今週の一週一言 12月10日~12月26日 自分が自分になった背景を知る。 それが恩を知るという意である。 安田理深 安田理深(やすだりじん)・・・1900-1982 真宗大谷派僧侶、仏教思想家、 私塾「相応学舎」を主宰。 【如是我聞】 “We are what we eat.”(私たちは食べ物で出来ている)先日、ある先生に教わったアメリカのことわざです。 私たちは他のいのちを犠牲にすることなしに生きることはできません。無数のいのちに支えられて生かされています。この事実は「自分が自分になった背景」の重要な要素であるにもかかわらず、私たちの可視範囲、想像の域は決して広くありません。 私たち真宗の家庭では、精進日というものを月のうち数日設けることによって、この背景に思いを寄せようという習慣があります。この精進日には食卓から肉・魚類が姿を消します。私が中高生の食べ盛りの頃はこの日が憂うつでした。母親は野菜を天ぷらにするなど、少しでも食べ盛りの子どもに満足させようと、色々な工夫をしてくれました。祖母の時代は卵もだめだったらしいのですが、私の母親は「あれは温めても雛にはならん」と言って、卵を食べることをOKにしました。でもかまぼこは当然だめですし、うどんの出汁もだめでした。このような習慣は今でも続いていますが、私の妻はこの習慣が新鮮らしく、精進日の献立を楽しんでいるようです。 月のうちにせめて数日でも他のいのちを犠牲にしない。完全には無理であるにしても、そうすることで、無数のいのちにささえられている事実を改めて考えよう。そのような習慣です。 自分の力だけで生きていると錯覚している私たちが、支えられて存在しているいのちという事実に気づけば、何か恩返しをしなければなりません。そのような気持ちにいたることが、恩を知るということかもしれません。 あなたのいのちを「いただきます」。それを私のもとまで届け、調理してくださったものに対して「ご馳走さまでした」。恩を知った者がこの二言を粗末にすることはできないはずです。 (文責:や)
大谷中学高等学校 (※著作権の関係上、WEBについては毎週掲載とならないことをご了承ください。)