って改めざる これを過という
『論語』衛霊公29
           
『論語』・・・孔子とその高弟の言行を、孔子の死後、弟子たちが記録した書物。『孟子』・『大学』・『中庸』とあわせて、「四書」の一つに数えられる。


【如是我聞】
人は誰しも生きていれば過ち(失敗)を犯す。失敗の内容にも小さいものから大きなものまでいろいろあるだろうが、とにかく失敗をしない人間なんていないだろう。よかれと思ってやったことが裏目に出てしまうなんてこともいくらでもある。
「失敗は誰だってするのだ。肝心なのはその後だよ。その失敗を反省し、どう改めて次に生かすかを考えなさい。失敗をそのままにして同じ失敗を繰り返すことを真の失敗というのだよ。」孔子という人物が実際どんな人だったのかは知らないが、きっとそんなふうに弟子に語ったのではないだろうか。
孔子が後継者として考えていたと言われる愛弟子に顔回という人物がいる。この人物を私が知ったのは高校時代に読んだ酒見賢一氏の『陋巷(ろうこう)在り』という小説である。とても魅力的な人物として描かれており、以来、教科書や参考書で目にした『論語』の中に顔回の名を見つけては「ああ、あなたはここにいたのね」と勝手に親しみを持っていた。記録によると顔回は質素な生活をし、謙虚で苦労を厭わず、怒りを表すこともなかったというよくできた人物であったようだ。孔子は彼を「過ちを(ふたた)びせず(同じ失敗を二度と繰り返さない)」と評価している。なんと優秀な人物であろうか。大学生にもなってクラブの先輩から「先生に一度注意されたことは二度と同じことを言わせちゃダメなのっ!!」と語気も荒く叱られた経験のある私とは雲泥の差である。
今でも私は要領の悪さゆえにギリギリに仕事を片付ける羽目に陥るという失敗を嫌というほど繰り返している。生徒には日頃「同じ失敗を何度も繰り返すな」と言う一方で、私自身は真の意味で反省をしていないのだとげんなりする。そんなことで「過って改めざるこれを過ちという」は私にとって耳の痛い言葉である。
もう一つ、『論語』の「過ち」に関する有名な言葉「過ちては(すなわ)ち改むるに(はばか)ることなかれ」というのも思い出される。せめて面目などにこだわることなく、「過ち」に気づいたならば素直に直せる人間でありたいものである。

(国語科:須田




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2014年11月17日月曜日

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし  師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし

今週の一週一言
                                  
11月17日~11月24日
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 
師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし      『正像末和讃』
親鸞聖人   1173~1262。幼少の頃出家し、比叡山延暦寺に学ぶ。29歳の時、山を下り、法然の門弟となる。法然に連座して越後に流され、赦免後は常陸に住み、多くの人々を教化する。晩年は京都に戻り、『教行信証』などの著述に専念した。
【如是我聞】2014.11.21.Ⅵ年3組  担任からの手紙  高校生活最後の報恩講に際して
2008年11月21日(金) 報恩講 多田前校長の講話から
『宿 題』
今日の宿題は つらかった 今までで いちばんつらい宿題だった
一行書いては なみだがあふれた 一行書いては なみだが流れた
「宿題は お母さんの詩です。」
先生は そう言ってから、「良子さん。」と 私を呼ばれた
「つらい宿題だと思うけど がんばって書いてきてね。
お母さんの思い出と しっかり向き合ってみて。」
「お母さん」と 一行書いたら お母さんの笑った顔が浮かんだ
「お母さん」と もうひとつ書いたら ピンクのブラウスのお母さんが見えた
「おかあさん」と言ってみたら 「りょうこちゃん」と お母さんの声がした
「おかあさん」と もういちど言ってみたけど もう 何も 聞こえなかった

がんばって がんばって 書いたけれどお母さんの詩はできなかった
一行書いては なみだがあふれた 一行読んでは なみだが流れた 
今日の宿題は つらかった 今まででいちばんつらい宿題だった 
でも 「お母さん」と いっぱい書いて お母さんに会えた
「お母さん。」と いっぱい呼んで お母さんと話せた
宿題をしていた間 私にも お母さんがいた       

 つい先日、お母さんを病気で亡くした小学校6年生の中村良子さんの詩です。
 多田先生にお願いしたところ、早々にこの詩のFAXを送ってくださいました。
家の人にも読んでもらってください。    報恩講はこういう一日なんですね。

(数学科:常富)


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2014年11月5日水曜日

百聞不如一見

今週の一週一言
                                  
11月4日~11月9日
   百聞不如一見             『漢書・趙充国伝』より
『漢書』・・・後漢の歴史家班固が著した前漢の正史百巻。西暦八十二年頃成立。
【如是我聞】
皆さん、一度は聞いたことのある「百聞は一見に如かず」です。漢字から直訳すると、意味は「百回聞くよりは一回見た方が良い」となるわけですが、「他人から聞く」「自分で見る」という視点が入って、「他人から聞くよりは自分で見る方が勝る」という意味合いで使っている人も多いと思います。(百と一の割合は、そこまで・・・・と思うのは私だけ?)
 漢書の原文はこの「百聞不如一見」で終わりなんですが、実は続きがある、というより、おそらく日本に渡ってからひと工夫した人がいたのでしょう、こう続きます。「百聞不如一見」の後に、「百見不如一考」「百考不如一行」「百行不如一果」。つまり、簡単に不等号を使って表すと、「聞く」<「見る」<「行う」<「結果を出す」となります。私のこの4行の解釈は、「見る」で止まるな、行動に移せ、結果を出せ、という脅迫的な意味ではなく、「結果」には様々なプロセスとご縁がある、という逆からの見方で、4つセットを大切にしています。
 昨今、和食に代表されるように、先祖代々の先輩たちが築いてきて下さった「和」の文化の素晴らしさが取り沙汰されていますが、こういった一歩踏み込んで更に工夫する能力は、次世代に受け継いでゆかねばなりません。
では、私もこの4行に一歩踏み込んでみることにしましょう。最初の「百聞不如一見」の前に、「自分の殻に百回閉じこもって考えるよりも一回人の話を聞く」、つまり、「百閉不如一聞」。また、最後の「百行不如一果」の後に、「自分に対する百回の結果よりは、他人に対する一回の奉仕(行い)の方が・・・・」。ここまでいくと、漢字でどう表したらいいかわかりません。
ただ、こんなふうに考えていくと、最初の行き着く先も最後の行き着く先も、同じところのような気がしてなりません。私は仏教を深く勉強したわけではありませんので、使い方はおそらく間違っていると思いますが、「無」という漢字が一番近いような気がします。

更に更に、数学の一教師の端くれとして、これを数字の世界に当てはめてみると、+∞と-∞は同じ実体のように思えてくるから不思議です。        (数学科:梅垣)


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2014年11月1日土曜日

人の交わりにも季節あり

今週の一週一言              
1027日~112
人の交わりにも季節あり

南方熊楠(18671941・・・和歌山生まれの植物学、民俗学、博物学者。18言語を解し「歩く百科事典」と呼ばれ、菌類の研究では新しく70種を発見した。自然保護の観点から神社合祀令に反対運動を起こし、日本における“エコロジー”の先駆ともなった。

【如是我聞】
 私が小さかった頃、まだ、自分がそうであるなら他人もまたそうであるのだと思っていた頃、私は母に尋ねたことがある。「どうして同じクラスに誰がいたのか覚えてないの」と。小学生だった私は、当時のクラスはもちろん、何年生で誰と一緒だったか、全てはっきり覚えていた。なぜならクラス全員が“友だち”だったから。母は困った顔で笑っていた。
 最近、ふと心配になることがある。仕事を始めてから、友人に会うことがめっきり減ってしまった。忙しいから、日が合わないから、休日は少しでも休みたいから。なんだかんだと理由をつけて断ることも多く、連絡の返信も途絶えがちである。友人に会いたくないわけではない。が、すべての友人と遊ぶ気力もない。だから会う人、会わない人とだんだん線引きがなされていく。このままではいつか、せっかくの友人がいなくなるのではないかと、ぼんやり不安に思うのである。
その昔、南方熊楠は、留学先のロンドンで亡命中の孫文に出会った。意気投合とはこのことで、「三日にあけず」頻繁に会い、議論を交わした。孫文は熊楠のことを「知音」(親友)と記し、熊楠の帰国後は、和歌山で再会もしている。その後、孫文は中国で革命を成功させたが、その来日の際、熊楠はあえて面会しなかった。「小生孫氏に対し何一つ不都合・不義理なことありしにあらず、ただ人の交わりにも季節あり」、熊楠はこう記したという。
人の縁とは不思議なもので、どこに転がっているか、どれが続くか全く分からない。高校の頃、“友だち”は私の中で少なくとも3種類あった。休み時間を一緒に過ごすグループ、放課後だけ教室に集まるメンバー、それからクラスは違えど3年間の大親友。現在も頻繁に会うのは放課後メンバーで、「不思議だね、私たちが続くなんて。休み時間に一緒にいることなんて一度もなかったのに」と会うたび言っている。休み時間グループの友人とは、34年に一度会うくらい。それでも途絶えていない。それより何より不思議なのが親友で、卒業以来たったの一度しか会っていない。今でもしょっちゅう彼女を思い出し、懐かしむのにもかかわらず、だ。

今の私は小学校のクラスメイトをほとんど覚えていない。けれど、いつか再び交わることもあるのだろうか。「人の交わりにも季節あり」。熊楠と孫文に、3度目の春はどうやら訪れなかった。私と親友はどうだろう。長い、本当に長い冬が続いている。だがなぜか、彼女と再会する春がやがて来るのだろうと、私はずっと思っている。なんの確証もないけれど、季節はやはり、めぐるのだ。   (社会科 草地)




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2014年10月15日水曜日

私たちはいわば二回この世に生まれる  一回目は存在するために 二回目は生きるために

今週の一週一言                
10月14日~10月20日
 私たちはいわば二回この世に生まれる
    一回目は存在するために 二回目は生きるために
..ルソー(17121778):ジュネーブ共和国生まれ。哲学者、教育哲学者、作家、作曲家と、フランスにおいて幅広く活躍。『エミール』など、著書多数。
【如是我聞】
 ルソーの古典的な教育論、『エミール』の中の言葉だ。幼年期、少年期を終えて思春期の教育がどうあるべきかを記した第四編の最初におかれている。岩波文庫の今野氏の訳ではこの後、「はじめは人間に生まれ、つぎには男性か女性に生まれる」と続くが、ルソーの原文では、「lune pour lespece, et lautre pour le sexe.(一回目は人間という種として、もう一回は男性女性という性を持つ者として)」と書かれている。人は、思春期になってはじめて、それまではただ存在するだけでどう生きるかを考えもしなかったのに、情念に目覚め、第二次性徴の現れとともに体が大人になり、激しく異性を求める時期に入る。そして、この時期こそ「まさにわたしたちの教育をはじめなければならない時期だ」とルソーは主張するのだ。
 ここでちょっと余談。残念ながら今から250年前を生きたルソーには、性を「ジェンダー」として捉えるという発想はなかっただろう。思春期に体が大きく変化する男性は、「嵐のような」この時期をくぐり抜けなければならないが、女性はいつまでも子供にとどまっていると考えていたようだ。なんで? まあ、そこは目をつぶって先に進もう。

 では、ルソーはどんな教育をはじめなければならないというのか。「目がいきいきしてきて、他の存在をながめ、わたしたちのまわりにいる人々に興味をもちはじめ、人間はひとりで生きるようにはつくられていないことを感じはじめる。こうして人間的な愛情にたいして心がひらかれ、愛着をもつことができるようになる」という、この思春期の性本能の目覚め、伴侶を求める異性に対する欲求の発現を、「人間愛」の感情へと育てていくことだと説くのである。自分に対する愛しか知らなかった子供が異性である他者に目を向け始めたこの時期に、柔らかい感受性を利用して他者を思いやることのできる社会的な人間へと育てなければならないと。そのためには、子供が感じ悩んでいる、「人生のみじめさ、悲しみ、不幸、欠乏、あらゆる種類の苦しみ」が自分だけの悩みではなく、自分以外の誰もが抱えている人間共通の苦しみであることを感じる力、他者の苦しみ悲しみを自分のものとして感じる想像力に点火してやることだと説くのである。このルソーの考えは、私たちが身を置いている大谷の教育理念ともどこかで重なるように思えないだろうか。ルソーは書いている。「人間を社会的にするのはかれの弱さ(la faiblesse)だ。わたしたちの心に人間愛を感じさせるのはわたしたちに共通のみじめさ(nos miseres)なのだ」と。人間に共通の「弱さ、みじめさ」を感じることのできる力が人と人とを本当に結びつけるのだ、それが「生きるため」の「二回目」の誕生なのだとルソーは言っているのではないだろうか。                                            (国語科  角谷有一)




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2014年9月29日月曜日

道は近きにあり 迷える人はこれを遠きに求む

今週の一週一言                   
月29日~10月5日
道は近きにあり 迷える人はこれを遠きに求む 
清澤満之・・・18631903,名古屋市生まれ。本校初代校長。宗教家、思想家、哲学者。
【如是我聞】中国北魏の僧曇鸞(どんらん)深く仏教に学ばれていたが、体調を崩し、「このままでは仏教の学びを続けられない。まずは健康だと山に入られた。その山には陶弘景(とうこうけい)という名の仙人になる道を教える師がいた。目指すのは不老長寿である。仙人というと、(かすみ)を食べるとか、呪術や超能力といったものが浮かぶかもしれないが、実際には薬学や栄養学が盛ん(この頃に漢方薬や食物の効能の研究が進んだと言われる)で、正しい生活習慣と運動の知識も身に着けた。
数年後、曇鸞は体調が戻り、師に認められて不老長寿の秘訣が説かれた「(せん)(ぎょう)」を与えられ、それを手に山を下りた。家に向かう途中、馬に乗った三蔵法師(=経・論・律の三蔵に明るい僧)流支(るし)に出会い、声をかけられる。
 《流支》どうしてそんなにうれしそうに歩いておられるのじゃ   《曇鸞》よくぞ聞いてくださった。私もあなたと同じ仏教に学ぶものですが、体を崩し、陶弘景先生の元で修行を積み、不老長寿の道を授かったのです。この仙経を読めるかと思うとついつい笑顔がこぼれるのです。   《流支》この馬鹿者がっ!仏教に学ぶ者がただ長生きできると喜んでおるのか。人が30年生きたとして、その30年間苦しむところを、おまえはその倍生きて、人の倍の長さを苦しむことを喜んでおる。情けない。これを読みなさい。
手渡された経典には「阿弥陀」という仏の教えが説かれていた。阿弥陀は「無量寿」とも呼ばれ、「量とは関係のない寿(いのち)」、「量ることのできないいのち」の教えである。自らの迷いに気付き、その教えに目覚めた曇鸞は、せっかく手に入れた仙経を庭で焼き捨てた。一度も見ることなく見てからでもよかったのになどと思うのは、私だけだろうか)。
仏教に学ぶ曇鸞にとって、道は近くにあったのだ。いや、すでにその道を歩んでいたのだ。しかし、我執というか欲望というか、いわゆる煩悩にさえぎられて、目の前に広がる道が見えていなかったのだ。迷った末にそれを遠くに求めた。
 「迷」という字は「之」に「米」と書く。「之」は道を意味する。「米」はその道が四方八方に伸びていることを表す。そしてその「米」の真ん中に(たたず)み、どの道を進むべきか思案している様を「迷う」という。人は「私が私らしく生きられる道」を求めて()まない生き物である。そして、その道を求めて時に迷うのである。どの道を進めば私は最も活き活きとできるかと。
大谷に集う私たちにもその道は用意されている。いや、すでにその道の上を歩んでいるのである。どこで何をするかということではない。どのような者として生きていくかということこそが「道」である。                     

(宗教・英語科  乾)




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2014年8月28日木曜日

きのふの我に飽くべし  芭蕉 

今週の一週一言
                                  8月25日~8月31日
きのふの我に飽くべし       芭蕉  
『俳諧無門関』蓼太より
松尾芭蕉・・・1644~1694、俳人。伊賀上野の生まれ。のち江戸に下り,俳壇内に地盤を形成,深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風を開拓した。「おくのほそ道」の旅の体験から,不易流行の理念を確立し,以後その実践を「細み」に求め,晩年には俳諧本来の庶民性に立ち戻った「軽み」の俳風に達した。
【如是我聞】
「飽く」とは、ある辞書に「いやになって,続ける気がなくなる」と説明されている言葉です。それまでの自分に拘り続け、過去の柵に縛られるような人生を、おそらく芭蕉は認めなかったのでしょう。
人は誰しも現状に甘んじ、ついつい安楽で簡便な方法や生き様を求めてしまいます。誰しも「きのふの我」は、甘く、懐かしいものです。私たちの多くは、この居心地のよい幸せな場所を愛おしいと思い、そこにある自分の生き様に誇りすら持っていることでしょう。それは勿論素晴らしい過去には違いないのですが、あえて過去を「いやになって」あげるもう一人の自分が必要なのですね。勿論、そのためにはかなりの勇気とエネルギーが要るのですが、過去に縋ることで新たな一歩へと踏み出すことが躊躇されるとしたら、それは皆さんにとって本当に勿体無いことです。
多くの場合、過去と戦い、新たな挑戦を日々経験することは、自分の感情や感性、それに肉体までもが更新されてゆく素晴らしい体験をもたらしてくれます。目の前が大きく明るく開け、まるで脱皮したかのように再生した自分を楽しめることでしょう。私自身、何度もそういう経験をしてきました。何かを体得したような幸せな気分で、足どりも軽く街を歩いたことだってあります。
打ち勝つべきものは、周りの何かや誰かではなく、過去に埋もれた、昨日までの退屈な自分なのです。
でも、けっしてあなたの過去を否定するわけではありません。過去の体験は未来の糧であり、それをもとに明日の自分が模索される=「飽く」のであれば、そして、戦うべき敵は何かを知るのであれば、それこそが人としての本来の生き方なのでしょう。
芭蕉は、まさに打ち勝つべき敵は何かを知り、その一生涯を通して劇的に変貌を遂げ続けたというわけです。
「古人の跡をもとめず、古人の求めたる所をもとめよ」
これもまた、有名な彼の言葉です。すでに構築された過去をただ辿る生き方よりも、新たな挑戦と模索を繰り返すあなたであってほしい、そういう思いが伝わってきませんか。自分に満足してしまえば、そこに人としてのあなたの価値は無くなってしまうのかもしれません。

 「きのふの我」は、言い換えれば発達段階や成長段階にある自分ですよね。そんな「我」と向き合いながら、新たな段階を目指して、自分の生き方のスタイルを見つめなおしていきましょう。                                     (国語科:松尾)



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2014年7月30日水曜日

想像力は知識よりもっと大切である

今週の一週一言

7月28日~8月24日
想像力は知識よりもっと大切である
Imagination is more important than knowledge

アルベルト・アインシュタイン・・・1879~1955、ドイツ生まれ。ユダヤ人の理論物理学者。1921年ノーベル物理学賞受賞。相対性理論・光電効果の解明など、輝かしい業績を持ち、20世紀最大の物理学者とも、現代物理学の父とも呼ばれる。

【如是我聞】
同じ読みの「創造力」という言葉がある。昔、中高校生の頃にはこの言葉のほうが大切だと思い込んでいた。「想像する」という行為は、当時の夢見がちな自分への自戒をこめて、行動の伴わない一種の逃避行動であるかのように思っていた。ただぼんやりと考えているだけでは何も始まらないと。この先自分が生きていく世界のありようを理解し、いろんなものを作り上げていくのに必要なのは知識の集積とそれに基づく創造なのだと。
ジョン・レノンの「イマジン(Imagine)」という歌を初めて聴いた(中3だったか、高1の頃だっただろうか)ときも、理想の世界を想像しようという呼びかけに共感を覚えたが、「想像するだけでは何も変わらないよな」と思っていたし、その中でジョン自身が “You may say I’m a dreamer.”(君は僕を夢想家だというかもしれない)と歌っているのを聞いて、「その通り」だと突っ込んでいた。
しかし、いつの頃からか、自分の学びの限界を感じた頃からだろうか、それとも教壇に立たせてもらうようになり、知識をただ詰め込もうとする生徒の姿を目にして、教えるということはただ知識を伝えるだけでは十分ではないと感じ始めた頃からだろうか、実は想像力こそが人や世界を動かす、あるいは必要なときには立ち止まらせる原動力なのではないかと思うようになった。
このアインシュタインの言葉はさらに「知識には限界があるが、想像力は世界を包み込む」( ,for knowledge is limited while imagination embraces the entire world.)と続く。知識は有限であり、そこからは当然限られた範囲のものしか生まれてはこない。ところが、想像力はこの世界を包み込むほどに大きく、「無」から「有」を生み出す原動力なのだと。
ジョンは、「夢想家だ」と突っ込んだ私のような人にさらに続けて呼びかける、but I’m not the only one. I hope someday you will join us. And the world will be as one.”(でも 僕は一人じゃない。いつか君も仲間になってほしいし、そうすれば世界は一つになるのだ) と。
Imagine all the people living life in peace
(想像してごらん。すべての人たちが平和に暮らしているのを)
 この歌から40年余りが過ぎたが、残念ながら、まだその世界の実現には至らない。

        (英語科:辻)




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内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目

一週一言 9 月 4 日~ 9 月 10 日                                   内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目 鈴木章子    鈴木 章子 ( あやこ ) ( 1...